撤退準備
「道をあけろ! 負傷者を教会へ! 急げ!」
簡易な布と木の枝だけで出来た担架が前線とナザレ中心の教会を往復していく様を見ていると、どうも歯がゆくて仕方がない。
「敵の砲撃は塹壕線の中部、北部に集中。敵はこの方面を攻撃正面ととらえて――って、連隊長?」
「ん? あぁ、すまない。で、敵の攻勢は?」
俺に報告をしてくれていた人間の中尉が溜息をついた。
「大丈夫ですか? スピノラ隊長なんでこんな人を――」
最後の言葉尻まではわからなかったが、それでも察しはついた。こんな所で呆けている暇など無いのだ。
「敵の攻撃正面は?」
「ナザレ大橋より北という感じです。敵の砲撃はドラゴンの襲撃により沈静化しましたが、それまでに敵の渡河を許してしまいました。ですが、野戦築城のおかげで敵の侵攻が止まりましたし、敵の砲火が無くなってこちらの砲兵が支援出来るようになると形成が逆転しました」
話を聞くと、渡河してきた部隊はこちらの砲撃とモニカ支隊による狙撃で目ぼしい指揮官が戦死し、孤立化。
土塁手前で右往左往していた兵には擲弾や銃撃、白兵戦でこれを殲滅したらしい。
「冬の間、騎士殿から稽古してもらって良かったです。我武者羅に白兵戦をしていたら勝てていたかどうか……。最低限でも訓練を積んでいて助かりました」
「俺から騎士団に礼を伝えよう。他は何かあるか?」
「そうですねぇ……。あ、そうだ。敵の長弓が厄介です」
敵の弓兵が使用する弓は二メートルを超える大弓だ。その射程は螺旋式小銃を上回り、五百メートル弱から撃ちこまれる。
ナザレで村民に貸し出しを許可していた狩猟用の短弓とは比べものにもならない射程と威力を誇り、初期のエルファイエル侵攻においては軽々と騎士の鎧を食い破ったと言う。
「ぶどう弾の射程内にいるか?」
「最初は居たんで、ぶどう弾による制圧射撃を加えたんです。そうしたら奴ら、隊列を散会させて……」
長弓の射程はだいたい五百メートルと言われているが、その距離から必中させる射手はそう居ないだろう(と、思いたい)。
故に命中率を底上げする必要が出てくる。つまり点で相手を狙撃するのではなく、面で敵を征圧する戦術が用いられるはずだ。この点では無く、面を征圧するというのは連隊の使用する小銃とドクトリンが似ている。
だからその密集した陣形にぶどう弾を叩き込む事で損害を増やそうとしたのだが、敵も愚かではないという事か。
「でも、密集陣形は解かれたのなら被害は減るはず……」
「それが敵さん、中々の腕前で」
そうか、相手はあのエルフだった。それなら人間基準で考えても仕方がない。奴らは五百メートルの彼方からこちらを狙撃する力があると考えるべきだ。
しかし、困ったぞ。
散らばった相手を狙い撃つのは難しい。相対的に敵への損害が減ってしまう。
「まぁ、連隊長がこさえてくれた塹壕線のおかげで被害はそれほどじゃありません。兵達も、皆志願して残っただけあって士気が高いです。
ただ、先ほども言いましたが敵の正面に立った塹壕北部の部隊は損害が大きいです。すでに全滅した中隊もあるとか」
「分かった。ユッタに予備兵力を投入するよう伝えろ」
「了解しました!」
敬礼をして去っていく中尉を見送ると、軍服の裾を誰かに掴まれた。
そこに視線を向けると、担架に乗せられたエルフが泣きながら「連隊長殿……」と言った。
「連隊長殿、自分の、自分の遅滞作戦はここで、終わりなのでしょうか? まだ皆が戦っていると言うのに……! 自分は――!」
「おい、連隊長殿から手を放せ――」
「いや、良い」
そのエルフは太ももに矢を受け、そこから黒いズボンを赤く濡らす液体が溢れていた。
「大丈夫だ。心配する事は無い。今は休んでくれ」
「しかし! しかし、まだ皆が残っているのに、残っているのに……!」
虚ろな目でつぶやかれる言葉にどれほどの意識が残っているのか、俺には判断出来なかった。
だが、それでも彼に詭弁のような言葉を吐いた自分を呪いたかった。
あの血まみれの兵を生んでしまったのは俺なのに、俺はこうして敵弾の届かないこの場に居る。
その事が、心の奥底を抉った。
「出血で意識が朦朧としているようで」
「早く止血を。それと後送の準備に取り掛かるように」
その痛みをかき消すように俺は命令を下した。
今はその痛みに構っている暇は無い。
この地を守る期日は三日。もう二日目の昼になろうとしているから、そろそろ撤退へ向けて動かなくてはいけない。
特に自力で行動できない負傷兵は優先して後送する必要がある。ここいらが潮時だろう。
俺は司令部に戻ると、そこには騎士団幹部に混じってケヒス姫様が静かに地図を見ていた。
