第15話 渡る世間はフレばかり
BBSに書き込まれたみんなの予定で、出撃が決定したのは次の土曜日。つまり、明日だ。今日は俺とナメクジ君だけが空いておらず、空いていれば出撃は今日になっていただろう。
ナメクジ君がどうかは知らないが、俺はデートの先約が入っている。デートと言うには、若干語弊がある。が、男女二人が予定を決めて会おうと約束するのを、デート以外の何というのか。表すべき言葉を自分は知らないので、これはデートでいいのだ。
女子高生と、20代も後半に差し掛かった社会人のデート。歳がもう少し離れていれば完全にアウト。今ではギリギリグレーゾーン。ポリスメンに声をかけられたら。誤解を解くのに難儀するだろう。下手をすれば両手に輪っかがかかる。
そいつを回避するには、飯を食ってすぐ解散。それでいこう。相手も恩さえ返せば満足するだろうし、今日でお別れ。
「たまたま縁があっただけで、本来なら話をすることもなかったのだ。勘違いしちゃいけない」
男は馬鹿なものだ。ちょっと優しくされたらすぐ勘違いする。だからすーぐ可能性を夢見る。その自覚があるから、恥をかく前に、自分に言い聞かせておく。
「そろそろかな」
スマホで時間を確認。壁に掛けられた巨大な時計は、同じ時間を指している。定時で仕事を終わらせて。待ち合わせの時間をゲームしながら待っていると。
学校帰りと思しき学生たちが、ゾロゾロと現れる。その中から一人、目立つ髪色の少女が抜け出して、こちらへ早足で寄ってくる。後ろへ手を振って、仲間への挨拶も済ませて。
「……ふむ」
目立つことを気にしない様子。素行不良の生徒が社会人と待ち合わせ。面白くない噂に油を注ぐ行動ということを、わかってか、わからずか、考える頭も持ち合わせていないのか。と疑うのは失礼かな。
「お待たせ」
自然、視線が集まる。ざわ、ざわ、と声が上がる。今すぐこの場から逃げ出したい。しかし、逃げれば追ってくる。そんなところを衆目にさらせば、火に油だ。
今この状況も十分アレだが。
「行こっ」
ニコっと笑って、手を引かれる男どもからの視線が、嫉妬に研ぎ澄まされて鋭くなった視線が、突き刺さる。美少女とディナーだ。うらやましかろう。なら頑張って口説いてくれ。俺じゃ役者不足だ。
向かう先は以前寄ったパスタ屋だ。あの時は病み上がりで、消化に良いものをと選んだ店だったんだが……まあ、奢ってもらう身分だ。贅沢は言っちゃいけない。
店に入り、席に案内され、前回と同じように、彼女の前にメニューを広げる。水もついでに入れてくる。
「今日は何にする?」
「何にしようね」
いろいろと美味しそうな料理の写真が並ぶが、どれもピンとこない。食欲はなくもない。しかし腹は減っている。
こんな時は。
「日替わりセットで」
考えるのがめんどくさいので。決めた後からメニューを眺める。今日の日替わりは、ミートソース。スーツにシミが付きそうだな、うっかりついたら浮いた飯代でクリーニングだ。
「私ペスカトーレ。前食べてたのが美味しそうだったから」
「デザートはどうする。ドリンクも」
「ちょっと。今日は私が出すんだけど」
そうだった。忘れていた。今日の支払いは彼女持ち。つい自分で支払うつもりでいた。デザートを含めると千円を超える。
しかし、よく観察すれば彼女にも迷いが見える。デザートを含めると、予算を超える。しかし食べたい。でも財布の中身がそれを許さない。そんな表情。
「デザート代は私が出そう。二人分でいいかな」
「それじゃ前と変わらないんだけど」
そうだった。来週またデート。それも悪くない。だが親の心境を考えれば、良くはない。素性もわからぬ男と何度も二人で食事をしているなど。やましいことは一つもないが、あらぬ疑いをかけられても困る。
であれば、互いのため逢瀬はこれきりにしておくべきだ。この時間、非日常はとても楽しく、名残惜しい。だからこそ早く手放すべきだ。浅瀬で遊ぶのが楽しいからと、深みへ踏み込み溺れる前に。
「冗談」
ゲームでも現実でも、引き際を誤れば大損害を被る。ゲーム内でケガをしてもリアルには何の影響もないが、リアルでケガをすればゲームどころじゃなくなる。
