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銃火のオシナー  作者: べりや
第一章 アムニス事変
5/126

鉄雨と血涙

 「お前が大将か、人間?」



 そう問いかけてきたのは隻眼のオークだ。二メートルほどの巨体に見下ろされるというのは予想を上回るプレッシャーを受ける。

 だがその肉体は身長だけではなく、その筋骨隆々とした肉体は何キロあるのか想像できない。

 あの剛腕が振り下ろされれば俺はきっと真っ二つになるだろう。



「東方辺境騎士団、猟兵中隊中隊長のオシナー、です」



 何もオークの圧力に屈して『です』をつけたわけではない。

 誰も聞いていないかもしれないが、大事なことなのでもう一度言おう。

 何もオークの圧力に屈して『です』をつけたわけではない。


 交渉のテーブルなのだから相手を敬う心は必要だ。それがオークであっても。

 それにしてもなんとも情けない肩書きだ。

 たかが中隊の長と名乗っているにすぎないなんて。これにはオークも顔をしかめた。



「俺様は大将を呼んだのだ。軍使は求めておらん」

「い、いえ。橋の死守を命じられた部隊の責任者は()なので……」



 思わず一人称まで変わってしまった。しっかりしろ、俺。

 オークはため息をついて「冷血姫が出てくると聞いたが、デマだったか」と呟いた。

 そのケヒス姫様だが、きっと「余は下賎なオークとは話しとうない」とか、言うんじゃないだろうか。ヨスズンさんの苦虫を潰したような顔が思い浮かぶ。

 そう言えば、タウンベルクではケヒス姫様やヨスズンさんの姿を見かけていない。どこにいるんだ?



「おい。人間」

「は、はい!」

「この橋の守備だぁ? 笑わせる。吹いたら倒れるような指揮官が橋を守るだぁ?

 冗談は好きじゃないんだ。とっとと逃げるか、降伏をしろ」

「それは出来ません」



 俺の即答にオークは「あぁん?」と殺気だった問いを返した。

 その視線に思わず冷や汗が流れ落ちるのを感じる。だが、ここで臆すわけにはいかない。


「我々は橋の死守を命じられています。この戦いで俺たち東方諸族のために勝たねばなりません。そこで提案ですが、降伏してください」



 オークは目をパチクリと瞬きをして固まった。

 そして、大声で笑いだした。天に轟くような、銅鑼を鳴らすような大笑いだ。



「東方諸族のため? 人間風情が何を言っている。この地を奪い、その東方諸族を虐げている人間が何を言っているのだ?」

「俺たちがこの橋を死守できればケヒス姫様は亜人政策を見直すと確約されました」

「死守? あそこにいる赤服ほどの兵でか? 莫迦をぬかせ。我が配下はゴブリンとは言え、五千の大軍だ。それをあの芥子粒程度の兵で相手しようとは。片腹痛い!!」



 その指摘は正しい。正しすぎる。

 圧倒的な数だ。こうして橋の対岸に渡って敵を間近に見てようやく分かった。

 自分たちがいかに劣勢であるかがよく分かった。

 柵も堀も役に立つとは思うが、焼け石に水だと言うことがよく分かった。

 戦場における戦力差ほど勝敗を分けるものは無いと言うことが、よく分かった。



「亜人政策の見直し? なにぬるい事を言ってんだ。人間が俺たちに何をしたと思っている? 虐殺だ。力ある者は殺され、力のない者は奴隷にされた。

今度は俺たちの番だ。クワヴァラードを手にいれ、人間共が蔑む亜人の王国を築く。人間は一人残らず奴隷にして死ぬまでこき使ってやる。それが俺様たちの悲願だ」

「亜人の、王国?」

「そうだ! だから人間。逃げるなら今のうちだ。もっとも俺様の奴隷になりたいと言うのなら話は違うがな! がっははは!!」




 銅鑼を打ち鳴らすような笑いに頭が痛い。

 いや、頭が痛いのはそれだけではない。

 亜人の王国を作り、人間を奴隷にする?

