33.友情復活
「ねえ、どうだった? お杏」
「英語は良かったけどね。純は?」
「例によって例の如くよ。数学悪いなんてもんじゃないわ」
「あら、私、数学、二桁確定よ」
「お杏は英語満点でしょ。それにお杏、理数はどうせ必要ないじゃない」
昼食を挟み、二日間の模擬試験が終了した。
「ま、どうだっていいじゃない。済んだことよ。帰ろうか」
そう言ってお杏は、鞄に試験問題を入れて席を立った。
「どうしたの? 帰らないの」
「あ、うん。……お杏。バレーの試合、観に行かない? 体育館に」
「そうねえ。別にいいけど」
お杏は特に乗り気というわけではなかったが、
「済陵……勝ってるといいわね」
と、何気なく呟いた。
お杏が何を言いたいのか、私にはよくわかる。
「うん、ほんと」
軽く答えた。
心は既にバレーコートへ。
逸る気持ちを抑えながらも私は、浩太朗君のユニフォーム姿を思い浮かべている。
***
「試合、終わっちゃったみたいねえ」
お杏の声。
ろくに返事もせず、私は体育館の入り口に突っ立って、ボーッと中を見ている。
二面のコートでそれぞれ試合が行われている。
けれど、そのどちらにも済陵チームの姿はない。
「久麿工がやってるってことは、やっぱり済陵負けちゃったのね……」
準々で当たるのは久麿工業高校と、昨夜ゆうが話していた。
けれど、今、久麿工が戦っている相手は済陵じゃない。
「久麿工、優勝候補なんでしょ? 仕方ないわね」
「ゆうもそう言ってた。久麿工に勝ったらそりゃもう、大金星だって」
館内に済陵の部員の姿は見当たらない。
もう帰ったのか。
或いは部室にいるのだろう。
その時。
突然後ろから肩を叩かれた。
「ゆう!」
トレーニングウエアを着たゆうがそこに立っている。
「応援来てくれたんでしょ? せっかく来てくれたのにねえ、負けちゃったのよ。でもまあ、ウチのチームが準々まで上がって久麿工と戦っただけでもね。本当は一回戦も危ないなんて、監督言ってたんだから」
ゆうはさして落胆した様子もなく、さばさばとそう言った。
「今、何してるの?」
「お茶汲みとか色々。まったく、部員は試合が終わってさっさと部室に引き上げちゃったけど、私らマネは決勝終わるまでこの格好よ。ハズカシイったら」
「でも似合ってるわ、ゆう」
『済陵』のロゴが入ったグレーのトレーニングウエア。
それを着てスコア付けたり、色々なことしてるのね、ゆう。
浩太朗君と同じものを着て、同じ時間を……。
「あ、もう行かなきゃ!」
「ごめん、引き留めちゃって。頑張ってね、ゆう」
「うん! ありがと。あ、純……」
行きかけた足を止め、ゆうが耳元で囁いた。
「浩太朗君ね、出たわよ! 試合。グレーのユニ着てさ。かっわいいのよね、彼」
それだけ言って、ゆうは走っていった。
ちょ、ちょっと。何。どういうこと?
どういう意味、ゆう……。
気付かれた。
わからない。
でも、有り得ない話じゃない。
例の事件での派手な立ち回りが、浩太朗君との噂を呼んだのは事実。
でも、いい加減ほとぼりも冷めて、守屋君のことにしろあの事件のことにしろ、誰も気に留めなくなっているのに。
それなのに、どうして……。
けれど、ゆう。
格好いいとは言わずにカワイイと言うあたり、ゆうらしいというか。
でもまあ、ゆうの言いたいことわからないじゃない。
浩太朗君、小柄でさ。
そしてあのベビーフェイス。
確かにカワイイと言いたくなるような……。
「やっぱり久麿工、強いわねえ」
いつの間にか試合に見入っていたお杏が、感心したように呟いた。
その声で久麿工の試合に目を向けた。
確かに強い。
点数を見ただけでも歴然だけど、実際、目の前でアタックやフェイントをばんばん決めている。
その度に、久麿工コール。
紅いリボンにブルーのストライプのブラウス姿の女生徒達が、黄色い声を張り上げる。
応援まで久麿工ペース。
久麿工前衛中央の選手が最後に鮮やかなスパイクを決めて、ゲームは終わった。
久麿工の圧倒的勝利。
応援席は拍手喝采で湧いている。
「かえろっか」
やれやれという調子でお杏が言った。
頷いて外へ出ようとした時、死角から突然現れた学生服とぶつかった。
「ご、ごめんなさ……」
そこまで言いかけて言葉を飲み込んだ。
息を呑む。
浩太朗君なんだ!
言葉が出ない……。
ばつが悪そうな彼の顔。
「ごめん……」
「浩太朗君!」
ぼそりと呟き、そのまま館内に入ろうとした彼の後ろ姿を見て、私は反射的に彼の名を呼んだ。
一瞬、動きが止まる。
躊躇いながらも彼は振り向き、私を見た。
いつまでもしこりを残しているのは耐えられない。
これは、チャンスだ。
「試合、残念だったね」
「うん、まあ……」
「ファイナルいった?」
その私の一言に彼は反応した。
「モチ! 接戦だったんだ。ファイナルなんかデュース、デュースの連続でさ。大体、ウチは応援負けなんだ。せっかく自分とこで試合だったのに、まるで敵中陣地で戦ってるような気分だったよ。向こうの応援のスゴイのなんのって……」
浩太朗君、白い歯がこぼれている。
浩太朗君の笑顔、こんな間近で見るのどれだけぶりだろ。
話しかけてみて良かった……。
「ひょっとして応援、来てくれたの?」
「ん…まあね」
その時。
館内の方から「浩太朗!」と呼ぶ声がした。
「今行く!」と言いながら背を向けかけた足をふと止めて、再び彼は私の顔を見た。
「応援来てくれて、サンキュ!」
そう言うと、仲間の方へ歩いて行く。
その後ろ姿を見送りながら、私の胸は一杯になっている。
浩太朗君と話せた。
浩太朗君が笑った。
浩太朗君……。
ポケットに両手を突っ込んで、幾分背を丸めて歩く。あの歩き方。
笑う時、胸を反らすようにして笑う。あの仕草。
ポケットに両手を突っ込んだまま……
あれが浩太朗君、なんだ──────
遠目に彼の姿を見つめながら、随分久しぶりに私は、浩太朗君のことを感じていた。