理想なるユーサネイジア
ようやくバトル回。ただし負けイベ
「さらば死ね」
暴風が俺の周囲を駆け回りながら、徐々にその範囲を狭めていく。
正直な話、これといった考えがあるわけでもない。俺はこのまま細切れになるのだろう。
出来れば即死のほうがありがたいが、このペースだと地獄の痛みは避けられないだろうか。
それでも、俺は俺の理想のために、クラウドのことを庇わなければならないと思った。
安楽死……俺の理想を真剣に考えてくれた彼に報いるには、俺にできることはこれくらいしかなかった。
せめて時間稼ぎくらいにはなってほしいものだと、心の中で祈りながら、目を閉じて覚悟する……。
ふと、引き千切るような風が肌に触れて……それは優しいそよ風となった。
「ぐうっ……ん?」
恐る恐る片目を開くと、青年が驚いたように目を見開いていた。
「……お前、何をした?」
「えっ、あれ? なんともない……」
「俺の異能を掻き消すなど……分からんが、色々試してみるか。≪風読みのラプラス≫」
無間の風の両目が星のように煌めいて、俺を見る。
まるで全てを見透かされているような不思議な感覚に包まれるが、それはすぐに終わる。
「こいつ……なんだ、なんだこの理想は。どうして俺の攻撃が尽く消される……?」
よく分からない、よく分からないが……どうやら俺が彼の攻撃を消しているらしい。まったくそのつもりはないが、どうにもそうらしい。
「風の剣で斬り付けた。サーバーを突風で吹き飛ばしてぶつけようとした。この施設もろとも空にぶち上げるほどの暴風を叩きつけ、プラズマで焼き尽くし、雷を落とし……どんな攻撃も、触れるだけで消す? デタラメな理想の力だ。しかも見たところ、自覚が無いな?」
「なっ、なんだかよく分からないけど……今度はこっちの番だっ! うおおおおっ!」
とりあえずわかることはひとつ、無間の風の攻撃は俺に通じないということ。
なら、何らかの対策を講じられる前にどうにかするしかない。
俺は駆け出した。彼に向かって真正面から、平凡な身体能力とはいえ、相手が武術家でもない限りはなんとか太刀打ちできるはずだ。
腕を振りかぶり、拳を彼へと叩き付ける。
「えっ!?」
俺の拳を流れるような動作で避け、手首を掴み、投げた。
風が下から吹き上げ、高めの天井近くまで押し上げられると、風が止んだ。
「さあ、どうなる」
「ちょっ!? 待っああああああああああっ!?」
自然落下していく俺は、このまま行くと頭から逝く。
投身自殺は失敗するとしばらく意識があるらしい、嫌な情報が否応なく頭に過った。
「ダウンロード完了、シミュレーターメサイア起動。救世主の名の下に、シミュレートを実行します」
俺の身体は、何かに優しく受け止められた。
白獅子を思わせる髪を、白薔薇の冠が飾る。こちらに優しく微笑みかける、濁った紫色の瞳、色白な肌と相反する漆黒の服は細身に張り付くようで、その姿は不気味なほどに美しい。
そんな彼が俺をお姫様のように抱きとめている。
「なんとか間に合いましたね。七篠ユーサ」
「クラウド、どうして……」
「貴方の時間稼ぎのおかげでバックアップが終わりました。細かい説明は、あとでゆっくりと。まずはこの窮地から救われなければ」
クラウドの視線は、無間の風へと向けられる。
無間の風は注意深くこちらを観察しながら言う。
「そういえば……お前の理想は直接聞いていなかったな。クラウド・ユビキタス」
「それは失礼を致しました。では改めて、僕はクラウド・ユビキタス。理想は全人類の救済です」
「では、ひとつ問わせてくれ」
「どうぞ」
「お前は救えるのか。その安楽死が理想だと言う男を」
「もちろん」
クラウドは一瞬の躊躇なく言い切った。
「守るのか、いずれ殺すことになるその男を」
「彼が望んでいるのは安楽死だと聞いています」
「何が違う。痛み無く死ぬなら俺が省いてやってもいい」
「……さあ? 僕も今日出会ったばかりで。しかし、貴方の攻撃が通じなかった以上、七篠ユーサには七篠ユーサが持つの理想の死に方があるのでしょう。そして僕は救いを求められるなら、救世主として救うまで」
「なるほど、よく分かった。だが……」