可能性など感じてはいけない。勘違いしちゃいけない。顔に営業スマイルを浮かべて、あれこれ考える。
「ところでお兄さん、何して働いてるの?」
「ふつーのサラリーマンだよ」
必要以上に踏み込んでくれるな、とオブラートに包んでその意思を伝える。伝わってくれ。
「ふーん」
察してくれたのでこの話はこれでお終い。
しかしどうしてこの子は私に興味を持つのか。傘を一回貸しただけなのに、どうしてこうも興味を持つのやら。それが解せない。ニコポナデポなんてもはや死語だぞ。
ちょっと親切にされただけで相手を好きになるなど、多少の好意は抱くだろうが、この上がり幅は不自然だ。
では何が考えられるかというと。いい方に考えれば、私の自意識過剰で、イマドキの子はこれが普通。悪い方に考えれば、タカリ、脅迫、恐喝。いかんな、考えるとちょっと怖くなってきた。
不自然にならないように、あたりを見回す。コワイお兄さんが潜んでる、ってことはなさそうだ。
「なに失礼なこと考えてるの」
女って怖い。なんでこんなに変なところで察しがいいの。
「顔に出てる。演技が下手すぎ」
「そんなに?」
「そこで聞き返すからバレるんだよ」
なるほどカマをかけられたわけか。窓を見ても、営業用の表情に変化はない。
バレてしまったなら、正直に打ち明ける方がよさそうだ。
「たかが傘一本だぞ。安いもんだし、恩返しなんてしなくていいのに」
「……安い?」
「ごめん」
社会人と学生の金銭感覚を一緒にしてはいけない。彼女と私で、2000円の価値は異なるのだ。自分も昔は学生だったので、わからないことはない。あの頃は、と思うと歳を取った気分になり少し落ち込む。ピチピチのJKとディナーなのだから、落ち込んではいけない。
「恩返しというか。借りは返すもんじゃん? 舐められたままじゃムカツク。借りは返さないとメンツが立たないの」
言葉は荒いが、内容は理解できた。
「オマケに、私のせいでカゼひいちゃったなら申し訳ないって気持ちもあるし」
見た目に反し、正常な価値観の持ち主らしい。危惧していたような事態は起こらないだろう、と警戒をゆるめる。
評価がクルリと入れ替わる。思うにこの髪色は警告色なのかもしれないな、と勝手な推測で、悪い子ではないというのは確かだ。
注文を店員に伝えたら、また楽しい雑談が始まる。嘘ではない。実際楽しいのだ。若い異性との会話など、そうあるものじゃない。楽しいだけならいいのだが、社会人というのは色々面倒なしがらみに縛られる生き物なのだ。
雑談の中で、フラッと趣味について触れられる。
「普通だよ。本を読んだり、ゲームしたり」
「なんのゲーム?」
「BSOっていう。知ってる?」
彼女の顔が一瞬ヒクついて、すぐに戻る。何か地雷を踏んだか? いやまさかそんな。VRで遊ぶには、そこそこハイスペックなPCと、別売りのお高いヘッドセットが必要になる。一通りそろえるとなれば、学生に支払える額ではない。大人でも思い切りが必要だ。
「知ってる」
「まさかプレイヤー?」
「あ、うん……」
言い淀む。先までの勢いある話し方が急に途切れる。
触れられたくない内容だった? まさか。自分から話を振っておいてそんなコトはあるまい。ただ気まずいのはなんとなくわかる。
まさか知り合いだとでも? いやまさか落としたことがあったり? まさかまさか。冷汗が伝う。
JKのケツを知らない間に掘っていた? 犯罪じゃん。ゲームでも許されざるよそれは。
……しかし待てよ。プレイヤーネームも、IDも教えていないのに、個人が割れるはずがない。だからセーフ。
「パイルは産廃」
「何言ってんだ、一撃必殺のロマンあふれる最強武、器……あ」
いかん。墓穴を掘った。パイルでケツを掘るのは趣味だが、墓穴を掘るにはまだ若い。
「お前アヌスレイヤーだろ」
「何のことだか」
「目を見て、もう一度言ってみろ」
正面から射抜くような視線を向けられる。それを正面から見つめ返すことができない。相手はどういうことか、自分のことをそうだと確信している。
