気付き②
「お前、今日元気ないな」
「そうなの。だから放っておいて」
「ばあちゃんが元気ない奴がいたら放っておくのも優しさだけどそいつの話を聞いてあげるのもまた優しさだっつってた」
私は悲しい顔のままショウの方を向いた。
「何があったんだよ。話せ」
命令口調でも、おばあちゃん思いのショウは優しかった。
「私、意識は十二歳なの」
「うん」
「でも体は十五歳なの」
「そうだな」
「だから気持ちがついていかなくて……私、普通の子になれるのかしら、高校に通えるのかしら。
みんなは当たり前の生活をしていたのに私はずっと眠っていたから不安で。
体ばっかり大きくなって頭の中は小学生のままなんて。
どうして私が三年間も眠ることになったのかも思い出せないし、過去のことも、親の顔も、名前さえ思い出せないのよ」
気付けば私は自分の手を噛んでいた。
不安だったから。怖かったから。
この感情を表す適切な言葉が浮かばなかったから。
噛んだところが赤くあざになっていた。
ショウは噛み付いている私の手を口から剥がして握ってくれた。
「思い出さない方が良いのかもな」
ショウは言った。
「でももしお前が思い出したいと思っているのならじきに思い出せるさ。全部。いいことも悪いことも。それまでは焦っちゃいけない」
お前なら大丈夫、ショウはそう言ってくれた。
このとき確かにショウとの信頼関係が生まれたような気がした。
それから頻繁にショウに会うようになった。
いつもベンチで本を読んでいるとどこからか現れて「よう」とか「おい」とか声をかけてきた。
私はどんどんショウに会うのが楽しみになってきていた。
病院の庭で本を読みながらショウを待つ時間の方が病室にいる時間よりも長くなっていた。
先生は外でいろんなものに触れることで記憶を取り戻すかも知れないと言っていた。
私は相変わらず先生に夢の話はしなかった。
ショウはいろんな話をしてくれた。
同室の人のいびきがうるさいから個室に移りたいこと、
でも兄弟にも重い病気の人がいてどこか別の病院で入院しているから贅沢は言えないこと、
お父さんにもお母さんにもその兄弟の病気は詳しく教えてもらえないこと、
病院食はオムライスが美味しいこと、病院内のレストランはハンバーグが美味しいこと、
担当の医師は優しいけどお母さんは厳しいこと、
お父さんは海外で働いていて滅多に帰国しないこと、
それを寂しく思うこと。
「俺、人に会うと人の周りに色が見えるんだ。その人の雰囲気のイメージカラーみたいな。うまく説明できないんだけどさ」
「そうなの?」
「そう。で、お前は紫色。俺の好きな色」
「そう。それは良いことだわ」
「なあ、お前は俺のこと、何色に見える?」
「そうねえ……」
私はショウが言うみたいに人の周りに色が見えるわけではなかったから思いついた色を言うことにした。
「ショウは赤だわ」
「赤か。俺赤も好きだ。流れたての真っ赤な血の色みたいな赤が」
その言葉を紡ぐショウの顔を、目を見てゾクッとした。
まるで赤ずきんちゃんを待ち構えているような狼に似たその表情を見て何か思い出せそうな、でも思い出したくないような気がしていた。
「ショウ……?」
恐る恐る声を掛ける。
「どうした?」
ショウはなんでもないみたいな顔で私の顔を見た。
さっき一瞬見せた恐ろしい顔ではなく優しい顔で。
「なんでもないの」
「そうか」
ショウは笑っていた。珍しく歌も歌っていた。
「どこの国の歌なの?」
「さあな。でも子守唄なんだとよ」
そう言ってショウは歌い続けた。
ショウの優しくて低い声に私はだんだん眠くなり、頻繁に目を擦ったけど結局眠ってしまった。
私を見つけてくれたのは担当の看護師さんだった。
すっかり暗くなった空が眠っていた時間の長さを物語っていた。
「大丈夫?」
「大丈夫。ただ眠ってしまっていただけ。……ショウは?」
「誰かしら。お友達?」
「そう、友達。近くにいなかった?金髪で肩幅は広くて背はそんなに高くない子」
「見なかったな。友達ならまた会えるよ。さ、病室に戻りましょうか」
私は先を行く看護師さんの後ろをついていった。
病室で窓の外をぼんやり眺めながらずっとショウのことを考えていた。