1.「たまんないっ」
°˖✧◇✧˖ °
クラウン歴167年2月。
今にも雪が降りそうなくらいに分厚い雲が空を覆う。夜の帳みたいに黒いマフラーで鼻まで覆うと、そっと息を吐く。20代も半ばを過ぎた男。紫紺に近い黒のミディアムヘア、毛先は四方に跳ね、前髪は真ん中で分かたれている。細身で長身、垂れがちの目からは蜂蜜色の瞳が覗いた。
右手には折り畳み式のナイフが握られている。先端からは赤い液体が滴り、裏路地の地面に模様を描き出す。
男の前には、警官が倒れこんでいた。
「……」
警官の容姿はまだ若い。肌は土気色になり、首からは未だ鮮血が溢れ湯気を立てている。困ったような眉、力なく閉じきれなかった瞼の隙間の白目。抵抗虚しく頸動脈を一突きされ力尽きた彼は、犯人の視線を一身に受けていた。
「……はあ、」
マフラーが口元からずれ、寒風が辺りを吹き抜ける。
「ああ~~、」
一人佇んだ男は、自身の頬に両手を添えた。
「たまんないっ」
無人の裏路地、目の前には自ら手をかけた生々しい屍。そんな状況下で彼は____快楽に顔を綻ばせた。
「あーもう何この。この! 最高。凄いたまらんマジしんどいエモエモのエモ。できれば断末魔聞きたかったなー、この人叫んだらスゴそうだしさあ、ねえ。でもまあしゃーない、最近の警察はいちいち面倒だからなあ一人殺っちゃったけど!」
独断場で朗々と語る演者のように、男はしゃがみ込んでは頬を蒸気させ呟きを連ねた。しかしながら両手はすぐさま証拠隠滅に働き、最早手慣れた作業を淡々とこなしていく。遊園地から帰っていく客さながらにふわふわとした心地、日々のストレスも何もかもを浄化する。
“殺人”。それが、この男____イノセント・ミラーの趣味である。
「さてと。帰ろう」
手の汚れを払い、続いて服も叩き払う。マフラーを巻き直し、ショルダーバッグをかけ、表通りへの道を辿ろうとした矢先。
思わずイノセントは目を見開いた。
「恰好いい……!」
両手で口元を覆い隠し、目をぱちくりと開閉させた少女。鉢合わせて、目が合った。
見られてた。
°˖✧◇✧˖ °
「見たよね」
「見てないです」
「いや、見てたよね」
「バッチリ目に焼き付けました」
(焼き付けたのか……参ったな)
えへへ、と照れくさそうに笑う少女。複雑な面持ちで見下ろすと、彼女の異様さが際立って見えた。
アッシュブロンドの髪は無造作に短く切られ、肩に届かないくらいの蓬髪。長いまつ毛の下からは丸っこい桃色の瞳が煌いている。肌は色白ながらも汚れており、というか彼女自身から芳ばしい匂いがする。着ている厚手のワンピースは上質ながらもよく見るとボロボロだし、ブラウンパンプスの靴底は随分と擦り減っているようだった。
口をへの字に曲げ、ううんと唸る。俺は一回で一人の殺人を好むのであって、むやみやたらと人を手にかけたい訳じゃない。しかし、これで見逃しても後が怖いだけだ。こんなワケアリの塊みたいな少女だって存外危険になったりするかもしれない。でも殺すのはちょっと、俺のポリシーに反するというか。
「バーミリカです」
「なんて」
「私の名前です! バムって呼んでください!」
唐突以外の何物でもない。こちらのことなどお構いなしに、彼女は自己紹介してみせた。無邪気に笑みを見せるバーミリカは、とても殺人現場に居合わせた人物とは思えない。
それに彼女はさっき、殺人を犯した俺に対して「恰好いい」とまでのたまって見せた。つまりだ。
この子、絶対可笑しい。
生唾を飲み込んで、バーミリカの両肩を掴む。うわ芳ばしい臭い。バーミリカはにこにこしたまま頭の上にハテナマークを浮かべ、俺の言葉を待つ。少し犬みたい、と一瞬和んだけれど、それどころでは無かった。
「バーミリカ、さん」
「バムって呼んでください」
「バーミリカ」
「聞いてます?」
「俺殺人犯なんだけど、なんでそんな驚かないの?こっちがビビるんだけど」
「恰好良かったんですもん」
もんという響きが可愛いとかは置いておくとしよう。いや、あの……話が通じない気がする。
冷や汗たらたら、困ったように眉を下げた俺に、バーミリカは一瞬笑みを引っ込めたが、ああ、と納得したかのようにまた柔らかい笑みを見せた。
「大丈夫ですよぅ。誰かに言いつけるとか野暮なことはしません!」
「本当に……?」
「やだなあ、もう。もうちょっと私を信じてくれたっていいじゃないですか」
あはは、と陽気に笑う彼女に疑念の視線を向けつつ、小さく息を吐いた。
次の彼女の発言で、また息が詰まってしまうのだけど。
「あっ、でもお願いがあるんです」
「は、お願い?」
人差し指を自身の唇に寄せて、はい!と朗らかに続ける少女。バーミリカは、丸っこい瞳をきらきらさせて口を開いた。
「私を貰ってください、お兄さん」
初めてで拙いですが、楽しんでいただけると幸いです。