エルフ
タウキナ大公国及び東方辺境領全図
ラートニル周辺図
数字は丘を攻略する部隊。
三桁目は連隊番号。一桁目は大隊番号。
『旅団作戦大綱』より
ラートニル近辺にたどり着いた連隊に知らされた戦況報告は最悪に近い報せだった。
すでにラートニルは陥落し、敵の手に落ちている。
なおかつ敵は大砲に匹敵する火力を得ていると来ては顔をしかめるしかない。
だがこの現状を打破しなければならないのが戦争だ。
俺は周囲の偵察を終えて騎士団の本営に赴いていた。
本営の中は松明が焚かれ、数人の騎士と連隊の幕僚(と言ってもスピノラさんとローカニルと俺の三人だが)が車座になって軍議を行っている。
「これからは攻城戦だ。頼みの綱は連隊の砲兵火力だろう」
ケヒス姫様の声にローカニルが立ち上がった。
「我らの大砲は射程一千五百メートルありますのでちょうど現在の司令部からラートニルを砲撃することが可能です」
「大砲はどれだけ用意できているのだ?」
「各中隊に二門づつ配備されているので二個連隊の火砲はしめて百九十二門ほどです。ただ――」
口を濁すローカニルにケヒス姫様は「どうした?」と促す。どこかいつもの刺々しさが無いことに俺は不審を抱いた。
「ここら辺は高低さのある丘陵地なのでこれだけの火砲を展開できる場所が限られます。展開できたとして一個連隊分の九十六門程度が限界でしょうな」
「ならば別の砲兵陣地を敷けばよかろう」
「一応、候補は見つけましたが、問題は敵の騎兵です。大砲の設営中に襲撃されちゃたまりません」
暗に騎士団の騎馬戦力が『亜人達』を守ってくれないので砲兵の展開は難しいと彼は言った。
「ふむ。なら護衛を出そう。それに猟兵の一夜城で簡易陣地を築城すれば敵の騎士団に抵抗力が上がるだろう」
「いえ、まだ問題が」
「まだあるのか」
辟易したようにケヒス姫様がため息をついた。
「それがなんですね。丘が邪魔で着弾観測が出来ないんですわ」
「俺が補足します」
立ち上がってケヒス姫様から下賜された軍刀の切っ先を地図の一点に向ける。
「ラートニル周辺はこのように四つの丘に囲まれた盆地になっております。司令部の前にも仮称二〇二高地が眼前に広がっており、第二の砲兵陣地の予定地でも仮称一〇四高地が存在します」
日の落ちる寸前に実地を見てわかったが、ラートニル周辺の丘陵のせいで直線的な見通しが悪い。
だが山なりの弾道を取れば砲弾は丘を越えてラートニルに打撃を与える事は可能だと俺は思っている。
「今までの砲撃では砲撃目標が目視できたので着弾がずれればその都度修正射を行っていました」
「直接ラートニルを見ることが出来ないから弾を当てられない、か?」
その通りです、と俺は言って軍刀を鞘に納めた。
「そのため砲兵陣地を作るのでしたらこの仮称二〇二、一〇四高地を奪取して高地から着弾を修正させなければなりません」
「街道に展開してはいけんのか?」
口を開いたのは騎士団のヘイムリヤ・バアルだ。
セイケウで奇襲を受けた際に俺たちの救援を断った騎士。
俺は溢れそうな怒りを鎮めて言った。
「確かに街道を封鎖するように馬車を用いた一夜城を作る事は可能ですが、敵の魔法攻撃の集中攻撃を受ける恐れがあります」
そう。問題は敵の魔法攻撃だ。
タウキナの時も警戒はしていたが、大砲に匹敵する火力を秘めているなんて聞いていないぞ。
それに相手は都市の防御結界を打ち破る力を持っているとなるとなんの備えも無い連隊の一夜城では太刀打ちできるわけが無い。
「故に敵の魔法攻撃を避けるためにも丘の手前に砲兵陣地を築城して丘に前線を築くべきです。丘を奪取できればそこを拠点に弾着を観測して一方的な攻撃を行えます」
それに高所を占拠できればそこを観測点に敵の動向を監視できるし、飛び道具の射程も延びる。
包囲さえされなければ高所を取るメリットが大きい作戦だ。
だが重要なのはこの包囲されない事だ。
「なるほどな。騎士団に攻城兵器が無い現状、ラートニルを攻撃する術は連隊の砲撃しかないようだ。オシナー。丘の奪取作戦を進めてくれ」
「分かりました」
明日は旅団総出で穴掘りか。
それと街道上の安全を確保するためにも兵を割かねばならないだろう。
「問題は敵の魔法攻撃ですな」
押し殺したようにヨスズンさんが呟いた。
その声に本営の空気が重くなる。
「大砲に匹敵する火力――本当の話しなのだろうな?」
「バアル殿は未だにお疑いで?」
確かに俺も信じられなかった――信じたくなかった。
報告者が無断で小隊長を交代していたコレット中尉と言うこともあり、その情報の真偽を疑っていたが、彼女のさらに上官の中隊長からも同じ報告を受けて信じることにした。
だがそれ以上に驚いたのはコレット中尉から罰を受ける申し出があった事だ。
いかなる罰も受けると頭を下げられた時は面食らった。だが有事故に罰などを与えている暇は無いし、貴重な騎兵戦力を減らす余裕は連隊に無い。
戦後に査問会を開くことにして彼女は原隊に復帰させた。(飯抜きも考えたが、腹が減って戦が出来ないのでは命に関わるからやめた)
いったい何があったんだ?
