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銃火のオシナー  作者: べりや
第二章 タウキナ動乱
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湯煙

「痛い! いたああああッ!!」



 ユッタの悲鳴に内心驚きながらお茶に口をつける。会食の時とは違う甘みのある香りがほのかに香るお茶だ。

 会食の後アウレーネ様がケヒス姫様の部屋を訪ねてき時に供として魔法使いを連れてきてユッタを治療してくれるという。会食の話しは嘘ではなかったようだ。

 その魔法使いは白い清潔そうなローブを着た神父のような方だった。どうみても魔法使いに見えない。

 いや、本職の魔法使いを見るのはこれが初めてなのだが前世のイメージとかけ離れていて面食らった。



「魔法使いも様々だ」



 とはケヒス姫様の言葉だ。



「白い装束を着ておるところを見るに、医術師と魔法使いを兼業しておるのだろう」

「なるほど」



 タウキナに来てから『なるほど』としか相槌が打てない。東方辺境領から出たのも初めての田舎者をアピールするようなものだが絢爛な城も魔法使いも始めて見るのだから許して欲しい。

 それにしても確かに清潔意識が必要な医術師が黒い服を着ているのも縁起が悪そうだ。

 だが先ほどから聞こえてくるユッタの悲鳴はなんなのだろうか。本当に治っているのか?



「ぁあッ! ダメ! ダメですッ! 折れるぅッ!!」

「もう折れてるんだからじっとしてッ!!」



 なんとも不穏な会話だが、よくよく考えれば三ヶ月くらいで治る骨折を瞬間的に治しているのだからそりゃ痛いのだろう。

 過激な成長痛といったところか?