 今まで虐げられてきたから、今度はそれを人間にするのか?

 確かにケヒス姫様の対亜人政策は褒められたものじゃない。

 奴隷商を保護することが許されるとは思わない。

 クワヴァラード掃討戦だってそうだ。諸族を虐殺したことが許されるとは思えない。


 だからって――。


 だからって人間を奴隷にする事も俺は許せない。

 人間も、ドワーフも、エルフも共に歩める事を知っている俺は、それを許す事が出来ない。



「では改めて回答します。我々はケプカルト諸侯国連合王国第三王姫ケヒス・クワバトル様よりアムニス大橋の死守を命じられています。この戦いで俺たちはこの地にいる諸族のために、亜人政策転換のために勝利しなければなりません。そこで提案なのですが、降伏してください」

「……お前は莫迦か。それとも気でも狂ったか?」



 呆れ。

 ここまでオークの表情が読めるとは思っていなかったが、その顔を見なくてもその感情を推し量れる。

 それほど莫迦な回答だ。



「その気骨は人間にしてはよく出来ている。それに免じて攻撃は明日にしてやろう。だがな、お前らが夜陰にまぎれて奇襲してきたら容赦はしない。一人残らず殺してやる。

 せいぜい首を洗って待っていろ」



 オークはそう言って俺に背を向けた。壁のような背中だ。

 俺もオークに背を向けて自陣に戻った。顔面蒼白になっている気がするが、それを隠すように軍帽を深くかぶりなおした。

 そして猟兵中隊の陣地に戻ると手銃を構えたユッタ達が心配そうに俺を見ていた。

 まだ距離はある。急いで顔色を作り替えなくては――こんな死人のような顔をしていては皆が不安がる。

 何気ない動作で――それこそ雨をぬぐうように顔をマッサージし、そして俺は塹壕の中に戻った。



「大丈夫でしたか?」

「問題、無い」

「……敵は、あのオークはなんと言っていたのですか?」



 張りつめたユッタの声に俺は言葉が詰まった。

 そして俺の顔を不安げに覗きこんでくる兵達一人、一人が俺の答えを待っていた。


 その兵士を見てしまうと絶望的な物量差に表情筋が崩壊しそうになる。

 しかしそれだけはやってはいけない。

 それをしては恐怖が氾濫して収拾がつかなくなる。


 それでも――。

 それでも、出せるのなら俺も撤退命令を出したい。

 ここで皆の命を投げ出して戦えと言える立場ではない事くらい分かっている。

 ここにいる全員を危険にさらさせる道理は無いと分かっている。

 こんな一方的な戦争に皆をつき合わせたくないと思う自分がいる事くらい分かっている。


 でも、俺は皆を死地に追いやらなくてはならない。

 この地で暮らす諸族が安住できるように俺たちは戦わなくてはならない。

 もう『出荷』されていく仲間を見たくない。


 ――だから、俺たちは戦わなくてはならない。

 ふと、『米海兵隊が教えるタリバンから命を守る二百のテクニック』の一節を思い出した。


『諦めこそ死だ』


 今、諦めたら亜人政策の転換は無い。それどころかあのオークは人間を奴隷にしようとしている。

 そんな事をすれば人間と再び戦争になる。血で血を洗うような戦争になるだろう。

 なら、俺たちは負けられない。ここで――アムニス大橋でそれを止めなくてはならない。



「敵の大将であるオークとの話し合いの結果、敵は我々に降伏する気は無いそうだ」

「あの、五千の大軍が百の集団に降伏するわけ無いじゃないですか……」



 ユッタのあきれ返った声に笑いが起こった。暗かった塹壕に光が差したようだ。



「敵は律儀にも明日から攻撃すると言ってきた。タウンベルク丘陵へ伝令を送ってこの事を伝えてくれ。

