48.恋の痛み(2)
「……けれど。俺、受け取ってもいいの、かな」
彼はぽつりと呟いた。
その一言で、私は本当に理解した。
その一言が、私に対する彼の返事。
「これ、開けていい?」
と、彼が言った。
私は頷くだけ。
彼がどんな風に袋を開け、どんな風に見たのか、よくわからない。
けれど彼は、
「あー……有難う」
と、微かに嬉しそうな声を出した。
それだけが私の救いだった。
「下手だけど……」
そう言った私の言葉が、彼の耳に届いたかどうかはわからない。
だけど、とうとう私は覚悟を決めた。
「好きな人、いるんでしょう……?」
と、呟いた。
「うん。俺、好きな人、いるんだ」
彼は私を見て、はっきりとそう告げた。
私は泣き出しそうになった。
否、無理に泣こうとしたのかもしれない。
「ごめん。これありがと」
それだけ言うと、彼はドアの方へと歩いてゆく。
私は意表を突かれた思いだった。
行かないで。
まだ行かないで……!
心は叫ぶ。
彼はドアのところに来る直前に、私を振り返った。
心は叫ぶ。
行かないで……と。
けれど言えない。
私は一言も言葉を作れなかった。
見つめあう。
氷の沈黙。
そして。
「ごめん。大丈夫?……じゃ」
その言葉を残して、彼は出て行く。
数メートルして、走っていく足音が聞こえた。
私はその場に呆然と立ち尽くしていた。
本当に、行ってしまった。
何も、何も言えなかった。
動けなかった。
いつしかその場に座り込み、そして。
泣いた……。
声をあげて泣いた。
泣いた、泣いた、泣いた。
嗚咽に混じって、浩太朗君…浩太朗君……!て、叫ぼうとして叫べなかった、喉元に引っかかっていたその言葉を、思う存分吐き出していた。
そして。
気がつけば、陽は沈んでいた。
教室は薄暗くなっている。
泣き止んで尚、動けずに、暗い虚空を見つめて。
彼に来て欲しかった。
来るはずのない彼をいつまでも待ち続けたかった。
そして、いつの間にかブラバンの音も消えていた。
私はだらりと下げていた右手を机に掛け、ようやくのろのろと立ち上がった。
それでも、彼が振り返ったドアを見つめ、彼の残像を追い求めて。
浩太朗君……。
やけにマジな顔。
普段のユーモアを微塵も感じさせない。
一番して欲しくない、一番見たくない顔をしてた。
怖かった。
見たくなかった。
あんな彼、見たことない。
越えがたい見えない壁。
浩太朗君との……。
目の不揃いなセルリアンブルーのベストの行方が気になる。
私の想いと共に、どこか目に触れない場所へと遠ざけられてしまう運命なんだろう。
この二週間だけが虚しく空回りしていたことに、私は初めて気付いた。
けれど。
これで私は彼への想いを精算してしまったのだと、思った。
そう思いたかった。
これで私は浩太朗君への恋に終止符を打つのだと。
恋の行方も自分の気持ちも何もかも、私には自信がなかったけれど、ただそのことだけを私は自分の胸に言い聞かせていた。
***
その日の顛末を私はその夜、ゆうにLINEした。
彼女の協力を仰いだ以上、報告しないわけにはいかなかった。
そして、彼女の反応の中には、私の予期し得ない一言が含まれていた。
彼女はこうレスしてきたのだ。
純でも泣くことあるのね─────と。
少なくとも人前で泣くようには見えないのよね。
でもやっぱり純も女の子だったのね。
携帯の画面越しにゆうの言葉を見つめながら、私は今更のように他人から見た自分というものを再認識した。
みせかけの自尊心とは裏腹に、私の救い難いコンプレックスが私を苛み始める。
私は舞にはなれない。
私はお杏のように毅然とは生きられない。
私は……。
私はなんて中途半端な存在なんだろう……!
鏡を見つめる。
自分が思っていたほど美しくはなく、自分が考えているほど醜くもない、十七歳の自分がそこに映る。
失恋の涙は辛くなかった。
泣くことには充分過ぎる程慣れている。
ワタシ モ フツウ ノ オンナノコ ナノニ
流れ伝う涙と共に、何もかも皆置き去りにしてゆければいいと、思った。