7.ふたりの夜(1) ☆
「はい。本当にもう大丈夫なの?」
淹れたての芳ばしい香りのする珈琲を私の前に差し出しながら、お杏がそう尋ねた。
「ありがと。うん。ほんとにもう平気。完全に酔い、醒めてる」
そう言いながら、早速「MINTON」のカップを口に運ぶ。
珈琲通のお杏が淹れてくれた、今夜はイタリアン・エスプレッソ。
「美味しい。やっぱり、お杏が淹れてくれる珈琲が一番いいわ」
それは世辞でも何でもない。
お杏の珈琲はいつも絶品と言える味わいだけど、今夜は特にそう思える。
もしかしたら、特殊な一日を終えた後のせいかもしれない。
とにかく、胃に染み入るような一杯だ。
「それはいいけど。まったくもう、純ったら……。一体いつどこであんなになっちゃったのよ。おかげでこっちは気が気じゃなかったわ」
「嘘! お杏、途中で私の事なんてほったらかしで、どこか消えてたじゃない」
「そりゃあそうよ。私なんて必要なかったでしょ」
精一杯の反論もお杏には、更々通用しない。
「どうして?」
と問うた私に、お杏は一言、
「だって、守屋氏がいたじゃない」
と、意味ありげな笑みを浮かべながら、その言葉を私に投じてきた。
「まあったく。いつからあんた達、そういう関係になってたのよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ! そんなんじゃないってば!!」
私は、思わず手元の珈琲を零しそうになった。
「どこがあ。あれはちょっとなかなかの雰囲気だったわよ。みんなも口揃えてそう言ってたんだから」
「みんなって。誰よ」
「誰って、圭とか舞。美結妃でしょ。徳郎連中とか。二次会に行った人間は皆、知ってるわ」
お杏のその言葉で私は、初めて事の重大さ。
あの状態がもたらすであろう事を冷静に認識した。
すうーっと血の気が引いていく気がした。
そんな風にみられていたなんて……などとは言い訳に過ぎないことは、本当は自分が一番よく知っている。
辛うじて気は確かなつもりではあったけど、彼の助けを借りなければいけない有様だったのは事実。
そして、その私に最後まで付き合っていてくれたのは守屋君というのも、否定のしようがない事実だ。
「純。何、急に暗くなってるのよ?」
「だって……だって私。ああ、もうっ! 馬鹿よ、バカ!!」
「ちょっと、純ってば」
「だって私。もう、学校行けやしないわ。酔って醜態晒すなんて……。ほんとにどうやってみんなと顔合わせればいいのよ」
今頃になって深い後悔と言いようのない羞恥心を、嫌と言うほど感じている。
けれど、こうなってからではもう、遅い。
全ては皆の目の前で演じ、幕が降りてしまった私の喜劇だ。
「落ち込んでんの? 純」
「これで落ち込まない方がどうかしてるわよ」
「バッカねえ。そんなんで落ち込んでたら、この先人生やっていけないわよ」
「何よぉー、お杏が落ち込ませたんだからね!」
八つ当たり以外の何物でもないとわかってはいるが、私はそう言わずにはいられなかった。
「それより。純」
「何よ」
ふと見れば、お杏の顔つきが変わっている。
「今日、酔った本当の原因は……誰?」
何、ではなく、誰?と問うあたり、さすがお杏だと私は思った。
「聞きたい?」
「当たり前でしょ。他ならぬ純、のことだもの」
「親友」なんて言葉を軽々しく使わないところがいかにもお杏らしいと思いつつ、お杏の気持ちは私にも伝わってくる。
そして、今夜の顛末を私は語り始めた。
***
「ふうん。そう。そういうわけ、だったの」
そう言いながらお杏は、何気なく珈琲カップを指で弾いた。
私は二杯目の珈琲にやっと口をつけたけど、それはすっかり冷めてしまっていて、苦さだけが舌を刺す。
「浩太朗君か。やっぱり」
「何よ、その「やっぱり」て?」
「やっぱり純は浩太朗君のことが好きだったのね、ていう意味よ」
決まってるじゃない、とお杏。
私は返す言葉がない。
「最近の純って彼とばっかり喋ってるじゃない。そのくらいピンとくるわよ」
「それって単なる邪推、て言うんじゃないの?」
「あら。勘がいいのよ、勘がね」
嫌味な私の反撃にもお杏は涼しい顔をしている。
まったく、ちょっとやそっとのことではまるで動じない。お杏という人間は。
それがお杏の強さであり、魅力でもある。