 その他は築城作業を継続。ただし一個小隊は常に塹壕でいつでも戦闘が行えるよう待機していてくれ。

 皆、頼んだぞ!!」



 諦める事が死神と同義なら、俺たちは諦めない。絶対に諦めてなるものか。



   ◇ ◇ ◇



 野戦築城や野営の準備と言った事を目まぐるしくやっていたらすぐに日が沈んでしまった。

 やる事が多かったせいで時の流れが速かく感じたのか、それとも分厚く垂れこめる雲のせいなのか判断が付かない。


 それだけ余裕が無かった。


 諦めたくはないと思っているがどこか、この戦いに絶望しそうな自分がいる。

 荒れ狂う暴風を受けて折れてしまう木々のような運命を辿るのではないかと思うと飯も喉を通らなかった。


 だがそれは俺だけではない。中隊にいる全員がそうなのかもしれない。

 兵たちには飯の後に見張りを除いて自由時間を与えたが、皆早々に寝てしまっていた。

 それでも各テントの周辺を巡回した時はそこからは人の起きている気配が伝わって来た。

 その巡回から帰って騎士団から貸与されたテントの中で目をつぶっていたが、やはり寝付けない。

 寝返りをクルクルとうっているが、もう何周したのやら。



「寝れるわけねーよ……」



 恐怖と興奮が入り混じって意識が妙に高ぶる。そんな状態で寝れるわけ無い。

 寝ようと思うと余計に目が覚めてくる。

 すでに昨日、寝付けなくて徹夜気味だったのだから今晩こそは眠りたい。

 だが――。



「起きてますか、オシナーさん」



 テントの外からの声ではない。テントの中だ。

 騎士団からテントの供与があったと言っても全員が入れるわけが無い。だが、士官は別だ。

上官であるのだから兵に比べて贅沢にすごすべきだ。一個のテントに一人――と、行きたかったが、テントの数が絶対的に足りなかったので俺とユッタは同じテントを使っていた。(一応、余ったタープで仕切りは作ったが)



「起きてるよ。もしかして起こした?」

「いえ。そんな事は。わたしも眠れなくて……」



 そりゃ、そうか。



「今更という感じですが、お礼を言わせてください」

「お礼?」

「わたしたちを助けていただいたことについて、です」



 今更とユッタは言ったが、その件についてはケヒス姫様がユッタたちを『買った日』にすでに言われている。

 それに今思えばそこまでお礼を言われるような事はしていないと思う。(主に吐いていただけだし)



「別にいいさ。俺はなんもしていないし、そもそもその資金は俺のでは無くケヒス姫様のものだし。それにもう済んだ話だろ」

「いえ。オシナーさんには感謝してもしきれません。あの奴隷馬車の中でどれほど絶望したことか。そこから助けていただけるなんて、思ってもいませんでした」



 俺とユッタを仕切るタープが持ち上げられる音がした。先ほど、雨こそ止んだのだが、まだ月が出ていないためにユッタを見ることは出来ない。それでもその温かみのある気配を感じることは出来た。



「あの日、突然槍や弓を持った奴隷商が襲ってきたんです。村の幼子を人質にとって。目に付いたエルフを片っ端から馬車に積んだんです。抵抗する者は、殺されました」



 俺のいた村にはそういった連中は現れなかった。だが、それはとても稀なことで、人間の襲撃を受ける村の方が多いのかもしれない。そして『出荷』される人も多いのかもしれない。



「北レギオに出て、見世物になっている自分たちにまず絶望しました。街道でも、物を見るような目で見られました。クワヴァラードについて奴隷を顕す刺青を腕に彫られて……。それで『あぁ。わたし、物として売られるんだ』って、思ったんです。それでさらに絶望しました」



