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銃火のオシナー  作者: べりや
第一章 アムニス事変
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アムニス事変

 猟兵中隊第一小隊小隊長であるヘーメル少尉が戦死した。


 だが、ヘーメル小隊長以下、三名の活躍により橋に攻めてきたゴブリンを一時的に撃退できた。

 もう、何時間戦っていたのか、分からない。

 すでに数年も戦争をしている気分だ。



「損害をまとめました。第一、第二小隊あわせて現在の戦力は四十二名になります。砲兵小隊に損害は出ていないのが幸いです」



 ヘーベワシで鹵獲された武器たちがいい仕事をしたと見るべきか。特に手銃の射程外から打ち込んでくる弓矢は一番の脅威になっている。手銃の長射程化を真剣に考慮するべきだろう。

 それにしてもただでさえ少ない猟兵中隊にこれだけの死傷者を出してしまったことは痛い。


 いや、アレだけのゴブリンの攻撃で損害がコレだけにすんだと見るべきなのかもしれない。



「敵が休息を入れてくれて助かった……」

「えぇ。あのまま攻め込まれていたら、すでに橋を突破されていたはずですからね」



 何を考えているのかは分からないが、攻撃が止まってくれてありがたい。

 弾薬の運搬から負傷者の後送、壊れた障害物の補修。するべき事は多数ある。

 できればゴブリンの死体で埋まった堀を何とかしたいと思ったが、それは無理だろう。

 あの中に埋まっているゴブリンを掘り出すには時間がかかるし、何百のゴブリンが踏み潰していったソレを掘り起こさせる気が起きない。



「敵陣を観察した結果、我々は敵戦力の半分ほどを撃破したようです」



 ユッタは顔についた黒い煤も拭わずに淡々と報告をしてくれた。

 表情が失せた顔はすでに痛々しい。

 それでも無理にでも戦わせようとする俺は、本当に正しい事をしているのだろうか。



「砲兵隊からの報告では砲弾はあと三十発ほどとの事です。歩兵小隊からは陣地の再構築は不可能であり、もう一度先のような突撃があれば突破されてしまうとの事です」

「そうか。ありがとう。休んでくれ」

「いえ、休めません……休んだら、泣いてしまいそうなんです」



 そ言ったユッタの顔にはすでに二筋の涙が流れていた。

 硝煙と泥で汚れたその顔に流れる涙をユッタは軍服の袖口で無理やり拭う。



「ヘーメルは、ヘーメルは優しい人でした。綺麗な奥さんを娶って、可愛い娘さんがいて、歌が上手くて。でも、エルフなのに弓がヘタクソで……」



 ユッタはついに泣き崩れてしまった。

 指揮官として、ありえない行為だ。泣き崩れるなんて兵たちをいたずらに不安にさせるだけだ。


 だけど、俺はそれを止めることは出来なかった。


 自身の甘さに反吐が出る。それに、泣きたいのは俺のほうだ。

 あの時、突撃を許可しなければヘーメルは死ななかったのかもしれない。

 なら、ヘーメルを死なせてしまう要因を作ったのは、俺ではないか。

 そんな俺が、ユッタに泣くのを辞めろとだなんて言えない。


 タバコが吸いたい。


 いや、タバコでなくて良い。前世でもほとんど吸ったことが無いしな。

 何か、気がまぎれることがしたい。


 ケヒス姫様から下賜された遠眼鏡で敵陣を観察する。無理やりにでも頭の中から感傷をたたき出すために敵陣を集中して観察する。

 ユッタの言ったとおり、半数ほど敵の数が減っているようだ。

 ゴブリンの真ん中にたつオークはまだそこに立っていた。



「……何やってんだ?」



 オークは近くのゴブリンたちを掴んでは投げ飛ばしている。オークから遠くにいるゴブリンたちは散り散りに隊列を離れだしている。


 もしかして、反乱か?



