死神の娘
視点が二転三転します。かなり重複するところもありますので、適当に飛ばして読んでいただいても何ら支障はないと思います。が、自己責任でどうぞw
作者としてはつまみ食いを推奨します(
私はその日、いつものように目覚めて身支度をし、朝食を食べて新聞を読もうとポストに向かうため、玄関を開けた。
うちのポストは取り出し口に鍵がかかっていて、左右に円形のダイヤルを回し番号を合わせないと中身を取り出せないようになっている。右6、左9、左9。頭の中で繰り返しつつポストに手を伸ばそうとして、私はそこでやっと気づいたのだ。
「……ここ、どこ……?」
石畳を踏んでいたはずの足はいつの間にか、土とも落ち葉とも言えぬ黒茶けた柔らかいものを踏み、周囲は木々に覆われどこからか鳥の鳴き声がする。鬱蒼とした森、とでも言えばいいか。乱立する木々は随分と背が高い。広がる枝と葉に阻まれて空は僅かに見える程度だ。シダのような背の低い植物が地面を覆い、私が今踏んでいる土が見える部分は見える範囲にはあまりない。とはいえ、整備されている森ではないようで大ぶりの枝が落ちていたり太い根が苔むして地面から見えていたり、移動するのは大変そうだ。……と、いうかだ。どこからどう見ても、私の家の外ではない。
はっとして後ろ、家があるであろう場所を振り返る。そこには延々と続く木々しか見られなかった。へなへなと地面に座り込んでしまったのも無理はないと思いたい。なんだこれ。どういうことだ。
「娘、どうしてこんなところにいる」
びく、と思わず身体が揺れる。人がいるとは。足音なんてしなかったぞ。
恐る恐る声の方へ顔を向けると、旅人のような恰好をした人がひとり立っていた。旅人、といっても物語にでも出てきそうな、である。ぱっとしない緑がかった茶色のフード付きコートを着、これまたぱっとしない黒っぽい汚れた革袋を担ぎ、腰に短剣が差してある。目深に被られたフードのせいで目元は見えず、口元だけがのぞいている。声からして多分男だ。風で騒めく木の葉や植物の中、その男の範囲だけはしん、と静まり返っている。
これは夢だろうか、と現実逃避してみる。いや、まだ私、寝てるんじゃないだろうか。ぼーっとその男を見ていると、彼は革袋を担ぐ手とは逆の、空いた手を口元へ持っていった。考える像がやるポーズに私は尋ねられていたことを思い出した。
「え、あの。私もそれは知りたいです。てかここどこですか、あなた誰ですか」
ぺたんと座り込んだ地面から、じわじわと冷たさが足に伝わってくる。履いていたタイツが湿っていくのがわかる。不快だが足に力が入らず立てない。というか本当に湿っている? 夢じゃないのか現実なのか。手で地面を掴む。湿った土にぼろぼろに砕けた落ち葉。アリにしてはどこか違和感のある小さな虫が、慌てたように逃げていく。爪の間に土が入る感覚がする。……ここは、どこだ?
「ここは迷いの森だ。どこから来たのか、何しに来たのか知らないが早めに帰れ。娘」
迷いの森? 名前からして入ったら出られなさそうなイメージがする。て、いうかね?
「あの帰れるもんなら私も帰りたいんですけど。ドア消えちゃったし」
家もなくなっちゃったし。改めて、家があったはずの場所を振り返っても木々と木漏れ日が風で揺れる様しか見えてこない。泣きそう。
「娘、名は何という」
こちらの様子など頓着していない声に私は一瞬黙った。名乗っていいのだろうか。こんなあやしい、見知らぬ御仁に。旅人というか見ようによっては暗殺者だよこれ。相手の顔を見ると、……うん。何もわからない。口元しか見えてないし。このまま黙ってても事態は好転しないだろうと諦める。
「森月秋羽。あなたは?」
「私はセラ」
セラ? 外国人だろうか。フードで頭も見えないし、髪は金髪とかなのかな。見つめていると困惑した声で尋ねられた。
「驚かないのか?」
外国人であることに、だろうか。それともそんな変な格好をしていることにか?
