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理想郷のグランギニョール

「理想郷と銘打っておきながら、理想を抱く全ての者が報われるわけではない。それが僕には我慢ならなかった」


 理想の経緯を語る彼の背を追うように、両脇にサーバーが立ち並ぶ通路を歩く。


「人は誰もが望む望まざるにかかわらず生み出される。この残酷なまでに辛苦に満ちた世界に。なら、自ら望み選び取った理想が叶わないまま死ぬなんて悲劇をどうして看過できるだろうか、そう思った。全ての人間が救われなければならない。これはそのための偉大な一歩なのです」


 部屋の中央、ひとつのカプセルがあった。

 ちょうど人間が一人収まりそうな白いカプセル。たくさんの管が繋がっており、黒いガラスカバーの蓋が僅かに開いている。


 その前で立ち止まると、クラウドはくるりと振り返った。


「申込用紙を拝見しました。あなたは自分の理想を思い出せずにいる。間違いありませんね?」

「え、ええ、はい、そうです」


 見れば見るほど、その不気味なほどの綺麗さに目を奪われる。

 白い獅子を思わせる白金色の髪、混沌のような黒ずんだ紫色の瞳。刃物のように鋭い目鼻立ちに、透き通るような白い肌、そして漆黒のスーツはまるで身体を縛り付けているかのように張り付いて、その細身を浮き彫りにしている。


「それでは、まずは自分の理想を思い出すことを理想としてみましょう。さぁどうぞ、こちらに」


 流麗な身のこなしで、カプセルのカバーをあける。さながら令嬢のために車の後部座席を開ける執事のようだ。


 いや、それよりも、理想を覚えていないというイレギュラーな自分に対して一切の戸惑いも見せず、悠然としている様は、あまりに心強く、安心感がある。さすが救世主と自称するだけのことはある。


「あっ、はい、失礼します……これ靴脱いだ方がいいんですか?」

「ふふっ、そのままでも結構ですよ。お好みでどうぞ」


 傍らでクラウドは微笑する。ぞっとする美しさに変な気を起こさないうちに、さっさとカプセルの中に入る。

 中は高級品のクッションでも使っているのかと思うほどふかふかで、思わず寝入ってしまいそうなほどに脱力を促してくる。


「そのヘルメットを装着してください。カバーを閉じたらリラックス効果のあるガスが中を満たしますが、身体に害はありません。眠くなったらそのまま寝ていただいても構いません」