「もう少しお手柔らかに出来たら……」

「かまわん。亜人が苦しもうが余には関係ない。むしろ清々する」



 アウレーネ様の心配そうな一言をバッサリとケヒス姫様が切り捨てた。台詞が悪役じみているとかではなく、すでに悪意を感じる。

 そりゃ、『亜人』はケヒス姫様にとって許しがたき敵でああるのだろうがユッタ個人は関係無かろうに。

 器が大きいのか小さいのか。



「あああッ!! あ!? あれ? 痛くない?」

「終わりましたよ」



 額に汗した魔法使いがまさに一仕事終えた満足そうな微笑をしていた。

 ユッタは「腕が軽くなりました」と驚きの声を上げている。



「彼は優秀な魔法使いです。オシナー殿もいかがですか?」



 慈愛に満ちたアウレーネ様の申し出をやんわりと断る。この傷はあの橋で出来た傷だ。

 それもユッタが俺を守ってくれたから出来たのだ。そして、ユッタを失いそうになる悲しみを知った日に出来たのだ。

 だから魔法などで簡単に消してしまって良い傷ではない。


 それにユッタの悲鳴を聞いていると魔法による治癒は遠慮したくなる。べ、別に治療に臆したわけではない。断じてない。



「それでは行きますか」

「どこにだ?」

「せっかくお姉さまがシブイヤまで来てくださったのです。お忍びで出かけましょう」

「フン。莫迦を申すな。王族が勝手に城を抜け出すだと? たわけた事を……」



 ケヒス姫様が言えた義理では無いだろうに。



「黙れオシナー」

「は、ハイッ」



 心の中で思っただけなのに鋭すぎるぞ。



「失礼してもよろしいでしょうか?」



 扉の外からアーニル様の声が聞こえた。ユッタがその扉を開けに行く。



「アウレーネ様。お支度が整いました」

「ありがとうアーニル。さぁお姉さま。行きましょう」



 アウレーネ様はケヒス姫様の腕を取って無理やり立たせる。



「タウキナ名物の温泉に参りましょう」

「お、温泉……!」

「落ち着けヨスズン。余は行か――」

「姫様! ここで引いては非礼にあたります」

「もっともな事を言って遊ぼうとするな」

「しかしですな――」

「ええい! ならばヨスズンには暇を出す。好きにせよ」

「お姉さまも行きましょう」



 ケヒス姫様にまとわりつこうとするアウレーネ様を本人は虫を払うようにしているがあまり意味がなさそうだ。



「馬車の準備も出来ましたが……」

「えぇい。わかった。行けば良いのであろう。ん? オシナー何を驚いておる」

「い、いえ……」



 口が裂けても言えるか。冷血姫がデレたと言えば首が跳ぶ。

 今日は血の雨でも降るかもしれないな……。



   ◇ ◇ ◇



 ユッタが喧伝していただけあってタウキナの温泉は目を見張る規模だった。広大な浴場に思わず感嘆してしまう。

 規則正しく並べられたタイルが湯で濡れて美しく輝いている。



「噂にたがわぬ温泉だな」

「そ、そうですね……」



 だが何故この広い浴場に俺とヨスズンさんしか居ないんだ? 昼間とはいえ一人くらい入っていても良いだろうに。

 男二人で入浴とか何の拷問だよ。


「王族が来たのだ。人払いもするだろうし、それに気づかれないように護衛もつく。この宿にも何人か入っているだろう」



 それもそうだ。王族がトラブルに巻き込まれてしまえば――過剰かもしれないが刺客に害されてしまえば衛兵も温泉宿も面目がつぶれる。

 いや、首を斬られる。

 だから人払いもするし、こっそり護衛もつくのか。確かに迷惑甚だしい。

 ただそれ故にケヒス姫様が外出を渋ったとは思えないが。



「それに王族が街に出ることは関心せんしな」



 「トラブルを抱えて帰ってくることがあるからな」と棘のある言葉だ。

 もしかして俺とケヒス姫様がお忍びで出た日の事を言っているのだろうか。



「さて。せっかく来たのだ。ゆっくり堪能しよう」

「そうですね」



 外交交渉で根をつめていたヨスズンさんはもちろんだろうが、俺も反乱鎮圧のために各地に出向いていたからゆっくり垢を落としたい。



「あ、ヨスズンさんお背中流しますよ」

「それは助かる」



 しかしヨスズンさんと二人気になると何故か気まずい。そもそも会話が続かない。

 もう、何を話して良いのか分からなくなってくる。てか、どうしてそんなにてんぱっているんだ。相手は男だぞ。悲しくなる。



「す、凄い筋肉ですね」

「鍛えているからな」



 いくら話題がないとは言え俺は男の背中を洗いながら何を聞いているんだ。死にたい。



「戦慣れしたようだな」

「戦慣れ?」

「見ない間にそういう雰囲気が出てきた」



 ヨスズンさんに言われるでもなく、俺は戦争になれつつあると言う事は気がついていた。

 ケンタウロスとの戦の時も余裕を持って戦闘できた自信がある。そしてケンタウロスを率いていたカーリッシュを処刑した時も大した感慨は浮かなかった。


 俺はやはり人を殺す事に慣れて来た。


 嫌悪感もなく、ただ作業として――農夫が麦を刈るように。工商が鉄を打つように作業として俺は人を殺せるようになっている。

 そんな己に嫌悪する。だがそれは殺人を嫌悪できないから代わりに己を嫌悪しているにすぎないのではないのか?

 嫌悪感は無い。だがそれを許容できない俺が居る。俺は――。


 どうすれば良いのだ?



「殺し慣れてくると、そうなるものだ。いつからか、なんの抵抗もなく相手を殺せるようになる自分を嫌悪する。だから割り切らなければならない」



 ヨスズンさんの鍛え上げられたその身体は一体、何人の人を殺してきたのだろうか。一体、人を殺すことに抵抗を感じなくなったのはいつなのだろうか。

 一体、どうやって割り切っているのだろうか。



「割り切り方は二つだ。考えるのを辞めることだ。これが一番楽だろう。それが出来ないのなら――」

「出来ないのなら?」



 ヨスズンさんは自分で身体を流して立ち上がった。



「考えるしかあるまい」



 ヨスズンさんはそのまま露天風呂のほうに歩み寄る。俺も軽く身体を洗ってその後に続いた。



「おぉ……」



 壁で囲まれたそのスペースには箱庭のように植木や置石がある。前世の温泉そのままだ。



「タウキナには火山が多いからな。それに冶金屋が多いから汚れた身体を清めるためにこういった温泉に需要があるそうだ。東方辺境領でもレギオー山脈の近くに温泉があると聞いた事があるが、こうも整備されているとは思えないな」

「なるほど」



 温泉に入りたいと言っていただけあってヨスズンさんも中々詳しい。女風呂だとユッタあたりが熱弁をふるっているのかもしれない。

 俺もその湯に入る。

 露天であるからと油断していたがそれなりに湯温が高くて肌を心地よく刺激してくれて気持ちが良い。それに温泉とあって風呂にはられた水もただの水では無い気がする。すべすべとした感じとてでも言うのだろうか。



