兵力集結
ナザレ周辺防衛図
橋には障害として丸太を設置。周辺には塹壕陣地。やれるだけの事はしたが、心もとない事に違いは無い。
『オシナーの手記』より
ナザレ防衛線概略
冷たい風が吹いた。
フラテス河を吹く風はまだまだ冬のままだ。
なによりもナザレ大橋のほとりで敗残したケプカルト軍の一行を見やっているせいか、より寒々しい思いにかられる。
「連隊長。ちと、よろしいですかい」
その声に振り向くと、小さいタンクに豊かな髭を蓄えたローカニルが疲れた顔をしながら歩いてきた。
彼は増援として再編された部隊を率いて西方まで来てくれたのだが、到着早々に撤退戦に巻き込まれてしまったのだ。
「やれやれ。ケプカルトってのはスゴいですな。まだ撤退してくるんで……。これじゃいつになったら橋を爆破出来るのやら」
「橋は仕方がない。それより川船は?」
「ナザレ周辺の奴は一カ所に集めて火をかけました。
あとはじゃじゃ馬が見つけ次第沈める手はずになっております」
撤退するための時間を稼ぐために船や橋の破壊を命じた。
架橋されるのは目に見えているが、それでもやれるだけの事はしなくてはならない。
しかし、エルファイエル後方から流れてくる民は消える事がないから、中々橋を破壊できないでいた。
「これじゃナザレ大橋を爆破できません。どうします?」
「確かにな……。でもあれくらいなら大砲で壊せるだろ? それなら敵が現れてからでも遅くはないさ」
「それもそうですな。まぁ、あの時とはえらい違いです」
ローカニルの言うアムニス事変は橋の守備が最重要任務だったが、今回は違う。
あの時は橋を守るのが任務だったが、今回は橋を守る必要が無いのだ。
そう思うとどこか気持ちが楽になった。
「やれやれ。しっかし、砲弾や装薬はたんと持ってきました。弾切れという情けないオチはつかせませんぞ」
「……ローカニル。この作戦は強制じゃ――」
「なにを今更。それに重たい野戦重砲をここまで運んできたのに、それを使わず帰るなんてまっぴらですぞ」
その言葉に笑みを漏れてしまう。
そして今日、この作戦に参加する志願兵が決まる事になっていた。
「さて、司令部に帰るか」
「そうですかい。こっちはまだ測量が終わっていないんで、これにて」
ローカニルと別れ、司令部に一人向かう。
ローカニルの話を聞いていると、どうやら砲兵の大半はこの遅滞作戦に参加してくれるようだ。
ありがたいというか、申し訳ないと言うか。
そう思いながら司令部テントに向かう。
歩哨に敬礼を返しつつその中に入ると、主立った連隊幹部が地図を広げて難しい顔をしていた。
「オシナーさん!」
そこで中心的に地図の上に指を走らせていたユッタが俺に気づき、敬礼をしてくれた。
「みんな、何をしているんだ?」
「暫定的に部隊の再編を行っていました」
部隊の再編って、まだ志願する部隊も決まっていないのに、と思いながら地図をのぞき込むと、そこにはナザレ方面に展開した連隊の全ての兵力が配置されていた。
「全部って……。これから志願部隊を募るのだから――」
「募った結果、連隊からは撤退する者はおりませんでした」
「え?」
思わず聞き返すと、ユッタは欠けた方耳を掻きながら言った。
「全部隊、ともに遅滞作戦に参加いたします」
その言葉に俺は絶句した。
司令部に集まった面々は俺の顔を見てクスクスと笑い出す。
なんで?
