理想人クラウドの救済論
ユートピアは三重の円で区分けされた理想郷。
その最も外側の区域は工業地帯で、食料品から兵器まで、大量生産が必要な物品の生産工場だと、この理想郷に来たばかりの頃に受けた講習で説明された。
だが、実際に足を踏み入れたことは無かった。
「まだユートピアが東方にあるアルカディアと戦争していた頃、ここはただのスラム街でした」
「あの、その前にちょっと」
「はい、なんでしょう?」
俺たちが歩いているそのスラム街の道には、アスファルトさえ敷かれてない。
クラウドはくるりと振り返る。一挙手一投足がすべて絵になる美形の彼が居る場所は、すべてが美形に成り代わるようだ。
「気の抜けるようなジョークを言ってくれるくらいだから、俺たちの間からはとりあえず友人、という認識でいいのかな?」
「そのように真っ直ぐ言われると、さすがに照れますね。それが何か?」
「その、なんか口調固すぎてしんどくないかと思って。素がそれならいいんだけど、もう少し砕けてもらってもいいよ、みたいな……」
あまり会話が得意じゃないから、曖昧な言い方しか出来ないのが歯痒いな。死にたくなってきた。
するとクラウドはおかしそうに笑う。
「なにさ」
「ふふっ……失礼。気を使ってくださっているのが妙に嬉しくて、不器用にも賢明な姿が愛らしかったもので」
「んっ……」
「ですが、機を遣わせてしまったようですね。僕もあまり会話が得意な方ではないので、口調のほうは少しずつ砕いていきましょう。それもまた救済のため」
救済、クラウドがよく口にする言葉だ。
俺にとっては安楽死がそれに当たるが、彼はどうして救世主になろうとしたのだろう。
まあ、そのあたりもゆっくり語ってもらうとしよう。酒の肴になるだろうし。
狭い路地裏に入って、しばらく進む。
石造りの壁に挟まれた通路は入り組んでいて、方向感覚を狂わせる。
ふと、クラウドが立ち止まる。左手の壁に、取っ手のついた金属製のスライドドアがある。
「ここです。僕の行きつけのバーです」
「どうしてわざわざこんなところに……?」
「外層は、主に輸送用のメインルート以外は、ユートピアの監視が緩いんです。ここでコツコツ金と力を積み重ねて、ようやく中層に施設を構えたというのに、ユートピアの鼻が予想以上に鋭かったようで。まあ、貴重なデータは入手できましたし、成果としては十分です。貴方という良き友人も出来ました」
きゅんっ……おっと危ない。取り返しがつかなくなるところだった。
この美少年、ところどころ俺を口説きにかかってるのかと思うほど、的確にこっちの弱点を突くような物言いをする。
変な性癖に目覚めたらどうしてくれるんだ……いや、俺が勝手に邪な想像を巡らせているだけか。死にたくなってきたな。
扉を開けると、左の方向に下りの階段が続いていた。
狭苦しい怪談を下りていくと、西部劇に出てきそうなスイングドアの奥、オシャレなバーがそこにあった。
カウンターで佇むマスターが、ギロリとこちらを睨んできた。
が、すぐに目を皿のように円くした。
「お久しぶりですマスター、お元気ですか?」
「ああ……そっちも元気そうだな。次に会うのはニュースかと思ってたぜ。そいつは?」
「この人は僕と一緒にニュースに出演するかもしれなかった人で、今は大切な友人です」
「友人っ!? ハッハッハ! そりゃ災難だな兄さん!」
ゲラゲラ笑うバーのマスター。店の雰囲気は落ち着いているのになんて騒がしいんだ。
「いつもは静かな人なんですけどね。僕のジョークでよく笑ってくれるんです」
「な、なるほど……」
「ひぃっ! 腹痛ぇよっ! げっはっは! はぁ……んで、兄さん、名前はなんてぇんだ?」
急にこっちに来たな。怖い人と話したくないのだが。とてつもなく死にたい。
「あっ、はい。七篠ユーサです……」
「俺はトゥ・ラベルだ。理想は?」
「えっと、一応、安楽死……」
「へぇ……なるほど、クラ坊に負けず劣らずって感じだな。まあ好きなとこ座りな。バー・イエスはあんたらを歓迎するぜ」
俺たちはカウンターの一番奥に座り、適当に注文する。
前世で見たことがある酒、なかった酒と色々あるが、オススメのカクテルがあるというのでそれにした。
小さなグラスに赤黒い血のような液体が湛えている。
「えっ、血?」
「吸血鬼ごっこというカクテルです」
「名前の可愛らしさと反比例するような液体なんだけど……なに入ってんの?」
「色々です」
曖昧なことを言いながら、クラウドは唇でそれを迎え……一気に含んだ。
ころころと飴を転がすようにもごもごさせて、最後にこきゅんっと喉をならす。
「んーっ……美味しいですよ」
「キツそうだな……」
色っぽい目にじっと見られて、俺は急かされるように口に流し込む。
「……ん"っ"」
最初は甘かった液体は、次の瞬間にはヒリヒリと口内の粘膜という粘膜焼き払い、刺すような刺激は拷問のようだった。しかも飲み込んだあとは苦味や渋みが後味として残り続ける。