「ゴクラクだな……」



 思わずタオルを頭の上に置いて伸びをする。心地いい風が吹いてくるのがたまらない。



「どうして頭にタオルを載せているんだ?」

「え? あ、そう言えば……」



 どうして俺は折りたたんだタオルなんかを頭に載せているんだ? そうか。前世で載せていたような、いなかったような気がする。それに『ゴクラク』ってなんだよ。

 だがそれを言わなきゃ温泉に入った気がしない。いや、言わなくても良いのだが……。

 せっかくの温泉だが少し気持ち悪くなってきた。



「さっきの話しだが……」

「……はい」

「私も昔は色々悩んだ」



 ヨスズンさんが悩んでいた? 生まれながらにして武人のようなヨスズンさんも悩むのか。



「実は私は奴隷だった。故に姓がない」



 ヨスズンさんは本来なら籠手に覆われている左腕を掲げてくれた。そこには刺青で数字が書かれている。

 今までヨスズンさんに名前を名乗ってもらっていなかったから知らないだけだと思っていたが、奴隷という血統を現す姓が奪われた存在なら名乗る姓もない。



「奴隷を管理するための数字だ。モニカにもついたいたろう」



 ユッタも元は奴隷。それに腕に刺青を彫られたと言っていた気がする。



「剣闘士にさせられて、無理やり人殺しをやらされていた。生き残るためだ。後悔はしてない。それをある日、拾われたのだ」

「ケヒス姫様にですか?」

「いや、前王クワバトラ様にだ。おそらく余興のつもりだったのだろう。それから騎士団に加わって各地を転戦した。悪逆非道も尽くした。西方ではいまだに私の事を恨んでいる連中がいるだろう。主が変わってもそうだ。斬れと言われた者を斬りながら生きてきた」



 それ以外にも外交や作法に勉学もやってきたがな、と言い訳のように言った。

 ケヒス姫様が悪逆の限りをつくすのはわかるが、ヨスズンさんもソレをしていたのか。なんだか嘘をつかれているような気さえしてくる。



「本当だ。『会話術』の基本はその時身に着けた」

「そ、そうなんですか……」

「そしてクワバトラ様が死去された後には王宮で厄介者扱いだ。悪鬼羅刹を王城において置く理由も無いしな。それで姫様に連れられて各地を再び転戦した。そしてクワヴァラード掃討戦だ。名目はなんだったか。確か、前王様の開かれた都に跋扈する不貞の輩を放逐しろ。だったかな。それで姫様率いる騎士団が投入された。亜人共は頑強な抵抗をした。奴らの胆力は凄まじいし、クワヴァラード事態が建設当初の整備された街から亜人の入植者による増設で迷路のようになっていたから建物を一軒一軒奪う戦闘になった」