「強制じゃないんだぞ」
「ですから、わたし達の意志です」
テントに居る面々、一人ずつの顔を見つめながら「なぜ?」と俺は聞いてしまった。
「確かに、わたし達は『亜人』と言われ、奴隷として扱われてきました。
しかし、それが変わるんですよね。奴隷商におびえる事無く暮らせるんですよね」
宰相の告げた――いや、王の言葉はそうだった。
「わたし達はそのために戦ってきたんです。
ならば、この地でも戦いましょう」
それに――。
「人間を憎む者は、東方諸族の中にも多いです。
ですが、そういう憎しみも乗り越えなければ、ならないんでしょうね」
静かに言われた言葉に、俺は何も言い返せなかった。
だが、ユッタは強い意志を宿した瞳で俺を見ながら敬礼をした。
「報告します。野戦猟兵連隊、全部隊とも本作戦への参加を望みます」
「……了解した」
それに答礼を返し、俺は素早く地図に視線を走らせた。
「敵の布陣は?」
「……地図に駒が乗っておりますが」
だが、それはぼやけて見えなかった。
未来を信じて、そのために命をかけてくれるみんなが居てくれた事に、とても嬉しかった。
俺なんかに付き従ってくれた事が、嬉しかった。
年甲斐もなく泣かされるなんて、思わなかった。
「――昨日行われたドラゴンによる偵察によれば敵はナザレ大橋より十五キロ離れた地点におります。
敗残するケプカルト軍の対応、補給線の関係からか、進軍速度はそれほどではありません。
おそらく三日のうちにはナザレに到着するものと思われます」
「敵兵力は?」
「敵総兵力はおよそ十五万と言われていますが、ナザレ方面に展開している部隊は少なく見積もって三万。ナザレより東方に二万、東南東には二万五千ほどと聞いています。
その他の兵力は現在確認できません。おろらくですが、治安維持やケプカルト軍残党の掃討作戦に当てられているのかと」
十五万が三万になったとて多い。多すぎる。連隊が増援を受けたと言っても圧倒的に兵力が足りない。
「まぁまぁ、そう悲観なされるない、ねぇ連隊長」
「スピノラさん!? 西方入りされていたのですか?」
元歴戦の傭兵隊長であったスピノラさんはタウキナ継承戦争の折りに負傷していたため、東方で連隊の再編を頼んでいたのだが、どうやらローカニルに遅れて到着したらしい。
「ローカニルから何も聞いていなかったから、てっきり東方にいるのかと」
「これでも戦争屋ですぜ。こんな祭りに参加しないでどうします。俸給分は働きまさぁ」
「わかりました。では作戦会議を始めましょう。現有兵力は?」
「増援をあわせると、猟兵大隊四個。騎兵中隊一個。重野戦砲大隊一個。兵数はおよそ三千。野戦重砲八門。大砲二四門」
「輜重参謀」
「はい。なんでしょうか?」
輜重参謀のヨルンは立ち上がっても、なかなか小さい。そう思いながら「弾薬の備蓄は?」ととうた。
「三日間ほどの戦闘でしたら問題ありません。しかし、それ以降は保証できません。
ローカニル砲兵参謀が多くの砲弾を持ってきましたが、どこまで持つかは……」
「わかった。火薬については問題ないか?」
これが無ければ話にならない。
「三日ほどでしたら。後、何かの手違いなのか、硫黄だけたんまり届いています」
「あ、それ、俺が頼んだんだ」
勝手な事をしないでください、と視線でヨルンに問いつめられたが、仕方が無かったんだ。
「森の中に硝石小屋がある。それと硫黄、木炭を使って火薬を精製しようと……」
「あのですね、一台の馬車を手配するというのま――」
「まぁまぁ。それで、どうします?」
ヨルンの尖った口をふさぐようにスピノラさんがニヤリと不敵に笑った。
さて、こちらの兵力は多く見積もって三千。対する相手は一万。
「十倍の兵力か……」
「アムニスの時みたいですね」
ユッタの言葉に思わず噴き出した。
確かにあの時も十倍の兵力に立ち向かったものだ。
「あの時と違って橋は落としていいらしい」
「なら、なんとかなるのでは?」
ユッタもユッタで、冗談めかして言う言葉にどこか司令部の空気が和む。
「まず、俺達の作戦目標は敵の侵攻を遅滞させる事にある。無理に戦う事は無い。
作戦としては川辺に築城された野戦陣地をもって敵の渡河を阻止する。幸い、俺達の武器の方が射程が長い。いや、俺達の利は射程しかない。
だから敵の前進を遅らせる事が何より望ましい」
敵の火器――オオヅツにしろ、タネガシマにしろ射程はこちらの大砲や小銃が優っている。
その利を使わなければ数で圧殺されてしまうだろう。
そう考えていると、歩哨が「の、ノルトランド姫御来入!」と叫んだ。ノルトランド?
