第1章 十一話 『とある身勝手』
ただ白い空間に、少女は立っていた。
私は誰?
声にもならない問だった。
『あなたは優しく純粋な子』
それを、答えてくれたのは誰か分からない。
だが、差伸べる両手には少女は見覚えがあった。
『いつどんな時でもあなたは、シロであれば、それでいいの』
「分かった――さん」
『いい子ね』
少女は差し伸べられた両手に抱きついた。
暖かく、温かい。
他に何も求めない。
ずっと、いつも、いつまでも、きっと、
もっと、もっと、もっと、もっと――こんな、感じで、
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シロをクロの元に届ける。
今できる目標を立て一歩、覚悟を決めてまた一歩、自信を持って、さらに一歩。
その歩幅は次第に大きくなっていき、気がついた時にはキラーに向かって走り出していた。
――熱い、ただひたすらに熱いのだ。
内臓が燃えるような感情の螺旋。
一歩一歩が死に近づくと言っても、過言ではないその行為を一心不乱に駆け抜ける。
一瞬の気の緩みが命取りになる極限状況ーーそんな体験はもちろん人生初であり、人生最後になるかもしれない。
「キラーぁぁぁぁ!!!」
お馴染みの二刀の短剣を無駄だと分かってても振り回す理由は、体が勝手に動くからだ。
体が勝手に動く理由は死にたくないからだ。
死にたくない理由は理由が無いからだ。
「威勢がいいんだね――もうすぐ死ぬのに」
「うるっせ! それ防ぐためにやってんだろうがッ!」
案の定攻撃がノーヒット、上半身と下半身を交互に全身を鞭で叩かれ、少しずつ、だが確実に俺の体は斑点のようなアザが増え続けた。
皮膚が燃え上がるかのように、熱がこもり今にも悲鳴が上がりそうになる。
感情に動かされてはダメだ、そう脳が訴えてくるのに体の抑制が効かない。
痛くて集中自体あるのかすらも分からない。
「甘いよ。相棒に食べられない能力があるみたいだけど、それを扱えなければ所詮は宝の持ち腐れだ。どうせ狙いはこのチビだろう? 君は自分の実力をよく理解しているはずだからね」
俺は足蹴りを食らったのを最後に、図星を突かれる。
シロはキラーのすぐ後ろに倒れてて、反応が無いため少し不安だが捕縛対象を殺すというのは考えにくい。
図星を突かれたのをキッカケにほんの少し冷静さを取り戻し、鞭の嵐を抜け出して一旦距離を取った。
急いでも仕方ない。
奴から距離を取って隙を突く、単純だがこれが一番いい作戦だ。
すると作戦会議終了の瞬間、まるで横から重力が降り注いだかのように、わき腹に蹴りをくらい今度こそ悲鳴が上がる。
「――あがッッ!」
一瞬で距離を埋め、俺の立ち位置に居座るキラーだったが、俺は立ったまま吹き飛んだお陰で逃げ道を確保できた。
「――どこ行くんだい?」
「ハァ……ハァ、ハァ……強いていうなら、お前を倒す準備だな『転移』」
持ってきたものはまた石だ。
しかし俺も馬鹿じゃない、これでは意味がない事くらい分かっていた。
キラーは完璧に俺の攻撃をかわすだろう。
だから――新スタイルで行こう!
