兄弟 【名無し】
頭に浮かんだ真名を口にすると、眼前の貴族は体を強ばらせながら虚ろな目でオレと宰相閣下を眺めてきた。
「準備が出来ました」
「よく出来ました。では、あなたは不正なお金を財務卿から受け取り、良心の呵責に耐えきれなくなります。
それを宰相たる私に打ち明ける。良いですね、はい」
虚ろな貴族は閣下の言葉をぶつぶつと反復し、そのまま黙り込んだ。
「……もう、終わったと思います」
だが、この貴族はきっと財務卿から不正な金など受け取っていないのだろう。
最近、王立議会での発言が増してきた財務卿を解任するための口実を作るために、こうして『事実』を精神に滑り込ませる。
明日には財務卿はこの貴族の証言によってその立場を追われ、議会が静かになるのだろう。
「さすがですね。この短期間で人心を操る術を使いこなせるとは。シューアハ様の教えが良いのか、それとも天分の才なのか。
どちらにしろ、これで王国の未来も明るいです。はい」
「あの、こんな事をして、本当に――」
「本当に良い事をしているのですよ。はい」
有無を言わせぬ口調にオレは口を閉じた。
真名を読みとり、相手を支配し、濡れ衣を着せる。万物を支配する言葉で政敵を粛清していく。
閣下は方法は違えど、今まで同じような事をして来た、と言っていた。
これがドラゴンも震え上がる王宮の権謀術数。今やその中心にオレが居る事に罪悪感に似た感情が湧き起こっていた。
「では、この方を解放させてあげましょう。念のために真名を覚えておいて下さい。ですが――」
「オレたちとは一切の関わりが無いようその記憶を消す。そうですね」
「よろしい」と作りこまれたような微笑みを向けられ、背筋が震えるような気がした。
この人には、罪悪感のような物が無いのだろうか。
他者の人生を狂わせる事に忌避感はないのだろうか。
そう思いながらもオレはこの貴族の真名を口ずさみ、相手の精神を塗りつぶしていく。
「終わりました」
「では次の予定に取り掛かりましょう。
聞いているとは思いますが、これから現王陛下が弟君と会談されます。あなたもそこに余興として来るよう、現王陛下より命を受けております。
もちろん、来ていただけますね?」
「はい……。ですが、行く前に答えて頂きたい事がございます」
これで良いのか? 確かに奴隷たるオレには拒む権利など無いが、それでも人を意のままに――それも相手の心を無理矢理掌握してしまって、良いのか?
そのような事をしてしまって――。
「考える必要はありません」
「――閣下?」
「物は人の事を考えないでしょう?
騎士の使う剣が騎士の事を気遣いますか? 商人の弾く算盤が商人を励ましますか?
否なのですよ。物が考える必要などありません。疑問を持つ必要はありません。自責の念に駆られる必要も無いのです。はい」
者では無く、奴隷のオレは物だ。物ならば人間を思う必要はない。
だが、物は考えなくて良いと言うのなら――。
「でしたら、宰相閣下はどうなのですか? シューアハ様は閣下の事を――」
「言わなくても分かります。そうですね。確かに私は考えてしまいます。ですが、私が考えるのは人では無く、王国の未来だけです。はい」
だから、人の事を省みないのか。
人の事を考えないから罪を捏造し、王国の益にならないモノを粛清するのか。
シューアハ先生が閣下の事を物と呼ぶ理由がよく分かった。
確かに、閣下のする事は一つの歯車だ。ケプカルトを動かすための、一つの歯車。
故に思考の対象は人間では無く、国なのだ。国を考えるために人を切り離し、国を保つ絡繰りであり続ける。それが宰相閣下なのだ。
「さぁ。行きましょう。茶会に遅れてはなりませんからね。はい」
促されるままに足を運ぶと、そこは城壁に迫り出すようにもうけられた支塔の屋上にもうけられた空中庭園についた。