 ユッタがタープを超えて俺の隣に座った。だから俺もかけていた毛布をはねのけて座った。

 どことなく、互いの視線が交わっているような、そんな錯覚のような思いがした。



「誰も声をかけてくれませんでした。当たり前ですよね。市場の鶏が助けてって言っても誰も見向きもしませんよね。だから、嬉しかったんです」

「……嘔吐していただけだよ」



 あの光景を思い出しただけで恥ずかしくなる。エルフの面前で胃の中のものをぶちまけるし、威勢のいい啖呵を切ったつもりが、最終的にケヒス姫様に泥を塗るような行為をしてしまった。

 あの日の出来事は無くしてしまいた過去になりつつある。

 だがユッタたちを助けたということは後悔はしてない。

 助けたというにはおこがましいが、それに完全に自己満足も入っていたろう。なんと自分は醜悪なのだろうと嫌気が差す。

 

でも、それでも、俺はユッタたちを助けられて良かったと思う。

 そこに後悔も反省も無い。



「あの時、助けていただけなかったら今頃は貴族たちの玩具になって、飽きられたら殺されていたんだと想います。だから、オシナーさんに救っていただいたこの命、オシナーさんに捧げます」

「ユッタ……」



 命を捧げると言われても、それに対する答えを俺は持ち合わせていなかった。

 そりゃ、騎士や王族となれば家臣からそう言われることだってあるだろうが、俺は工商だ。

 それも出自の怪しい孤児だ。

 そんな俺に、その言葉はもったいなすぎる。



「明日は勝ちましょう」

「あぁ、そうだな」



 それでもその言葉のおかげで胸の中に暖かな闘志が涌いてきた。それが全身に力をみなぎらせてくれた。



「諸族の命運を背負うなんて、わたしたちには分不相応ですよね」

「そうだな。それでも、百人の中隊で背負えば、なんとかなるんじゃないのか?」

「なんとか、なるかもしれませんね。奴隷商に捕まったときはもう助かることは無いと思っていましたが、オシナーさんのおかげで助かりましたし、今回もそうなるかもしれませんね」



