タウキナ継承戦争
「敵集だ! 森に居るぞ! 兵を出せ」
「しゅ、シューアハ様! ご無事ですか!!」
「それより敵の伏兵だ。森にいるぞ!!」
一体、何が起こったというのだ。
森から雷音のような音が聞こえたかと思ったら攻撃陣にいた魔法使い達が次々に倒れてしまった。
そうだ――!
「ヘーパザラ! どこだヘーパザラ!!」
息子は確か朝から攻撃陣に居たはずだ。もしかして――。
むっとする血の臭いに心臓の鼓動が速くなる。
まず目に入ったのは二つ年下の妹だった。
気立てのよい、研究熱心な妹。嫁に出てもよく城に来て研究の手助けをしてくれた妹。
胸から流れ出る赤い液体に浸されてしまっている。
その隣に居る者は顔が消えていた。だが、理解した。してしまった。
「ヘーパザラ……」
我が息子。
四肢を放りだすように倒れてしまったその姿に目の前が暗くなる。
「……生きておるものはおるか?」
かすれた声で問いかけても返事は無い。なんと、なんという事だ。
「シューアハ様! 観測陣から報告です! クヌアンの街道から新手が出たと!
敵は青地に白薔薇の軍旗――タウキナ公家当主、アウレーネ・タウキナ様の御旗をはためかせていると――。
シューアハ様!? シューアハ様!! お気をたしかに!!」
家臣の言葉もどこか遠くに聞こえる。
あぁ。我が息子。
魔法研究ばかりで子宝に恵まれなかったベスウス家に生まれた希望が――。
公家の跡取りとしてそれを誇りに努力を積んできたヘーパザラが――。
魔法の才にたけた我が子を――。
「シューアハ! しっかりせい」
顔を上げるとそこに第二王子のシブウス・ゲオルグティーレ様が居られた。
「立て。軍を引くぞ」
「な、なんと!!」
「頼みの魔法戦力が失われた今、この地に踏みとどまる理由はあるまい」
「しかし――」
我が子が――。我が血族が支えてきた戦線を放棄するなど――。
「落ち着けうつけ。頭を冷やして考えてみよ。このままでは総崩れだ。関所まで戻って体制を立て直さねばならん。
こうなっては西方の騎士団を引きぬかねば――」
「お待ちを!! まだ負けたわけでは――」
「いや、我等の負けだ」
肉付きのいい顎を撫でながらシブウス様が静かに呟いた。
「我等はケヒスに食われたのだ」
あの冷血姫に――。
「重騎士と魔法使いは補充が難しい。優先して引かせろ。重装歩兵が殿だ。あと石弓隊で戦線を遅滞させるのだ」
「せめて。せめて我が血族を討った賊どもを捜索させてください」
「……よかろう。ただし昼には捜索を中止させよ。昼と共に総退却だ」
「御意に――」
「で、殿下!! 観測陣より報告」
すでに無意味になりつつある通信人に視線を向けると血相を変えた甥がそこにいた。
私が悲しみにくれていても部下たちは己に出来る事を行っていたのだ。
これでは当主失格だな。いや、どの道この戦が終われば敗戦の責をとって当主を譲らねばならぬか。
「どうした?」
「南よりドラゴンが――」
「なに!?」
◇ ◇ ◇
緊急事態発生を告げる信号ラッパが聞こえた。
「どうしたんだ? 敵か!?」
敵の奇襲――ユッタが少数部隊を用いた浸透戦術を提案してきたせいか、それともセイケウでアーニル様がしかけて来た奇襲攻撃のせいか、頭の中に警報が響く。
「後方からだったな」
ケヒス姫様の答えにうなづき、後方の防備を思い出す。
一応、街道に沿うように防衛線を構築しているから遅滞作戦程度なら行えるだろう。
それに馬車を用いた一夜城を整えているだから簡単には突破出来ないはずだ。
懸念事項を上げるとすれば砲兵が全てラートニルから一〇三高地に砲口を向けていて猟兵を支援出来ない事か。
しかし今から陣地転換を行って間に合うものか……。
とりあえず状況を伝えに来る伝令が来るのを待つしかない。
そう思って南の空を見ていると何か、黒い点が目に入った。
鳥かな?