「えと。セラ、さんですね。驚くとは何に?」
いや、よく考えたらこの人が私をこんな状況にしたのかもしれない。
「この状況にですか? それならもう十分に驚いたし、びっくりしたしぱにくったので、あの帰してください」
ついつい早口になってしまった。いや、ほんとにドッキリならさっさと帰して欲しい。今日は平日なのだ。早く学校に行かねばならん。
「うむ。私としては好きに帰ってくれてかまわない。……いやそれとも、還して欲しいのか?」
帰してほしいです。
なにやらやや発音の違うそれに私は首を傾げるが、男は何かを思いついたように革袋を下ろし手を叩く。彼は右手で下から上へ空を切った。と、そこに黒い大鎌が出現した。並べれば、私の胸あたりまできそうな大きさである。どこから取り出したのか、とか何するつもりなんだとか疑問はいくつも出てくるけど、そもそもこの人なんなの、人間なの?
ぐるぐる考えているうちに彼は柄を持ち、刃を私へ向けた。冷たい刃物を突き付けられて短く悲鳴が口からこぼれた。
「いやぁ、久々すぎて戸惑ったが仕事は毎日しているから、手順は心配するな。さ、最期に言いたいことを言うがいい」
なぜか満面の笑みで殺されようとしていますお母さん! 嬉しそうな声と弧を描く口元。さっきまでの愛想のなさはどこいった!
たじたじとできる限り刃から身を遠ざけるべく後ろへ動く。というかどうしてこうなった。震える声で早口に言う。
「やだ、死にたくない。あのえっとなんか勘違いしてません?! その大鎌下ろして! お願いだから、殺さないで」
「……なんだ、娘。私に頼んだわけではないのか。つまらん」
すっと笑みが消え、刃を引かれる。私と男の間で陽光を受け、きらりと輝く大きな刃は鮮明に私を映し出す。……怯えた顔をした私が写っていた。
「して娘。還して欲しいのでなければ帰して欲しいとはどういうことだ。意図して来たわけではないのなら近隣の村へ送ってやる」
男の声に我に返る。いつの間にか鎌は消え、つまらなさそうなそっけない声を取り戻して男は面倒くさそうに提案していた。
「……ここ、どこ……?」
私を見るなり、その娘は小さな声でそう言った。
迷いの森と呼ばれるこの森に入るものはそういない。いたとしても帰れるように目印をつけ、奥まで入らない。なぜならある一定の中まで入ってしまえば名の通り、迷って出られなくなると知っているからに他ならない。
「娘、どうしてこんなところにいる」
迷いの森と知らずに入ってきたのか、放り込まれたのか、はたまた道に迷ったか。
呆然として地面にへたり込んでいるところからして、意図して来たようではなさそうだが。
はて、と口元に手をやる。ここいら近隣の者であれば、迷いの森は怖れの一つであるから近づこうともしない。だからといって遠くの者だとしても、娘の格好は森に入るような準備をしてきたようには、とてもじゃないが見えなかった。
「え、あの私もそれは知りたいです……。ていうか、ここどこですか? あなた誰ですか?」
焦りが見えながらも、先程よりしっかりした声に私はほっとした。あのまま泣かれたりしたらどうしていいかわからないところだった。
「ここは迷いの森だ。どこから来たのか、何しに来たのか知らないが、早めに帰れ娘」
つるり、と言葉が滑った。何もわからずここに放り込まれたらしい娘にかける言葉ではなかった。というか迷いの森のこんな深部にいる人間に、帰った方がなんて言葉事態、間違ってる。
