狩猟
「あ、オシナーさん! いやぁ、やりましたよ。苦労したかいがありました」
頬を返り血で汚したユッタが笑顔で手を振っている。
その手にも赤黒く汚れており、とても、とても根源的な恐怖を腹の底から思い出させるようだった。
むしろ血のついた手を笑顔で振るって人としてどうなんだよ……。
血の付いたその姿が怖い。なんか、夢に出てきそう。
「昨日、足跡を見つけた時から大物だとは思っていたのですが、想像以上でした」
恍惚と笑みを浮かべるその姿に若干――いや、かなり引きながら足下に倒れている鹿に視線を向けると、なるほど。
ユッタが自慢したくなるほど大きな鹿が倒れていた。
「森の外れで仕留められたのは行幸でした。おかげで河の近くで解体できます」
周囲には手漉きなのだろうか、数人の村人や騎士たちが群がり、ユッタ達がしとめた獲物を観察している。
「ちなみにこれから、どうするんだ?」
「すでに首を斬って簡単な血抜きはやってありますが、これから内臓を取り出してこう、ジャブジャブと中を洗うんです。そうするとより血も抜けますし、臭みも減ります」
すっごく喜々としているユッタ。明らかにいつもとテンションが違う。これが野生のエルフか。
あいにくドワーフ(人間だけど)には理解できそうにない。種族としての壁というか、限界を感じる。
「内臓もしっかり処理をすれば食べられますし、とくに肝です。油が乗ってて美味しんですよ。なんと言いますか、こう、とろーんとした甘さがあって……。お腹すいてきましたね?
それで内臓を取り出したら皮です。こう、クルッと一周くらい首や足首、手首に切れ込みを入れて、首から肛門にかけて皮膚を切るんです。
それで首の所から優しく皮をはがしていくと面白いように皮がはがれるんです。子供の頃、父上がやらせてくれて――。ってオシナーさん顔色が……」
「ユッタさんが楽しそうで何よりだよ」
副官の野性的な一面が見れて新鮮というか、おもうお腹一杯です。
いや、俺だって親方と暮らしていた時は魚や鳥をさばくことくらいやったさ。
やったが、こうも嬉々としながらやった記憶は無い。
前世の記憶があるせいか、動物の解体に忌避感すらあった俺に対してユッタのこれから行うであろう行為について話を聞かされるのはまさに拷問だ。
あれか? 今までのセクハラまがいの行動に対するユッタなりの復讐なのか!?
「って昨日、襲撃があって、その次の日に河原に出るって不用心すぎるだろ」
「オシナーさんも出てるじゃないですか」
俺には一個班ほどの人員で護衛兼測量要員がついているから、と言おうとしてやめた。
本気で狙撃してくる相手にいくら護衛がいても無意味だろうし、それに川を流れる横風のせいでタネガシマ程度なら玉が流れて当たらないだろうと思ったからだ。
「まあ、特別任務のほうは、順調なようだな」
俺がユッタに下した命令はナザレのダークエルフと協調を得られるように、共にすごしてくれというものだったのだが、気がつくとダークエルフに混じってユッタ指揮下のモニカ支隊の一部がナザレ近郊の森に入って狩りをする事になったようだ。
そして俺の任務はナザレや橋を防衛するための土塁を設置する箇所の場所決めだったのだが、奇しくも河原で鉢合わせしてしまった。
運が良いと言うべきか、間が悪いと言うべきか。
「とりあえず、狩りが終わったのなら、狩猟で使った弓矢の回収をたのむ」
矢の脅威度に関していえば俺達はアムニス事変の際に身をもって体験している。
とくに長弓はゆうに五百メートルも先の目標を狙う事が出来るから小銃を採用したとはいえ侮れない(まあ弓と小銃のみの戦闘なんて考えられないが)。
ここの狩人たちが使っているのは森などの中でもとり回しの良い短弓のようだが、反乱の際の武器になり得るのは変わりない。
一時的な――それも少数の貸し出しという制度を取っているが、本音は弓矢の貸し出しもやめたいという所だ(突き詰めて言うと農具全般が武器に転用出来る事になってしまうが)。
しかしそれが元でナザレの民と摩擦をおこすのも本意ではない。貸出はやむを得ない事か。
「やはり、貸し出しですか?」
「反乱が起こった時、その弓の洗礼を受けるのは俺たちだぞ」
「そうですよね……」
そう言う彼女も背に矢壷を背負っているようだった。
「ユッタも弓を使ったのか?」
「えぇ。シモンに貸してもらったんです。
久々にやると、どうも上手く行きません。これでは父上になんと言われるか」
そう言えばユッタが弓を手にしている所を俺は一度も見たことないかもしれない。
父親の件にしたって連隊創設時にチョロリと聞いたキリだし、それに彼女が帰郷した事も、一度もないはずだ。
「ユッタは、故郷に帰ろうとは、思わないのか?」
「思わない事はないんですが……。わたしが帰っていいのやら、わからなくて」
タウキナ継承戦争の時に欠けてしまった左耳をかきながら困った風にユッタが呟いた。
「オシナーさん。あの奴隷馬車の中にいたみんなは、多くが戦死傷しました。それなのに、おめおめと生きて帰っていいのか、わからなくて」
――怖いんです。
「オシナーさんはヘーメル少尉を覚えていますか?」
「……忘れられないよ」
アムニス事変の時、彼が擲弾をゴブリンの群れに投げ込まなかったら、きっと俺達の防衛線は突破されていたろう。
ヘーメルが命を投げ出してゴブリンの攻勢を挫いてくれたからこそ、俺達はアムニス大橋を守れたのだと思っている。
「では、サラ・ラケル中尉は?」
「……覚えているよ」
タウキナ動乱の折に、アーニル様の奇襲から俺達を逃すために身を投げ出してくれた彼女を、忘れる事など出来ない。
「怖いんです。故郷に帰った時、お前だけよくものうのうと生きているな、って言われるのが」
寂しそうに笑うユッタに俺はかける言葉が見つからなかった。
「わたしは、一生懸命に生きているつもりです。
わたしにしか出来ない任務に従事して、それを遂行して……。
わたし達のために命を投げ出してくれたヘーメルさんやサラのためにも、戦死していった仲間のためにもわたしは戦って来たつもりです。犠牲となってくれた仲間のためにも生きてきたつもりです。
でも……、いや、ちがいますね。だから、それを否定されるのが、怖いのかもしれません」
「ユッタ……」
ユッタも十分、その身を挺して――命をかけて戦ってくれている。
俺はそう思う。
だが、それは残された者にとって、そう思えるのだろうか。
ヘーメル少尉の妻や子は? ラケル中尉の家族は? なんて思うか。
彼らだけじゃない。今までの戦闘で戦死した者の家族は?
