68.エピローグ 〜さよなら(2) ☆
そして。
現れたのは……。
他ならぬ彼──────守屋君だった。
私は彼を凝視していた。
彼は素知らぬふりで私の方へ近づいてくる。
「何してんの、一人で」
私の前まで来て、彼は穏やかにそう言った。
「日向ぼっこしてるのよ」
抑揚のない声で私は答える。
「そこちょっとどいてくんない? 取りたいもんあるんだ」
私は黙って席を立ち、その前の机へ移動した。
彼は椅子に座り、ごそごそと机の中を掻き回している。
私はなんということもなく、その様子を眺めていた。
「図書室、行かないの?」
捜し物を手にして、彼は私に尋ねた。
私はただ無言で頷いた。
すると彼は、
「俺もちょっと陽に当たっていくかな」
と言って、椅子に座ったまま窓辺に背もたれたのである。
彼の探していた物は文庫本だった。
彼はそれを膝の上でぱらぱらと捲っている。
最後の最後でまたしても、この教室に彼と二人きりになった私は……。
窓からはあえかなそよ風が入ってくる。
彼は静かにその本のページに目を落としていた。
私は彼の方は見ないまま、ゆっくりと口を開いた。
「守屋君」
「……何」
「聞いても、いい?」
「何を」
「玲美さんって……誰」
彼は暫くの間、黙っていた。
そしてパタンと本を閉じると、いつもの遠くを見つめるような瞳をしていた。
「玲美は、中学の時の彼女だよ」
彼はおもむろに口を開く。
「学校は違ってたけど、一年の夏頃からつきあってた。可愛い娘だったよ。俺なんかよりずっと頭もよかった」
「例の彼女とはどういう関係なの」
「あいつは玲美の親友だったのさ」
「だった、て……。彼女は、玲美さんから守屋君を……奪ったの?」
「いや……」
「じゃあ……どうして、別れたの」
その私の問いに、彼はピクリと躰を震わせ、暫し言い淀んだ。
しかし、
「別れたんじゃない。玲美は……死んだんだ」
一言、彼は呟いた。
私は何も言えなかった。
それでは。
彼が昔の姿から変わってしまったのは、彼女の「死」が原因で、彼は亡き彼女を想っているというのか……。
「何故、玲美さんは……」
「玲美は、自殺したのさ」
その時。
彼の顔は微かに歪んだような気がした。
「中三の夏休み、自殺の前夜。玲美は俺の部屋に来た。急に俺の顔が見たくなった、て言って……。あいつはその時、笑ってたんだ。何も言わず、俺にさよならさえ言わずにまたねって言って。翌朝、玲美が手首を切ったとあいつのお袋から電話があって、駆けつけた時にはもう冷たくなってたよ」
私は、ただ静かに彼の話を聞いていた。
「俺には訳がわからなかった。俺は玲美を本気で愛していたんだ。あいつだってそれはわかってたはずなのに……。なのにあいつは、俺に一言も告げずに逝っちまった」
彼はそれきり何も言わなかった。
けれど、私は僅かな彼の言葉から、彼の受けた心の傷がどれほど深かったのかを察していた。
「俺は……それ以来、女が信じられなくなったよ」
ややあって、彼はぽつりとそう呟いた。
何故勝手に逝ってしまったのか。
どうして一言、俺に話してくれなかったのか。
そういう彼の心の叫びが、私には聞こえるような気がした。
「それで……それで私とは、どういう関係があるの。玲美さんと、私」
それは、ずっと私の中で、謎のまま残っている問いかけだった。
「五月頃、ショートボブしてただろ」
「え……?」
「髪型さ、神崎の」
「うん……」
「よく似てたよ、玲美に……。髪が伸びてからも面影は変わらなかった」
だから。
だから私はあなたにとって、本当に「身代わり」だったというの……!?
それを言葉にする勇気は私にはなかった。
彼はいつも私の中に、亡き最愛の彼女の面影を見ていたのだろうか……。
「でも……神崎は、神崎さんだよ」
そう言うと彼はもう一度私に、図書室に行かないかと尋ねた。
私はここにいると答え、そして彼は本を手に教室を出て行った。
主のいなくなった彼の席を、私はずっと見つめている。
三年生になれば、彼とはクラスを違える。
これでもう彼と口を聞くことは二度とないのかもしれない……。
でも。
好き。
すき。
スキ。
私は守屋君が好き……。
玲美さん……彼の亡き最愛の彼女の存在を私が越えられるとは思わない。
それでも。
私はきっと、三年生になっても、卒業しても、彼を忘れることは出来ないだろう……。
一年前、私は十六歳だった。
私はまだ中学の時の想いを多分に引き摺っていた。
この一年、否、十七歳になってからのこの約半年間に私は、何て多くの出来事を経験してしまったんだろう。
終了式を明日に控え、私はまるで卒業してゆくかのような感慨が胸に迫ってくる。
済稜高校二年一組四十二名。
明日を最後に皆ばらばらになる。
南校舎二階東側のこの教室にも、もう入ることは許されない。
様々な出逢いに出逢った。
様々な悲喜劇の数々が、窓の外をそよぐ春風のように一瞬にして、私の胸を過ぎった。
出逢い、そして恋をした。
彼の人に──────
みんな皆、忘れ得ぬ人々……。
十七の時を確かに、私はこの空間で生きた。
ただ心の欲するままに生きた。
十七歳という青春のひとときを。
了
次話で、本作の「イメージ詩」を掲載します。
尚、作中イラストは、管澤稔さまに描いて頂きました。
管澤稔さま、素敵なイラストをどうもありがとうございました!
本作は、続編・高校三年生編
「十八歳・ふたりの限りなく透明な季節」
( https://ncode.syosetu.com/n1757ft/ )
へとお話が続きます。どうか引き続きよろしくお願いします。