茶会
ヘルスト様と宴をした一夜が終わった。
二階で揉めていた俺たちにマスターが気を使って毛布で簡易ベットを作ってそこに酔いつぶれたヘルスト様を寝かせてくれたのだ。(その間にヘルスト様の口からミラクルシャワーが出てしまったりしたが)
ちなみに料金については俺が払った。
いや正確には払いきれなかったが、残りの分はノルトランド家に請求すると言っていた。
なんだか男としてのプライドをズタズタにされた気分だ。
そんな気分で朝を迎えるとケヒス姫様に「今日は余について来い。なお喋ったらヨスズンの会話術を受けてもらう」と言われてさらに気分が下がる。
だが昨晩のことについてお咎めなしだったのは以外だった。ヨスズンさんが言葉通りケヒス姫様を説き伏せてくれたのか、それとも怒る気力がわかないほど会食や謁見に疲れたのか。
「それで、どこについていくのです?」
メイドが運んできてくれた麦の粥と塩気の強い干し肉の朝食をとりながらケヒス姫様に聞いた。
ケヒス姫様は甘い香りのするお茶を堪能するように深呼吸をしてから答えてくれた。
「今日は兄上たちに会う。要は余の敵に会いに行く。実際に見て戦場であったときの参考にしろ」
「お姉さま! 兄妹同士で争うなんて――」
「阿呆め。だから貴様は甘いのだ。それに貴様はすでにゲオルグティーレの娘ではないのだぞ。つまりあれらとは兄妹では無いのだ」
どうやら昨日の内にアウレーネ様をタウキナ大公と認める勅旨でも下ったのだろうか。
「フン。まあお前が大公に任ぜられたおかげで実りのある交渉が貴族共と出来た。それは実に良きことだった」
「あれは交渉ではなく恫喝です! 出兵の準備があるだなんて応じるしか無い状況に彼らを追い込んだだけではありませんかッ!!」
俺が小さくヨスズンさんに何のことか聞くと「タウキナ産の物に不当な関税をかけるなら妹を助けるために出兵も辞さないと言ったのだ」と深く皺の入った顔で言った。
「それで結果は?」
「運よく皆が平和的解決を望んで事なきを得た」
俺が居ない間に一歩間違えれば有事に突入するような自体が起こっていたのか。
ヘルスト様の話しではないがこの人の戦争好きは凄まじい。
常軌を逸している。
「タウキナでも連隊を雛形とした新しい軍制が取り入れられている。それを試す良い機会だと思ったのだがな」
「アレはタウキナを守るための軍備です。侵略するための軍では――」
「軍とは侵略するための国家組織だ。騎士団も忠誠などと飾り立てているが本質は己に無いモノを奪うための組織だ。もちろん、うぬの連隊もな」
思わず麦粥の入っている器をケヒス姫様に投げつけようかと思ったが、寸でのところで理性が俺を止めてくれた。
だが、さすがの俺もこの言葉には怒りが噴出しそうだった。
「うぬの連隊も己に無い自由を奪うための軍であろう。自由を奪うということは一方に不自由を強いることだ。東方の目玉商品であった亜人の輸出を止めたおかげで王都では方々から突き上げを食らっておるのはこの余なのだぞ?」
冷たい瞳で俺を睨むケヒス姫様を俺も睨み返す。
俺は東方を守るために銃で武装した軍隊を作った。
だがそれは自由を奪い取るためなのだ。誰かの自由を奪えば誰かは不自由になる。
そのしわ寄せをケヒス姫様が受けているのは、想像すればすぐにわかることだろうに、俺は気がつかないようにしていた。
そうあって当然と考えていたのかもしれない。
その時、ヨスズンさんが俺の耳元でささやいた。
「すまぬな。王都に来る前に伝えておけばよかったのだが、姫様は王都に来るとピリピリして臣下に攻撃的になるのだ。恐らく、貴族や王との会談でストレスや不満がたまっているのだろう。言葉にいつも以上に棘があるのはそのためだ。適当に受け流してくれ」
王都についてからやけに心をえぐるような言葉が多いと思っていたが、そういう事か。
現王の居城に来るというのはケヒス姫様にとって敵中に突撃するようなものなのかもしれない。
しかし、それはそれで器量が狭いと思うのですが……。臣下に無闇に当たらないで欲しい。
「それに宰相が本格的に余を蹴落とそうと暗躍しているようだ。どうも余が騎士団を再建する前に片を付けたいと見た」
その話は昨夜のヘルスト様との宴でケヒス姫様の騎士団が意図的に消耗させられたことがわかった。
それならせっかくすりつぶした騎士団を再建される前に策を弄してくるのは当たり前と言えば当たり前だ。
「兄上からの招待された茶会だが、警戒するにこしたことはない。もしかするとタウキナのときと同じく刺客を差し向けられるかもしれない」
そんな危ない茶会にわざわざ参加する必要はあるのか?
そんなリスクを犯してまで得るものがあるのか?