「迷いの、森……? や、あの帰れるものなら私も帰りたいですけど、ドア消えちゃったし」
何やら娘は自分の背後を見やり、困ったように呟いた。『ドア』とは何か知らないが、やはり好きでこのようなところにいるわけではないようだ。
うむ、と頷き、私は座り込んだままの娘に近づいた。
「娘、名は何という」
「……森月、秋羽。あなたは?」
「私はセラ。……驚かないのか?」
私が名乗っても、娘はきょとん、と私を見上げただけだった。おかしい。生きる者であれば必ずといっていいほど、驚き怯え、縋り付くというのに。
「え、と。セラ、さんですね。驚くとは何に? この状況ですか? それならもう十分に驚いたしびっくりしたしぱにくったのであの、帰してください」
早口で言い切った娘は必死な目で私を見ていた。……なにやら勘違いをされているような気がするが、さて。
「うむ。私としては好きに帰ってくれてかまわない。……いや、それとも還して欲しいのか?」
ぽん、と手を叩く。
私としたことが、頼まれることが久々すぎて本職の方の可能性であることに全く気付かなかった。ひょい、と手を振り相棒を取り出す。漆黒のそれは、相変わらず艶やかで冷ややかに手中に収まった。
手首で回し、娘の方へ向けると彼女は怯えた声を出した。
「いや、久々すぎて戸惑ったが仕事は毎日しているから、手順は心配するな。さ、最期に言いたいことを言うがいい」
頼まれたことが嬉しくて、満面の笑みで告げる。最近は恨まれることが多くて嫌気が差していたのだ。たまにはこうあらねば。
「え、やだ。まだ死にたくない! あのえっとなんか勘違いしてません?! その大鎌? 下ろして! お願いだから殺さないで」
じりじりと娘は後退りし始めた。死にたくない、とは。あれ、と黒い大鎌と見つめ合う。私の顔を映した刃はきらり、と陽の光を受けて輝いた。
「なんだ娘、私に頼んだわけではないのか。つまらん」
がっかりして鎌をしまう。せっかく『頼み』だと思ったのに、やはり彼女も私を拒絶するのだ。しかたあるまい、生者は私を嫌うものだ。
「して娘、還すのでなければ帰して欲しいとはどういうことだ。意図してここへ来たわけではないのなら、近隣の村へ送ってやる」
少し投げやりになる。しかたなかろう。私だって気を損ねることだってある。
娘は身構えたまま、私と距離を取り立ち上がった。
「あの、あなたが私をここに呼んだわけじゃないんですね?」
「あたりまえだろう。こんな森の深い所に小娘呼び寄せてどんな益があるというのだ。用があればこちらから出向くわ」
けっと吐き捨てたところで口を噤む。はて。呼んだ、だと?
「娘、誰かに呼ばれてここにいるのか」
迷いの森。別名、死神の住まう場所。
人を狩った後、彼の者が必ず戻る場所といわれており、休息を得ているのだと、まことしやかに囁かれる。少し食料を得ようと一時立ち入るならばいざ知らず、こんな深部でいったい誰が待ち合わせなどしたがるか。
「わかりません。いきなり森の中とか……気づいたときにセラさんがいたので、あの呼ばれたのかな、とか思って。ていうかテンプレって大体そんな感じ、だよね?」
テンプレ? なにやら呟いた娘は困ったように私を見上げた。少なくとも、いきなり別の場所へ移動できる手段など大昔の神殿にしかない。しかも、森の中だと?
