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家に帰った僕は、自分の部屋で七瀬くんの言葉を思い返していた。
『『自分は可哀想ですよー』ってのが前面に出てるからだな』
なんだそれ。そもそもそれの何が間違っているというのか。僕は新堂たちに悪いことなど何一つしていない。それなのにあいつらは僕に言いがかりをつけて、非道ないじめを繰り返している。そんな状況に置かれている僕は、完全な被害者のはずだ。
それに七瀬くんは、僕が新堂たちにいじめられているのを知っている。にも関わらず、見て見ぬフリをしているんだ。それは卑怯者の行いではないのか。そんな人間に、なぜ説教をされないといけないんだ。 ここまで考えて、七瀬くんの言葉にだんだん腹が立ってきた。いじめられている僕に説教をするのに、新堂たちのようないじめる側のクズには何も言わない。結局のところ、彼も新堂が怖いんだ。新堂に立ち向かう勇気がないから、僕に説教をして憂さ晴らしをしようとしているんだ。そうに決まっている。
だとしても、状況はまるで好転していない。むしろ明日もまた学校に行かないといけないと思うと憂鬱になる。だけど学校を休むわけにもいかなかった。せめて高校くらいは卒業していないと、ロクな人生を送れない。
だから僕は、明日も新堂たちにいじめを受けることが決定していた。
翌日。
「おはよう、和善くん」
「ああ、おはよう、朋江ちゃん」
学校に着くと、下駄箱の前で朋江ちゃんが待っていた。なぜか顔を赤らめて、もじもじと手を動かしている。
「どうしたの? 今日何かあったっけ?」
「うん、あのね……私たち、付き合って三ヶ月くらい経ったし……記念、ってわけじゃないけど、これ……」
そう言って朋江ちゃんが差し出してきたのは、小さな包みに入った箱だった。
「え? あ、ありがとう! そうだったよね。もう三ヶ月くらい経ったよね。ごめん、僕何も用意してないや……」
「あの、大したものじゃないから。お返しとかは、いいよ」
「じゃあ、開けてみていい?」
「ど、どうぞ……」
朋江ちゃんは緊張したような顔で僕を見ている。僕が包みを開けると、そこにはシンプルなデザインの銀色の指輪が入っていた。
「和善くん、こういうの欲しいって言ってたよね?」
「う、うん! アクセサリー欲しいなって思ってたんだよ」
「あの、指に、合わなかったら、全然付けなくていいから……さっきも言ったけど、お返しとかもいいし……」
「いやいや! そんなわけにいかないよ。こんなにいい物もらったんだから。本当にありがとう」
「よかった。喜んでもらえて」
朋江ちゃんはほっとしたように笑う。その笑顔を見て、僕の心にも温かい気持ちがこもってくる。そうだ、例え新堂たちが僕に何をしてきたとしても、僕には朋江ちゃんがいる。彼女が僕の救いになってくれる。
「じゃ、また後でね」
「うん」
朋江ちゃんはそう言うと、自分のクラスに向かった。そうだ、僕もいつまでも新堂たちの言いなりになっているわけにはいかない。
そう思いながら、僕も教室に向かった。
教室には既に何人かのクラスメイトが席についていた。授業の準備をする人や、友人同士でおしゃべりをしている人など様々だ。
そんな中で僕は誰とも話すことはなく、一人で一番後ろの席に座っていた。しかしその直後、ニヤニヤと笑いを浮かべながら、勝浦が近寄ってくる。
「よお白田。新堂くんが呼んでるぞ」
「あ、あのさ、もう授業が始まるし、後でいいんじゃないかな」
「ああ!?」
僕の言葉を受けて、勝浦は怒声を発しながら机を蹴った。
「ひっ!」
「ごめん、聞こえなかったわ。もう一度言ってくれる?」
「……すぐ行くよ」
「おう、理科室にいるっていうから行くぞ」
そう言って勝浦は僕の腕を引っ張り、理科室へ連れて行く。結局逆らうことができなかった自分への嫌悪感を抱いた僕の足取りは重かった。
「新堂くん、連れてきたよ」
「おーう、白田。今日来るの遅かったじゃん」