 きっと、今のユッタは笑っているに違いない。こんな絶望的な状況の中で笑えるユッタにいとおしさを感じる。


 守りたい――。

 そんな笑顔を守れたら、それこそ御伽噺の英雄になれるんだろうな。



「明日は命に変えてオシナーさんをお守りいたします」

「それなら、俺も命をかけてユッタを守ろう」



 ――自分で言っておいてなんだが、恥ずかしくて、臭い台詞だ。



「――なんだか、気恥ずかしくなってきますね」



 ユッタもそう思ったか。ゴソゴソとユッタはタープの奥に消えていった。俺も恥ずかしさで身動きが取れなくなった。

 いや、身もだえしたい。許されるなら発狂して走り去りたいくらいだ。



「あの……」

「な、あに!?」



 ……思わず声が裏返ってしまった。きっとこの闇が無くても俺が赤面している事をユッタは察しているに違いない。



「手を、つないでくれます?」



 そのユッタの声も、彼女が赤面しているであろう事を俺に想像させるほど震えた声だった。

 タープの裾から小さい手が出てきた。光があれば色白で、小さいその手を見ることが出来たのだろうな。


 俺はそれを握った。

 その手は震えていた。



「急に人恋しくなって……」



 俺を守ると――命に変えても守ると言ってくれたその人の手は、恐怖におびえていた。

 だから、強く握り返した。



「大丈夫だよ。大丈夫」



 根拠なんて無い。だが、だからって諦めていいものではない。

 俺は恥ずかしくても、ユッタを守りたいと思ったのだから。


 ――戦う理由が増えたな。

 なんて格好はつけない。だが、できるだけ多くを守りたい。俺は英雄でも騎士でもない。

 ただの工商に過ぎないんだ。

 だが、それなら英雄や騎士には出来ないような方法でそれを守ろう。


 できるだけ、多くを。



   ◇ ◇ ◇



 夜が明けた。ユッタと会話して、手をつないでぐっすり眠った。訳が無い。

 余計に目が覚めてしまった。

 それはユッタも同じだったらしく、俺達は取り留めの無い話しをして、気がつくと浅く眠って、お互いが起きていることが確認できれば話をして、を繰り返していた。

眠れるわけが無い。ぶっちゃけ二徹だ。

 そのせいか、体は多少だるいが、心だけが空回りして元気が出ているような感じがする。



「総員、戦闘配置完了!」

「別名あるまで待機だ」



 俺は遠眼鏡で敵陣を観察する。


 ゴブリンたちは相変わらずアムニス大橋から三千メートルほど離れて停止している。

 その中で一番目立つ存在――オークが腕を上げていた。それが振り落とされる。

 それを合図にゴブリンたちが鬨の声を上げながら前進を始めた。



「砲兵隊より、攻撃準備完了との事です!!」



 ユッタの声を聞いても俺はまだゴブリンたちを凝視していた。

 よくよく見ているとオークとその周辺にいるゴブリンは動いていないようだ。

 こちらに向かってくるのは二百程度のゴブリンだけ。


 斥候か。

 だが、斥候でもやることは変わらない。誰一人、この橋を渡らせる訳にはいかないのだ。

 彼我の距離が二千メートルを切る。



「攻撃準備!!」



 俺の号令に兵たちが復唱する。

 腰に吊っているポーチから早合カートリッジを取り出す。

 油紙で包まれたそれを噛みちぎり、その中に入っている火薬を手銃ゲヴェーアに流し込み、それから油紙に包まれたままの弾丸を銃口に押し込んだ。そしてカルカで突き固めた。油紙ごと弾丸を装填したのは油のおかげで銃身と弾丸とに発生する摩擦と磨耗を低減するためだ。

 そして火薬の入った袋から火口に火薬を乗せる事で射撃準備が終わる。後は補給係りの兵から火のついた火縄をもらい、それをカルカにセットした。


 さて、ゴブリンたちは? 千メートルを切るか?