「ありえん。ちなみに娘、元の場所へ戻る方法は知らぬのか」
「わかってたら即、帰ってます」
「……であろうな」
帰せを還せだと勘違いしたのは記憶に新しい。ため息を飲み込む。
「住んでいた、村の名を言え。送ってやろう」
「ムラ? いや、千葉県の柏市、出来れば駅に送ってもらえると嬉しいかも」
「チバケン? エキ、だと? どこだそこは」
眉をひそめる。森の気に中てられて頭がおかしくなったか。これ以上気に中てられることのないように結界でも張っておく方がいいかもしれない。
「おぅ……やっぱりここは別世界? いやいや異世界と言うべきなのかな……あの、セラ……さん?」
再び相棒を取り出す。柄を持ち、刃を地面に食い込ませる。がりがりとそのまま引っ張って、娘を囲むように円を描く。
『sia ldein rfa』
白く濁った半透明の半球が娘を覆う。久しぶりにしてはうまくいったのではないだろうか。満足する。
「で、娘。住んでいた村の名を言ってみよ」
「……や、あのここは多分、私の住んでいた世界じゃないですたぶん」
そう言う娘の顔を覗き込む。……娘にとっての嘘は言っていないようだ。しっかりと視線が交わる。
「そうか。だがどうしてそうはっきりと、異なると言える? 私が大仰に騙しているかもしれんだろう」
ぺろりと。ついつい言葉が過ぎる。
たとえ、この世界が娘のいたところではないにせよ、繋がったのだから同じ系統世界に違いはなく、まして言葉が通じるのだ。平行世界のどこかで交わっているのは確実である。問題はそんなところではないのだ。
相棒に体重を乗せる。支えとなったそれは抗議するかのように霧散した。たたらを踏む。代わりにその辺の木に寄りかかる。
「いや、セラさんが私を騙しても意味なさそうだし。あの、私がいた世界にはよくこーゆー小説があるんです。きっかけがあったりなかったりだけど、突然異世界に飛ばされて、活躍する話が。今の私はそれっぽいから、そうなのかな……と思って」
「ショウセツ?」
「えっと……物語? お話?」
この世界が含まれる系統筋はSeliaの第七と言われる系列で、基本的に別世界を知らしめるような管理はしていない。世界に住み、生きているモノすべて、他世界が在ることの絶対的根拠など見つかる術はない。ゆえに。
「なるほど。空想の産物を鵜呑みにするのか」
頭がおかしくなったわけではなく、元から頭は空っぽだったらしい。心配して損した。
「鵜呑み……というか、今の状況にあてはまるのはそれかなって。私自身を落ち着かせるため、あてはめて、少しでもこれから起こることを先読みして頭、まわして対処したいのですよ」
少し強張った娘の声を聞き、根幹に関しては無問題だと判断して考えるのをやめる。
「娘、好きにするといい。……と言えばショウセツとやらではどうなるのだ」
「えっと。……召喚されたわけじゃなくて、でも帰れなくて……だったら生きるために川と食料探して、人のいるところ、村とか町とか見つけて働く、かな」
頼りなさげに言った娘はキョロキョロと周囲を見渡した。さわさわと相変わらず風が木々を揺らす。行く当てのない、他世界の娘。黒に限りなく近い茶色の髪と同色の瞳。不安げな色を宿し、しかし何かを考えているようでめぐるましく表情が変わる。
適当に、その辺の村に放り込めば受け入れてもらえるだろう。娘が望むなら、私が手を差し伸べてもいい。
「娘」
一拍置いて、娘は返事をした。
「……はい」
「ショウセツでは生きる道を選んでいくのだな。娘も、その道を選ぶのか」
大して悩むでもなく、娘は頷いた。
「死にたくはないです。できれば、真っ当に平凡に穏やかに生きたいです」
「そうか」
木から背を離すと乾いた幹がぱらぱらと剥がれ落ちた。娘に近づき、結界に手をつける。
「ならば、私が娘に与えられる選択肢は3つだ。
1、私は去る。この森からひとりで始めるといい。
2、近隣の村へ送り届けよう。そこで世話になるなり好きにしろ。
3、『死神の娘』となれ。私の家に住むといい。
こんなところだな」
うん。いや、案外この人……セラさんはイイ人っぽかった。殺されそうになったくせにね! 現金なやつなのだ、私は。
「あの、死神の娘ってなんですか」
目の前まで来たセラさんは右手だけなんか、パントマイムみたいに何かを触っているような動きを繰り返している。気になる。何もないように見えるけど、何かあるのか。
「ああ、いわゆるニエだ。死神は神だからな、クモツと言い換えてもいい。次の死神を産ませるために遣わされる。ただこれを選ぶと嫌でもこの世界に縛られる。元の世界に帰る方法がわかったり、帰れる瞬間が訪れても帰ることは出来ないだろうな」
ニエ、やらクモツという言葉にセラの右手から目を離す。今、なんと? 死神へ捧げもの?