「やぁ、オシナー」
「ヘルスト様! あ、偵察の結果ですか?」
「いや、自分もこの遅滞作戦に参加する事になった」
何を言っているんだ? と思った。ヘルスト様はノルトランド大公家の人間。捕虜になった場合を考えると王家の人々と共に後退する方が望ましいのは言うまでもない。
「そう怖い顔をしないで。自分とオシナーの仲じゃないか」
「しかし――!」
「オシナー。自分はなんとしても君を死なせたくない。孤独は、辛いんだ」
ヘルスト様と俺を繋ぐ唯一にして最大の共通点。それは互いに前世の記憶を引き継いでいるという事だ。
故にこの世界からすれば俺は、俺達は異端児だった。故に孤独でもあった。
「わかりました。ではヘルスト様にはカナン解囲戦の時と同じく、航空支援をお願いします」
「わかった。身分は自分の方が高いけど、オシナーの指揮下に入ろう」
「ご協力痛み入ります」と俺が答えると、彼女はニコと笑ってくれた。
すると、軍服の袖をチョイと引かれた。ユッタだ。
「オシナーさん。前々から思っていたのですが、ヘルスト様とはどういうご関係で?」
頬を赤らめ、ジトっとした目で難しい質問を受けた。
なんでそんな事を聞くの?
「……互いの秘密を知りあう仲?」
「どういう意味です?」
難しい顔で首をかしげる副官に苦笑いを返し、「所で――」と話題を変える事にした。
このままでは作戦会議がまとまらない気がしたのだ。
「降下龍兵ですが――」
これはカナン解囲にあたって敵司令部を直接強襲して制圧する事を主眼に行われた作戦だったが、その効果は大きかった。
特に一人の指揮官の権限が大きいこの世界の部隊運用を鑑みると、少数の特殊部隊による浸透作戦は絶大だ。
だが敵中に少数兵力を投げ出しているとも見えるために危険度も格段に高い作戦でもある。
「どうします?」
危険なのは敵地に放たれる兵だけではない。その輸送手段であるドラゴンとその主も大きな危険にさらされる。
「自分は平気さ。もちろんタンニンもね」
ヘルスト様の愛龍を思い出すと恐ろしさがこみ上げてくるが、部下の手前、なんとか押し隠す事にした。
「……ユッタは?」
ユッタ率いるモニカ支隊はこの空挺作戦を経験している唯一の部隊だし、何より狙撃の腕や森林という見通しのきかない戦場での適応力が高い、もっとも優秀な部隊だ。
再び空挺作戦を行うなら、錬度の高い彼女の部隊に任せるべきだとは思うが、俺としては彼女を危険な戦場に送りたくないというのが本心だ。
だが、彼女は行くのだろう。この危険な作戦を任せられ、なおかつそれを遂行できるのが彼女しかいないのだから、彼女は行くのだろう。
死んでいった仲間のためにも、彼女は戦うのだろう。
「……。いえ、その……」
あれ? いつもなら「お任せください」と言ってくれるような気がしたんだけど……。
「オシナーさん。人というのは地に足ついていないとダメなんです」
青い顔で空挺作戦への参加を断る彼女に、一体何があったのだろうか?
