Raindrop
ふと気がつくと、僕は薄暗くて、ずいぶんと大きな部屋の中に突っ立っていた。畳敷きで和室風だが、ずいぶんと天井が高かった。そして縁側から外を眺めるとこれまた純日本風の庭園が広がっていた。真っ白な粒の小さな砂利が敷かれ、松の木が植えられ、大きな趣のある石が所々に置かれていた。だが景色には靄がかかり、シトシトと雨が降っていた。空気は心地良い涼しさで雨の香りがした。
ふと振り返った。何か音がしたような気がしたからだ。すると部屋の真ん中にピアノが置かれていた。そしてショパンみたいな人が、気難しそうな、神経質そうな顔をして演奏していた。そうだ演奏いているのだ。曲の旋律が頭の中に響いたような気がしたが、違った。まるで無声映画を見ているようだった。雨のシトシトと降り続く音だけがはっきり聞こえていた。
ははあ、分かったぞ。これは夢の中だな。僕はそう思った。すると今度は縁側を、これまた派手な民族衣装に身を包んだ数人の人たちが歌いなが行ったり来たりしていた。歌いながらと言ったが、これもまた、無声映画のようだった。しかし、きっと歌っているのは楽しげな曲であろう。
「マズルカだよ、これは」
突然横から声が聞こえたので振り返ると、今度はヴェートーベンみたいな人物がピアノの方を見ながら立っていた。
「あなたはヴェートーベンさんですか?」
声をかけてみてから思い出した。彼は耳が聞こえなんだっけ?彼はこちらの方を見なかった。なので今度は軽く肩を叩いてみた。
「おや、こんなところに居たのかい。どうだ彼の演奏は?」
ヴェートーベンはそう言うと耳に手を伸ばしてイヤホンを外した。アイポッドで音楽を聴いていただけだった。
「マズルカだよ。雨が降っているがそんなことは関係ない。だが大砲とはよく言ったものだ」
「はあ…」
適当に相槌を打った。僕には何のことを言っているのかよく分からなかった。
「耳聞こえるんですね」
唐突に僕は訊ねてみたが、ヴェートーベンは何を言っているんだという表情でごく普通に答えた。
「ああ、当然だとも!」
やっぱりこれは夢だ。僕は再び思った。だってヴェートーベンは耳が不自由だったはずだからだ。
「彼の演奏は素晴らしいな。私よりずっと落ち着いていて、繊細だ。だが、それでいて秘めたる力強さを感じる。特にマズルカは力強い」
ヴェートーベンは一人頷きながら満足げに言った。
だけれど、やっぱり、僕にはピアノの音は聞こえなかった。確かにショパンは鍵盤を指でなでるかのように演奏していたが、やっぱり無声映画だった。シトシトと降る雨音だけが聞こえていた。