そう思っていたらその黒点がどんどん大きくなってきた。
翼、尻尾、その輪郭が鮮明になるにつれて動悸が激しくなってくる。
「あれは……ドラゴン?」
ヨスズンさんの声にケヒス姫様が鋭い声を上げた。
「敵襲!!」
空にはドラゴンが飛び、海には人魚が泳ぎ、陸にはオークが闊歩する。
その空の支配者たるドラゴンがこちらに向かってきている。
「ケヒス姫様!?」
「もちろんタウキナの者ではなかろう。野良のドラゴンとしても何をされるかわからぬ。この戦、ひっくり返るやもしれん」
いつになく焦った声のケヒス姫様に状況の悪さを悟った。
アムニス大橋で俺たちは陸の支配者であるオークと戦い、その力を目の当たりにした。
純粋に強いというものを経験した。
それがドラゴンとなればどうなるか分からない。
あの一匹で――。たった一匹のドラゴンが俺たちの制空権を奪いに来る。
「姫様。あのドラゴンですが、乗り手がいるようです」
「旗は持って居るか?」
目を細めるヨスズンさんに習っておれは遠眼鏡でドラゴンを観察する。
たしかにドラゴンの背に寝そべる様に誰か居る。
緑色のコートのような服。赤いズボン。
その手に長い旗竿が握られており、それについた旗がひらめていた。
「緑の旗。なにか金色の文様が見えます」
「真か!?」
ケヒス姫様に俺の遠眼鏡が奪われ、俺の言葉を確かめるようにそれを向けた。
「……。間違いないな。ノルトランドだ」
「え?」
「緑はノルトランド大公家の印だ。あの真ん中に描かれた金色はおそらくドラゴンのはずだ」
ノルトランド――。
ケプカルト諸侯国連合王国を構成する大公国の一つ。
そういえば俺にはノルトランド大公国に知り合いが居た。
王都で知り合った彼女はなんといっていた?
『ノルトランドから空を飛んで駆けつけよう』
空を飛んで――。
「姫様! 信号旗が揚がります」
ヨスズンさんの声に改めてドラゴンを観察すると凧のような旗が二枚、風になびきだした。
細長い白旗。そして緑、紫、青、赤の四色旗。
「停戦旗とケプカルト王旗です」
「見ればわかる。何やら敵の援軍では無さそうだ」
だが――。
「敵の奇襲より厄介な事が起こるようだ」
その言葉に胸騒ぎがする。ここ最近、よく当たる嫌な予感。それが、近づいている。
「砲撃を中止させろ。王家の旗――勅令の下りた停戦旗を持ち出して来たのだ。いかな余でもこのままとはいかん」
「わかりました。ただ、ユッタたちは? 未だ敵中にいるはずです」
「この際、仕方なかろう。せいぜい無事を祈れ。ヨスズン。あのドラゴンの降下地点に注視せよ。そこが和平の場だ」
「御意に」
俺は旅団に攻撃中止を命令した。
停戦を命令したからと言って戦争が終わったわけではない。
敵の奇襲に備えるように厳命し、砲兵はいつでも砲撃が再開できるよう待機させた。
「姫様。あのドラゴンはラートニルに降りたようです」
「そうか。ヨスズン。騎士団から護衛の者を見繕え。オシナーもだ。旅団から兵を集めろ。それではいこう」
俺は近場にいた班員を招集し、ヨスズンさんも手近な騎士を連れてラートニルに向かった。
ラートニルは旅団の砲撃以来、両軍とも足を踏み入れていないが、敵の接近を聞いた旅団の砲兵が攻撃を加え続けたせいで城壁は崩れ、門も大穴があいていた。
どうやら旅団の従来の火器でも都市を攻撃する力はあるようだ。
その崩れかけた門を抜けると屋根を吹き飛ばされた家。穴を穿った道路。無数の穴があいた壁と荒涼とした景色が広がっていた。
そして臭い。
汚物とも刺激臭ともつかない酸っぱい臭いが満ちている。風が吹いて一時の清涼感が得られるが、それが終わるとすぐに本能が拒否する死の匂いが鼻をくすぐる。
ふと、つれてきた猟兵を見るとやはりと言うべきか、顔をゆがめていた。
そして気が疲れないように騎士達も見ると、同じ顔をしている。
「懐かしい戦場の香りだ。顔を歪めるな。顔を背けるな。この地で散った戦士に礼を失するな」
冷たいその言葉にこの冷血姫様はいったい、どのような戦場を見てきたのかと思った。
どのような戦場を見て、そう冷静でいられるのか。
「あの建物の近くのようですな」
ヨスズンさんの指し示した先には教会と思わしき廃墟の近くだった。そこに緑色の鱗をまとったトカゲのような生き物――ドラゴンが居た。
細く締まったその瞳を見ていると脊髄から寒気が這い上がってくる。
「来られましたか。東方辺境姫殿下」
そのドラゴンの影から現れたのは緑のフロックコートに赤の乗馬ズボンを身に付けたヘルスト・ノルトランド様だ。
