殿下、お覚悟はよろしくて?
たしかに愛はなかった。
「貴様を見損なったぞ!!」
けれども信頼もなかったらしい。
「ジュベール王国の王家の名において、この私ユリウス・ジュベールと貴様マリアンヌ・オルレアン侯爵令嬢の婚約を破棄する!!!」
そして、これはない。
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事の始まりは、社交界デビューの夜会だった。
あの日、幼少の頃より婚約をしていた、我が国ジュベール王国の第二王子にして王太子でもあるユリウス・ジュベール殿下にエスコートをされながら、初めての夜会に参加した。
わたくしより2つ歳上のユリウス殿下は2年前にデビューを済ませており、女性のエスコートも完璧だ。
何より、その見目が麗しい。
婚約が決まった時から、厳しい王妃教育を受けていたわたくしは、この完璧な方の隣に立つのに相応しくあるべく、知識、容姿、全てにおいて完璧であるよう努めた。
その甲斐があってか、周りの人々から羨望の視線を感じる。
これがプレッシャーであってはならない。
そう自分に言い聞かせ、震える足を叱咤しながら、ユリウス殿下とファーストダンスを終えた。
そう、ここまではよかったのだ。
それからは、しばらくはパートナーを代わる代わるダンスをしていき、少し休もうと思い、殿下に声をかけようと会場内を探し、人混みの中に輝く金色の髪を見つけた時、思わず足を止めた。
見知った金色の髪、澄んだ青い空のような瞳。
けれど、あんな柔らかい笑顔を、熱を宿した瞳を見た事は一度もなかった。
側にいる令嬢に目を向けると、わたくしと同じデビュタントの白いドレスを着ているが、見た事はない顔だ。
ピンクブロントの髪にアンバー色の瞳。
透き通るような白い肌に桃色の頬と唇。
低めの身長と細く華奢な肩は加護欲をそそる。
さわっと何かが胸をよぎる。
気づかないふりをして、目をそらし、人の輪の中に戻った。
それからだ。
週に一度の訪問が月に一度になり、定期的に送られてきていた花束やドレスなどの贈り物がぱったりと届かなくなった。
デビュー後から頻繁に行われるお茶会や夜会で、ユリウス殿下とあの時一緒にいた男爵令嬢の噂が聞こえるようになり、とうとう夜会ではわたくしではなく、男爵令嬢をエスコートし、ファーストダンスをするようにまでなった。
明らかなものはあったが、本人の口からは何も聞いていない。
王家からの弁明もない。
両親は当然、憤慨していたが、一時的なものであれば受け止めよと諭された。
ユリウス殿下の事は愛してはいなかったが、お互いに将来はこの国のためにと切磋琢磨し、厳しい帝王学、王妃教育に耐えてきたのだ。
その間で育んだ信頼や情がある。
そのうちに男爵令嬢の事も話してくれるだろうと、そうすれば受け止めようと考えていた。
それなのに。
「貴様を見損なったぞ!!」
いわく、嫉妬にかられわたくしが男爵令嬢に聞くに堪えない酷い誹謗中傷を浴びせたと。
いわく、わたくしが嫌がらせのために男爵令嬢のドレスにわざとワインをひっかけたと。
いわく、挙げ句の果てには湖畔で行われたお茶会でわたくしが男爵令嬢を冷たい湖に突き飛ばしたと。
「ジュベール王国の王家の名において、この私ユリウス・ジュベールと貴様マリアンヌ・オルレアン侯爵令嬢の婚約を破棄する!!!」
ユリウス殿下は声高らかに宣言をした。
パーティー会場の人々がざわめく。
野次馬心で笑いながら遠巻きに見ている者や何事かと険しい顔をしている者。
わたくしの親しい友人たちは顔を青くしている。
もう.....いいかしら?
殿下、お覚悟はよろしくて?