「砲撃始め!!」



 俺は大声を上げて砲兵陣地に手を振る。それを見た小隊長が何か号令をかけている。

 その命令を受けた一番砲を操砲する班長が手にしていた赤旗を振り下ろした。


 轟音と白煙が砲兵陣地を包み込む。


 砲弾は先陣をきるゴブリンたちの頭上を越えて着弾した。

 続いて二番砲が砲撃する。一番砲の着弾を見て手前に撃ったようだ。


 最初は遠くに、次いで近くに向かって撃つ。その誤差を修正して最終的に目標に直撃させる。

 ここまでは今まで訓練してきた砲撃のセオリー通りだ。

 先陣の手前に着弾した砲弾が盛大な土煙を上げる。



「攻撃準備、完了しました!!」

「よし! 撃ち方用意!!」



 塹壕に身を潜める歩兵たちが手銃を構える。ゴブリンとの距離は五百メートルか、少し遠いくらいだ。

 再び一番砲が咆哮した。その弾はちょうど先陣をきるゴブリンたちの真ん中に着弾した。

 地面とぶつかるまえに砲弾はしっかりとゴブリンたちを肉塊にした。着弾した後もその力を衰えさせず、力の限りゴブリンたちを押しつぶしていく。


 その攻撃力にゴブリンのスピードが落ちたように思えた。

 速度の落ちたゴブリンの群れに二番砲の砲撃が命中し、耳障りな悲鳴を上げた。


 だが、前進は止まらない。すでに百メートルを切っている。

 もう二門も大砲があれば簡単にゴブリンを殲滅出来たろうなと思うが、無い物は仕方ない。



「砲兵に負けるな!! 攻撃用意!!」



 火縄に息を吹きかけて燃焼速度をコントロールする。

 そのとき、新たな悲鳴が聞こえた。



「やりました!! ゴブリンたちが堀に落ちましたよ!!」



 ユッタの言ったとおり堀に阻まれたゴブリンたちが立ち往生している。堀には確か、杭を仕込んであるはずだから突破は困難だろう。

 距離は七十メートルほどかな。ギリギリ手銃の射程外だ。

 手持ち無沙汰な感は否めないが、立ち往生しているゴブリンたちに次々と砲弾が降り注いでいる。

 緒戦としてはだいぶ優勢だろう。急ごしらえの陣地でも中々戦えるものだ。



「敵第二派接近!!」



 その声に敵陣を伺えば千ものゴブリンが前進を始めたところだった。



「砲兵隊に前進中の敵第二派を攻撃するように伝えろ!!」

「分かりました!!」



 ユッタが歩兵小隊に所属するエルフに伝令を頼みに行った。砲兵隊はまだ堀の前で右往左往するゴブリンしか攻撃していない。

 伝令が走りさり、ようやく第二派を攻撃しだしたのは敵との距離が五百メートルを切った頃だった。

 こちらの砲撃が第二波に攻撃が命中した時、ついに堀の前でさまよっていたゴブリンたちに後続が合流した。

 そして――。



「そんな……」



 後続のゴブリンたちは前衛を堀の中に突き落とした。前衛のゴブリンを使って堀を埋めようとしている。

 なんて強情な奴らなんだ。仲間を犠牲にしてでも前進するつもりなのか!?

ついに後続のゴブリンが堀を突破した。橋の前面に設置された柵に取り付く。

今だ。



「撃てッ!!」



 俺の号令と共に無数の銃火が飛び出す。

 それらは柵に取り付いたゴブリンたちに命中して柵から転げ落ちた。



「自由撃ち方!!」



 もう、射撃開始の合図を待つ必要は無い。各自、装填出来次第に撃つだけだ。

 橋の彼方からは悲鳴が、橋のこちらからは銃声が不協和音の合唱を奏でる。

 そこに大砲が合いの手をいれて戦場かいじょうを盛り上げる。


 バキンッと音がした。柵が倒れる音だ。


 いくら堀や柵に阻まれたとは言え相手は千の軍勢だ。数に物を言わせて前進してきた。

 幸いにも突破されたのは最初の柵だ。まだ二つの柵と丸太を横に寝かせた障害物がある。

 それに橋の幅にしか展開できない敵は数の利を十分に発揮できないはずだ。



「撃て!! 撃ちまくれ!!」



 もう命令と言っていいのか疑問の命令だが、言わずに入られない。



「この一発一発に同胞の未来はかかっている!! 撃て!!」



 そうだ。生き物を撃った罪悪感は捨て置くしかない。今はこの地で暮らす諸族のために、同胞のために戦う時だ。罪悪感にさいなまれる時間はない。



「敵が丸太を超えました!!」



 俺の腰より低い高さの丸太だが、子鬼ゴブリンにはそれを超えるには難しい高さのそれは障害物としての任務を全うしてくれた。

 やっとの体でそれを上ったゴブリンは手銃の弾幕に刈り取られる。

 丸太を降り立ったゴブリンも各個に倒れていく。

 そして大勢のゴブリンでごった返す橋向こうには大砲から狙い撃ちにされている。


 後は作業だ。こちらは弾を撃つだけの簡単な作業だ。

 罪悪感も忘れてしまいそうなほどの単純労働に謀殺されながら俺たちは弾を撃ち続けた。

 ここまで接近されて分かったが、ゴブリンたちの主武装は丸太を削った石斧や棍棒が主な装備のようだ。


 一方的な飛び道具の戦闘。

 こちらは命の危機を感じずに一方的に敵を蹂躙できる様はまさに戦争とは呼べない。

 よく言えば単純作業。悪く言えば――。


 虐殺だろうか。


 だが放たれた弾丸がゴブリンに命中してその命を奪っている実感がわかない。故に虐殺をしているという実感がわかない。頭の中ではこれが虐殺だと訴える自分がいるが、それを体感できないのも、事実だ。嫌悪感すら浮かばない。