「ユッタ! 見てくれ!!」



 泣き崩れていたユッタは袖で涙を拭って遠眼鏡を取った。

 一瞬だが、泣き崩れて立たないのではと思ったが、違った。ユッタは、強い。



「……反乱、でしょうか?」

「ユッタもそう見えるか」



 ゴブリンたちにとって、いやこの世界にとって始めて銃と大砲が戦場に出たのだ。

 その轟音と破壊力に戦闘集団が瓦解するのも仕方が無いのかもしれない。

 そうか。攻撃が止まった理由はゴブリンとオークが撤退か、攻撃かで意見が割れたせいなのか。

 それはオークにとって不快極まりない事だろうが、俺たちにとっては朗報だ。勝機を見出せる。



「勝てる! 勝て――」




『逃げるな!! 進めッ!!』




 河の彼方であるこちらにもオークの声が響いた。



「ヒィ!!」



 ユッタが手にしていた遠眼鏡を落とした。



「ご、ゴブリンを、引きちぎった……」



 そんな莫迦な。だが、それを確認するのは躊躇われた。



「敵が突撃を始めたぞ!!」

「戦闘配置! 射撃用意を急げッ!」



 柵を補修していた歩兵たちが一斉に塹壕に戻って弾を装填する。

 砲兵が砲撃を始めた。

 先ほどの戦闘でコツを掴んだのか、初弾からゴブリンたちの目の前に砲弾を送り届け始めた。



「来るぞ!! これを凌げば俺たちの勝利だ!!」


 ゴブリンたちが堀を越えた。



「撃て!!」



 無数の弾丸がゴブリンたちを襲う。ヘーベワシから奪った鎧を着たゴブリンもこの弾丸の嵐に倒れていく。

 だがそれだけではゴブリンの勢いは止まらなかった。補修したばかりの柵がすぐに倒されて丸太をよじ登ってくる。



「オークが来ます!!」



 悲鳴じみたユッタの声にそちらを向けば、逃げ出そうとするゴブリンを河に向かって投げながらオークが歩んできた。


 ノシノシと、悠々と。


 オークは地面に落ちていた大砲の砲弾を持ち上げ、それを投げた。

 数匹のゴブリンを巻き添えに砲弾は柵にぶち当たった。



「さ、柵が倒れた……」

「覚悟しろ人間共!!」



 橋の彼方から銃声を割るように響いた声に足が震えだした。

 生物的な本能が俺に告げている。オークと戦って勝てるわけが無いと。恐怖が脳髄をしびれさせる。



「う、撃て!! 撃ち続けろ!!」



 そんな事言われなくてもわかっている。そんな空気の中、塹壕にいる全ての兵士が無言で弾を撃ち放つ。


 すでに酷い耳鳴りがする。


 だが銃弾を撃つことだけは辞めなかった。

 敵と俺たちを隔てるのは木製の柵が一つあるだけだ。これが突破されれば敵はすぐに橋を越えてくる。

 その柵もすでにゴブリンの攻撃満身創痍になっている。いつまでも持たない。

 だが橋から逃げようとするゴブリンも多い。ゴブリンが逃げるだけ柵を壊す力が減る。

 柵が壊れるのが先か、それとも俺たちがゴブリンを殺すのが先かの勝負だ。



「ユッタ! 伝令だ! 砲兵隊に橋の上のゴブリンたちを撃つように言ってくれ!!」

「橋は壊してはならないのでは?」

「アレだけ上部な石橋なんだ。砲撃くらい大丈夫だろう」



 確かに砲撃で橋が落ちる可能性もあったが、それをしないと橋が突破されるかもしれない。

 ゴブリンは執拗に攻めてきたし、オークがまた何かを柵に投げつけてきたらひとたまりもないだろう。

 それなら橋を砲撃して敵戦力を無力化してしまった方が良い。

 やらずに後悔するのと、やって後悔するの違いだ。

 スケールと危機感が違いすぎてこの例えであっているのか自分でも分からなくなる。

 だが一向に橋の上に対する砲撃は来い。

 砲兵陣地を仰げばそこにいた砲兵たちが全員こちらに走ってきていた。砲を捨てて走ってきていた。


 どうしてだ?


 どうして砲を捨てたんだ?



「どうした!? 砲撃しろ!!」

「それが――」



 走ってきた砲兵隊を指揮するドワーフが塹壕に飛び込みながら言った。



「弾がなくなっちまって」

「そんな――」



 まさかの弾切れだと!?



