魔族化の代償
「大丈夫かな……私に何か出来ることは……」
自室でぐるぐると彷徨うアスタルテは頭を抱えていた。
魔族化の促進────。
ノレスの言った通り、あれからレーネさんは40度近い大熱に苦しんでいた。
そして、ならばウチもと手を挙げたゼルさんも同様に寝込んでいる……。
その様子を見て少しでも和らげられればと看病しようとしたアスタルテだったが、自然に熱が下がるまではむしろ魔族化の遅延になってしまいより長く苦しむことになるからとノレスに止められてしまったのだ。
しかし苦しむ2人を放っては置けず、アスタルテは悩む。
「とりあえず……そばに居てあげたい…」
無意識に出た言葉にアスタルテはハッとなる。
(そうだ……独りだと不安だろうし、そばに居るだけでも気持ちは楽になるかもしれない)
アスタルテはふと、前世の出来事を思い出す。
それは風邪に掛かって寝込んでいた時、苦しくても母がそばに居てくれるだけで不思議と安心感があって直ぐに寝られたのだ。
遠い記憶にふと寂しさを感じるアスタルテだったが、我に返り部屋から出る。
「まずは1番近いレーネさんの様子を見に行こう」
そう決めて歩きながら、アスタルテは1つの疑問を思い浮かべる。
────‘’今‘’の私に両親はいるのだろうか?
私は輪廻の女神であるキヤナさんに造られた(?)存在であり、この世界に突然出現したようなものである。
前世の記憶を持って赤ん坊から〜や、それまで生きてきた誰かに憑依〜とかではなく、新しい肉体を持ってこの世界にやってきたのだ。
当然この私、‘’アスタルテ‘’の歴史は山に降り立ったあの時から始まった訳だから、誰かから産まれたということにならないのである。
(肉体の産みの親という意味ではキヤナさんという事になるけど……)
アスタルテが唸っていると、気付けばそこはレーネの部屋の前だった。
「まぁ、考えても分からないし。 今は私の出来ることに集中しよう……」
アスタルテは小さく深呼吸をし、扉をノックする。
コンコン────。
「レーネさん、大丈夫ですか?」
声をかけてから少し待つも、中から返事は無い。
「寝ちゃったかな……レーネさん、中に入りますね……」
アスタルテは小声で呟くと、そっと扉を開けて中の様子を伺う。
するとそこには、呼吸を荒くして薄目でこちらを見つめるレーネがいた。
「レーネさん……! 大丈夫ですか……!?」
アスタルテは大声でレーネの頭痛に障らないように声を抑えつつ、光の速度でベッド横へと駆け寄る。
「アス…タルテ君……返事できなくて……ごめんね……身体が…言う事を……聞かなくて……」
苦しそうに言葉を紡ぐレーネに、アスタルテは首を激しく横に振る。
「こちらこそ気を遣わせてしまってすみません……! 体調の方は大丈夫……ではないですよね……」
レーネに気を遣わせないようアスタルテはオロオロしないようにするも、無意識に瞳が揺れてしまう。
そんなアスタルテを察してか、レーネはゆっくりと布団から手を出すとアスタルテの頭を撫でるようにポンと置く。
その手は力なくプルプルと震えており、アスタルテの頭までの道のりがいかに厳しかったかを痛感する。
アスタルテはその手をそっと手に取って頬で撫でると、ゆっくりと布団へと戻した。
「これは…私が選んだ道……だからね……それに…」
レーネは話しながら段々荒くなる呼吸を整え、再び囁くように呟く。
「これが終わった……先の未来が……幸せな未来が……楽しみで…しかた……ないん……だ……」
少しずつ弱弱しくなっていくレーネの言葉を聞いて、アスタルテに後悔の波が押し寄せる。
(私が来たせいで無駄な体力を使わせちゃったかもしれない……)
アスタルテはなんて声を掛けようか迷っていると、先にレーネが口を開く。
「来てくれて…ありがとうね……おかげで勇気が…出たよ……この先も…乗り切れそうだ……」
そう言ってレーネは笑みを浮かべると、そのまま眠りに落ちるのだった。
「レーネさん…………おやすみなさい」
結局レーネさんに気を遣わせっぱなしだったな……。
そう思いながらもアスタルテはそっと部屋を退室するのであった。