 まだ、包丁で動物を解体するほうが嫌悪するほどだ。



「敵第三派接近!!」



 射撃をやめて遠眼鏡をのぞく。

 濃密な白煙のせいで見にくいが、さらに二千ものゴブリンが接近してきている。



「弾! 弾をくれ!!」



 すでに携行していた弾丸を撃ちつくした兵たちから悲鳴じみた声が聞こえた。

 俺のもっている弾丸もそこをつきそうだ。

 弾薬箱を抱えた兵士たちが狭い塹壕を走りまわって弾薬を補充していくが、消費量の方が速そうだ。

 だが、一発でも多く撃つことが敵の侵攻を食い止めるもっとも効果的な方法だ。故に手を休める者は誰も無い。

 そしてついに俺の携帯していた弾薬が底を尽きた。



「俺にも弾をわけてくれ!!」

「お待ちください!」



 木で出来た弾薬箱を抱えた兵士が走ってきた。そのとき、その兵士の首に矢が生えた。



「え?」



 兵士は目を見開いたまま身体のバランスを崩して倒れこんだ。



「弓兵だ!!」



 その声に対岸の敵を観察すると白煙の隙間を縫うように弓矢を打ちながら前進するゴブリンたちがいた。

 その中に弓矢は持っていなくても銀色に輝く鎧を着たゴブリンもいる。



「アレは……。ヘーベワシにいた傭兵のものか!?」



 ヘーベワシで殺された傭兵の装備を剥ぎ取ったのか。

 強欲で有名なゴブリンだ。その可能性をまず考慮すべきだった。



「矢に注意しろ!! 弓兵を優先的に狙え!!」



 だが射程という点において手銃は弓に完全に負けていた。



『なるほど。弓に比べて射程も命中率も落ちると。それに火がなければ意味が無い。つまり手銃は弓矢には勝てぬのだな』



 ふと初めてケヒス姫様とクワヴァラードの城で話し合った日を思い出した。

 射程と命中率で手銃は、弓矢に勝てない。

 火薬の量を増やせば射程も伸びるだろうが、それでは銃身が火薬の爆発に耐え切れずに破裂してしまうだろう。



「もう少し、射程があれば……」

「敵の第三派と第二派が合流しました!!」



 すでに掘りはゴブリンたちで埋められてしまった。彼らはその上を何事もなく進んできた。

 あの数では二個目の柵を突破されるのも時間の問題だろう。

 だが、こちらの弾薬が欠乏しつつある。


 いや、弾薬はある。馬車に大量の弾薬を備蓄しているから数は大丈夫だろう。

 だが、その弾薬運搬係りの仕事が射手の発射弾数に追いついていない。その上、降り注ぐ矢のせいでこちらは段々と身動きが取れなくなりつつある。

 その状況に歯噛みしていると第一小隊の小隊長であるヘーメルが走ってきた。



「隊長!! このままでは突破されます! 突撃の許可を!」

「今、突撃しても戦力を悪戯に消耗するだけだ! 動けるなら弾を運べ!!」



 そもそも白兵戦となれば数と質で劣る我が中隊では勝負にならない。



「三番柵まで前進させてください!! コイツをお見舞いしてやりますよ!!」



 彼が手にしているのは砲兵隊が弾を発射するために用いている火薬袋だった。どこから持ち出したと言う疑問が湧いたが、それを口に出す前にヘーメルは早口に言った。



「導火線をつけて、投擲させてください!! その後は戦列に戻ります!!」

「そんな無茶な!」

「無茶というなら隊長も変わらないですよ!!」



 その言葉が百人の兵で五千のゴブリンと戦うことを言っているのか、それともケヒス姫様に啖呵を売ってしまったことのか、それともあの奴隷馬車の前で叫んでいた事をいうのかは判断できなかった。



