死にたがりの理想人に救済を
実質1話。よろしくどうぞ
生における幸福とは、現実というグランギニョールを紛らわす麻酔に過ぎない――。
この世界に来て二週間、俺は少しずつ記憶を取り戻しながら、なに不自由ない生活を送っていた。
ここは理想世界。
最期の時まで理想を手離さなかった者たちが流れ着く、理想を叶えるための世界。
此処に流れ着く者たちは理想人と呼ばれ、様々な理想人が己の理想を叶えるために切磋琢磨しているという。
そして、どうやら俺もまたその一人らしいのだが、あいにくと理想どころか前世の記憶もない。割とよくあることらしいが……。
俺が住むここは理想郷ユートピア。名前だけなら誰もが一度は聞いたことがあるだろうが、前世で語られていたそれとはだいぶ異なる。大陸の西側にあるその理想郷は、円形の壁に隔たれた三層構造の国。
最深部たる中央は近未来。空飛ぶ車さえあるらしく、最先端の技術は魔法さえ科学で解体したという。区域の中央には、ここからでも見えるほど高い一本の大きな塔が天を突いている。
その外周を囲むような中層は現代。一言で表すならばコンクリートジャングル。摩天楼が空を埋め尽くし、集合住宅が乱立し、アスファルトの道が縦横無尽に敷かれている。まったく異世界という感じがしないが、ちなみに俺はここで生活している。
それをさらに囲む、最も外側の外周部は完全な工場地帯。食料から機械の部品まで大量生産が必要なものはすべてそこで量産されている。
驚くべきはこの理想郷ユートピアの労働力、その半分以上が機械によるものだということ。そしてここの住民は労働をしなくても良い生活をするのに困らない物資や金銭を配給されることだ。
生産、加工、物流、販売、この国におけるほとんど物事は機械によってなされており、国の管理さえAIが行っているらしい。そのおかげで、この国の住民……理想人は気兼ねなく自身の理想に専念できるというわけだった。
万民が、働かざるとも食うに困らず。まさに理想郷と呼ぶに相応しい。
そんな理想郷で俺は――
「死にたい……この満ち足りたままの状態のまま……」
希死念慮に苛まれていた。
ユートピア国民になって二週間、本当に何不自由ない暮らしをしてきた。
支給された住まいは一人暮らしではやや持て余す1LDK。
電気水道ガスすべて無料、インターネット完備、必要最低限の食料品、生活給付金……生活する上で困ることはまず無い。生活は快適そのものだ。
ただ、それだけだ。生活が快適であろうと、不便であろうと、生きる理由もないまま生き続けるのは、それは俺にとって地獄と同じだった。
ベッドの上に寝転がったまま、シミ一つ無い天井を眺め続ける。
「死にたいなぁ……」
この世界に流れ着いた人らが持つ理想とやらも、思い出せないままだ。
前世の記憶は徐々に取り戻しつつあるが、理想と、どうやって死んだのかは一向に思い出せない。
そもそも、そんなものが俺にあったのかは甚だ疑問だが……。
おもむろに、点けっぱなしになったテレビ機能を備えたPCに目を向ける。画面の向こうでは、魔法使いたちがコロシアムのような場所で互いの魔法を競い合っていた。
それはここから遥か東方にあるユートピアとは異なる理想郷、アルカディアで行われているようだ。そこはまさに中世を思わせるファンタジーのようなところで、異世界への転生というならまず最初に思い浮かぶような場所だった。
チャンネルを変えれば、ユートピアで流行のアイドルが物理的に覇を競い合っている。どうやら最新鋭の科学が幅を利かせているユートピアという場所では、信仰は神ではなく、アイドルが集めるものらしい。
またパソコンでネットサーフィンをすれば、無数の動画や漫画、小説と娯楽コンテンツに事欠かない
確かに快適だ。理想郷と称されるだけあって、本当にそのままの意味で何不自由ない暮らしが出来ている。ただ……ただ、それだけだ。俺には理想どころか前世の記憶も定かでなく、ただ生きているだけだ。
毎日毎日同じことの繰り返しで、物質的に満たされてはいても、心は空虚だった。
どこまでも、どこまでも空虚で。
俺は、なんのために生まれた?
そのとき、玄関ポストに何かが投げ込まれる音がした。
「……はぁ」
重い腰を上げて、自室を出て玄関に向かう。ポストの中にはずいぶんとでかい封筒がひとつあった。このユートピアで、初めての非日常だった。
封筒の中には妙な冊子とチケット、申込用紙が入っていた。冊子の表紙にはこう書いてある。
「あなたの理想を叶えます。叶わぬ理想の救済装置、シミュレーターメサイア……テストのお知らせ?」
新手の宗教勧誘の類だろうか。俺は訝しさを覚えながらも、冊子の中身を確認した。
その内容は要約するなら、全ての理想人が理想を叶えられるようにするために、この装置の開発に協力してほしいということだった。
「全ての理想を叶える装置、全理想の救済のため、ご協力ください。理想を叶えようと欲するあなたこそ、救世主に相応しい……」
そう、この理想世界では、全ての人が理想を遂げられるわけではない。
この世界は死してなお理想を手離さなかった者たちが、理想人として生れ落ちる場所。
彼らは同じ理想、あるいは相反する理想をかけて戦い、勝利を積み重ねることで理想へと近付いていく。この世界ではそれを理想比較と呼ぶ。
そうなると、勝つ理想があれば負ける理想もあるわけで。負けた理想は最悪この世界から消滅するらしい。物騒な話だ。
これはそういう理想を救うための装置である、と冊子には記されていた。
「まあ、行くだけ行ってみるか。これといってすることもないし……」
それに、もしかしたら自分の理想を思い出すか、ヒントくらいは掴めるかもしれない。
このままだらだらと空虚感に苛まれ続けるよりはよっぽどマシだ。
そして一週間後、俺は冊子に載っていたアクセスを頼りに、テストが行われる現地を訪れた。
大きなドーム状の施設へと足を踏み入れると、黒服の係員に案内され、エレベーターで地下深くまで下りていく。
地獄まで下るんじゃないかと思うほどの長い時間、ようやくエレベーターが停止し、扉が開く。
目の前に広がる光景は、眩く白い空間だった。
床も壁も天井も白く、巨大なサーバーのようなものが隊列を組んで向こうまで広がっている。
「ようこそ、迷える子羊よ」
不意に、黒服の係員が言う。
エレベーターを出て通路の真ん中に立つとこちらに向き直り、帽子を取って優雅に一礼した。
白い獅子の鬣を思わせる白金色、黒ずんだ紫色の瞳。それはどこか浮世離れした中性的な美少年だった。
「初めまして、僕はこのシミュレーターメサイアの開発責任者、クラウド・ユビキタス。理想は救世主になること。どうぞ、お見知りおきを」