「景気よく撃ちすぎましたわ」

「――わかった。第三小隊も射撃をしろ! 濃密な弾幕を張るんだ!!」



 すでに戦いは佳境だ。

 ゴブリンたちの壊走が始まっているからすでに掃討戦と言っても良いかもしれない。



「小癪なッ!!」



 オークは咆哮と共に橋に歩み寄り、障害物として設置していた丸太を片手で掴みあげた。



「嘘だろ……」



 オークは丸太を片腕で抱きかかえるようにして前進してきた。



「火力をオークに集中して!! なんとしても止めて!!」



 悲鳴じみたユッタの声に俺もオークに狙いをつける。撃つ。撃った弾丸は丸太に吸い込まれた。

 銃身が短いために命中率も悪い。いや、そもそも照準を定めるためのサイトが無いのだ。狙いがつけられない。

 こんな事ならもっとしっかりした物を親方と作るべきだった。



「喰らえッ!!」



 オークの一声と共に空いていた手で手近なゴブリンを柵に投げつける。

 ゴブリンの直撃を受けた柵がメリメリと音を立てて倒壊した。

 最後の柵が倒れた。まだ戦おうとするゴブリンが押し寄せて来る。


 もう射撃を続けるだけでは橋を突破される。



「着剣!!」



 腰につけたベルトからスパイク式銃剣を手銃の柄につける。

 これが正念場という奴だろう。ここで俺たちが負ければ死んでいった奴らに顔向けできない。

 いや、彼らを冒涜することになる。



「橋を――同胞たちを守れッ!! 全軍突撃!! 前へ進めッ!!」

「突撃!!」



 号令一下、今まで潜んでいた塹壕から兵たちが飛び出す。

 全員が橋に殺到する。

 ゴブリンたちも棍棒を振り上げて突撃を始めた。

 両軍がガップリと噛み合う。

 蛇と蛇の戦いのように互いの喉下を噛み切らんとするように猟兵とゴブリンが入り混じった。

 すでにあちら側もこちら側もない。


 ただ、目の前の敵を殺すだけだ。


 俺も目の前にいるゴブリンに銃剣を突き刺した。だがその脇からゴブリンが棍棒を振り上げて走ってきた。

 ゴブリンから銃剣を抜いて棍棒を受け止めようとするが間に合わないそうにない。

 目をつぶろうとした瞬間、そのゴブリンの頭部を槍が刺した。



「大丈夫ですかオシナーさん!?」

「大丈夫、だ!!」



 ユッタに襲い掛かろうとしたゴブリンを突く。



「ありがとう、ございます」



 互いに息を切らせながら遮二無二に銃剣を奮う。

 肉を刺した感触が手に残るようだが、そんな感慨を覚えていられるほどゆるい戦闘ではない。

 次から次へと襲ってくるゴブリンにこちらの体力が限界を向かえつつある。

 こんな事ならもっと体力をつけておくべきたっだ。



「後悔の、しすぎかな……」



 生き残れるのかも分からないのに何をそんなに後悔しているんだと、笑いがこみ上げて来た。



「く、フフフ」



 気がつけばケヒス姫様のように笑っていた。きっとすごい悪い顔で笑ったに違いない。



「笑うか人間。気でも狂ったか?」



 橋の中ほどで立ち止まっていたオークが呟くように騒いだ。(酷い矛盾だ)



「分からない。でも、俺たちがやるべき事は分かるつもりだ」

「この圧倒的兵力を止めると言うのか? どうしてそこまで戦える?」



 どうして戦えるか? そんなもの決まっている。



「『亜人』と蔑まされる人たちを奴隷から解放する。そのために戦っているんだ。ドワーフがなんだ!? エルフがなんだ!? 人間がなんだ!? 種族は違えど俺たちは手を取り合える。だから共に戦っているに過ぎない」