「俺たちエルフは身軽が売りです! ちょっと火薬袋を投げつけて、すぐに戻りますよ! そこにいてドワーフなんかには出来ない軽業を見ていてください!!」

「でも……」

「行かせてください! 今こそ、あの奴隷馬車から助けていただいた恩を返させてください!」



 恩を返したいという気持ちは分かる。だが――。



「隊長、俺たちの村に奴隷商が来たときに、俺たちに抵抗されないように人質が取られたんです。それが、俺の娘でした。俺がしっかり家の中に入れておけば良かったのに、あいつは家の外に出てしまったんです。そのせいで、俺たちは奴隷にされてしまったんです。このままでは村には申し訳なくて帰れません。だから、俺にチャンスを下さい!」


 胸を張って村に帰るための、チャンスを――。



「……三人つけろ。人選は任せる」

「あ、ありがとうございます!!」

「後、その袋の中に石とか木片とかを入れろ。火薬が爆発してその衝撃で石とかが飛び散れば殺傷力があがる」

「了解いたしました!!」

「ユッタ! 小隊長たちを援護するよう伝えろ!!」

「ハイ!!」



 これで良いのかは分からない。

 ヨスズンさんだったら、もっと別の命令を下すのだろうか。それとも同じ決断を下してくれるのだろうか。


 分からない。

 タウンベルク丘陵にいるであろう、ヨスズンさんは――いや、ケヒス姫様が従える騎士団はどう思って見下ろしているのだろうか。


 その時が来た。矢をかいくぐるように集まった四人のエルフは緊張で顔をこわばらせながらも、強い瞳で俺を見つめていた。

 そんな彼らにユッタが声をかける。同じ村のエルフなのだから思う所があるはずだ。



「気をつけてヘーメルさん」

「心配しないでくださいユッタ大尉。帰ったら娘にも、族長殿にも自慢できますよ」

「あの事なら貴方が気に病むことではないわ」

「これは自己満足ですから。別に気に病んではいませんよ」

「自己満足って……」

「そうやって、納得しないといけないんですよ。それより準備できました隊長!」

「本当に良いのか?」

「えぇ。カッコいい父親になってきますよ」



 彼の顔は、まぶしい笑顔だった。だから俺は最高の敬礼をした。彼らを送り出すのに礼を失することがないように。ケヒス姫様にするように、最高の礼をした。



「ヘーメル少尉以下三名! 突撃準備よし!!」

「……突撃せよ!!」

「いくぞ!! ゴブリン共にエルフの意地を見せてやれ!!」

「援護射撃!!」



 激しい銃火と矢の中をヘーメルたちが走り出した。すでに火薬袋につながる導火線には火がついている。

 突撃をした四人が橋に踏み出す。


 一人が矢を射られた。バランスを崩して橋から急流に飲み込まれる。だが、残り三人は走る。

 また一人が矢に身体を貫かれた。ヘーメルがその兵士から火薬袋を奪うように掴んだ。


 そして、投擲した。三つの火薬袋は弧を描きながら跳んだ。

 また一人、矢に射られた。ヘーメルが背を向けてこちらに走ってくる。


 彼を守るように弾幕が張られる。

 投げ飛ばされた火薬袋が爆発した。袋の中につめられた石片が、木片が火薬の力で飛び出す。それも高速で。

 それらの破片は近くにいたゴブリンたちに突き刺さり、さらに爆発による衝撃波が彼らを襲った。

 橋の上に展開していたゴブリンたちが浮足立つのを感じる。

 前衛は後退しようとしているが、前に進もうとする後続とで身動きが取れなくなっているようだ。



「今だ! 撃て!!」



 身動きの取れないゴブリンたちは再び的となった。前衛は手銃で蜂の巣となり、後衛は大砲で肉塊となる。



「やったぞ!」



 歓声を上げてヘーメルが帰ってきた。

 誇らしげな顔をして塹壕に滑り込む。



「よくやった!!」

「ヘーメルさん!」

「やりましたよ、隊長」


 ヘーメルはそう呟いて倒れた。彼の背中には、深々と矢が刺さっていた。



「おい! しっかりしろ!! おい!! おいッ! しっかり、してくれよッ……」



 俺の声は銃声と砲声と、悲鳴の合唱の中に消えた。


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