真名 【名無し】
「我が意に従え。水よ」
オレの詠唱に応えるように瓶に入った水が動き出す。
それから周囲にある空気の層に意識を凝らすと、その名前が頭に浮かんできた。
「風よ」
瓶の口から一筋の風が湧き起こり、それに寄り添うように水が溢れ出す。後は頭に浮かんでいる形に水を成形するだけだ。
風は奔流となり、宙に水を浮かせる。水は瞬く間に球形へと姿を変えた。
「凍てつけ『グラキエス』」
水は音をたてながら凍り付いてき、そして完全な氷塊が生まれた。これで水の流れを操る事は考えなくて良い。
「旋風よ」
氷塊を取り巻いていた風が細く、鋭いものへと表情を変えて氷に突き刺さる。
氷片が飛び、少しだけ暑さを誤魔化してくれた。こんなものだろうか。
「シューアハ様……。いえ、シューアハ先生。出来ました」
風から解き放たれた氷塊は風によって擦り切れ、球形から八面体へと姿を変えていた。
「どれ」
現王陛下の下で唯一宮廷魔術師の称号を名乗れるベスウス大公は羊皮紙から顔を上げてテーブルの上にのった氷塊へと視線を向けた。
シューアハ先生はしばらく氷塊を眺められた後、それを摘み上げて矯めつ眇めつしながらそれを観察する。
王都バルジラードはバルトモア湖という大水源のおかげで清涼な風が吹くのだが、この時ばかりは額から流れる汗を止める事は出来ない。
「そうだな――」
「どうでしょうか」
「…………。そうだな。まぁまぁか」
相変わらず辛辣な評価だ。
思わず苦笑を浮かべようとすると「では、何故この物の真名を言い当てた?」と聞かれた。
「それは……。なんとなく、頭に真名が浮かびました」
「それは何故かと聞いている。
良いか。学者とは物事を冷静に判断せねばならない。感情を殺し、理性だけで事物を観察し、考察し、制御するものだ」
己の感情を殺して――。
その言葉で思い至る人を俺は二人――いや、一人と一個を知っている。
とくにヨスズンは黙っていれば分からないだろうが、アイツはまさに人形だ。
いや、荒野に佇む一本の石柱なのかもしれない。
「宰相閣下の事を考えていたな」
「え? いや……」
オレの顔を読んでか、シューアハ先生の口から出た言葉は残念ながら間違っていた。
それが以外だったのか、シューアハ先生は息を漏らすと、氷菓に手をかけ、口の中で短く真名を唱える。
すると氷塊は一気に融解し、生物を思わせる挙動で瓶の中に戻って行った。
「今日はこれまで」
「あ、ありがとうございました。あの、質問をしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ」
どこか、苛立たしげに問われたために、これから質問をする事が躊躇われた。
だが、このまま沈黙でやり過ごせる相手では無い。
「あの、シューアハ先生はどうして魔法の研鑽を?」
「……神の成した御業の真理を知りたいのだ」
神の御業の真理。それを解き明かすため、魔法研究にのめりこんでいる師を見やると、オレを忌々しげに見つめながら言った。
「神の御業を知るための方法として魔法がある。全ての事象には何らかの因果が働く。
それを知る事でこの世界の成り立ちを、いかにして神がこの地を創造されたのかを解き明かしたいのだ。
魔法研究はそれを知るための一側面でしかない」
大公をされる者は途方もない事を考えるのだな、とどこか思った。それをオレが口に出せばきっとすぐにでも殺されるだろう。
「それを知るために感情を廃し、理性だけで事物を観測しなければならない。そうすれば自ずと真理が見えて来るはずだ。
これは魔法研究だけの事では無い。アレを見ていると、そう思える」
「アレ、とは?」
「宰相閣下の事だ」
一国の宰相を『アレ』とは、一体どういう事なのだ?