「......まず、家の婚姻のため、私的な理由での破棄は出来かねます。殿下はもちろんご存知だと思いましたが、確認のため申し上げます。
それから、誤解があるようなので、その件に関しましてはわたくしとの関与がないという立証が出来ますので、そちらを確認して頂きたいと思います。」
それを聞いたユリウス殿下が口を開こうとしたので、手の平を向けてそれを制す。
「恐れながら、話を終えておりませんので、続けさせて頂きます。」
「殿下のお気持ちは理解致しましたが、わたくしと婚約破棄なさるのにこのような事は一切無駄ですわ。なぜなら、そもそもこの婚約は王家からの打診によるもの。殿下がわたくしに相談してくださればよかったのです。お互いに愛がない事は承知していた事実。それでもわたくしは聡明な殿下を尊敬しておりましたし、賢明であろうと努力されているお姿を幼少の頃より間近で見ておりましたから、心から信頼申し上げておりました。それなのに、なんの相談もなく、また確固たる証拠もないまま、さらにはそれに対してのきちんとした調査もされずにわたくしを悪だと決めつけて断罪なさろうとするなんてとても信じられない思いでごさいます。」
「しかし....っ!実際にオリーブは被害に遭い、その本人がマリアンヌにやられたと言っているのだ!これ以上の証拠はないであろう!!」
普段から教育された通り、多くを口にしないとしているわたくしが膨大な量の正論を述べたので、一瞬は豆鉄砲をくらった鳩のような顔で唖然としていた殿下だったが、元のポテンシャル(主にメンタル面が特に)が高いようで、すぐに反撃に出てきた。
それに倣って隣にいた男爵令嬢も殿下の腕をぎゅうっと掴み、こちらを睨んでくる。
あら、可愛いお顔の皮が剥がれかけてますわよ。
教えてはあげないけど。
「ですから、その方の証言のみで断罪なさろうとするほど、殿下とわたくしの信頼という関係は築けていなかったのだと残念に思っておりますのよ。」
言いながら少し目を伏せて悲しんでますアピールをしてみたり。
周囲から「マリアンヌ様可哀想」という声が聞こえる。
「ユリウス、騙されないで。私は本当に辛い事をマリアンヌ様にされたの。」
女の武器には敏感ですのね。
そりゃご自身の十八番ですものね。
ただユリウス殿下には効果はあったみたいですよ。
わたくしを見る目に厳しさがなくなっている。
元々、か弱い女性に弱いのであろう。
女性に対しても正しくあろうとした弊害がこのままとして出てしまったのかしら。
意外とその辺残念王子だったのね。
わたくしの食指が動かないはずだわ。
そしてそろそろもう帰りたいわ。
「婚約の件はわたくし達で判断しかねる事ですわ。
どうぞ陛下にお気持ちをお話しくださいませ。
ただし、わたくしは無実です。証拠提出も致します。ですので婚約破棄ではなく、解消にしてください。
殿下の邪魔をするつもりも障害になるつもりございませんが、最初で最後のお願いでございます。
わたくしに誠意を見せくださいませ。」
会場がしんと静まる。
「ユーリ」
ユリウス殿下は 綺麗な青い瞳を大きく見開く。
まだ婚約して間もない時に呼んでいたユリウス殿下の愛称。わたくしだけが許されていた呼び名。
「.....わかった。陛下にはわたしから伝えよう。
破棄ではなく、解消したい旨を....。」
そうそう、最初からそうしていればよかったのよ。
何をわざわざ巷で流行りの小説のように悪役令嬢なんて仕立て上げたんだか。
まさかユリウス殿下が脳内お花畑になるような事態に陥るなんて想像もしていなかったけれど。
初恋で浮かれたのかしらね。
「では、わたくしはこれで失礼致します。」
ゆっくりと上品に、華麗でいて清楚。
何度も何度も繰り返して身につけた美しく見えるカーテシーをたっぷりと時間をかけてするとどこからか感嘆の溜息が聞こえる。
そうして会場を後にするために扉に向かった後ろ背に呟かれた声は聞こえないふりをした。
「.....君はどこにもいなくなってなかったんだね....マリィ.....」
王子、ヤンデレの予感。