59.冬の日の図書室のKISS(4)
それから三日後の朝。
やはり、私は吉原君と一緒に登校していた。
教室には、既に半数以上の生徒が来ている。
「おはよう」
「おはよう」
皆が挨拶を交わす。
その時。
ハッとドアのところに視線が行った。
守屋君が、ふらりと入って来たのだ。
「神崎」
吉原君は、私の右腕をぎゅっと掴んで私を引き寄せた。
「ひゅーひゅー!」
「朝からお熱いねえ」
徳郎たち、男子連中がひやかす。
しかし、守屋君はいつものように無表情のまま何事もなく席に着き、いつもの朝と同じようにウォークマンを聴き始めた。
守屋君……。
「神崎。どうかしたのか」
吉原君の目に険しさが表れている。
「う、ううん。何でもない……」
守屋君は……。
私のことなんか何とも思っていない……。
改めてそのことを思い知らされる。
私が吉原君とつきあったとしても、彼の日常に何ら変わりはない。
私の胸はズキズキと痛んだ。
しかし。
吉原君の存在は、期せずして、私の中で大きくなりつつあった。
私を見つめる温かいまなざし。
場を盛り上げる明るい性格。
そして何よりも……。
彼はいつも私には特別優しかった──────
***
そうして、四日、五日……と日は過ぎていった。
そして、最終日の七日目の放課後。
一週間前と同じ場所……図書室の「源氏本」コーナーに私達は来ていた。
「返事……聞かせてくれるか」
「返事……」
「俺とつきあってくれるか?」
「つきあう、て……?」
私は、困った顔になった。
今までほとんどそういう経験がなかった私は、「つきあう」の意味が正直なところはっきりとわからない。
「この一週間、してきたことさ」
吉原君が答える。
吉原君と一緒に過ごした一週間。
決して楽しくなかったとは言えない。
むしろ、初めての、それは包まれるような感覚は心地の良いものだったと言えた。
「……いいわ」
その時。
私は、思わず知らず呟いていた。
「神崎……」
彼も感極まったように呟くと、おもむろに私を抱き寄せた。
そして、次の瞬間。
彼の口唇が私の口唇に、触れた。
やや荒れたような彼の口唇……
その時だった。
私は──────
「や…嫌っ……!」
はっきりと彼を拒絶していた。
「神崎……!」
「ご、ごめんなさい……!」
彼に背を向ける。
馬鹿だ。私……。
吉原君の口唇に触れた瞬間、あの夜の。
守屋君との口づけを思い出すなんて……。
涙が溢れて来る。
守屋君の口唇……
私の口唇をしっとり包み込むように。
私の口唇を温かく溶かすかのように。
あれが私の識ってる口づけ。
あれが私の初めての口づけ。
何もかも忘れられない。
なかったことになんて出来ない。
私は。
私は。
守屋君が好き……。
「神崎!」
吉原君が私の後ろ手を掴んだ。
「ごめん。謝る。悪かった」
彼が私の正面に周り、私の両腕を揺さぶる。
「違うの……」
私は、涙が滲んで、彼の顔が見つめられない。
「私が悪いの。守屋君が好きなのに、吉原君と二股掛けるようなことするから……」
「やっぱり、守屋が好きなのか」
彼は、ふうーっと天を仰いだ。
「どうしても、俺じゃダメ……?」
彼は、優しい、しかし真剣な目をして、そう問うた。
「ごめんなさい」
私はそう答えていた。
「あいつのどこがそんなにいいの」
弱々しげに、彼はそう言った。
「わからない……。でも、いつの間にか目で追ってしまうの。教室の片隅で、一人、精神をトリップさせている彼の姿から目が離せないの……」
「恋は理屈じゃない、てわけか」
彼は、また天を仰いだ。
「吉原君こそ……」
私は、恐る恐る、尋ねた。
「私なんかのどこがいいの?」
「全部」
「ぜ、全部?」
「恋は盲目、て言うだろ」
と、彼は笑う。
「ま、強いて言えば、クラスをまとめようと必死になってる健気な姿とか、勉強がんばってるところとか」
彼は言った。
「て、言うのは、表向き。要は理屈抜きで可愛いんだよ!」
そして、彼は私の髪にくしゃりと触れた。
「吉原君……」
「ま、俺のファーストキスは神崎に奪ってもらった、てだけで良し!とするか」
「よ、吉原君……!」
彼は、やはり八重歯を見せて笑ったが、次の瞬間、
「明日からまた普通のクラスメイトだな……」
ぽつりと寂しげにそう呟いた。
しかし、
「この一週間、最高に楽しかったよ。サンキュ!」
彼は、その一言を残して、その場を去っていく。
吉原君……ごめん……。
また涙が溢れて来る。
守屋君には彼女がいるのに。
ううん。
何より「玲美」さんがいる……。
私なんか多分、入る隙間のない。
なのに。
あんなに優しい吉原君を振るなんて……。
私、馬鹿だ……。
でも、自分の心に嘘はつけない。
図書室の本棚に躰を預け、私は泣くだけ泣いた。
冬の日の図書室の冷気は、私には身を切られる程、痛かった。