「分かりました」

「ありがとうございます。それでは、良い夢を」


 カバーが閉じると、青いランプが点灯して中を照らし、カプセルが動き出した。どうやら横向きになっているようだ。

 間もなくしてガスの漏れるような音がして、だんだんと迫る眠気に意識が吸い込まれていった……。




 ああ、それは本当に、本当に取るに足らない人生だった。

 普通とか平凡とか、そういうのではない。本当に、ただ生きるだけで精一杯の、ただそれだけの人生だった。つまらない話だ。


 人間に価値があるとは思えない。

 現実に価値があるとは思えない。

 命や人生を尊いとは思えない。

 産んでくれた親に感謝しようとは思えない。


 人間は底なしに醜く、現実は無際限に惨く、命や人生は全てが無価値で、そんな世界に自分を産んだ親には疑問だけがあった。

 どうして知らないうちに生み出され、苦しんで死ぬことを宿命付けられるのか。


 人生とは理不尽の極み。誰もが泣きながら生まれ、多くの人間は泣きながら死んでいく。

 老いに、病に冒され、不幸に、不運に見舞われ、死んでいく。

 いかに物質を満たしても、娯楽に溢れても、幸福に恵まれていたとしても、それは数多く生まれる命のほんの一握りに過ぎない。


 そんな世界に、どうして自分を産んだのか。それはきっと、幸福という麻酔の中毒者だからだ。


 努力は報われるとか、信じる者は救われるとか、そんな絵空事を現実と区別が出来なくなるくらいに妄信してしまっているか、あるいは単純に愚かだからだ。

 現実は強者にしか微笑みかけてくれない。弱肉強食の言葉は人間社会にも、搾取という形で現れて、そこから脱するには、もはや死ぬしかない。


 だというのに、死ぬにしても痛みが伴う。この現実には、飯を捨てるほど物に溢れた人間の社会には、未だに楽に死ぬ方法すらないのだ。


 いや、正確にはある。あるのにそれを禁忌としている。


 そうだ、そうだった。俺の理想は――




 ふと、目が覚めた。


「あれ……」


 黒いカバーが開き、クラウドがこちらを覗く。綺麗な表情は変化に乏しく、何を思っているのかまったく読み取れない。


「大変申し訳ありません。こちらの想定外の理想が検出されたため、シミュレーターを一時中断させていただきました。一応、当初の理想は成就されたかと思いますが」

「そう、ですね……確かに。俺は自分の理想を思い出しました」


 そう告げると、クラウドは口元を手で隠すようにして、真剣な瞳を床へと向けていた。

 そして、こちらを見て言う。


「それ以外の理想は、本当に無いのですか? やり残したことは、本当に、何も?」

「無い。俺にとって人生は無為そのものです」

「僕は様々な理想を見てきました。愛しい妄想と共に世界を創る者、輝く想いをメルヘンで繋ぎ国を築く者、二次元に恋する者から、暖かい家庭を持つ者……大仰な願望からささやか希望まで。このシミュレーターなら、どれだけ荒唐無稽な理想でさえ救うことが出来ます。あなたが望む理想は、本当にそれで間違いありませんか?」


 彼が念を押すように確認するのも無理は無い。

 この理想世界においては、理想とは命そのものだ。どんな理想もきっと叶い、失えば必ず消滅してしまうこの世界で、俺みたいな理想を抱くのは度を越えて異質だろう。

 それでも、俺の理想は間違いなくそれだった。


「間違いありません。俺にとっては、それが確かな、唯一の理想です」 

「……分かりました。全ての理想を救済するのが僕の理想です。その理想、救済して差し上げま――」


 クラウドの言葉を遮るように、大地が揺らぎ、轟音が響いた。

 それに続いて、けたたましいアラートが鳴り響く。


「あの、これは……」

「申し訳ありません。急な来客があり、テストを中断せざるを得なくなりました。あなたの理想の理想は後日必ず救済しますので、今日の所はお引取り願います。さあ、こちらへ……」

「は、はあ……」


 詐欺か何か……というには妙に慌しい。

 そういえばテストは無料だと冊子には記載されていたし、詐欺ではないと思いたい。

 急ぎ足でエレベーターへ促すクラウド。それについていこうと足を踏み出した次の瞬間――頑丈そうなエレベーターの扉が、けたたましい音を立てながら、強引にこじ開けられた。