「亜人の報告を真に受けるつもりはないからな」
「控えろバアル。今は互いの連携を密にしなければならぬ時だ。それに相手は名家の栄誉をほしいままにするベスウス家だ。それに元当主のシューアハは魔法研究の第一人者だ。此度の近衛騎士団を壊滅させる魔法を考え出したのやもしれぬ。皆、注意を怠ること無きように」
そう言ってケヒス姫様が立ち上がった。
「それでは今後の方針は連隊による砲撃の準備、騎士団は街道周辺の偵察警戒並びに遊撃だな。皆、心して掛かれ」
その言葉に俺たちは立ち上がり、一礼して本営を後にした。
「秋の気配を感じますな」
遠い目をしたローカニルが呟く。
すでに太陽は西に没し、稜線の彼方を名残惜しげに紅く照らしている。
外をそよぐ風も秋の涼しさを含んでおり、どこからともなく鈴を振るような虫達の羽音が聞こえてきた。
明日から本格的に血を流す戦闘が行われるかも知れ無いと言うのに世界は静かに回るものなのだな。
柄にも無く哲学者のような物思いにふけりながら連隊の司令部に向かう。
途中、かがり火に照らされながら飯を食べる猟兵達を見かけた。
それらをわき目に司令部のテントに入ろうとして白い軍服が薄い下草の上寝ているのが見えた。
ユッタだ。
大の字に寝転がっている色の白い彼女の相貌を上りだした月が薄っすらと照らしている。
一人離れて夜空を見て、どうしたのだろう?
「それじゃ先に司令部に行くので」
ローカニルがそそくさと天幕をくぐって行ってしまった。
なんだかいらん気を遣われた気がするが、まあいいや。
そう思ってユッタに近づくと彼女はガバッと起き上がった。
「どうしました?」
「どうしたのはお前だよ。一人寝転がって。疲れたのか?」
ユッタは納得いったように頷いて地面に置かれていた鉄のコップを持ち上げた。
「夕飯を食べていて」
「幕僚の連中と食わないのか? 作戦会議に参加していなかったヨルンとか」
「いえ、一人になりたかったので」
なら俺は絶賛ユッタの邪魔をしている事になる。なら、と俺はきびすを返して司令部に向かおうとするとユッタが「オシナーさん」と呼び止めた。
「どうした?」
「次の任務は危険な任務ですか?」
危険な任務、ね。
ベスウス側の手の内が分からない現状は答えられない質問だ。それに戦争をしているのに安全な任務などあるだろうか?
「わからないな」
「そう、ですか。変な事を聞いてすいません。あと、今更ですがお先に食べています」
「かまわなよ。それに疲れているなら今日は先に休んで良いぞ」
ユッタは「大丈夫です」と笑ってコップを口に運んだ。
「そう言えばもうすぐ収穫祭ですよね」
「収穫祭ならあと二ヶ月はあるんじゃないか?」
ユッタは俺の言葉に不思議そうに首をかしげている。もしかしてエルフとドワーフは暦が違うのかもしれない。
「今年は皆と祝えないですね」
ポツリと言った言葉が俺の中に沈んでいった。
それは故郷に帰れないわが身の事を言っているのか、それとも戦死していったエルフ達の事を言っているのか。
俺には判断出来なかった。
「すいません。望郷の念にかられるなんて指揮官失格ですね。兵たちに里心を付かせるかもしれませんし」
「あぁ。だが、何かあったらすぐに俺に言ってくれ」
「報告と連絡を密に、ですね?」
「軍務の事もあるけど、ユッタも悩みがあれば言ってくれ」
なんだかこのままユッタを放っておくと崩れていってしまうような儚さを感じた。
戦争中ということもあってそれはとても嫌な予感だ。
「別に無理強いはしないし、俺に話すよりエルフに話たいなら、そうしてくれ。指揮官云々も大事だけど――」
「別に大したことじゃありませんよ。それじゃ食器を片してくるので失礼します」
立ち上がるなり一礼してユッタは風のように走って行ってしまった。
何かあるな。
それはわからないが、言いたくないものを無理に聞く趣味は無い。
時期がくれば話してくれるかもしれないし、時間が解決する悩みというのも存在する。
ユッタなら意固地にならずに誰かに打ち明けてくれるかもしれない。
俺はユッタの後ろ姿を見送ると今度こそ司令部に向かった。
「こりゃ連隊長」
地図の置かれたテーブルを挟んでローカニルと子供のような外見のヨルン中尉が夕食を取っている最中だった。
テーブルの端に手付かずの飯をローカニルが手にとって俺に渡してくれた。
「先にやらせていただいておりますぞ」
「かまわないよ」
鉄のコップの中にはミルクでゆでられた麦に細かく切り刻まれた干し肉の粥だった。
一口それをすするとミルクの優しさに干し肉の塩気がよく染み出していて胃の中を優しく包んでくれる。
どこか安堵感を覚える味だ。
素朴な塩の味にくたくたになった麦を身体が欲しているのを感じる。
その一口が引き金になり急に腹が鳴った。
「腹が減っては戦は出来ぬ。武器が進化しようが人は変われませんな」
「なんですそれ?」
ホビットのヨルンはローカニルが言ったドワーフの格言に首を捻っている。
ホビットが争いを好まない種族であるせいかピンと来ないようだ。
「腹が減ると力が出ないから、英気を養って事に当たれっていうドワーフのことわざさ」
俺の説明にヨルンはしきりに頷いてくれた。
武器の弾薬から兵糧を含めた補給全般を担当する輜重参謀という事もあり思う所があるのかもしれない。
「それで、少佐とはどうなんですかい?」
「はぁ?」
「さっき時間を作ったでしょう。これから有事なんですから少しはイロコイの華やかな話題が欲しいと思うんですがね」
イロコイ?