几帳面そうな眼鏡を押し上げ、頭にかぶっていた耳垂れのついた帽子を脱いで膝を地面に着いた。
「貴様は確かノルトランドの――」
「ノルトランド公が娘、ヘルストにございます。殿下」
恭しく下げられた頭にケヒス姫様が面を上げさせる。そしてヘルスト様は何かに気がついたように顔をある方向に向けると、そこにはシブイヤに居るはずだったアウレーネ様が居られた。
「お姉さま!! ご無事だったのですね」
「フン。遅い出陣だな」
「タウキナ海軍の取りまとめに時間がかかりました。申し訳ありません」
「遅すぎだ。もっとも、この交渉がまとまればの話だがな」
どうやら援軍を連れてきてくれたようだ。
もし、この会談がまとまらなければ決戦と相成ろう。
だがここで新戦力を投入できれば敵を潰走させられるだろうし、交渉でも援軍が来たとわかればベスウスも強気に出れないかもしれない。
「いえ、この和平交渉はまとまらせます」
「えらく自信たっぷりだな」
顔を強張らせたヘルスト様に俺は疑問を感じた。
そもそもこれはベスウスとタウキナのお家騒動だ。ケヒス姫様がタウキナに引きずられて参戦したような形になったが、確か宣戦布告があった時にノルトランドの大公をしていた第一王子エイウェル様が言ったはずだ。
『予を巻き込むな』と。それに確かノルトランドは西方の戦に備えて騎士団を再編すると言っていたからこの戦争に首を突っ込む義理は無いはず。
なら、どうしてノルトランド大公家のヘルスト様が和平交渉の席にいるのだ?
「また遅参してしまったか」
ドラゴンの後ろ――ベスウス側に通じる街道の方面から投げられた声に視線を向けると、確か第二王子のシブウス様と、ベスウス大公家の当主シューアハ様が歩まれているのが見えた。
「それでは始めましょう。まずベスウス、タウキナ両国にお伝えします。
本日、西方戦役の勃発により、双方矛を納め、出兵の準備をされたし――」
「ま、待て!! なんだと!?」
「どういう事だ!!」
ケヒス姫様に続き、シブウス様の叫びはまさに俺たちの気持ちを端的にあらわしていた。
西方戦役の勃発!?
「西方辺境領を脅かす西の蛮人に忠罰を下すため、現王ゲオルグティーレ様は第一王子にして西方総大将であらせられるエイウェル・ゲオルグティーレ様に出兵を御命じになりました。
なお、これより各王位継承者ならびに公国領主は騎士団の遠征隊を組織するよう勅令が下りました。
これは現王であらせられるゲオルグティーレ様からの勅令であり、拒む場合は軍役負担金を納めていただきます。
これがその勅令の証書になります。どうかお受け取りを」
そう言って封蝋された三通の封筒を取り出し、各人にそれを渡した。
「なるほどな。どうりで兄上が参戦されなかったわけだ」
「姫様、如何しますか?」
「和平を結ぶ以外にあるまい……。いかな余でも勅命は無視できぬ」
「わかりました。タウキナもこれ以上、戦を行う余裕はありません。和平を受け入れます」
その言葉にヘルスト様がうなずき、そしてベスウス側に「ベスウスは?」と問いかけた。
「むろん従おう。父上のご命令なのだからな」
「ありがとうございます。ではこれよりベスウス、タウキナ双方は一切の戦闘を中止してください。では停戦合意の証として双方、この証書に捺印を」
「お待ちくだされ」
そう言葉を発したのはシューアハ様だった。
「シューアハ殿。なにか?」
「そう怪訝な顔をしないでくれ。停戦には合意いたします。ただ、気になる事が一つ」
「なんでしょう?」
「停戦の範囲はあくまでベスウス、タウキナの戦闘行為を禁じる。それですな?」
そうです、とヘルスト様がうなずくとシューアハ様がニヤリと人の悪い笑顔を浮かべた。
ケヒス姫様のような、凄惨な笑い。
「実はラートニルの北にあるラルス樹海に賊が出るようなのです。おそらく戦闘地域となり、治安の悪化したラートニルで火事場泥棒をしようと画策しているのやもしれません。
そのため我が騎士団が森に入って賊の討伐に当たっておりますが、これはタウキナに攻撃を仕掛ける意図はありませぬ」
「わかりました。ただ、タウキナ並びに東方辺境騎士団といらぬ戦闘を起こさないでください」
「もちろん。ですが、この場で言っておきましょう。
我が息子ヘーパザラはその賊に討たれました。森の中からの不意打ち、で」
その言葉でピンときた。
シューアハ様が賊だと思っているのはユッタ達、モニカ支隊のことではないか?
