23.戦いすんで(3)
「私はまたてっきり、浩太朗君のことで悩んでるのかと思ってたわ。あれ以来、話してないんでしょ、彼と」
お杏が続ける。
「誤解、解けたんじゃなかったの?」
「誤解は解けた、と思う。舞が話してくれたから」
「で、どうなったの?」
「ん……。舞の話じゃ浩太朗君、黙って聞いてて、最後に「わかった」て言ってたって。安心してた、て」
私はすっかり冷めてダークブラウンに変色してしまったディンブラに口をつけると、再び口を開いた。
「なんか。すごく複雑な気分だった。誤解されたままじゃ困るけど、何もなかったってわかってホッとされたのかと、思うと」
「ホッとされたんじゃなくて、彼がホッとしただけよ」
「だから尚更よ。そりゃ……こんなこと最初からわかってるわ。彼には好きな女の子がいて、私なんか眼中にもないってこと。でも……。それを現実に思い知らされるとね。やっぱり、ショックだった」
そこまで話して、再び黙り込む。
「考え過ぎよ」というお杏の言葉は、右の耳から左の耳へと抜けていくかのようだった。
「……大体、前後不覚に酔ってても好きな娘のことは喋らないような人が、好きでもない娘とキスなんかするわけないじゃん!」
突然、怒ったようにそう言った私の言葉に、お杏がビックリしたような顔をした。
「ごめん……。お杏にこんなこと言っても仕方ないのにね」
お杏の前だと私は、つい感情をそのまま言葉にしてしまう。私の悪い癖。
「それにしても、どうしてあんなことになったのかしらね。打ち上げの翌々日はみんな何にも言わなかったんでしょ?打ち上げから日が経って広まるくらいなら、あの日の内に広まっていそうなものを」
「ああ、それ。それねえ。私も舞に同じこと聞いたのよ。そしたら舞、何て言ったと思う?「そりゃあね、みんな人間がデキてるもの。お酒の席での過ちだって、みんな暗黙で了解して黙ってたのよ」、だって!」
なーる!……て顔をして、お杏が独り言のように呟いた。
「ま、キスくらいでそう騒ぐこともないわよね。高二にもなってさ」
経験者の余裕とでもいうか、そんな台詞がさらりと口をついて出るお杏。
こんな時は何と言っていいのかわからない。
「高二の夏の神話」を皆が次々と実証していく中、私は依然、何もまだ知らない。
十七歳。
十七歳なんだ。
正に「青春」真っ只中にありながら、私、今まで何やってたんだろうと思う。
もうコドモじゃない。
お杏なんて見ていると、特にその感を強める。
自己嫌悪。
どうして私はいつまでたっても飛べないんだろう、て……。
大人びてる、て結構言われてる。
小五の時は先生に、中二の時は新しいクラスメートから。中三の時、私服で歩いてた私を女子高生と間違えて声かけてきた男もいる。
十三の頃しきりに、もうコドモじゃないって内心息巻いていた記憶もある。
少なくとも私は、他の子よりずっと大人なんだと。
でも。
私は男子の考えてることなんて、ちっともわからない。
経験すれば大人の女、なんていう短絡思考は持ち合わせてはいないけど、それでも、この夏彼といくとこまでいったなんて話、圭から聞かされた時は多少平静さを欠いたような気がする。
あの清純派の舞でさえ、ゆうから追求された時、人並みよなんて言い方してた。
お杏に至っては何をかいはんや。
「どうしたの、純。急に黙り込んじゃって」
「え、ああ…。ちょっとね。考え事してた」
「考え事ねえ。何かまだ私に隠してることがあるとみた」
「お杏が期待してることなんて何もないわ。ただ……」
言おうか言いまいか。
躊躇った後、思い切って口を開いた。
「お杏。私ね、あの時……。涙も涸れてTシャツ越しに守屋君の胸の鼓動聞きながら、それまでとは違う自分を感じてた。背中にまわされた彼の腕、目一杯意識して。そして……一瞬、抱きすくめられたような気がした時……身の内を走ったあの感覚。到底形容できない。でも……。お杏や舞、圭はみんなそんな感覚を、それ以上の感覚を知ってるんだな、て、思った。いつもお杏が言っていた言葉の意味が何だか初めてわかったような、気がして……。想像だけどね。何となく……」
「……キスも肌を合わせることも嫌いじゃないわ、とか?」
なんか、赤面。
もしかして、とんでもない会話してるんじゃないんだろうか、私達。
「で、結局。純はどう思ってるの? 守屋君のこと」
「私は……。あの事件で、やっぱり浩太朗君のこと本気で好きなんだって、思い知った。それまで必死で押し隠してたものが一気に爆発した感じ。意識したくなかったことなのに、あれでいっぺんにダメになった。後先考えずに喧嘩をとめて、中傷にも耐えられたのは、純粋に浩太朗君への想いからだったと思う。今でも彼から目を逸らされるのは、身を切られるように辛いもの」
「つまり浩太朗君一筋、てわけですか」
そのお杏の言葉に、そうね……と、曖昧に呟いた。視線を変えて。
けれど、私は。
口先の言葉とは裏腹に、私は心の中で別のことを考えている。
いつの間にか私は守屋君のこと、目で追い始めているということをお杏は知らない。
試験の最中、何度か彼の席に目が行った。
気がつけばふと、無意識に彼の姿を探している。
信じられない。
どうかしてる。
何があっても否定しなければいけない感情だ。
だからおいそれとは口に出せない。
言葉にすれば、守屋君への感情をそのまま恋愛感情として認めてしまわなければならなくなる。
それは私にとって不本意極まりないことだ。
だって。
同時に二人の男子を好きになるなんて、あまりにも節操がないじゃないの。
でも、お杏を偽ってしまいたくはない。
結局は何か言わずにはいられない性分。
「お杏、私ね。守屋君の私生活は覗いてみたいな、なんて」
その言葉をどの程度の重みで感じるかは、お杏の自由。
でも、最近何となく気になるの、なんて言い方よりよほどイミシンだったのかもしれない。
お杏は、無言で目を大きく見開いた。