色濃い? な訳は無いか。
どうやらローカニルは誤解をしているらしい。
「なんもないけど」
「そんな訳ありますまい」
確かにユッタといるのは楽しい。
素敵な時間だと思う。それにユッタを大切な人だとは思う。
だが、これは俺の一方的な気持ちでありユッタの気持ではない。
「確かにアムニスの時なんかは互いに恋しているのかもしれないと薄ら思ったのは事実だ」
「ほほぅ」
「だがそれは俺だけの問題であってユッタは違うだろ?」
「根拠はあるんですかい?」
「ある」
それは? と聞きたげなローカニルを焦らすために一口、二口をミルク粥を食べ、嚥下してから言った。
「有事だったから」
「は?」
「ほら、人って極限状態だとドキドキするだろ?」
前世の記憶で言う吊り橋効果だ。
吊り橋を渡る時の恐怖心と恋心を勘違いしてしまう心の作用。
俺の場合は戦場だったから吊り橋効果というより戦場効果かもしれない。
「故に勘違いかもしれないだろ? それなのに一人突き進んでしまうのもなんだか嫌だし、ユッタとは今の距離感が心地いいし――」
「つまり、現状維持と?」
俺がうなづくとローカニルは心底失望したような陰気な顔でため息をつき、ヨルンは苦笑いを浮かべている。
「連隊長はどうやらヘタレのようで」
「お前、情感反逆罪な」
なんだか面白くない。一気にミルク粥をかきこんでコップをテーブルに戻す。
そして視線を地図に走らせて攻略目標である二〇二、一〇四高地の位置関係を確認する。
観測陣地の設営に攻撃進路の選定。猟兵だけではなく砲兵の展開についても考えなくてはならないと、やる事は多々ある。
ローカニル達も食事を切り上げて作戦を詰める作業を手伝って欲しいと思っていたらヨルンが口を開いた。
「そういえばエルフの連中にきな臭い噂があるのですが」
「噂?」
きな臭いって、クーデターでも起こす気か?
この有事に?
だがこの時期にクーデターを起こしても得になる事が思いつかない。
仮にこの有事のどさくさに紛れてケヒス姫様を暗殺しても東宝辺境領が王国から解放されるわけでもないし、それに余計風当たりが悪くなるはずだ。
まあ陰に宰相閣下がいて何らかの密約を結んでいるなら可能性はある、か。
「別に反逆とかじゃないんですが」
「そうなのか?」
「どうも危険な任務に志願したいと思う人たちがいるようで」
「それなら聞いた事がありますぞ」
ローカニルはエルフ達が決死の覚悟で任務に当たり、東方の解放の礎になりたいと考える連中がいると言った。
「たぶんですが、アムニスやタウキナで命を顧みずに従軍して戦死したエルフに続けと思っているようですわ。奴らは何よりも一族の誇りを大事にする連中ですから東方のために命を投げ出すことが美学と思っているのかもしれません」
私には理解できかねますが、と肩をすくめるローカニルに俺が視線を向けると彼は「そう睨まんでください」と小さい体躯をより縮こまらせてコップを手に司令部から出て行った。
ふと司令部前で見かけたユッタの言っていた『次の任務は危険な任務ですか?』という言葉に合点がいった。
それにユッタは元々、エルフの一族の長の娘と言っていたし、タウキナで戦死したサラ・ラケル中尉と親しい仲だと聞いた。
ユッタはもしかして死ぬ気なのか?
先ほど抱いた不安感が鎌首をもたげた気がした。
第二章からの読者様にとって地図に違和感があると思いますが、実際あります。
四章の関係でベスウス大公国の位置を変更しております。
それ以外はあんまり変わっていません。
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