「風の異能者だけあって、足がお早い」

「えっ、あの、来客にしては物騒すぎでは……?」

「その通りです。危険ですので、僕より前に出ないようお願いします」


 まるで魔法使いのように宙に浮き、上から下りてきた何者か歪んだ扉をくぐる。


 それはダークブルーの髪を持つ大人びた青年と、彼に抱きかかえられる輝く金髪の少女。

 荒れ狂う暴風が並び立つサーバーをなぎ倒しているというのに、二人の髪はそよ風に撫でられている程度にしか揺れていない。

 その青年は少女を下ろすと、鋭い瞳をクラウドに向けた。


「クラウド・ユビキタスだな。お前に絶滅理想の容疑がかけられている。大人しく同行するというなら良し。抵抗するなら捻じ伏せるが、死んでも文句は受け付けない」

「さすがはユートピアが誇る執行者、異能者:無間の風(インフィニティエア)。しかし、僕の理想が絶滅理想とはどういうわけだろう」

「……あなたの理想は、理想人を絶滅させる恐れがある」


 クラウドの問いに答えたのは、金髪の少女だった。


「あらゆる理想が叶う装置。それは理想人から理想を奪うのと同じです。理想は、自分で叶えるものだから、価値があるんです」

「ですが、叶えられない人々もいる。そんな人々を見殺しにしておいて、ここを理想郷などと呼べはしない。僕の理想は救世主となって、全ての理想人を救うことです」

「それは、許されません。あなたの装置は理想人に幻を見せているだけ。幻で理想を奪われた理想人は、存在を維持できずに世界から消滅します」

「理想を挫かれて消えるよりは、よほど理想的な最期でしょう。それとも、敗れた者たちのことなど、強者にとってはどうでもいいと?」

「それは……」

「ウェル、もういい。こいつには何を言っても無意味だ。どこぞのマッドサイエンティストと同じ匂いがする」


 言葉に詰まる金髪の少女を、青年が制する。


「兎角大人しく同行するか、此処でこの施設もろともその理想を埋め立てられるか、好きなほうを選べ」

「っ……」


 青年がまっすぐに近付いてくると、クラウドは後ずさる。

 どうやら追い詰められているらしい。ここでクラウドを殺されたら、俺の理想を叶える手段がなくなってしまう……俺はクラウドの前に出る。

 すると青年の足が止まった。


「なんだ、お前は。クラウドの関係者か?」

「いや、そういうわけではなくて……あの、まだこの世界に来たばかりで、難しい話はよく分からないんですけど、俺の理想を叶えてくれるまで、待ってもらえません?」

「そいつの装置は幻を見せるだけ、実際に叶えているわけじゃない。悪魔の囁きだ」


 幻を見せる、悪魔の囁き……それは、それは素晴らしい代物だ。

 俺がこんなことになる前に、こんな夢みたいな装置があれば、もしかしたら……俺には遂げるべき理想がある。そのための手がかりかもしれない人物を、手放すわけには行かない


「……それでもいい。俺には彼が必要だ」


 すると、青年は苛立っているような表情でこちらを見据える。


「お前も理想人なら、心から焦がれたものがあったはずだろう。決して手離せない理想を、嘘偽りで満足していいのか? 理想に対する誇りは無いのか」


 俺の理想はそんな大層なものじゃない。

 人から見て、それは歪に見えるだろう。理解して欲しいと願ったことは何度もある。

 結局、されなかったが。


「人に誇れる理想じゃないもので……それに、今の俺にはこの人しかいない。この人を失わないことが、今の俺の理想への道筋なんだ。頼むから、見逃してくれ」

「なるほど、概ね分かった。だが俺にもやるべきことがある。理想比較ではない仕事だが、誠意を持ってお前の理想を打ち砕く」

「待ってください」


 後ろからクラウドが肩を掴み、そのまま前に出る。


「この人はまだこの世界に来たばかり、ただ僕を頼ってきただけだ。僕以外の誰かが彼の理想の助けとなることもあるだろう。貴方たちは彼を保護するべきで、討つべきは僕だけだ。違うかい?」

「……少し待て。ウェル、奴に確認する。不審な動きを見せたら即座に教えろ」


 青年と少女が何かしているのを見計らって、クラウドが耳打ちする。


「理想世界では、理想を叶えようとする者と機会を引き合わせます。僕以外に貴方の理想を叶えられる者はきっといるはず。僕はどうやら此処までですが、貴方の理想の成就を願っています」

「いや、でも……というか、なんで俺のことをそこまで庇うんですか。俺はこの世界に来たばかりの……」


 俺が問うと、クラウドはまっすぐにこちらの眼を見る。

 濁った紫色の瞳、真剣さを帯びた鋭い眼差し、刺し貫くような視線は、心さえ見透かされるような……。


「目の前の迷える子羊一匹を救えなくて、救世主は名乗れないでしょう?」


 クラウドは、あっさりとそう言い切った。誇り高さに、目が眩む。


 本物の聖人君子……いや救世主か。こんな人間、フィクションにしか居ないと思っていた。

 ちょっと痛いとさえ思えるそのセリフを、俺の目を見ながら、心の底から真剣に言い放つその純粋さが眩しい。目はこんなに濁っているのに。


「それに、貴方はまだ理想を思い出したばかりで、力にも目覚めていない。若い芽を摘ませるわけにはいきません。貴方は彼に従って……」

「そこの理想人。お前は可能な限り保護するということになったが、障害となるなら理想に殉じたと見て処理していいとも言われている。どうする?」


 青年が俺に問いかけてくる。強風が俺を囲うように吹いている。

 返答次第では、俺を風の刃とかで細切れにするつもりなんだろう。


 ああ、出来ればもっと楽な死に方がしたかった


「俺は……俺はずっと、この世を疎んできた。望んでも居ないのに産み落とされて、望んでも居ないのに生かされて……最後は、望んだ死に方がしたいってずっと思って生きていた。それを俺は手放せなかった。最期まで……」


 風に閉ざされた今、きっと次の瞬間には望まぬ死をもたらされるのだろう。痛く、苦しい思いをして……。

 それでも、俺には手放せない理想がある。


「だからこの世界でも、俺は最期までこの理想を手放せない」

「そうか……なら、理想と共に名乗れ。それが理想比較の作法だ。俺は無間の風(インフィニティエア)。理想は全能の魔女(マクスウェル)の守護」

「俺は……俺はユーサ、七篠ユーサ。俺の理想は……」


 前世の性は、前世の理想を継ぐ為に。この名は今生で理想に辿り着くために。

 その理想を、俺は今この世界に表明する。


「俺の理想は安楽死。現実と言うグランギニョールから救われるために」

この装置欲しいくれ

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