「わ、わかった。では空挺作戦は無しの方向で行きましょう」
この作戦を指揮出来るのはユッタだけだ。そのユッタが無理なら、この作戦は没だな。
「航空兵力があれば行けるかもしれないな。だけど……」
「だけど? どうしたのさ、オシナー?」
「機動兵力が少ないな。連隊にいる騎兵中隊だけじゃな……」
こちらが一点を守っている間に他所を突破されては意味が無い。
そのため戦場に出来た穴を速やかに埋められるよう、機動兵力が必要なのだが、連隊にいるのはコレット大尉率いる一個騎兵中隊――おおよそ百人しかない。
だが、無いものは仕方が――。
「と、東方辺境姫殿下、御来入!!」
歩哨の慌てた声に、司令部の中は緊張に包まれた。
そしてゆっくりと姿を表したケヒス姫様は「ヘルストもおったのか」と静かに言葉を発する。
「ケヒス姫様、どうされたのですか?」
「……余も、残る」
「な、何を言って!!」
「宰相にも言われた」
すでに宰相閣下と話していたのか。
だが、その口振りだと――。
「宰相閣下は、ケヒス姫様がこの遅滞作戦に参加されることを、お許しになったのですか?」
小さくうなずかれた姿に目眩がした。
もし、ケヒス姫様が捕虜になった場合、この戦争はケプカルトの敗戦を意味する。
それだけ王族というカードは強力だと言うのに。
「どうしても、どうしても復讐を遂げなければならないのですか?」
「そうだ……。とも、言い切れなくなった」
ケヒス姫様は手近なイスに腰掛けると、まるで迷子のように心細い声で語りだした。
「……確かに奴らは憎い。
余の家臣を殺した奴らを根絶やしにしてやりたい」
「ケヒス姫様――」
だが――。
ケヒス姫様は俺の言葉を遮り、力無く言った。
「奴らを磔にして火をかけたいと思う。だが、それと同じくこの村で過ごした穏やかな日々を、思ってしまう」
河原を駆け、騎射をし、互いに祭の席を祝う。
憎しみを忘れた穏やかな日々。
「王国が余にしてきた事を、許す事は、できない」
東方を平定するために多くの血が流れた。
いや、流された。
東方だけではない。タウキナでも宰相の思惑で多くの血が流れた。それも、ケプカルト諸侯国連合王国のためという名目で。
「余のために血を流してくれた者を思うと、それでも王国のために戦うというのは、やるせない」
慟哭に似たそれは、もはやケヒス姫様の決意表明に似ていた。
王国のためではなく、復讐のために戦うと。
これで、良いのか? 良かったのか?
そうでは無いだろう。
復讐に身を任せるだなんて。
だが、それも仕方がないと思う俺がいる。
「……ふと、思うのだ。うぬよ」
「何をでしょうか?」
「どうしてこうなったのか、とな」
どこで道を踏み外したのか、と――。
「余は父上を尊敬していた。
親征に出れば武勇をあげて帰ってくる姿が、好きだった。
父上の施政に感服した。
父上こそ王の中の王であり、そのような王になりたいと思っていた」
その言葉にヘルスト様が顔をしかめる。
確か、ヘルスト様は前王様の施策を好いていなかった。
「父上はケプカルトに安寧をもたらすために、亜人の脅威を取り除こうとした。
そのための辺境領だ」
人間の単一国家であるケプカルトを守るために作られた辺境領。いわば緩衝地帯。
それを作り上げるためにも、どれほどの血が流れたのだろう。
「父上は王国を愛してた。故に、戦ったのだと、思う」
ケヒス姫様の父上――クワバトラ三世の事を俺はよく知らない。
ヘルスト様に視線を向けると、彼女はメガネの奥に悩みを隠すようにただ、ケヒス姫様を見つめていた。
「確かに、余は王国に疎まれている。だが、父上の愛した王国のために、父上のやり残したものを、成すために戦いたい。
だが、これが憎しみのために導き出した己への欺瞞なのか、それともヨスズンの敵討ちなのか、余にもわからぬ」
全ての想いが混濁し、攪拌されて一つの形になりえない。
「だが、この混沌とした気持ちの中で確かなものがある。
家臣を置いて引くことを、忠臣を残して戦地から去ることを、余は二度としたくはないのだ」
「ケヒス姫様……」
二度と、というのは東方平定の事だろうか。
圧倒的な数の東方諸族と渡り合ったケヒス姫様の東方辺境騎士団の事だろうか。
分からない。俺には、分からない。
分からないが、ケヒス姫様の想いを無駄にしてはいけないと思った。
「うぬよ。西部戦線総大将代行として命ずる。
作戦会議を始めるぞ」
「……御意に」
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