「シューアハ様。よろしいでしょうか?」
「……なんだ?」
「シューアハ様の言う賊はおそらく我が軍の部隊です。ラルス樹海を通り、魔法攻撃陣地に奇襲をかける手はずになっておりました。ですから賊ではありません」
「なるほど」とシューアハ様がうなづくが、邪悪な笑みは消えていない。
チリチリと殺気を放つその身から発せられた言葉に俺は驚いた。
「では、気軍の兵士が賊と誤認されぬ事を祈りましょう」
「なッ!!」
この爺さん。ユッタ達をあくまで殺す気だ。
「王国の治安維持は貴族の責務。そうでしょうヘルスト殿」
「え? えぇ。しかし、オシナーの兵士であるなら――」
「先ほど言ったはずです。誤認されぬ事を祈る、と」
これは戦闘ではなく、あくまで賊狩だ、と。
「それでは署名としましょう」
何事もなく、和平の手続きを始めるこの爺さんに腸が煮えくり返る。
「これよりは王族の務めだ。オシナー。本営に戻り、後片付けをせよ。ただ、ベスウスだけに賊の討伐をさせるのも大変であろう。王族の使命として我等も賊の討伐に参加する。オシナー後は任せた」
「け、ケヒス姫様」
「フン。勘違いするな。あの亜人は中々使えるようだから失うのが惜しいだけだ」
「ありがとうございます」
この場につれてきた猟兵にはそのままケヒス姫様の護衛を指示して俺は走って司令部に戻る事にした。
指揮官が走るなんて一大事の事が起こってもやってはいけない禁忌だ。
だが、走らずにはいられない。
もし、ユッタ達が捕まったら?
普通なら身代金を要求するために捕虜となるだろう。
だがユッタ達は『亜人』だ。それに敵の魔法使いの狙撃を行ったのだ。
生きていられる保証なんてない。
少しでも早く、ほんの少しでも早く救援部隊を組織して派遣しなければ――。
やっと司令部のテントが見えてきた。
まず部隊をかき集めて、そして森の中を捜索させて、使う部隊は今回の戦で予備戦力となっていた第二大隊を割り当てて――。
そう考えて司令部に飛び込む。
「第二大隊をかき集めろ。樹海に派遣してユッタ達の救援に向かわせる」
「何かあったんですかい?」
縄煙草を燻らせるスピノラさんが悠長にも紫煙をはきだしながら言った。
第二次総攻撃の傷が残っているのか、包帯で片目を覆っているせいで歴戦の傭兵に磨きがかかった気がする。
「ベスウスと和議を結ぶ事になったんだが、ベスウスがモニカ支隊の事を賊として報復を狙っている。奴らはユッタ達を賊として討つつもりだ」
「それで救援に大隊を送るんですかい?」
どこかくつろいだローカニルの言葉が俺の怒りを刺激する。
「何をそんなにくつろいでいるんです!! このままじゃユッタ達が殺される!! 相手は絶対にユッタ達を許しはしないだろう。捕虜どころか奴隷にもされずに殺されるかもしれない。
もう、大切なモノがなくなるのは許せないんだ」
「……まったくもって、旅団長殿は私情で旅団を動かんすんですかい? 冷血姫様から反対されないんで?」
「すでに許可はもらっている。急いで部隊を――」
「え? あの冷血姫が?」
「こりゃ、たまげました。まさか救援を認めるなんて。どういった心境の変化なんですかいな」
「だから――。だからお前らは何をゆっくりと――!!」
「戻りました。あ、オシナーさん」
振り向くと、そこにユッタが居た。
顔の泥は綺麗にふき取られ、頭に白い包帯が巻かれており、顔にも無数の擦り傷があるが、二本の足でスクッと立つユッタがそこに、居た。
「ユッタ……」
「少佐は旅団長がラートニルの行くのと行き違いに戻ってこられましたよ」
ローカニルの言葉に色々な言葉が生まれ、それが飽和して拡散していく。何を言ったらよいのやら。
待て。
ローカニルとスピノラさんのあのくつろいだ態度。
「ローカニル。スピノラさん。俺が一人焦っている姿は面白かったですか?」
「そうでなぁ。退屈な日々が減りそうですわい」
「『許可はもらっている。急いで部隊を――』部隊をなんですかい?」
「……お前ら上官反逆罪で営倉にぶち込んでやる」
ニタニタ笑う二人に俺の心のバランスが大きく崩れそうだ。
「オシナーさん」
「ん?」
「モニカ支隊、総勢、五名。帰還しました。生きて、帰ってきました」
「……。……そうか」
そう、絞り出すだけで、精一杯だった。
あと一話ほど入れて四章は終わりです。
ご意見、ご感想をお待ちしております。