キラーが笑い、ターゲットの標準に鞭を合わせると、生きた鞭は風の切る音を立てながら、迷いなく伸びてきた。
反射神経だけがなんとかついていき、転移して岩を盾がわりにする。
鞭と岩が衝突する世にも奇妙な音が流れる中、それを見た壊れた殺人鬼が口を開く。
「アハハ……本当になんだろう? それ。少し興味が湧いてきたよ! 」
「興味が湧いた? 結構結構! 何せ5分間厳選した岩だかんな! ほら、もういっちょ!」
岩の陰から横に飛び、両手の石を投げ、さらに転移。
攻撃の手を緩めない事を目標に次々と仕掛けていく。
そして今持ってきたものも、石ではない。
「こっから新スタイルだぜ」
その『あるもの』を両手に再びキラーに急接近――
「何か企んでいるんだね? させると思ってるのかい」
伸びたままのムチが右から大きく、シュウの体に吸い込むように足元に襲いかかってきた。
岩の盾を繰り出しその進路を塞ぐと、次は右、再び左、次は斜め――残像が見えるくらいのスピードについてこれるのはーー奇跡の連発なのかは分からない。
だがキラーが意図的にそうしているのか、それとも実力なのか、どれにしても俺にとっては好都合だった。
ゼロ距離ーーとまではいかないが2メートルくらいまで近づくことが出来た。
さっきまでの俺なら、上手くいきすぎてると感じてしまうが、策がある今は違う。
効くか効かないかは、当たり前だが、効いた後に判明するだろう。
「おらくらえ! ファーストレッドダウン!(初見殺し)」
石を投げる時とは違ったフォームでその『あるもの』をキラーの顔めがけて投げ込んだ。
強者の余裕というやつなのだろうか、一切動こうともせず、手を下ろし立ったまま、抵抗せずに直撃した――
ほんのわずかではあったが、キラーの視界を完璧に隔てると同時に、俺は次の行動に入った。
その時何となく気が浮き立ったのは油断ではなかったはずだ。
「アハハ、これは砂だね。本当に面白いね君は――! いない? どこに? ……だが気配は感じるね」
その言葉を聞いてゾクっとしたが、今さら気づいても、もう遅い! と言いたかったのを、ぐっとこらえるとーーあの切れ味抜群の名剣を再び呼び戻す。
ーー俺とキラーの距離……約1メートル!
まだバレてない! いける!!!
「オラぁぁぁぁぁ!」
ーーマジシャン
テクニックの高さ、声と艶やかさ、そして人間には稀有な存在感と空間支配力が特徴。
その姿は白い手袋に、燕尾服とステッキなどが典型的でその中でも、欠かさないのがシルクハットと呼ばれる黒く長い帽子である。
ーー手応えはあったように感じたのは幻覚ではない。
キラーが後ろに飛び退ると、その姿を見て瞬時にとある違和感にとらわれるが、体の一部がないとかそういうグロい事ではない。
だが、キラーの格好には無くてはならない物が無くなっていた。
ーーシルクハットは横2つに分かれ、ヒラヒラと空を舞うようにして地に伏した。
ただの一振りで、空気が、雰囲気が、感情が、ガラリと変わった。
心がすっきりした感覚と、頰をがビリビリする感覚を確かに感じ取る。
「――岩を沢山出していたのはそういう事ね。岩に隠れてその岩ごと一緒に切り掛かってくるとは……驚いたよ。アハハ良いね、褒美として……10秒あげよう」
おっしゃ! 一矢報いてやったぜ!
これでキラーからシロを切り離す事ができ、目標達成間近になった。
うつ伏せに倒れていたシロの姿を発見すると頭を左手に添えてやった。
溢れてくる感情を抑えながらも、ひとまず声を掛ける。
「おい、コラ、無事か? シロ、生きてるか? 大丈夫か?」
「む、当然……です、よ。まだ戦えます」
「大丈夫か? って聞いたのは、お前の安否確認だ。戦えるとかそういう事言ってるわけじゃねぇよ。ほら、あれだ。うまく言いにくいが一度休めって言ってんだ。って言ってるそばから立ち上がんな! 人の心配舐めんなよ!?」
「ごちゃごちゃ、うるさいですね。あなたの指示に、従う気は、ありません」
俺の言葉を無視しキラーの方向にヨロヨロと立ち上がるシロの姿は、誰が見てもすぐ倒れると分かる程だった。
そんな酷い状態で戦わせる訳がない。
だがーー
「私が、やらなきゃ、ダメ、なんですよ。あの人は私がやらなきゃ、ダメなんです!」
必死すぎるシロを……それを止める権利なんか無い。
だってあいつの過去を知らないから。
あいつの心を知らないから。
……信用されて、いないから。
「ごめん……」
「――え?」
「転移」
「10秒……経過だね」
ほぼ、同時だった。