 建物と建物を奪う壮絶な市街戦によって二万の騎士団が二千になってしまったのか。

 そして『亜人』達と大きな溝を作ってしまった。決して埋まることの無いような溝を。

 ケヒス姫様がいくら亜人政策を変えられてもその心にある憎しみを消したわけではないのだろう。

 それを燃やしながらケヒス姫様は亜人政策を変えてくださったのか。



「大勢の仲間も死んだが、大勢の亜人も死んだ。無抵抗だと思っていた亜人の女に部下が噛み殺された時に思った。亜人共は女子供含めて我々を殺しに来ていると。

 故にお前の育ての親が言っていた虐殺が起きた。亜人の誰が敵で見方かなんて区別がつかないから皆殺しだ。

 ある時、私はドワーフに殺されかけた。馬乗りになられて、彼の手には短刀が握られていた。

 だが、彼は私を殺せなかった。人を殺す事に脅えていたんだ。まぁ躊躇ってくれたおかげで殺し返したがな。

 その時に気がついた。いや、やっと気がついたと言うべきか。私はどうして人を殺す事に脅えていないのだ? とな」




 勝ち続けてきた私には負けた事によって知った。他者は人を殺す時に脅えを感じるのかと。




「異常だと思ったし、狂っていると思った。何故、罪悪感を感じないのか言い訳が欲しくなった。だが未だにそれを見つけることはできない」

「言い訳だなんて……」

「言い訳だよ。人を殺す事に正当な道理などない。あるのは自分を納得させる言い訳だけさ。人はそれを時に大義と言うのだがな」

「ヨスズンさんはその言い訳をずっと考えておられるんですか?」

「そうだな。姫様のお傍でずっと考えている。さて。面白くない話をして悪かったな。私は別の風呂に入ろう。ゆっくりしていけ」



 ヨスズンさんがゆっくりと去ってゆく。


 俺はどうなのだろうか。考えると言う事は殺した事を忘れないということだ。考えるのを辞めてしまえばソレを忘れて生きることもできよう。

 どちらが楽かは一目でわかる。



「考え続ける、か……」



 忘れてはいけないだろう。それは敵も見方も問わず。ヨスズンさんの言ういいわけを考え続けなければならない。

 その犠牲があるから今があると思えるように自分が納得できる言い訳を考えよう。



「空が青いな」



 壁のおかげで四角く切り取られた空は澄んでいてまぶしい。なんだか、一人悩むのも莫迦らしい。

 今日くらいはゆっくりさせてもらおう。それくらい許して欲しい。



   ◇ ◇ ◇



 露天風呂に使ってのんびりしていると壁の向こうから声が聞こえてきた。

 そうか。向こうは女風呂なのか。板一枚で区切られているとか覗いてくれと言っているようなものだ。

 音を立てないようにその壁までよって隙間がないか丹念に調べるが作りがしっかりしているせいでそんな物は無かった。


 ……言い訳のようだが覗いてくれと壁が言っているのだから覗くしかないだろ。

 しかし、前世にくらべて技術力で大いに劣っている世界のはずなのに壁には隙間がないとはとんだ世界だ。



「この豚共が……」



 その悪態に心臓が止まりそうになった。

 ケヒス姫様だ。音を立てないように逃げよう。



「そこまでカッカしないでください殿下。胸くらい個人差という物があります」



 ユッタさん!?


 いくら冷血姫と恨んでいようがその物言いは――ッ!?

 いや、ケヒス姫様の胸板が薄いのは知ってはいるが――ッ。

 それより早く逃げよう。嫌な予感しかしない。



「亜人め。それは遠まわしに殺してくれと言っているのだな」

「お姉さま。お風呂場では裸の付き合い。王族も庶民も、人間も亜人も関係ありませんよ。落ち着いてください」



 タユン。


 という音がその後につきそうなお湯のあふれる音がした。


 いや、身体全体が湯につかれば湯もあふれるだろう。だが湯を押しのけるのにあの胸が少なからず力を発揮しているに違いない。

 ドレスを着ていたと言っても今は夏。着膨れするようないでたちではなかったし、つまりあの豊満なサイズは見た目と同じくらいあっても不思議じゃない。


 生唾を、飲み込む。


 もう少し露天風呂に浸かっていよう。そう。俺は露天風呂を堪能しているに過ぎない。



「強者の……余裕か……?」



 搾り出すようなケヒス姫様の呪詛に一気に萎えた。いや恐怖を感じる。


 やっぱり逃げよう。



「アウレーネ様。足元にお気をつけください。ここから深くなっております」

「アーニルは心配性よ。これくらい平気ですよ」

「ですが……。あの、三王姫殿下? 私の胸になにか……」

「いや、なんでも無い。なんでも、無い」

「殿下落ち着いてください」

「亜人は黙っておれッ!!」

「アーニル。悪いんだけど今日も肩をもんでくれる? 肩こりが――」



 小声ではあったが「う、浮いている!」とユッタの声が聞こえた。

 そうか。人の胸とは浮くものなのか。ほうほう。


 湯冷めしないようにもう少し漬かっていよう。



「このッ――! 豚のように肥えおって――ッ!」



 すでに人間が発するような声ではない。冷血姫とか散々言われているが、もっと酷い悪魔のような異名がケヒス姫様には必要だ。


 やっぱり出よう。心臓に悪い。



「ぶ、豚って……人をそのような目で見ないで下さい!」



 嗜虐心をくすぐられるアウレーニ様の一言に、グッとくるものがある。

 相手が王族であると理解はしているが、前世の記憶に王族を敬う気持ちがないためにそんなイケナイ考えが起こってしまう。全ては前世が悪い。前世でも王様方を敬っていれば今の気持ちはわかなかったろうに。不運だな。