「うーん……」
腕を組んだアスタルテは隣の部屋をチラリと見る。
そこにあるのはゼルの部屋だった。
(どうしよう……行かない方がいいかな……)
アスタルテが悩んでいたその時……
「ぐあぁあ!!」
突如ゼルの部屋から悲鳴が聞こえ、アスタルテは反射的に扉を開ける。
「ゼルさん!! 大丈夫ですか!?」
アスタルテの目に飛び込んできたのは苦悶の表情で苦しむゼルだった。
「よ、よぉ……アスタルテか」
「体調はどんな感じですか? どこか痛みますか?」
慌てて駆け寄るアスタルテ。
「全身の血が沸騰したみてぇに熱いのと……骨を無理やり引き伸ばされてるような痛みがするぜ……」
「そんな……」
苦しむゼルの痛みを前にして治療が出来ない自分に無力感を感じ、アスタルテは拳を強く握りしめる。
「あらら、大変そうね?」
「!?」
背後からの突然の声に、アスタルテは勢い良く振り返る。
そこに立っていたのはナディアスキルだった。
「ナディアスキル様!?」
「もう……私の事はお義母さんと呼んでと言ったじゃない」
「あっ、えっと……ナディアスキルお義母様……」
「そんなに畏まらなくても、気軽にナディアでいいわよ?」
「ではナディアお義母様で……」
「でもナディだけは駄目よ? その名前はレラちゃん専用だから……ね?」
「あ、はい……」
ナディアスキルと話していたアスタルテだったが、ゼルの荒い呼吸を聞いてふと我に返る。
「えっと……それでナディアお義母様はどうしてこちらに?」
「あら、そうだったわ」
ナディアスキルは思い出したかのように胸の前で手をパンと叩くと、ゼルの元へ歩み寄る。
「苦しそうだったから来たのよ」
そう言うとナディアスキルはゼルの額へと手を伸ばした。
「おやすみなさい」
ナディアスキルの一言と共に手がうっすら光ると、苦しんでいたはずのゼルは一瞬で眠りに落ちてしまった。
「ナディアお義母様、一体何を……?」
「痛覚を遮断して眠らせたのよ」
「そ、そんな事出来るんですか……!?」
「ええ、出来るわよ」
ナディアスキルはアスタルテの方に振り向くと、変わらず目を閉じたままニコリと笑みを浮かべる。
「私は精神干渉系の魔法が得意なの」
「精神……干渉ですか?」
アスタルテはそう聞いて思考を巡らすが、いまいち分からず首を傾げる。
「ええ、幻覚を見せたり脳に干渉して操ったり……精神世界に入ったりといった感じね」
「えっ!? それって物凄く強力なんじゃ……!?」
「結構使えるわよ。 ただそうねぇ……アスタルテちゃんみたいに耐性が高い子には聞きづらいのが難点かしら」
「そ、そうなんですね……」
この世界にはまだまだ知らない魔法やスキルがある……。
これから先、皆を守るためにも知識を蓄えなきゃ。
アスタルテが決意を固めていると、ナディアスキルが手をポンと叩く。
「あら、そろそろレラちゃんとのティータイムだわ。 じゃあ私は行くわね」
「あ、はい! ありがとうございました!」
アスタルテは小走りで扉へと駆け寄り開く。
「あら、ありがとう」
ナディアスキルは廊下へと出ると、そのまま歩いて進む。
(ナディアお義母様、ずっと目を閉じてるのは目が見えてないからなのかな……。 歩くの支えた方がいいんじゃ……)
アスタルテが心配そうに見守っていると、ナディアスキルがくるっと振り向く。
「大丈夫よアスタルテちゃん、私この状態でも前が見えているからね」
「あ、えっ、そうなんですか!?」
「ええ、私の目は少し特殊でね、目で対象を捉えてスキルを使うと効果が最大限発揮されるんだけど、その代わり耐性の低い子は私の目を見るだけで勝手に幻惑に囚われちゃうのよ」
「それは大変ですね……」
廊下を進むナディアスキルの背中を見ながらアスタルテはふと思う。
物理型でさらに弱っているとはいえSランク冒険者のゼルさんを片手で、しかもあの一瞬で痛覚を遮断して眠らせるなんて……。
本気になったナディアお義母様ってもしかしてとんでもないんじゃ……。
ナディアスキルの未知なる力を想像し、その伴侶であり元魔王でもあるレラシズファティマの力も気になるアスタルテであった─────。