「う、えっと。いやです。今のところ3つめはなしで」
重たげなフードからのぞく口元が緩く笑む。何を考えてるんだか、まるで見えない。目って人の表情読むのに重要だよね。実感する。
「勧めるなら2だな。この森は呼ばれる名の通り、迷って森から出られないことで有名だ。詳しくない者なら尚更、な。森で暮らしたいというなら止めんが」
じーっと見ていると助言をくれた。私も、森で暮らすのは勘弁です。でも。
「ここに私は出てきたんですよね……戻る時も、ここから、とかそーゆーことはあるんでしょうか」
懸念はそこだ。この森に来て、私はほとんど動いてないからココへ出てきたと分かるけど、一度離れたらココを確定しようとするのは無理だ。しかも迷いの森とかいう安直でド直球な森らしいし。
右も左も同じ景色にしか見えない。田舎暮らしをしてきたわけでもないのだ。二度とここにはたどり着けないかもしれない。
「どうだろうな。それも含めて、自分で考えるといい。少しくらいなら待ってやる。後悔しないようにな」
そろそろ南中しようかという太陽を見上げる。思ったより時間を食ったらしい。隣には物珍しげに辺りを見回す娘がひとり。つられて見渡してみても畑とぽつぽつ建つ民家くらいしか見受けられない。この何もない風景が珍しいのなら、村に放り込む過程もまた、時間を取られそうだ。げんなりする。向かっている村、ナダルは数年前に訪れたことがあった。その時の印象はまだ鮮明だろう。景色もまるで変ったところはない。
村の中心、民家が一塊に集められた区域に近づいたところで、フードを深めに被りなおす。やっかい、というよりも面倒くさい。ちらり、と隣へ目をやるとばっちり視線がぶつかった。さっと目を逸らされる。拾ってしまった責任もある、しっかり村に押し付けてこよう。
「村長に会いに行く」
「……はぁ。あの、ひとついいですか」
返事とも、ため息とも取れる曖昧な言葉を零し、娘はくいっと私の袖口を引っ張った。
「なんで人がいないんですか? お昼だから、にしてはなんか空っぽな感じがしません?」
ちらちらとあちこちに視線を彷徨わる娘。まぁそれも、当然と言えばそうかもしれない。
よく晴れたお昼時に、聞こえるのは畑で青々と茂る作物と草花のささやき。鳥の鳴き声、風の音。森にいた時とたいして変わらん。人っ子一人いない畑道。足音がして振り向けば、走ってくる犬っころ。ワン、と吠えたてられる。音が増えた。
「一応、先駆けをやったからな。一つの村に行くのは数十年、数百年に一度の割合だ。こんな短期間に二度も訪ねるのだ。いったい何用かと用心もするだろう」
死神業も早数千年。こんなことになろうとは。
「……なんていうかすごいんですね、セラさんて」
感心したように言われた。突然、この村に暮らすものが一夜にして消えたかのような風景だ。死神を歓迎するにはふさわしいが、さて。
「どうだかな。行くとするぞ娘」
「らじゃー」
無言で歩く男の隣を、半歩遅れて少女も歩く。二人がその集落へ足を踏み入れた瞬間。待ち構えていたとばかりに鋭い声がかかった。
「今度は何しに来やがった! 二度とその面見せんなっつったろ!?」
怒りを孕んだその声は少女と同い年くらいの、少年のものだった。ざわざわと落ち着きのない、この集落の住民たちであろう人々が窺うように二人を見守る中。飛び出て、今にも掴み掛らんとする少年を取り押さえる者がいる傍ら、年を取った老人が静かに二人の前に姿を現す。
「これはこれは。珍しいこともあるものですなセラ様。これの無礼はお許しください。未だ約束の時間にはほど遠いもので」
緩やかな声でそう言って、その老人は会釈した。深くフードを被った男がそれに頷き、口を歪める。少女はそれを下から見上げ、目を逸らす。
「して、何の御用ですかな? 既に『娘』は差し上げたはずじゃが……もしや不備でも?」
伺うように老人が男に話しかけた途端、取り押さえられた少年が再び声を上げた。
「不備だと?! ざけんな! 勝手に奪っといて」