 百数えてから出よう。



 …………。



 いや、俺を止める人が居ないから散々変な妄想を抱いてしまったが、一人でそんな妄想をしても案外つまらないのだな。

 前世の学生の時には仲間と女湯を覗こうと妄想を膨らましていたが、独りになってそれをしてもちっとも面白みが無い。


 人は一人では生きてはいけないとは上手い事を言っている。


 あれ? 風呂に入っているだけで悟りが開けそう。てか悲しくなってくる。一人で妄想垂れ流してニヤニヤしてるなんて死にたくなるほど悲しいぞ。


 そろそろ別の風呂に移動するか。


 頭に載せていたタオルを手に取ろうとしたとき、女風呂から騒がしい音がしてきた。

 またケヒス姫様が暴れているのか。今度こそ逃げよう。



「何奴だッ!!」

「――ッ!?」



 ケヒス姫様の一喝はさっきまでの戯れと違って殺気がこもっていた。

 それから剣を鞘から引き抜くような鋭い音が聞こえる。



「出会えッ!!」



 刺客が出たのか? どうして? 本当にか? という疑問はある。だがケヒス姫様の叫び声には騙そうとしている感じはない。



「ヨスズンさんッ!! 敵襲ッ! 敵襲ッ!!」



 叫びながら壁を壊してヨスズンさんたちが通れる道を作るために肩をタオルでまいて壁に体当たりする。無駄に頑丈だな。クソ。



「ヨスズンさん!!」



 もう一度叫んで壁にぶつかる。壁を固定している支柱がゆがんだ。もう少し。



「オシナーか!? 得物をよこせ!!」

「そんなもの有りませんよッ!!」



 水の抵抗があるせいか上手く力を壁に伝達できない気がする。だがこれ以外に方法は無い。



「殿下!! お下がりくださいッ!」

「亜人に守られる余ではない」



 あーもー。こんな時にも意地を張らないで欲しい。



「アーニル!!」

「分かっております!!」



 徒手空拳で戦うつもりなのだろうか。相手が得物を持っている可能性を考えると時間がない。



「えーい!! 壊れろ!!」



 渾身の体当たりでやっと壁が倒れた。俺の体当たりと自重で壁が派手に倒れる。

 「ぐあッ」という悲鳴とともに壁が露天風呂に着水して津波よろしくお湯が流れ出した。

 刺客は一、二……四人か!? 全員、町人のようないでたちに顔を頭巾で覆っていて表情の判別が出来ない。



「よくやった。褒めて遣わす」



 どうやら壁が倒れたのに一人巻き込まれたようだ。壁の下でもがいている。



「そのタオルをよこせ」



 反射的にタオルをケヒス姫様に投げ渡す。そして俺は壁の下でもがいている刺客の後頭部を蹴り飛ばして黙らせた。



「凍てつけ『グラキエス』」



 ケヒス姫様のささやきのような声と共に俺の投げたタオルが凍って一本の棒になった。


 凍った!? え? 嘘だろ? 氷室じゃないんだ。ん? そうか。


 そうか。アレが魔法の一種なのか。貴族様は魔法が使えると親方が言っていたから王族のケヒス姫様もそりゃ使えるのだろう。

 ケヒス姫様はその氷のタオルで手近な刺客に斬り込んで行く。



「姫様!!」



 脱衣所のほうから剣を握ったヨスズンさんと護衛役の兵士たちが走ってきた。


 その声で刺客の一人の気がそれた。


 アーニル様はその隙に刺客の下に滑り込み、その足を力強く踏んだ。刺客は反射的に視線を足元に落としてしまってアーニル様が頭を抱えるように左腕を回したことに気がついていない。

 そのまま伸びた左手が刺客の鼻を掴んでコマを回すように引っ張ると刺客が後に倒れだした。その喉元に手刀が直撃して体勢を立て直す前に刺客が地面に崩れ落ちる。止めとばかりに顔面を足が踏み潰した。


 なんて美しい肉体の動きだ。


 美しすぎてエロいとも思えない。引き締まった肢体に割れた腹筋がまぶしい。芸術家でなくても裸体の彫像を作りたくなるような創作意欲を駆り立てる身体――。



「オシナーさん!! 呆けないでくださいッ!」



 アウレーニ様を守るように立ちはだかるユッタの言葉で俺に向かって一人の刺客が詰め寄るのに気がついた。


 気がついた。


 そう、気がついただけだ。


 一気につめられた間合いに一閃。短剣が俺に振り落とされる。

 思わず後に下がろうとして足が滑った。比喩ではなく文字通り間一髪で目の前を短剣が滑った。派手な水しぶきと共にタイルにしたたか頭を打ったが伸びている場合ではない。

 刺客の足が俺の腹部を踏んで身動きが取れなくなった。刺される!?


