10、連れ去られた魔界少女
ガラスが割れる音がした。
不覚にも寝てしまった葛は、飛び起きて、寝室へ向かう。
米軍や警察なら、建物ごと包囲する。一斉に侵入して、2人を拘束する筈だ。
残された可能性は、バチカンだ。
葛は、ラティファを追っていた、3人組を思い出した。
「ラティファ!」
寝室のドアを開けると、冷たい海風が吹き込んでいた。
あの日の大男が、部屋に1人立っている。葛の姿を見るなり、襲いかかって来た。
「こいつ!」
隠し持っていた警棒を振るが、男は片手で受け止める。葛は力を込めて、警棒の先端を大男の胸に押しあて、手元のボタンを押した。数秒で電流に痺れた男は卒倒する。スタンガンだ。
急いで窓の外に出ると、少女を担いだ男が、漁船に乗り込む所だった。
「ラティファ!」
ヨットハーバーを駆け、なんとか追いつこうとする。2人の男は、ラティファを船に乗せて、海へ向かってしまった。
「どうすれば?そうだ、ジェットスキーがある」
マリンリゾートのプライベートビーチに、逃走用の水上バイクがあると、美咲は言っていた。
葛は別荘にとって返すと、キーボックスから鍵束を取り、隠れ家のビーチへ向かった。
桟橋の水上バイクを、トレーラーごと海へ落とす。
「待ってろラティファ、必ず助けてやるからな!」
葛は明け方の海へと向かった。ラティファを連れ去った漁船は、既に見えなくなっていた。
(ラティファ、聞こえるかラティファ!)
(葛!どうなってるの?)
テレパシーは、距離を超えると前にラティファは言っていた。試しに呼びかけると、微かに心の声が聞こえる。
(バチカンだ!船を追っている)
(私、薬を嗅がされたみたい。大丈夫、潜在意識ははっきりしている)
眠らせれても、テレパシスト同士は交信出来る様だ。ラティファは、念波が強くなる方角を目指せと言った。
朝日に向かって水面を走る葛へ、後方から追いつく物がある。
「敵か?!」
葛の操る水上バイクに、並走したボート。警視庁のマークが見える。
「葛君!無事だったのね!」
船上から、美咲が葛の名を叫ぶ。操舵席には加藤の姿も見えた。
「美咲さん!ナイスタイミング!」
片手で方角を示し、バチカンを追っていると伝えた。
水上バイクで先行すると、海上に2艘の船が見える。
近づいて行くと、漁船の先端に、縛り付けられたラティファの姿があった。
顔を動かしている。意識が戻った様だ。
「ラティファ!今、助けるからな!」
水上バイクの葛と、その後ろから美咲の警備艇が追ってくるのを見ると、男達は船を乗り移り漁船に火を放った。
逃げて行くバチカンの男達を、警備艇の美咲に任せて、葛は漁船へ乗り移る。
2人とも焼け死ぬ必要は無い。
燃え盛る炎の中で、少女は懸命に訴える。
「カズラ!逃げて!」
いくら魔族でも、火あぶりにされたら死んでしまう。
葛は、十字架に磔にされた魔界少女を助けようと、近づこうとする。
(火の勢いが強すぎる。このままじゃ丸焼けだ!)
ガソリンを撒かれた船上は、あっと言う間に炎の海になった。燃料に引火したら大爆発だ。
その時だ。
空から一筋の光が伸び、黒い羽を羽ばたかせて、人影が高速で舞い降りる。
何かを投げる素振りを見せた。
ラティファの頭上で、光り輝く物体が停止すると、透き通る水の大きな塊が、船の上を覆う。
「pioggia!」
ラティファが叫ぶと水の塊は、漁船へ怒涛の雨を降らせる。
「これが魔法?さっきのが魔石なのか?」
炎が弱まり、葛はラティファの元へとたどり着いた。
「ラティファ!無事か?」
「遅い葛!焼けちゃう所だったじゃないのぉ!でも、よく来てくれたね、私の騎士」
葛が縄を解くと、全身ススだらけのラティファは、笑顔で言った。怪我はないようだ。
2人の無事を見届けると、黒い羽の魔族は、ラティファに言った。
「ラティファ、任務を遂行せよ。人の繋がり、心の繋がりを地上へ広めるのだ」
黒い身体、赤い瞳と獣の様な体毛。翼を持つ魔界の人物は、まさしく悪魔の様相をしていた。
「ラティファ、任務を続行します。ところで、この青年なのですが」
上司らしき魔族に、ラティファがお伺いを立てている。日本語で話してくれるのは、葛には有難い。
「よかろう。この青年の望みを果たしてやるが良い」
どう見ても悪魔チックな魔族は、葛の方を向いた。開いた口から、鋭い牙が見える。何故か恐ろしい気はしなかった。
「人間の男よ。その勇気、守る者のために使うが良い」
葛にそう言うと、黒い魔族は空を飛び宙を舞う。その姿は、朝日と共に消えていった。