「失礼します! ケヒス姫様。負傷者の後送する許可を頂きたいのですが」
「良かろう。騎士団も負傷者の後送に取り掛かれ」
幹部の一人が立ち上がり、一礼して去って行った。
「他の地区の戦闘は?」
「周辺に浸透してきた部隊との戦闘はひと段落した」
地図上の駒に視線を向けると、騎兵の駒がナザレに集結しているのが分かった。俺はナザレの防衛線の指揮にあたっていたから今一つ状況が呑み込めないでいた。
「こちらの損害は?」
「バアル、言え」
顎で指さすようにバアル様の名を呼ぶ。
そこに視線を移すと、泥で汚れた彼が「御意に」と立ち上がった。
「昨日の戦闘は東方辺境騎士団の半数である三百騎と連隊の騎兵中隊およそ百の混成部隊が浸透してきた敵の騎兵五百と戦闘。
これを挟撃して壊走させ、我が方の勝利。我らの損害は騎士が二十名戦死、負傷多数。騎兵中隊の方も同数ほどと聞いている」
「現状はどうですか?」
バアル様は座りながら「斥候の報告待ちだ」と呟いた。
なるほど。
「それで、連隊の損害はどうなのだ? 戦況は?」
「では戦況から報告します。今朝からの攻勢で敵は我が軍の中部から北部にかけて攻勢を開始。
現在は敵砲兵を潰し、砲兵により支援で敵の突出して来た部隊を孤立させ、これを殲滅。およそ五千の兵を相手どって勝利した形です。
ただ、戦闘の激しかった北部では全滅した中隊もあり、損害を集計中です。
現在分かって居る報告ですと少なくとも一個中隊から二個中隊が全滅。大砲三門が敵の砲撃により破壊されました」
大砲が無くなったのは痛手だが、最低限、オオヅツがある。
射程と耐久力は低いが、それでも無いよりマシだ。
「なるほどな……。敵の攻撃はどうなっているのだ?」
「こちらが体勢を立て直したと見たら、すぐに兵を引きました。おそらく、敵の新型の大砲を潰せた事が大きいのかと」
あの新型砲はおそらく虎の子だったのだろう。
鹵獲して見分しなければわからないが、きっと連隊の仕様している大砲より大型のはずだ。
大砲が今のサイズで運用できているのはドワーフの冶金技術があるからであり、他種族が同じ物をつくろうとしても大砲と同等の重量に抑えられるはずがない。
つまり損失分を後方から取り寄せるにしてもそれ相応の時間がかかるはずだ。
撤退の期日である明日までにそれを補充できるだろうか? エルファイエルの兵站部隊がどうなっているのかは分からないが、難しいはずだ。
そう思っていると、ケヒス姫様が誰に言う出なく呟いた。
「敵の大砲を潰し、攻勢の一波を防いだ、か。だが、時間は敵を有利にする。黄金の時間を無駄にしてはいけぬ。ヨスズンならそう言うだろう」
黄金の時間。
俺達が稼いだ血濡れの時間。
この一分、この一秒のために戦っているのだ。それを無駄に出来ないし、何より時間をかければ敵はさらなる援軍を受けて増強し、こちらは逆に消耗する。
ヨスズンさんはそれをよく言っていた。
「うぬよ。撤退の準備を進めよ」
「分かりました。では騎士団の負傷者についても後送の方を」
「そうだな。うぬに一任する。バアル。一息ついたら重要書類をまとめて焼却せよ」
「御意!」
こちらもぼちぼちと撤退を始めるか。
連隊の持つ重要書類と言えばこれまでの戦闘詳報や補給状況を記した報告書と砲兵が使う砲の仕様書だろう。
戦闘詳報や補給状況を敵に知られれば敵は連隊の戦術を看破し、なおかつそれを手に入れる事になる。それに補給状況から部隊規模を図られてしまうかもしれない。数を隠匿する事も重要な作戦行動のうちだ。
そして砲兵の仕様書。
砲にどれだけの装薬を入れ、どれほどの角度をつければ何メートル飛ぶかという事が事細かに記されたこれを奪われるのもご法度だ。
これが敵の手に渡ればこちらの兵器の射程や威力が知られてしまう。
それらを防止するためにもったいないが、これらの乗った書類は万が一を考えて焼尽させなければならない。
「ケヒス姫様、連隊は重要書類の破棄を行うので、一旦司令部を離れます」
「うぬが行わなくてはならぬのか?」
ケヒス姫様の疑問ももっともだが、ちゃんと灰塵に帰した書類をこの目で確認しないと不安で仕方がないから兵に任せられない。
それに連隊副官のユッタは予備兵力の指揮をしているだろうし、スピノラさんとローカニルは前線にいる。ヨルンに至っては後送準備を進めていてそれどころでは無いだろう。
「代わりが居なくて……」
「わかった。なら行け」
ケヒス姫様に敬礼をして俺は司令部を後にした。そして連隊司令部としての機能のある馬車に行き、そこから重要書類を抜き出す。
一番良いのはこれらを持ち帰れることだが、防衛線が崩壊すればもれなくこの書類は敵の手中に落ちるだろう。