「面白い事を言う。だがそのエルフを、ドワーフを、オークを差別してきたのは人間だぞ!!」

「だから、だから俺たちは変わるために戦っているんだ!!」



 橋の上のゴブリンたちはあらかた片付いた。

 数人の猟兵がオークを突き刺すために走っていく。



「甘いッ!!」



 オークは丸太をスイングして彼らをなぎ払う。



「人間風情がッ!!」



 オークが丸太を上段に振りかぶる。一歩、二歩で完全に間合いをつめてきた。歩幅が大きすぎる。



「死ねッ!!」



 死ぬ。それだけ思えた。走馬灯も無い。ただ、無常にも自分が死ぬとしか思えなかった。

 丸太が袈裟切りのように降りかかってきた。



「オシナーさん!!」



 ユッタに肩章を掴まれた。そのまま後に倒される。俺の身体の前にユッタが出た。そのまま俺たちは崩れ落ちる。


 いや、その前に棍棒が襲ってきた。


 俺たちはもみくちゃになって棍棒に撃たれた。俺はしたたか石の床に頭を打ちつけた。

 頭から生ぬるい液体が流れてくるのが分かる。頭が割れたのか。

 だがまだ身体が動いた。いや、動かさねばならない。オークが迫ってくる。

 俺は上半身を起こしたときに、俺に向かって倒れているユッタを見た。

 ピクリとも動かないユッタを見た。



「ユッタ!? おい!! 起きろ!!」



 それでも、ユッタは動かなかった。



「そんな……おい! おい!」

「その小娘も死んだか。それも戦の常だ」



 オークはゆっくりと歩み寄ってきた。棍棒をオークは振り上げた。



「人間。お前たちは良くやった。最期に名前を名乗れ」



 最期、か。天寿を全うしたいと思っていたが、やっぱり無理なのか。

 あーあれだ。前世の記憶を使って金儲けしようと思ったのが間違いだったんだ。うん。

 いや、違う。昔の俺ならそう後悔したかもしれない。



 だが今は違う。



 ユッタを守れなかった。

 そして俺を殺したオークは橋を渡るのだろう。なら、ケヒス姫様との約束も破ったことになる。

 それはこの地にいる諸族を全て裏切ったことになる。

 俺が負けたせいで、奴隷商におびえながら生活するようになってしった。

 

 後悔しても、しきれない。

 

