66.ホワイトデー・ドロップ
それは、三月中旬の放課後のことだった。
帰ろうと鞄を取った時、教室の後方で大きな歓声が上がった。
「ひゅーひゅー!」
「浩太朗、やるなあ! こいつぅー」
「浩太朗君、すごーい」
振り返ると浩太朗君が、徳郎や舞たちに取り囲まれている。
「このバッグ、手作りよねー」
「このキルトの碧の色、センスいいじゃない」
「さすが浩太朗、この色男!」
皆が口々に冷やかす。
彼は手に碧いキルトのバッグを手にしていた。
浩太朗君は、満面の笑みだった。
いつもの彼のお陽様のような笑顔が一際輝いている。
それは心から幸せそうな表情だった。
「いや、別に」
浩太朗君は言葉少なに笑んでいる。
そして、皆に見送られながら教室を出て行った。
私は、ただその場に立ち尽くしていた。
***
あれは……。
きっと彼女から贈られた手作りのバッグ……。
浩太朗君、意中の彼女を手に入れたんだ……。
それは疑いようもないことだった。
私は一人、教室から出ると、下駄箱へトボトボと歩いている。
浩太朗君のことは完全に吹っ切れたはずだった。
私は、守屋君が好き……。
それは真実。
でも──────
去年の十二月、毎晩、一生懸命、慣れない編み棒を動かしていた。
ひとすじに彼のことを想いながら、ベストを編んだ。
それも、儚く泡と消えた恋だったけど……。
私は改めて、思う。
あのセルリアンブルーのベストはどうなったんだろう。
好きでもない女の子からの手編みのベストなんて、重いだけ。
やはり、どこか彼の目の触れない場所へと遠ざけてしまわれたに違いない……。
私の目から涙が零れ落ちる。
あの頃、浩太朗君のこと、好きだった。
彼のお陽様のような笑顔が好きだった。
彼の穏やかで優しい性格が好きだった。
彼の笑顔は今、他の女の子の存在で一層輝きを増している。
私なんかこれっぽっちも入る余地はなかった……。
胸に痛みを抱えながら、下駄箱まで来たその時。
「神崎」
突然、後ろから声をかけられた。
そこには。
スポーツバッグを手にした守屋君が立っていた。
「泣いてるのか……?」
低い彼のテノール。
頭上で私を見下ろしながら、囁くように……。
私は、慌てて横を向いた。
思わず、右手で目を擦る。
沈黙。
彼は少し困ったように頭を掻く仕草をしたが、突然、制服のズボンのポケットをがさごそと探り始めた。
「これ。やるよ」
「え……?」
彼は、無造作に右手を突き出したのだ。
その手には。
一粒の小さなキャンディが握られていた。
「これ、やるから元気出せよ」
彼が呟く。
「守屋君……」
「じゃあな」
そう言うと彼は靴を履き替え、外へと出て行った。
私は彼の行動に混乱させられている。
そして──────
ある、重大な出来事に気がついた。
今日は……「WHITEDAY」……!
私は呆然となった。
守屋君、どうしてこのキャンディを私にくれたの?
あのチョコレートクッキーのお返し?
でも……。
私の気持ちに気付いているの?
守屋君……。
手の中のキャンディを見つめる。
それは、白い包み紙。
小さなそのキャンディは、微かな重みを持っている。
その紙包みをそっとはがし、大事に口へと放りこんだ。
それは、塩バニラ味のキャンディだった。
泣き笑いのように私の目がまた潤んでくる。
甘くてしょっぱい、それは涙の「WHITEDAY・ CANDY」だった。