だが、鼻腔を通る香りはなんとも爽やかで、感想としてはなぜか美味いに行き着き、もう一口飲みたくなる。そんな不思議な飲み物だった。
「吸血鬼ごっこ、股の名をサウザンドツェペシュ」
「無駄に中二病感が漂うクールな名前だな……美味かったけど、次は普通のを頼むよ……」
「ではマスター、ウイスキーを二つ、ロックでお願いします」
出てきたウイスキーで口直しして、ようやく話が出来そうな程度に落ち着いた。
「さて、どこから話しましょうか」
「じゃあまずは直近から。あの二人はなんだったんだ? 風を使う青年と……」
金髪の少女のほうは、そういえば何もしていなかった気がする。
「あれは、ユートピアとアルカディアが戦争をしていたときに生まれた、理想と引き換えに強力な異能を得た異能者と呼ばれる者の二人で、今ではユートピアの治安部隊。火を操る者、水を操る者、風を読むことで未来予測をしたり、魔法を実現したり……早い話が超能力者の一団です。あの二人は特に有名人ですが、そういえばユーサさんはこの世界に来て間もなかったのでしたね」
治安部隊……あんな凄まじい戦闘能力が必要になるのか、ユートピアの治安を守るのは。
「正直なところ、ユーサさんの助けが無ければ僕の理想はあそこで潰えていました。重ねて御礼申し上げます」
「それについても聞きたい。どうしてその有名人の攻撃を受けて、俺は無事なんだ?」
「それは……ユーサさんが自発的に無間の風の攻撃を無効化したというわけではないということですね」
「ああ、俺はあの時、何もしてなかった」
すると、クラウドは少し俯いて考えると、こちらを見る。
「これはあくまで憶測ですが、ユーサさんの理想が安楽死であることを考えると、ユーサさんに対する安楽死以外の致命的な危険を掻き消すのではないかと」
「えぇ……マジ?」
「恐らく」
安楽死以外の危険を掻き消す、もしそれが本当だとしたら……まあ、ありがたいな。痛かったり苦しいのは嫌だ。
「じゃあ、最後の風が俺たちをすり抜けたのは? 気が付いたら家だったのはなんだったんだ?」
「あれは僕の理想の力です。シミュレーターメサイアに使われるサーバーの演算能力、処理能力で、僕たちは一時的に二つの仮定に分裂しました。あの場所で交戦する仮定と、脱出する仮定。また、脱出する仮定には光学迷彩のコードを適用し、無間の風が持つ予知能力、ラプラスの風見鶏を掻い潜り……」
「なるほど……なる、ほど……?」
様々な言葉が濁流のように耳へと流れ込んでくる。情報の洪水に俺の思考は押し流される寸前だった。
「言い直しましょう。分身した後、本物の僕たちは透明になって、偽物の僕たちを囮にしました。それが出来たのは、あの施設自体が僕の理想そのものだったからです。逃げる間、ユーサさんには分身と同期していただき、VRゴーグルを使い偽物視点で彼らと対峙していただきました。向こうに偽物だと悟られないためです」
「OK、なんとなく分かった。つまりクラウドの理想にはそういう力があるんだな」
「ええ、その通りです」
ああ、優しいなクラウドは……俺の理解力の浅さに合わせてくれるなんて。
「あれ、でもその施設ってもう……」
「はい、残念ながら、すでに壊滅しているでしょうね。とはいえ、データ収集は十分ですし、ユーサさんのおかげで命までは落とさずに済みました。安楽死という新たな課題も見つけられ、本当にユーサさんには感謝してもしきれません」
クラウドはウイスキーを含み、そして飲み込んだ。その饒舌を仕切りなおし、俺に問いかける。
「他に何か、僕に話せることはありますか?」
「それじゃあ……クラウドのことについて教えてくれ」
「僕の?」
「クラウドの理想、どうしてその理想を抱くようになったのか。前世はどうだったのか、どうやって今日まで生きてきたのか……クラウドのことをもっと知りたい」
俺が言うと、クラウドは何も言わないうちにもう一度ウイスキーを飲む。カランと、飲み干されたグラスの中で氷が音を立てる。
「失礼ながら、お願いできますか?」
「ん」
「ありがとうございます」
俺がとぷとぷと注ぐと、もう一口飲み、グラスを置く。そこで、ようやく語り始めた。
「僕の前世は……その世界には、救いがありませんでした」
その男は、世界を生きるにはあまりに優しすぎた。
天上に神はおらず、世界を見渡せば悲劇と苦悩ばかりが満ちている。
理不尽に産み落とされ、玩具のように愛でられ、道化のように育てられ、傀儡のように操られ、消耗品のように使い潰される人生。
自分だけではない、ふと見渡せば、多くの悲劇が世界を満たしていた。
生まれる前から実の親に唾棄された赤子、些細なことから群れに弾かれた少年、上辺の倫理で無法に回る社会と、それに便乗した人々に排他される弱者。
一見それらは善と悪に分けられるようで、しかしその男は違う見方をしていた。
この世に生まれた誰もが、救いを求めている。