王都近郊の大水源から吹き寄せられる心地良い風が頬を撫でてくれるが、今はただ寒々しいと感じる。
「茶会の準備は整っているようですね。はい」
支塔の一角とあって荒涼とした庭園だが、その真ん中に一つのテーブルが置かれ、数人の侍女がテキパキと香りの良い茶を準備していた。
オレと閣下は何をするでもなく、ただ一つの造形物のように壁際に立ち、それを観察していると賑やかな声が聞こえてきた。
「来られたようですね」
深々と頭を下げると、ちょうど主賓がお越しになられた。
チラリと相手を盗み見ると(不敬罪かもしれない)、金の髪に自信のこもった赤い瞳の王と、薄青い髪の男がにこやかに現れた。
この方が陛下の弟君にして現ゲオルグティーレ家当主のヴィルヘルム・ゲオルグティーレ様か。
「それで兄上。予は言ってやったのです。『その女はその夜、予と床を共にしていたから犯行は不可能だ』と。
ん? 久しいな、宰相」
「王弟陛下も御健壮の模様。お喜び申し上げます。はい」
「朕の弟は政よりも遊興が好きな男だ。そうそう倒れぬ者に健壮もなにもないと思うのだがな」
「兄上! 中には腹上死と言うものもあるのですよ」
あっけらかんとした物言いに惚けていると、宰相閣下が「王弟陛下はご自由な方なのです」と言ってくれた。
「おいおい。変な事を吹き込まないでくれ。それで、兄上。この者は?」
「新しい奴隷だ。良い拾い物したからな。お前に自慢したかった」
戦場や政務の場では決して出さない破顔した表情を見せる陛下を前に、どうしたら良いのか分からなくなっていると閣下に肩を叩かれた。
「茶会の余興を」
「は、はい」
侍女が運んできた水瓶を受け取ると、短く呪文を唱えて水を支配する。
空中でそれで輪をつくり、回転させ、優美な生き物へとそれを変えた。
最近はこのような基礎ならば目をつぶっても出来る。
「ほー。驚いた」
「そうであろう、そうであろう」
楽しげな言葉にオレの心も少しだけ和らいだ。
良かった。現王陛下はオレの事を余興として手元に置いてもらっている。
これが失敗していたら、オレは処刑されていたろう。
「魔具を使わぬのですか」
「そうなのだ。シューアハが妬いておる」
その言葉に思わず水流が大きく乱れたが、それが地面に落ちる前にそれを一気に天へすくい上げた。
そういう芸だと思ったのか、陛下達は楽しげな会話を続けている。危なかった。
だが、シューアハ先生が妬いてる?
いやいや。ケプカルト一の魔法使いが奴隷のオレに嫉妬? そんなバカな。
「兄上は奴隷がお好きなようで」
「フン。好きにぬかせ。まぁ、女好きなお前からすれば擦れた嗜好だとは思う。
だがお前、アウレーネという娘、どうするつもりだ。
娼婦を召し抱える王族は今までにも居たが――」
「わかっております。アウレーネが火種になりうる事も……。
ですが、堕ろしたくなかったのです。万分の一でも、予の血が流れておらずとも、アウレーネは予の娘なのです」
「……好きにしろ」
「…………。もしや、ダメだったのですか?」
王弟陛下が何を言っているのか分からなかったが、それでも現王陛下はその言葉で顔色を悪くされた。
あの自信に満ちた瞳に影が差す。
「そうだな。何がダメなのやら……。
妃を娶って約二十年。未だ世継ぎはケヒス一人。ケヒスに何かあればと憂えない日はない。
お前の言にのって側室も囲えば良かったのか?」
「兄上……。あの時は出すぎた真似を――。
ですが、ケヒス殿下は病気知らずではありませんか。それに聡明で武術の才もあると巷では噂ですぞ」
力無く陛下が笑うと、オレに手を振った。
それを合図に水を水瓶に仕舞込む。
「お転婆がすぎる。この間、急に城からケヒスが消えてな。どこに行っていたと思う?