 前世があるように来世があるのなら俺は後悔を引きずって生きていくのだろう。



 そう、思った。



   ◇ ◇ ◇



 その時、ラッパが煌々と戦場に響き渡った。



 天を割くような煌々とした旋律が戦場に響く。



「なんだ?」



 丸太を振りかぶっていたオークが顔を上げた。

 その音はタウンベルクではなく、ヘーベワシの方角からだった。

 そちらに視線を向ければ土煙を上げながら疾走する騎士たちがいた。


 その先頭を行くのは銀色の甲冑に赤いマントを羽織った金髪の姫騎士――ケプカルト諸侯国連合王国第三王姫、ケヒス・クワバトルだ。



吶喊とっかんせよッ!!」



 凍てつくように冷たく、刃のように鋭い冷血姫の声が戦場に響きわたり、ラッパがそれに続く。騎士たちが鬨を上げながら駆け出した。

 騎士たちは散り散りに逃げようとするゴブリンたちに馬上からサーベルや長槍を振るってその首を刈り取っていく。


 狩りのようだ。


 逃げ惑う獲物を馬上から仕留める。それを戦場でしている。

 しかし、二騎だけその狩りに参加することなく橋に向かってきた。ケヒス姫様とヨスズンさんだ。



「うぬよ。何たるざまだ」

「ケヒス、姫様……」



 オークが「コヤツが……」と向きを変えた。



「まさかオークがゴブリンの群れを率いていたとはな」

「ケヒス・クワバトルだな? 貴様の首、貰い受ける!!」

「フン。どうして余が下賎なものと戦わねばならん。ヨスズンやれ」



 ケヒス姫様は一騎打ちの申し出をなんの躊躇いもなくヨスズンさんに渡した。

 ヨスズンさんは乗馬していた馬から飛び降りて腰に吊った剣に手を添え、腰を落とした構えをとった。



「御意に」

「中々、やるようだな。この人間は気迫は良かったが、それだけだったからな。せいぜい、楽しませてくれ」



 オークが間合いを計るようにヨスズンさんに歩み寄る。ヨスズンさんは剣を抜くことなく、静かにたたずんでいる。



「はあああッ!!」



 叫び声と共にオークが詰め寄った。丸太が打ち込まれる。ヨスズンさんはそれを半身だけ引いて避け、動かした足で踏み込んだ。

 腰に治められていた剣が抜き放たれる。



「まだだッ!!」



 オークが打ち込んだ丸太を無理やり先ほどの軌跡をなぞるようにふりぬいた。ヨスズンさんは剣を抜く動作をやめて身を屈めてそれを回避する。

 丸太がヨスズンさんの頭上を通過した。

 ヨスズンさんは仕切りなおしというように後に跳んだ。



「何をしておる。亜人に遅れをとるか?」

「いえ、急に眠気が差したもので」



 なんて言い訳だ。いや、余裕か。

 かするだけでも致命傷を受けそうな丸太の攻撃にヨスズンさんはまだまだだな、と言いたげに首を横にふりながら剣を背中に隠すように構えなおす。



「舐めるなよ人間!!」



 再びオークが詰め寄る。体格の割りにすさまじいスピードでヨスズンさんに迫る。

 ヨスズンさんも前に歩を進め、お互いが急接近する。いや、ヨスズンさんがオークの懐に飛び込んだ。

 そしていつの間にか逆手で持った剣の柄頭でオークの鳩尾を強打した。

 オークはそれで呼吸が出来なくなったのか大きくよろめく。

 ヨスズンさんは素早く順手に剣を握りなおし、上段からオークを切りつけた。



「ぐああああッ!!」



 悲鳴をあげたオークはでたらめに丸太を奮う。ヨスズンさんはそれを回避しながら後退した。



「ヨスズン? 余を怒らせたいのか? さっさと仕留めろ」

「姫様。私も歳です。一太刀いれたので勘弁してください」



 肩で息をするヨスズンさんは再び剣を背中に隠すように構えながらオークと間合いを計っているようだ。



「……ん?」



 ケヒス姫様が片手を挙げた。何かを合図するように。

 もしかして『手銃で背後から撃て』という合図なのか?



「オシナーよ! 今こそ手銃で奴の背中を撃て」

「言っちゃダメでしょ!!」



 オークが振り向いた。だが手元に手銃は無い。いや、あった。橋の欄干に引っかかるように一丁の手銃が転がっている。

 それを掴み取る。その際にユッタが俺からズリ落ちて鈍い音を立てた。

 だが今はユッタに構っている暇は無い。再びオークが俺に向き直ろうとしている。

 だが、その一瞬にヨスズンさんが斬り込んだ。

 オークの背中から鮮血が噴出す。ヨスズンさんは反す刀で再び斬りつけた。



「ぐあああ!!」

「くぅ……」



 オークの断末魔の中に小さなうめき声が聞こえた。



「痛ッ……」

「ユッタ!! 大丈夫か!?」



 ユッタは小さくうなづいて左腕をかばうように上半身を起こした。骨が折れているのかもしれない。

 だが。



 だが良かった。



「オシナーさん。泣かないでくださいよ。恥ずかしいです」



 そうだな。泣くところではない。だが、今度は俺が泣きたいんだ。

 ユッタを守りきれないと思った。大切なものが手のひらから滑り落ちていくのかと後悔した。

 ユッタという存在もヘーメルのように俺が殺してしまったと後悔した。


 安堵で涙が出てしまう。


 指揮官が無くとは――と言っていたが、それでも俺は耐え切れなかった。

 だが俺の感傷を吹き飛ばすような大声が上がった。



「この、卑怯者めが……ッ!!」

「勝ってから物を言え。下郎」



 馬上という高い視点にいるせいか、ケヒス姫様はより見下すように言った。完全に悪役だ。

 正義の台詞ではない。



「姫様。確かに今のは感心いたしません」

「黙れ」



 ピシャリと言う言葉にヨスズンさんはケヒス姫様への追及をやめた。無駄だと思ったのだろう。

 だがケヒス姫様のたくらみに乗ったヨスズンさんも人の事を言えないのではないか。

 そのヨスズンさんは剣をオークに向けながら尋問を始めた。



「おい、亜人。貴様はどうしてゴブリンを率いて姫様を害そうとした?」

「……知れたことだ。この地を俺様が支配するためだ」

「では、それを『そそのかした』のは誰だ?」



 何を言っているんだ? これはゴブリンとオークが手を組んで乱を起こしただけではないのか?