「ちょ、気持ちはわかるけど静かにしろ」
少年を押さえていた者が慌てたように少年をどこかへ引っ張っていく。
「……話くらい、中では出来んのか」
その様を見て、男がそう呟いた。警戒されているのも、歓迎されていないのもわかってはいるが。男にちらりと視線を向けられた少女は、引っ張られていく少年を唖然とした顔で見送っている。
「なるほど。『娘』がらみではないのですね? ……彼女が、なにか」
老人が初めて気づいたと言わんばかりで少女を見やった。この辺りでは見かけない、黒髪の少女。年は10代後半から20代前半あたり、嫁に行っていてもおかしくない年頃の娘。恰好がいささか、いやかなり奇抜。見たところ、手荒れも日焼けもしておらず、箱入りのお嬢さんといったところか。
一見してざっと欲しい情報を手に入れ、老人は男の回答を待った。男はどこか諦めたような口調で言う。
「この娘を、この村に置いてもらえないか。住まわせるという意味だ」
そのひとことで、ざわりと人々が囁き声を大きくした。老人は目を丸くし、ついで、はてと疑問を口にする。
「『娘』を差し出したことに起因することですかなこれは。……聞いたこともありませんが」
「別件だと言っただろう。何の因果か知らんが私のところに落ちてきた娘だ。残念ながら、先日の件で私は既に『娘』は欲していない。ゆえに娘の意思でここに連れていた。先に言うが、この娘は異なる世界の者だ。『娘』に何の因果も存在はしない」
「……それはそれは。さぞ恐ろしかったでしょう。ようこそ、ディアハーンへ。そしてこの村、ナダルへ」
男の説明を聞いた老人はにっこりと笑みを浮かべ、少女の手を取った。さりげなく、男から引き離すように位置取りをする。
「え、あの。はじ、めまして? えっとあのセラさん、これはどういう……」
引きつった笑みを浮かべ、少女は老人に会釈してすぐさま男を振り返った。
「歓迎されたようで何よりだ、娘。そこで世話になるといい。私は役目を果たした。ではな娘、元気にこの世界を楽しむといい」
サクサク帰ろうとする男に、少女は一瞬固まり、老人の手を振り払って男に飛びついた。
「いやいやいやいあちょっと待ってくださいって。説明してください! 何この妙な雰囲気! セラさんここで何したんですか、さっきの少年大丈夫なんですか?!」
「なんだ、娘。そのようなことはこの村で聞け。一員だろう。私はそこの村長にお前を預けた時点で責はない。それともなんだ、『娘』になるか?」
「いやなんかよくわからないけどそれはやです。さっきの少年の剣幕見てると恐ろしさ倍増したし。セラさんはここの村からニエを頂いたんです?」
ぐいぐいと長い上着をひっつかみ、男を止まらせようとする少女の意志に屈したのか、男はフードを前で引き下げながらもう片手で少女の手を掴んだ。
「そうだ。さっさと手を離せ」
「……『死神の娘』になったら、どうなるんですか」
「私は言わぬのがしきたりだ。知りたくばここの者に聞け。詳しく教えてもらえるだろう」
「……セラさん、死神なんですね」
「……今更なんだ」
「私が死ぬとき、セラさん命刈り取りに来ます?」
男は全く力を緩めず上衣を握る少女に、あきれた声を出した。
「さてな。このまま掴んでいるのであれば、娘。選択肢の3を選んだとみなす」
「うぇ。でも、でもですね。うぇぇ、我ながらちょっとおかしいとは思うんですが、情が移ったと言いますか、セラさんが恋しいです」
「……最初に接触したのがまずかったというのか。問題ないだろう、すぐここにも馴染む。むしろ……」
ふと、男が少女から視線を上げた。老人を素通りし、騒めく人々を通過し、その目は一軒の民家で止まる。その家の煙突から出る煙が白く空に一本の線を描く。
「不穏な空気でお出迎えしてしまった我らにも、非はありますゆえ。大丈夫ですよ。セラ様さえ関わらなければ、穏やかな、平和な村だと自負しています」