どうごまかそう。一通り案を考えてはみるが、片っ端から却下していく。無理だ、無理無理無理カタツムリ。
「……」
だから、目を逸らしたまま沈黙する。最後の抵抗だが、これも無意味だ。時間を稼いでも助けはやってこない。
「どうなの」
「もしかして君、ネストのメンバー?」
だから認めて、相手の懐を探る。自分ばかりが探られるのは不公平だと、アタリをつけて聞いてみる。
だってそこ以外にあり得ない。子供じゃあるまいし、自分のリアルにつながる情報をネットに放流した覚えはない。ソコ以外は。
「な、ん、で、教えなきゃならないの?」
「ナメクジ君?」
「!!」
過去の言動から、今までの会話から考えた可能性を口にしただけだが、今の反応で確信を持てた。嘘をつく余裕もないほどクリティカルな問いだったようだ。
「な、な……なんのこと?」
「アタリだな」
ネストのメンバーで、学生とわかっているのはナメクジ君だけ。少々乱雑な雰囲気からなんとなくそうじゃないかと。あとは、チームの中でそこまで自分に関心があるのはナメクジ君くらいだろう。他のメンバーなら、そこまで私を気にする理由もない。
ああ。あとナメクジ君の予定が、今日は空いていなかったというのもある。
「ぬ……」
「世間って狭いねぇ。驚くほどに」
何という偶然。すれ違うだけならまだしも、傘を貸した女子高生がナメクジ君だったなん。
あんなファンメールをよこした相手がこんな可愛い子ちゃんだったなんて。これが運命、とでも言えばいいのだろうか。
して、相手側はと言えば。
「ぐぬぬぬぬ……」
とてもとても。乙女らしからぬ顔をしている。ファンメールを送った相手、見返してやりたい相手に恩を売られるなんて、という感じだろうか。心中お察しします。
「よろしくナメクジ君。そんでここでさよなら。傘の借しはゲームで返してくれたらいいから」
相手が気心知れた相手なら、気を使う必要もないと、外向けの仮面を脱いで、素面になった。ゲームの中でナメクジ君と接するのと同じように、目の前の彼女への対応を切り替える。
全く予想していなかった突発オフ会だが、こっちは会いたいと思ったわけではないよ。と、千円札を一枚テーブルに置いて席を立つ。
「待て。料理頼んどいてどこへ行く」
「ちょっと厠まで」
「カバンは私が見ておくから」
「……ちっ」
「まだ恩返し終わってないのに帰られたら困るんだけど」
「ゲームで返してくれって言ってるじゃん。財布に余裕のないいたいけなJKに金を払ってもらうのはあまり気分が良くないんだよー、こっちはJKとお食事お話できればそれで十分楽しいからさぁ……」
とは言うものの、実際ゲームで恩を返してもらうというのは現実的じゃない。必要になるとすれば、弾薬費とパーツ代、修理費だが、どれも困っていない。
現状の武器はパイルとブレード。近接武器は例外なく弾薬費が安くつく。ブレードはそもそも弾薬費が発生せず、パイルは一射一殺、当てさえすれば黒字は確定。機体は完成しているから、これ以上パーツを買う必要はない。修理費も、死ぬより多く敵を殺せば金策もいらない。
つまり今のところ助けは無用。今後新しくパーツが実装されて、それが欲しいモノであり、そして独力では入手できない。そんなことがない限りは。
借りを早く返したい彼女には耐えがたいだろう。
「やっぱ今のなしで。ご飯でいいや」
「オッケー。ついでだし連絡先教えて」
「なんでだよ」
そのままなんやかんやで食事は終わり。支払いは彼女持ち。連絡先もどういう意図があってかは知らないが交換させられた。NINEという通話・メッセージアプリに職場関係以外では数少ない友達が、今日一名増えた。SLUG、という名前にアニメキャラのアイコン。いかにも若者といった感じだ。
家に帰るとどっと疲れがやってきて、風呂にも入らず、スーツを脱いでベッドに潜った。明日は出撃だ、ナメクジ君。もといナメクジちゃんと一緒に……そう考えるとまた微妙な気分になってきた。いい気分ではない、悪い気分でもない。だから、微妙だ。そんな気分で、眼を閉じて、眠りについた。