「ですが、今回はひとまず退散せざるを得ませんね。場所は割れ、施設は滅茶苦茶、そしてドクの落とし子を二人同時に相手に出来るほど、僕はまだ立派なメシアではありませんので」
苦笑するクラウドは、本心からそう言っているようだった。
「逃げられると思うか?」
「搭より生まれ、理想と引き換えに異能を手にした異能者、≪全能の魔女≫と≪全知の風≫を前にして、逃げ切るのは至難の業ですが……すでに逃げ切っているなら問題ないでしょう」
「なにを……チッ、そういうことか」
無間の風が腕を払うように振るうと、全てを薙ぐ風の刃が飛んできた。
しかし、それは俺やクラウドの身体を素通りした。
「窮地の自身さえ救えなくて、何が救世主か。救済のシミュレートは完了しています。そちら風に言うならば、シュレディンガーといったところでしょうか?」
「やられたな。まさか救済理想にそこまでの応用が可能とは。今俺たちに見えているのは、お前たちが此処に居るという仮定、言わば仮定現実というわけか。本物のお前たちは、とっくにこの場から離れていた」
「その通り。さて、そろそろ電力が限界なので、失礼します。もう二度と出会わないことを願っております」
次の瞬間、景色が闇に消えた。
上下左右、何も見えない。
ただ、何かに抱えられている感覚だけはあった。
「落ち着いてください。今ヘッドセットを外します」
クラウドの声と共に、視界の暗闇が晴れる。
美少年が微笑を浮かべてこちらを覗きこんでいる。
「えっと……」
「お疲れ様でした。ひとまずは安心です」
「あの、ここは……俺の家?」
身体を起こして見回すと、紛うことなき俺の家、アパートの一室だ。
俺はベッドの上に寝かされていた。クラウドはベッドの端に腰掛けていたが、立ち上がった。
「失礼、勝手ながら上がらせて頂きました。色々とご説明しなければならないこともあるでしょう」
「ええ、まあ……その、どうやってうちのことを?」
「申込用紙に書かれていた住所を頼りに」
「あー、なるほど」
そういえば住所を書く欄があった。そしてしっかり記入した覚えがあるわ。
「ですが、先にお礼を。僕が今こうして生きながらえているのは、貴方のおかげです。本当に、心から感謝申し上げます」
大仰な一礼ひとつとっても、その所作は美しかった。本物のイケメンとはこれほど侵しがたい光を放つものなのか。
「い、いえ、とんでもないです。俺は自分のために行動しただけで……」
「それでも、貴方の行動で僕は救われました。人々を救うために色々とやってきましたが、誰かに救って頂いたのは初めてです。こんなにも嬉しいものなのですね」
その微笑みは無邪気で、もうなんかこのレベルの美貌は性別とか関係ないんだな、と思った。
「俺は……」
「そして、貴方には謝罪もしなければ。貴方の理想を叶えるのは当分先送りになってしまいます。ですが必ず救わせていただきます。救世主の名にかけて」
いや、眩しい。眩しすぎるぞこの男は。こんな取るに足らない俺なんかのためにそこまで真摯に向き合って……死にたくなってきたな。
「とはいえ、今日は色々とあってお疲れでしょう。もしよければ小難しい話は明日に回して、救済の一環としてディナーに招待させて頂きたいと思うのですが、いかがでしょう?」
「救済の一環でディナーに……」
なにがなんだかよく分からないが、それは少し前からずっとそうだ。
こうなったらやけくそだ。なんか知らんが、とりあえず美味いものでも食って今日の疲れを癒すしかない。
そして何より……
「すみません、僕も少々興奮しているようで、馴れ馴れしい態度を取ってしまいました。日を改めてお伺いいたします」
美少年の残念そうな表情を見てしまったせいで、罪悪感がすごい。
「いや、行きます。行かせて頂きます。ディナー」
「ありがとうございます。それでは早速……」
クラウドはおもむろにスマホを取り出すと、どこかに電話をかけ始めた。
「あ、ピッツァニアですか? 宅配をお願いしたいのですが」
「マジかよ」
思わず声に出してしまった。するとクラウドはこちらを見て、くすっと微笑した。
「ジョークですよ、メシアジョーク」
「ああ……飯屋だけに?」
「僕たち、けっこう気が合うのかもしれませんね」
楽しそうに笑うクラウドに、俺は苦笑を返す。
どうやらこの救世主の美少年は、少し残念イケメンなのかもしれなかった。