老人が口をだし、微笑む。男はその声に老人に目をやり、少女へ移した。僅かに手の力が緩んだのを見て、即その手から上衣を奪取する。
「っあ」
「そんなにも『娘』になりたかったら村長に言え。その時は歓迎してやろう」
皺になった上衣を伸ばしながら、少女へそう言った男は改めて、老人のところへ彼女を押し付けると人々を見渡した。
自然、囁き声はぴたりと止まり、風の音が吹き抜けていく。少女は男のフードからのぞく口元が弧を描いたのを確認したとき。不意に風が強まり、砂を巻き込んで舞い上がる。思わず目を伏せ、口に袖をあてる。
「……行ったか」
近くで聞こえた老人――村長のこえに、彼女はそっと顔を上げた。見上げた空は青く、薄い雲が悠々と浮かぶ。視界の隅で濃い緑が揺れる。騒めく。
背後で。
「だぁぁあ二度とくんじゃねー!! ってあんた大丈夫か変なことされたりしてねーか?! ここなら絶対安全ってわけじゃないけど守るから! オレが生きてる間は絶対もう二度とこの中に入らせねーんだからな!!」
人の手を潜り抜けてきた少年が少女の元へたどり着き、捲し立てるのを周囲の人たちが苦笑しつつ、見守り少女へ声をかけていく。穏やかに緩やかに。村はひとりの少女を加え歩いていく。
* * * * * * *
死神の娘と呼ばれ、憐れみと同情と恐れを多く注がれた娘はふと、顔を上げた。どこかで呼ばれたような、気がして。
「どうかしたか」
小首を傾げていると、背後で聞きなれた声がした。編みかけの毛糸を横へ転がし、振り返る。
「おかえりなさい。遅かったわね」
「おまえの弟に絡まれて遅くなった」
「あら。それじゃ仕方ない。あの子は私が大好きだから、そうそう諦めたりはしないはずよ」
うふふと笑う。呼んでいたのは弟かもしれない。あの子の声はよく通るのだ。
「しすこん、だな」
「しすこん? なにそれ」
「なんでも強い愛情や執着を姉妹に抱くこと、らしい。部下がそんなことを言っていた気がする」
「ふーん。しすこん、ね。変な響き」
転がした毛糸を取ろうと腰を屈めると先に毛糸が拾われた。ぽん、とかごの中へしまってくれる。
「……不備、か」
ぽつんと呟かれ、その視線の先を見る。あるのはわたしの足だ。
「なに、返品したいの?」
「いや。からかわれたんでな。不備に入るのだろうかと考えただけだ」
「で、入ったわけ?」
「いや。それもおまえらしさだろう。むしろおまえの弟のほうが不備だ。あんな付属品聞いていなかったぞ」
「やだわ。くっついてきてないだけ、ましだとお思いなさいませ。さて、ご飯でも食べますかー」
さらりと、促す。
たぶん、弟はきっとわたしを諦めてはいないんだろう。あんなに、唐突に連れ去られるようにして『娘』にされたわたしを見れば、取り戻そうと考えるのは当たり前。どれだけ裏で意思の疎通が図られていても、見えなければそれはないのと同じ。
「そういえば先程、届いていたわよ御手紙が。今度の子は可愛い?」
「……は? もう来やがったというのか」
「口調口調。あ、そっちの棚から白いお皿出して」
大事にされてきた。『娘』にされたことの後悔も、恨みもあるはずがない。あるのはあの子に残してきた、わたしを奪われたと思い続ける死神への恨みつらみ、くらいだろう。
「ところで手紙、なんて書いてあったの?」
「……『干渉者』が一部権限を放棄したことにより、一時制御が効かなくなったことで世界間の不和が発現。それにより今回第七とここの世界が一時的に繋がったと」
「? 『娘』関連じゃないの? なーんだ。そろそろご飯出来るからテーブル拭いて」
手紙を持ってうなだれるその人へ、布巾を放る。
椅子に座っていても扱えるように低く作られた台所で、わたしはぎゅっと目を閉じた。
見えるはずがないけれど、何となくわかる。わたしがここでのんびり暮らすように、あの子もまた、先へ進んでいる。少しだけ、声が遠のいた気がしてわたしは笑んだ。
いつか、わたしのことなど忘れてしまえばいい。そうして誰かと幸せにおなりなさい。
たったひとつの、わたしの心残り。