 と思ったが、水面に雨のように赤い水が落ちてきた。いや雨じゃない。すぐにドッと血の塊が水面に流れ、それからザブンと刺客が倒れてきた。

 それを押しのけて浮上するとヨスズンさんが女風呂に飛び込むところだった。再び間一髪。助かった。


 ヨスズンさんが加勢したことで形成は確定的となったが、護衛に囲まれたこの温泉に刺客はどこから入ったのだ?

 この温泉は護衛の人たちに守られていたのではないのか?

 いや、それより、俺は今日という日を忘れない。刺客のおかげで良いものが見れたのだから。



   ◆ ◆ ◆



 どうぞ。入ってください。おやおや。これはこれは。


 どうなさいました?


 あぁ。失敗したのですね。あのヨスズンという男はやはり厄介ですね。

 ではこのタウキナという公爵領は約束、いや契約通り現王であらせられるゲオルグティーレ様の直轄領に――。


 ん? もう一度チャンスを? 甘いですね。すでに失敗は許されないと――。

 仕方ありませんね。そこまで言うのでしたら良いでしょう。私も人の子。あの冷血姫とは違っていますからね。もう一度チャンスをあげても良いですよ。


 その代わり――。


 はいはい。分かっておりますよ。手は出しません。私は自分の手が汚れるのが一番気に食わないのですから。

 え? 汚い? 宰相とは国王を影から支える存在。故に汚いこともやります。これが仕事ですから。


 はい。


 では今度こそ頼みますよ。

 貴方にかけられた呪いは強力です。そんじょそこらの魔法使いでは解けませんし、解こうとすれば呪いが発動してあなたは自身の呪いで自害することになります。


 そう怖い顔をしないで下さい。


 貴女にかけた服従の呪いはルールさえ守っていればなんとも無い魔法です。

 そう。私を裏切るようなことが無ければと注釈が付きますがね。

 いや、それでも私を裏切るような莫迦はいるんですよ。己の矜持という奴ですか?

 まぁ私と服従の呪いを結びたがる莫迦もいますが。


 え? やむなく?


 それは最低の言い訳ですね。呪いを結ぶ前に言ったはずです。


 『最善を尽くしたのですか?』と。


 何かが出来たでしょう?


 黄金のように貴重な時間を貴女は持っていたはずです。


 その努力を怠ったために私の呪い受け、代わりに金貨を受け取った。そうでしょ?

 つまり我々は契約をしたのです。強制ではなく契約ですから貴女はそれを拒めたはずです。

 お互いが同意していないのに結ばれる契約なんて無いんですから。

 貴女は自身の魂を私に縛られることに同意して金貨をもらったはずです。

 なのにそれを棚にあげて――。


 口が過ぎました。己がおろかだと言う事はご自分がよくご存知ですよね。言うならば身から出た錆。

 知ってますよ。亜人支援ですか? 富めない者に手を差し出す。いや。善良すぎてまぶしいくらいです。


 私なんかまぶしすぎて融けてしまいますよ。まあ、まぶしいくらいでは融けませんが。

 ですからそんなゴミを見るような目で見ないで下さい。

 悪気はありません。立派な行いだと褒めているのです。上辺だけは。


 上辺も褒めてない? バレましたか。


 ああ。落ちついて。私は生まれながらに口が悪いのです。呼吸をするように悪態をついてしまう、悪癖なんです。


 はい。


 耳が痛いです。現王様にもよく言われます。王族にもこの口は黙れないのです。


 はい。


 ですが、己の行いで身を滅ぼそうとした人間を愚か者と言わずになんと言うのでしょうか? その上で私からお金を借りて対価としてその身を差し出す。

 愚かしいですね。私でしたら即刻、亜人支援を辞めます。

 助けるのは美学ですが、美学だけでは国は回りません。それでも回したいのなら、悪魔と契約するしかありません。


 タウキナは東方辺境領と隣り合わせのいわば前線。故にタウキナ人に東方辺境姫を監視していただくのは理に適います。

 貴女は私に服従して東方を見張り、私の金貨で亜人を救う――偽善を行う。

 持ちつ持たれつ。呪いのことは忘れてお互い自分の仕事に励みましょう。

 しかし、己の仕事が出来ない人間と持ちつ持たれつの関係は築けません。


 お分かりですね。


 それでは頑張ってください。



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