それが誰かのための願いであれ、全てが自分のための祈りであれ、気高く見える理想であれ、醜悪に見える欲望であれ、誰もが救いを求めてることに違いは無い。
貧富の差も、容姿の差も、能力の差も、心根の差も、いかなる差異があれど、救いを求めているという一点においては誰もが等しい。
「……母は宗教を信仰していました。暴力的な父と別れ、一人で僕を育てるには、縋るものが必要だったのでしょう」
「それは……なんていうか……」
「あまりお気になさらず。所詮は前世の話です。早く大人になって、母親に楽をさせてあげたい、そう思って生きてきましたが、どうやらそれは間違いだったようで」
微かに笑って、クラウドは話を続ける。
「よくよく見渡してみれば、誰もが見えない何かに依存して、縋っていました。よくよく耳を澄ませて見れば、宗教、都市伝説、似非の科学。非現実を信じたいという、現実の想いがありました。救いを求める祈りが木霊していました。そんな彼らを見ているうちに……」
少し間が空いた。目を閉じ、酒を口にし、グラスを置いて再開する。
「知らないうちに首を吊っていた母親を見つけた時に、救いが必要だと想ったんです」
「うっ、おお……」
あまりの重さに、声を漏らしてしまった。
重すぎる。到底俺に抱えられるものではない。俺なんかが聞いてよかったのだろうか、死んで詫びたい気分だ。
「そして、全人類を救いたい。そう理想うようになりました。あの頃からずっと、今日のように」
「その方法が、あのカプセルってことか」
「シミュレーターメサイア。人間の理想を読み取り、仮想現実で構築し、意識を接続することで、理想を擬似的に実現することで救済するものです」
「そんなSFチックなことできんの……?」
「そのテストをあの施設で行っていました。概ね問題はなく、あとは運用するだけだと思っていましたが、ユーサさんのおかげで改善の余地があると分かりました」
俺の理想は安楽死だ。死体は煮るなり焼くなり好きにしてもらって構わないのだが、何が問題だったのだろう。
「今回のシミュレーターメサイアは、魂と理想を情報に変換し、サーバーへ転送する形式をとっていました」
またとんでもないことを言い出したな、この救世主様は。
「この理想世界では、理想を挫かれる、或いは成就などで失うと消滅します。逆に言えば、理想さえ残っていれば、何が起きようと完全に消滅することはありえません。僕のメサイアで人々の理想を電子化し、電脳サーバーへと魂を送り込むことで仮想現実に送り込み、理想を実現させるはずでした。ですが……」
サーバーが理想を実現させる。俺が望んだ安楽死は、その名の通り午睡のように安らかで、息をするよりも楽な死だ。
「ユーサさんの理想を叶えるには死という状態の情報が必要です。ですが、メサイアには死を実現するだけの情報がない。ユーサさんの望む本当の意味での死は体験した者は、この世界にいないのです」
なるほど、それは当然だ。
死という状態は主観的に見ることも感じることも出来ない。
特に、俺が望んでいるのは天国やら地獄、まして転生を望むようなものではない、本当に意味での消滅だ。
それは人間も機械も認識できない絶対不可侵の領域なのだから、実現できないのは考えてみれば当たり前な話だ。
そんな、無を作るみたいな話、無理に決まっている。
なのに、彼は優しげな表情でこちらに向き直り、誓うように言うのだ。
「ですが、それでも僕は諦めない。必ず貴方の理想も救ってみせます」
俺なんかの、ただ安らかに、楽に死にたいというだけの理想を、ここまで真剣に見るのか。
くすんだアメジストのような瞳は、底なしとも思えるような深い闇を湛えている。見ているだけで吸い込まれそうだ。
「……俺には何も返せない」
「既に頂いています。この理想を救われました」
「あれは、偶然で……」
「偶然かもしれません。ですが、偶然でも良いのです。ただ事実として、僕は貴方に救われたのだから」
ああ、絡みつくような優しさが疎ましく、愛おしい。
そうそう理解されなかったこの安楽死を、彼はその深い瞳に見据え、受け入れてくれるという。
「とはいえ、きっと今日のように、僕だけの力ではどうしようもない時があるかもしれません。その時は、貴方のご助力を賜りたいんです」
「今日のように?」
「ええ、今日のように……出来れば、理想を預けあう友人として」
そう言いながら、クラウドは再び注いだ酒のグラスを持って、こちらに向けた。彼が何を求めているのか、鈍い俺でもなんとなく察する。
「僕は君を救済いたいんだ」
そんな真摯にお願いせずとも、俺に他の選択肢が無いことくらい分かってる癖に。どうやら救世主を自称するだけあって、なかなか律儀なイケメンらしい。俺が女だったらもう3回は抱かれようとしてるだろう、なんて冗談を心のなかで呟きながら。
「まあ、最善は尽すよ」
俺は自分のグラスを持って差し出した。
「ありがとう、ユーサ」
グラスの重なる音が、やけに鋭く、耳に響いた。