彼らも手を放してユッタの事を――俺達の事を祝ってくれるだろうか?
「なんと言いますか、敵と相対している時よりも、どうして生きていると言われた時の方が、怖い気がするんです。おかしい話で――」
「……ユッタ!」
「――すよねってひゃわッ! お、オシナーさん!?」
寂しげに笑う彼女に思わず、抱きついた。
その小さな体が、柔らかな体が、暖かい体が愛おしい。
「ユッタはよくやってくれている。
アムニスの時からこの西方戦役まで、ユッタはよく、やってくれている。それを俺は保証する。
誰に後ろ指さされても、俺はユッタのしてきた事を認める。
ユッタの事を否定されたら、俺はそれを否定する。
だから、胸をはっていいんだ。そう言うことを、ユッタはしてきてくれたんだ」
ユッタもその身をかけて戦ってきてくれた事を俺は知っている。
だからそれを否定などさせない。
ユッタだけではない。みんな、勇敢に戦ってくれた。
そのおかげで今がある。今を生きていられる。
そして彼らのおかげで東方が解放された。
宰相の思惑がなんであれ、東方のために戦ってきてくれたみんなのおかげで――。
だから俺はそれを否定などさせない。
否定されることを、俺は否定する。
「あ、ありがとうございます。あ、あの、そろそろ放してください。血がついてしまいますよ」
よく見ると血のついた両手を広げてオタオタしている副官に、その背後で俺たちにヤジを飛ばす騎士や村人たちが……。
おっと、俺としたことが公衆の面前で。
ユッタの体から離れて「急に悪かった」と言うと、どこかユッタは赤面しながら言葉を紡いだ。
「い、いえ……。それに、村に帰れない理由も他にあって……」
「え? なにそれ? なにか悩みがあるなら言ってくれ」
「そ、その、エルフって、こう、排他的といいますか、なんと言いますか……。純血を重んじると言いますか、他種族と恋仲になるなんて禁忌にも等しくて、とくにわたしは村長の娘という立場なので――」
「つまり、どういう事なんだ? 簡単に言ってくれ。報告は明瞭にってだな――」
「いえ、なんでもありませんでした」
モジモジと体をひねっていたユッタは急に、それも冷めたようにスクッと立って冷血姫様のように冷たく言い捨てた。
え? なに? なんか悪いこと言ったの?
やはりエルフとドワーフ(人間だけど)は相入れないのかもしれない。種族としての限界を感じる。
「それに、副官としての事もありますし、こうして任務や訓練に従事しているだけで日々がすぎていきますから帰る余裕なんてありませんよ」
「仕事熱心なのは良いけど、もう少し書類の誤字を少なくしてくれるともっと助かるんだけどな、副官殿」
「そ、それは……。字を書くのは苦手で……。
その上、秋からは戦争に次ぐ戦争で帰れる状況じゃありませんでしたし」
それもそうか。タウキナ継承戦争から連隊は連戦に次ぐ連戦。
兵の損耗や疲労を考えるとそろそろ東方に帰りたいのだが、そうも行かないんだろうな。
「何か、娯楽でも企画してみるか」
こと、敵地なのだからその幅は狭まるだろうが、遊びも無くてはいけない。
遊びの無い引鉄は暴発の元になるのと同じだ。
「あ、シモン! ――――――!」
ユッタが突然、謎の言語を語ったのでびっくりした。
「西方の言葉がわかるのか?」
「二、三だけですよ。片言すぎてよく笑われます。それでは、鹿の解体があるので。
明日の食卓には鹿肉料理が乗りますよ」
ニコと笑って走り去ったユッタはシモンと何かキャッキャと笑いながら山刀のようなナイフを持って解体作業に取り掛かった。
なんか、エルフってすげー。
「さて、俺たちも行こうか」
俺の護衛をしてくれている班員に声をかけて俺は地図を片手に軍刀をチャカチャカ言わせながら歩きだした
明日、鹿の生前の姿を食卓で思い浮かべる事が無いよう祈りながら。
ユッタ「一狩り行きませんか?」
さて、今の読者様の心境を当てます。
鈍感系主人公かよ! いい加減にしろ!
ですが皆様。
この小説のジャンルは戦記ですよ。真っ当な恋愛が出るより銃先から弾丸がでるジャンルです。女の子の甘い匂いより硝煙の香ばしい臭いがでるジャンルですよ。
つまり私は悪くない(暴論)
まぁオシナー君はオシナー君の価値観があり、エルフにはエルフの価値観があるという事で。
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