その疑問を察したかのようにシューアハ先生はオレに背を向けながら言った。
「宰相とはこの国を動かすための一、機関にすぎない。故に宰相とは人では無く、一つの仕組みや部品と例えられる」
「部品……。でも、王国民はそのようには――」
「さすがに国民にはそうは伝わらぬ。これは王宮内の公然の秘密だ」
名無しも知っておいた方が良い――。そう言うとシューアハ先生は宝石が取り付けられた杖をコツコツ言わせながら歩きだした。
「あれ? 先生は杖を変えられたのですか?」
いささか、しつこいと思われるかもしれなかったが、それでも聞いてしまった。
「……。確かに杖は変えた。魔法理論をそらんじてみなさい」
「えと……。万物に宿っている真名で対象を名付けて奇跡を起こす。これが魔法理論です。
そのため魔法使いに求められるのは真名を見つける事と、それを名付ける力が必要ですし、力の無い者は魔法を扱えません」
「そうだ。その力の伝導率は魔具によって変わる」
「それでは、先生はその伝導率の良い杖を探しているのですね」
シューアハ先生はやはり不機嫌そうに「その通りだ」と答えてくれた。
だが、その声に満足感が無いことから、まだ理想の杖を見つけられていないと言う事なのかもしれない。
「お待ちを! 宰相殿! なにとぞお待ちを!!」
突如、王宮の奥から悲鳴にも似た声が響いた。
チラリとシューアハ先生に視線を送ると、先生も眉を潜めていた。
「ですからそのような事実は一切ありません! 我がモルドヴァ公国に叛意など――」
「モルドヴァ公爵、すでに陛下より命は下ったのです。
モルドヴァ公爵領は解体、そして二つの小公国に再編するよう勅令が下ったばかりではありませんか。
その上、本来ならモルドヴァ家のお家取り潰し、爵位の剥奪もありえた事を陛下のご温情で当主の処刑のみでお許しが出たのです。それなのにその処分が不服と申されますか? はい」
「ですから、我がモルドヴァ家は謀反など起こそうとは――」
「では何故、城の建て替えや兵糧を集めているのです?
それにモルドヴァ公の名で大量の傭兵を集めているそうでは――。
おや? これは、これは。シューアハ様。ご機嫌麗しゅう」
回廊を曲がると、その声の主がわざとらしく体を二つに折った。
「宰相閣下に、それにモルドヴァ公。何を騒いでいるかは存じ上げませぬが、急いでおります故、これにて御免」
「ま、待ってくだされ! シューアハ公爵! どうか、どうかお助けを!!」
シューアハ先生はそれに応える事無く、ツカツカと音を立てながら去っていった。
その後を追おうとすると、「ならば」とモルドヴァ公の声が低く響いた。
「これまで王国に身命を賭けて尽くしてきましたが、城の修繕に兵糧の入れ替えをしただけで謀反を疑われ、集めても居ない傭兵を集めたなどと責められるとはもう耐えられません!
王国がモルドヴァを切り捨てるのなら、モルドヴァも王国を捨てましょう! お覚悟!!」
スルリ、とモルドヴァ公が腰に帯びた剣を抜きはなった。
その段になってシューアハ様は顔色を変えられ、宰相閣下はいつもの薄い笑いでそれを見ている。
「モルドヴァ公。王宮内での抜剣は重罪ですよ。はい」
「すでに反逆者としての沙汰が下ったのだ。何を今更――」
モルドヴァ公が素早く剣を降りあげる。シューアハ様がモルドヴァ公を押さえようとするが、それよりもモルドヴァ公の方が早かった。
その剣先にいる宰相閣下は相変わらずで――。
ふと、頭の中に文字列が走った。
「××××!」
その文字列と唱えた瞬間、モルドヴァ公が倒れ込んだ。
その上にシューアハ様が覆い被さり「衛兵を呼べ」と言われた。
「え、衛兵! 衛兵!!」
騒ぎを聞きつけた衛兵にモルドヴァ公を任せると、シューアハ様は信じられないという顔でオレを見ていた。
それより――。
「閣下、お怪我は?」
「大丈夫ですよ。はい。それより、シューアハ様。これは……」
「……人間の真名を言い当てたようです」
人間の真名。
万物には真名があるとシューアハ様はおっしゃっていたが、確かに人間も万物だろう。
そういえばシューアハ先生は風の名や水の名を教えてはくれたが、人間の名前は教えてくれなかったな。
「クワヴァラードの時は偶然の産物だと思っていたが、これは――。
やはり私の理論に間違いは無かった。
と、言うことは――。いや、だがこの力が本物であるなら――」
「シューアハ様。この件は何とぞ、極秘にお願いします。はい」
「陛下にも黙っていろと言うのですか?」
「時が来ればお伝えしましょう。今は、この私にお任せください。はい」
自分の頭上で話が進んでいく事はよくある。
会話とは人間と人間がするもので、奴隷とはされない。
されてもそれは獣に投げられた言葉に等しい。
「……わかりました。ではお任せします」
「心得ました。はい」
一礼して去っていくシューアハ先生の後を追おうとして、腕が捕まれた。
「か、閣下?」
「ちょっとおつき合いください。はい」
言いようのない不安がこみ上げてきたが、オレは奴隷。拒めるはずがなかった。
「それで、どちらに……」
「ちょっと夕食を共にして頂きたいと思いまして。はい」
ニコリと作り物の笑顔でそう言うと、宰相閣下は近くの衛兵に何か、二、三言葉を交えてから歩きだした。
◇ ◇ ◇
連れてこられた先は、貴族街の裏路地に入った先にある高級そうな――それこそオレのような身分の物が入れないような酒場に連れてこられた。
うん、オレがこういう店に入るとはさすがに思わなかったから、かなり動揺している。
どうすれば良いのかさっぱり分からない。
「いらっしゃいませ。閣下と、お連れ様は?」
「気にしないで下さい。はい。それより例の部屋は空いていますか?」
「空いております。どうぞ」
店内に入ると、静かな狭い空間だなと思った。
そう思っていると、閣下はカウンターをくぐり、店の奥に続くであろう扉に手をかけた。
「何をしているのです。こちらですよ。はい」
「は、はい」
閣下に続いて扉をくぐると、階段があった。それを昇ると個室が出迎えてくれた。
「ここは作りが頑丈なので声が階下に響きません。密談にはうってつけなんですよ。はい」
密談……。
王宮の中で話せない事だから、この店に来たのか。
だが、シューアハ先生は閣下の事を『アレ』とは言うが、それでも宰相だ。
わざわざ王宮を離れてまで密談をする事ってなんだ? それもその話し相手は奴隷だ。
一体、なんの話だ?