あの通路を通って貧民街にまで行っていたのだ」
「それは、それは。兄上もよくそうされていましたね。世話係を騙すために、予に変わり身を命じられたり」
たわいもない話に花が咲き、一頻り談笑すると、突然、ポッカリと空いた穴のような沈黙が沸いた。
その沈黙を破ったのは、現王陛下だった。
「朕の治世はこれで良かったのか、疑問に思う。
ケヒスが王位を継いだとき、良い国を残せるために蛮族を討ってきた。だがそれはいたずらに戦火を広げただけでは無かったのか?」
ケプカルト諸侯国連合王国は東西を亜人が支配する地域を持った国だ。
オレが戦ったクワヴァラード平定戦も、そして西方のガザ攻略戦も全ては東西の驚異を排除するためだ。
どちらの戦も勝利を納めたが、完全な勝利ではない。未だに人間を阻む亜人は多い。
「ケヒスは朕の騎士団を率いたいと言う。だが、朕としてはケヒスを戦場に出しとうない。
ケヒスには戦の無い、太平の世で暮らしてほしいと思っておる」
「子を持つ親として、兄上の理想には共感いたします。
ですが、その戦に駆り出された者は、そう思っていない者もいます。
特に西方守備の要であるノルトランド家は度重なる戦費と戦禍に不満が渦巻いているようです」
西方辺境領と隣接するノルトランド大公国は何度も西方亜人からの攻撃を受け、巨額の戦費に悩まされていると閣下の間諜が言っていた。
それにその間諜が言うにはノルトランド公は陛下の事を良く思っていないと言う。普段であればそのような綻びを閣下は許さないのだろうが、政情不安の西方地域の長を簡単に変える事は出来ない。
それに相手は大公だ。いかな閣下とは言え、簡単に大公を取り換える事など出来ないから処置を保留にしていた(西方辺境領を抱えているため、反旗を翻す余裕が無いだろうが)。
「宰相からノルトランドの事については報告を受けておる。
故にノルトランドには税の軽減、関税の緩和、資金援助……。様々な融和策をとっている。その上でまだ支援が足りないと言うのだ。いっそのこと、奴らを根絶やしにして、ゲオルグティーレ家に西方統治を任せようか」
「ご冗談を。予など、王の器ではございません」
「何を言う。ノルトランド家とゲオルグティーレ家は遠縁では無いか。ノルトランド領の継承権を朕が認めれば、晴れてノルトランド大公になれるぞ?」
「御戯れを……」と顔をしかめなが王弟陛下は茶を口にした。どこか、苦いような顔をしていらっしゃる。
「ところで、西で起こった一揆はどうなったのです?」
「……ケヒスに討伐を任せた。ケヒスを戦場に出したくは無いが、それでも戦場の空気を知らねばならぬと思ってな。
なに、相手はただの農民が百程度だ。ヨスズンもつけてある。すぐに終わるだろう」
「ですが、ケヒス殿下を戦場に送って、良かったのですか?」
「なに、一揆と言っても税の軽減騒ぎは毎年ある。戦と言っても小競り合い程度で、すぐに和議と相成ろう。
ケヒスにはその空気を感じてもらえば良い。後は騎士団が取りまとめるはずだ」
「兄上はケヒス殿下に甘いようで」
そう、話されていると急に「い、けません!」と言う声が聞こえてきた。
侍女も含めて一同が疑問を抱いていると、急に扉が開く。
そこには金の髪に赤い瞳、白銀の鎧に深紅のマントを羽織ったケヒス様が目を爛々に輝かせておられた。
「父上! ただいま、賊の討伐を終え、帰還いたしました!!」
「そうか。大儀であった。報告も良いが、叔父に挨拶をしなさい」
「これは失礼しました。お久しぶりです。ご無礼を承知で申し上げますが、あの、この場で報告を申し上げても?」
王弟陛下が眼中に無いような、それほど興奮冷めやらぬ調子の姫君に陛下達は苦笑を浮かべながらうなずいた。
「賊はおよそ百、父上の貸してくださった近衛騎士団五十でこれを全て討ち取りました」
「……なに?」
「ですから、王国に反旗を翻す輩を殲滅しました。
敵が大橋を渡っている時を見計らって二隊に分かれた騎士達を使って敵を包囲し、地元から接収した藁に油を染み込ませた物を橋の両端に設置して火を放ったのです!
そのため、敵は橋の上で立ち往生。まるで弓の練習のようでした!!」
嬉々として自分の作戦を披露する娘に、現王陛下はそれを黙って聞いていた。
そして「賊の生き残りは?」と小さく絞るように言った。
「生き残り? 居りませんよ。父上に仇名す者を生かしておく利点がございません。
確かに農民が減れば税収は落ちます。ですが、農民はいずれ増えます。一、地方として見れば痛手かもしれませんが、ケプカルト王国として見れば些細ではありませんか。
それよりも父上に叛意を抱く民が減った事で王国はより盤石となると思いました」
「だから全滅させたのか?」
その問いに、ケヒス様は頷く。
そして陛下の固い顔を見てケヒス様は身を固くした。「まずい事をしてしまったのだろうか」と言う疑問がありありと読み取れた。
それでも陛下はそれを見るとただ困ったような顔をされただけだった。
「うむ、左様か。よくやった。下がって良いぞ」
「失礼いたします!」
一礼して去っていくケヒス様の背中を現王陛下は、どこか複雑そうな目で見送っていた。
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