その可能性を考えると、どうしてもこれを処分しなくてはいけない。
「もったいない……」
思わず口に出してしまったが、それでも仕方がないのだ。
断腸の思いで俺は教会まで歩を進める。そこは負傷者の救護所として野戦病院が作られていた。
そこでは負傷者の傷を清めるために熱湯などが湧いており、もちろん火種がある。
今から火を起こすのも面倒だし、そんな悠長にやっていられるほど余裕も無い。
だから野戦病院に向かう。それについて段々と鉄を彷彿させる臭いが濃くなってきた。
野戦重砲の砲声に混じってうめき声も聞こえる。
それに担架を担いだ兵が急ぎ足に負傷兵をここに送ると、また駆け足で前線に戻っていく。
その負傷者がうめく中、歩を進めると「オシナ!」と声をかけられた。その声の主は銀色の髪をゆらしながら近づいてきた。シモンだ。
その浅黒い手に桶を持ち、そこに入っている血濡れの包帯から彼女が負傷者への手当をしていてくれた事を知った。
「包帯、足りなイ」
「こっちも備蓄をあるだけ出したんだけどな……。薬の方は?」
「お前らの持って来た薬、もう無イ。だからエルフの秘薬。使ってル」
ここまで後退して来た時、実はナザレの村民から追い出されるのだろうと思っていたが、以外にもすんなりと受け入れてくれた。
互いに敵同士でありながらこうして村に入れてくれて、なおかつ負傷兵の面倒を見てくれる姿に、俺は感激よりも困惑の感情が膨らんでいた。
「シモン。今更だけど、良かったのか? 俺達を受け入れて……。シモンの知り合いだって、ケプカルトの兵に殺されたろ?」
「そうだ。お前たチ。仲間、たくさん殺しタ。だけど、お前らは良い奴。村の皆もそう思っていル。
それに、ユッタ困っていタ。困ったエルフは捨て置けなイ」
シモンは軽くそう笑うと、俺も少しだけ笑った。
「でも、エルファイエル軍に見つかったらただじゃすまないぞ」
はっきり言って、これは利敵行為だ。スパイ疑惑をかけられるかもしれない。
「そこらへん、上手くやル。幸い、お前達の将、冷血姫。エルファイエルでも有名。
あいつに脅された事にすル。皆納得するだロ」
ケヒス姫様の悪行がこんな所で役立つとは思っていなかった。この事は絶対報告しないでおこう。
その時、「負傷兵を後方に送るぞ」という声が聞こえて来た。
その方向には紫の襟章――輜重兵が馬車から飛び降りるところだった。
「あれに乗せるのカ?」
「あぁ。俺達も撤退しなきゃならないから、動けない奴らを先に後送するんだ」
撤退について詳しい事はシモンに話していない。シモンの事だから黙っていてくれるだろうが、それでも撤退期日は最重要機密に違いない。
「もうすぐ別れなのカ?」
「うん。シモンには世話になった」
シモンが口添えしてくれたからこそ、俺達はこの村でつかの間の平和を享受できたのかもしれない。
そう思うと、シモンには感謝をしても足りない。だが、その感謝を形にするほど、俺達に時間が無い。
「シモン。改めてお礼を言わせてくれ」
「別に構わなイ。お前もよく、捕虜を奴隷にしなかっタ」
「それは……。まぁ、心情に反するって言うか……」
「こちらこそ、ありがト」
晴れわたる空のような笑みを残してシモンは去って行った。まさか反対に礼を言われるとは……。
さて、俺も仕事をしなければ。
俺は熱湯を沸かしている窯まで行くと、その中に手にした書類を放り込んだ。
メラメラと踊る炎の中で書類達も一緒に舞い、少しずつその命を削っていく。その最後の一遍までが炭へと還元されるのを見届けると、熱の移った頬を掻いてから俺は司令部に足を向けた。
その時、「オシナー少将!」と呼び止められた。
「コレット大尉。どうした?」
騎兵中隊の指揮官が小走りに俺に近づくと、腰を折って俺の耳元にそのぷっくりとした唇を近づけて来た。く、くすぐったい。
「さっき、ノルトランドのドラゴン――子女の方では無いドラゴンが来て、各戦線の戦況を伝えてくれました。
どうやらタウキナ連隊はヤバイらしいです」
俺の背筋に電撃が走ったような気がした。
「兵の近くでは詳しい事を言えません。騎士団からもオシナー少将を早急に本陣に寄こすよう言われました。詳しくはそこで」
「分かった。すぐ行こう」
恐れていた事態が起こってしまった。
現在、一章と二章の改稿作業をしております(現在五話まで完了)。
基本的にストーリーは変わりません。伏線を強調したり、誤字や文章表現を修正している感じです。
読んでくれというステマじゃありません。更新が遅れている言い訳です(おい)
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