「誰かが言ったはずだ。姫様の首を差し出せば東方辺境領をやるとな」

「…………」

「姫様には敵が多いから別に驚いたりはせん。早く言えば楽に死ねるぞ?」

「…………」

「言えぬか。まぁいい。私は悪名高い姫様の従者をしているからな。それなりに『会話術』を持ち合わせている。昨年のクワヴァラード掃討戦でさらに磨きがかかったと自負もある。簡単には殺さんぞ」



 今までに見たことも無い殺気を放ったヨスズンさんに悲鳴が出そうになった。さっきの決闘でもそこまでの殺気を出していなかったぞ。

 ケヒス姫様は「悪名とはなんだ」と文句を言いながら馬を下りた。


 スタスタと歩きながら橋の端を一瞥して懐から羊皮紙を取り出してそれを広げる。



「少しもらうぞ」

「え? 痛たッ」



 ケヒス姫様は俺の額から流れる血を親指につけ、羊皮紙に押し付けた。



「橋の守備、良い働きだった。これは亜人政策転換の証文だ。受け取れ」



 ケヒス姫様は紙くずをすてるようにハラリと羊皮紙を投げた。慌てて空中で拾う。



「――ッ!! 確かに、確かに受け取りました」



 ケヒス姫様はそれを聞くと小さくうなづいた。心なしか、笑っている気がする。



「そう言えば、どうしてヘーベワシ方面から来られたんです? タウンベルク丘陵に陣をしくと聞きましたが」

「なに。うぬが謁見の間を去った後、ふと思いついたのだ。タウンベルクに陣取る傭兵たちが遅滞戦術を行ってくれれば敵軍の背中を突けるとな。故に国分川のほうから迂回した。故に一昨日に城を出た」



 本陣の位置を知らされていないなんて、なんと信用のない部隊だったんだ。

 気がつくと証文を受け取ったテンションはすでに無くなって、逆にブルーになっている。



「オシナー。兵たちを整列させろ。訓示を行う」

「は、はい!! 中隊整列!!」



   ◇ ◇ ◇



 整列できた猟兵中隊の数は出陣の時の半分以下になっている。



「合計、三十五名。整列完了しました!!」



 三分の一。半日前まで百人の兵を有していた猟兵中隊とはまるで思えない。

 誰もが煤だらけで、泥まみれで、返り血まみれだった。

 ケヒス姫様が押した赤い軍服もくすんでいる。



「ケプカルト諸侯国連合王国第三王姫、ケヒス・クワバトル殿下に、かしらぁ! なか!」



 ユッタの号令に兵たちは素早く答えた。全ての眼光がケヒス姫様を見つめる。

 憎しみを抱く瞳。疲れを抱く瞳。悲しみを抱く瞳。

 全ての瞳がケヒス姫様を見つめ、ケヒス姫様は全ての視線に応えるように堂々と、朗々と口を開いた。



「皆のもの。天晴れな働きであった!!」



 その時、雲の隙間から陽光が指した。オレンジに染まったその光を受けて虹が空に浮かび上がる。

 茜色に輝く雲と七色の光のアーチがまぶしくて、美しくて涙が出そうになる。

 敵に勝利できたからこそ見れた美しい世界の下でケヒス姫様は言った。



「貴様らの戦ぶりはこの目に焼き付けた!! 貴様らの奮闘ぶりは今後王国一千年の歴史に名を刻むことになるだろう! 余はその先兵として散っていった貴様らの仲間たちに報いたいと考える!! すなわち東方辺境領の自治権の譲渡を含めた亜人政策の転換をここに宣言する!! 貴様らはよくその責務を果たすために戦った!! だが戦がこれで終わりということではない。東方辺境領の自治と繁栄を守るのはいつでも我ら軍人である!! 今一層の忠を余に尽くしてくれる事を願うばかりだ。それこそ東方の解放を推し進める原動力となろう! 以上!!」




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