新堂は釜石と共に理科室の椅子に座っていた。机の上にはアルコールランプが置かれている。
「あ、あの、何の用?」
「うん? 今日はさ、お前を格好よくしてやろうと思ってさ」
そう言いながら、新堂はアルコールランプに火を点ける。
「俺さぁ、昨日テレビでタトゥーのドキュメンタリーみたいな番組見たんだよね。あれって格好良いんだよな」
「はあ……」
「だからさ、お前にもタトゥー入れてやろうと思ったんだよ」
「は!?」
「お前ってダセえじゃん。だから少しでも格好良くするための俺の親切ってこと」
その言葉と共に、勝浦と釜石が僕を押さえつける。
「ちょっと痛いかもしれないけどさ、顔に格好良いタトゥー入れてやるよ」
そして新堂は手にしたアルコールランプを僕の頬に近づける。
「な、何してるの!? やめて! やめてよ!」
「遠慮すんなって。格好良いドラゴンのタトゥー入れてやるから」
「火傷はタトゥーじゃないよ! やめて!」
僕は必死に抵抗するが、釜石が僕の頭をがっちり固定する。そしてアルコールランプの火が、僕の顔を炙る。
「ああああああ! 熱い! あついいいいい!!」
「ははっ、火力弱いけど良い感じに肌に焼き付いてきたな」
僕は火から逃れようとするが、二人の力で押さえつけられているため、逃れられない。その間にも火は僕の顔を容赦なく焼く。
「痛い! 痛い! 熱い!」
「おー、こんな感じでいいかな」
新堂は僕の顔を見ながら、ようやくアルコールランプを離す。
「ははっ! 良い感じにタトゥー入ったじゃん!」
僕の前に手鏡が差し出され、そこに自分の顔が映し出される。
「あ、ああ……」
鏡に映っていたのは、左の頬の一部が薄く黒ずんだ僕の顔だった。
「どうだ? お前も俺みたいに強い男の顔になったじゃん。感謝しろよ」
新堂は自分の頬にある傷をなぞりながら、ケラケラと笑う。自分の顔に消えない火傷の痕が残ったという事実が、僕の心を容赦なく抉った。
「うっ、ひぐっ……」
両目から自然と涙が溢れてくる。どうしてこんな非道な行いができるんだ。新堂は……こいつらは人間じゃない。僕にはそうとしか思えなかった。
「おいおい、泣くんじゃねえよ。男だろ? 俺と同じような顔になれてよかったじゃねえか」
ふざけるな。お前のその傷はケンカでついたものじゃないか。他人を傷つけた末のものじゃないか。僕とお前なんかを一緒にするんじゃない。
「ん、白田お前ポケットになに入れてんだ?」
その時、勝浦が僕のポケットに手を入れる。そこから取り出したのは、朝に朋江ちゃんにもらった指輪の箱だった。
「あ! か、返して!」
「なんだお前、生意気にこんな指輪とか付けるのかよ? ほら、新堂くん見てよこれ」
勝浦は新堂に指輪を渡すと、新堂は邪悪な笑みを浮かべた。
「ははっ、白田もいっちょ前にオシャレしようってか? ま、俺から言わせりゃセンスの欠片もねえけどな」
そして新堂は指輪を持ったまま理科室の流しに近づく。
「これ以上お前がダサくならねえように、こいつは俺が処分してやるよ。ありがたく思えよ」
「だ、だめ! やめて!」
「遠慮すんなって」
僕の必死の懇願もむなしく、指輪は流しの排水口に落とされ、さらに蛇口から流れ出た大量の水が、指輪を押し流してしまった。
「ははっ、これでお前もまた一つ上の男になれたな。じゃ、また遊んでやるから、楽しみにしてろよ白田ぁ」
そんな台詞を吐いて、新堂たちは理科室を出て行ったが、僕は放心状態でその場に立ち尽くすしかなかった。
……朋江ちゃんが、せっかく僕に贈ってくれた大切なプレゼント。僕のために買ってくれた大切なプレゼント。
それをヤツらはヘラヘラと笑いながら僕から奪った。その指輪の重さが、どんなものかも知らずに。
許せない。
許せるはずがない。こんなことをされて、許せるヤツがいたらそれはもう人間じゃない。虫以下だ。
そしてアイツらも虫以下だ。他人の大切なものを壊せるヤツらが人間であるはずがない。
いじめる側の鬼畜どもに、未来なんていらない。
僕はこの時、新堂たちの人生をめちゃくちゃに壊す決意をした。