「シューアハ様との魔法の訓練はどうですか? はい」
「……順調だと思います。シューアハ先生は奴隷のオレによく教えてくれます。
ただ、まだ研鑽が足りないので、評価は辛辣ですが……」
「人間の真名が読めるよう、シューアハ様から習いましたか?」
人間の真名が読めるか?
「そう、疑問に思わなくて良いのです。先ほど、実践して見せたではありませんか。
アレをシューアハ様から教わったのですか?」
「い、いえ」
そもそもアレは、あの文字は人間の真名だったのか。
確かにそれなら合点が行く。
クワヴァラードの時もそうだ。真名を言い当てられたからオレは助かったのだ。
「つかぬ事をお聞きしますが、あなたは現王陛下に忠誠を誓いますか?」
「それは、もちろん。オレを買って下さったお方ですし」
「そういう事ではありません。あなたは現王陛下を裏切りませんか?」
裏切る? 奴隷が主を裏切る?
そんなバカな話があるのだろうか。
「その様子だと、愚問をしてしまったようですね。はい」
「あの、何か……?」
「あなたは人の真名を読みとれる。そうですね」
……。話がマズイ方向に向かって居る気がする。
「その力は、ハッキリと言えば脅威以外の無いものでもありません。はい」
「脅威?」
「例えば、現王陛下の真名を支配する事も――」
「そんなバカな!」
奴隷が主――それも現王陛下に逆らうなどあり得ない。
「今はそうかもしれませんが、その力を利用される可能性も否定できませんよね。はい」
「それじゃ、どうすれば……」
シューアハ様から魔法を習う事をやめるべきだろうか。
だが、それだと魔法が使えるからと陛下の下にいられるのだから、また奴隷商の元に送られるのか?
「今、以上に魔法の研鑽を積んで下さい」
「え? ぇえ!?」
良いのか、それで。
いや、願ってもない事だけど、それで良いの?
「私からシューアハ様の指導の下、人間の真名を読み解いてその人物を操れるようになるまで鍛錬を積んでください。
そしてその日の出来事を事細かに私に報告するように。
そうすれば今まで通りすごして下さって結構です。はい」
そんなので良いのか? そう思っていると、「ですが――」と、張り付けた笑顔を取り払った無表情が言った。
「一切の虚偽の報告を許しはしません。あなたの行いは全て監視させて頂きます。
今後、影がある所には私の目があるように思って下さい。はい」
そのあまりにも動かない表情に胃の腑が冷えた。
本気だ。この人はオレの事を四六時中監視するつもりなのだ。
冗談や比喩では無く、現実にやろうとしいている。
「あの、どうして……」
「全ては王国のためです。はい」
「王国……?」
「そうです。王国の未来のため、現王陛下のためです。
私は宰相としてその未来に立ちはだかるモノを排除するのが勤め。陛下に代わって泥を被るのが勤め。
それが私と言う物です。はい」
宰相閣下が何を言っているのか、分からなかった。
だが、それでもオレの力が宰相閣下に使われる事だけは分かった。
余談ですが、中世とかの科学者は聖職者を兼ねていたりしました。
宗教と科学とは相反するようですが、決して矛盾しません。
当時の聖職者は天地創造を行った神の神秘を解き明かす・神秘を再現するために様々な実験に取り組んだそうです。(布施とかで資金的に余裕があったからかもしれませんが)
シューアハはそんな科学者をモチーフにしています。
シューアハにとって魔法の研究は神の御技を知るための一つの方法にすぎません、的な設定があったら良いですよね、(厨二並みの後書き)
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