「さっきも言ったが敵の顔を拝みに行くのが目的だ。直接あって腹を探るほうが、話が早いと言うものだ」
ケヒス姫様が手にしたお茶を一口飲んだ。
「しかし、余としても戦は望まぬ」
「……今日は槍の雨が降りますね」
「うぬはそれほど殺されたいのか?」
「いえいえ。ただ、戦を望まないというのは、意外と言いますか……」
「フン。財政が逼迫していたタウキナ相手とは訳が違う。兄たちにはめられて大公国を二国も相手にすることは出来ぬ」
確かに万年戦争をしているわけにはいかない。
それが分かっているようで安心する自分が居た。
「だが言葉一つが命取りになる事がある。言葉とは力だ。だから――」
「喋らなければ良いんですね」
もう耳にこびりついたフレーズに俺が笑いながら答えると、「今回だけは喋るな」と念を押された。
王都バルジラードの王城の城壁に迫り出すように設けられた支塔の屋上に設けられた空中庭園からは眼下に貴族街を見下ろせた。その遥か遠方に広がる湖から吹き渡る心地良い風が庭園につかの間の涼しさを運んできてくれる。
だが庭園と言っても床に芝が植えられただけの荒涼として温かみの無い物だ。ここが庭園だと言われなければ気がつかないかもしれない。
クワヴァラードの箱庭のような庭園のほうがまだ庭園と言えるだろう。
その荒涼とした庭園の中心に置かれた丸テーブルにケヒス姫様とアウレーネ様が座り、従者である俺とヨスズンさんは壁際でその様子を見守っていた。
「誰か来たな」
ヨスズンさんの呟きと同時に石畳と靴がぶつかる音が聞こえてきた。
やがて城壁に設けられた扉が開かれる。
扉を開けたのはバスケットを持ったヘルスト様だった。
昨日の痛飲ぶりを感じさせない落ち着きぶりを持ってケヒス姫様たちに一礼して扉の脇に控える。
いや、落ち着きすぎていて逆に顔が強張っているようだ。
その後から現れたのはアウレーネ様と同じ薄青い髪をした細身の男だった。
スラリとした顔立ちに短く刈り上げられた髪形といい精悍さを思わせるが、病的に白い肌が顔の印象を崩している。
「ケヒス、そしてアウレーネ。久しいな」
「エイウェルお兄様もお元気そうで」
「フン。墓場から這い出したような兄上に元気そうだとは面白い冗談だな」
ケプカルト諸侯国連合王国第一王子エイウェル・ゲオルグティーレ様が「ケヒスも相変わらずか。ゴホッゴホッ」と咳をしながら椅子に腰掛けた。
その傍に控えていたヘルスト様は一礼して壁際にいる俺の隣に並んだ。
「二人とも先の動乱は大変だったな。まさかアーニル公が乱心するとはな」
「兄上の耳にはそう入ってきましたか」
「違うのかケヒス」
「詳細は宰相から聞いておいででしょう」
なんだか、すでに雲行きが怪しい。
そもそも戦争は回避したいんじゃなかったのか? なんでそんなに喧嘩腰なの?
ヘルスト様もそう思ったのか俺の方を心配そうに眼鏡の奥から見ている。
うん。大丈夫じゃないよ。俺は胃に穴があきそうだよ。
「どうやら最後のお方がついたようだ」
ヨスズンさんが呟いた後にあごひげを蓄えた初老の男性が顔を覗かせた。
初老とは言え、武術の研鑽を積んだ事を想像させる肉体はまだまだ頑健そうに見える。
「遅くなり申し訳ございませぬ」
男性は軽く頭を下げるとその後から背の低い男が出てきた。
初老の男性と比べてしまうせいか、そのしまりの無い身体からは貴族などと言うより商人を連想してしまう。
きっと庶民と違って良い物を食べているのだろう。
「まずは遅参をわびよう」
しまりの無い男がそう言って円卓についた。どうやらあの人が第二王子のシブウス・ゲオルグティーレ様か。
第一王子のエイウェル様が病的に痩せているせいか、シブウス様の肉を分けてあげれば良いのにと思ってしまう。
「それでは始めよう」
エイウェル様の一言でヘルスト様がバスケットから茶道具を並べだした。
瀬戸物のそれをバスケットに収納していたのだと思うとこの人は力持ちなのかもしれない。
「失礼」
そしてヘルスト様が居た場所に初老の男性が近づいてきた。
「ベスウス大公シブウス様の従者をしているシューアハ・ベスウスと申す。東方辺境姫の従者、首切りのヨスズン殿と噂のオシナー殿とお見受けいたす」
噂の――ね。名前が一人歩きしているのはどうも感じが悪い。
それにしても『首切りのヨスズン』? ヨスズンさんをチラリと見ると済ました顔でシューアハ様に礼を返しているだけだった。
この人は東方に来るまで何をしていたんだ?
「それでは皆、よくぞ予の参集に集まってくれた」
「好きで来たわけではない」
「お姉さま!」
ツンツンと尖り続けるケヒス姫様にアウレーネ様が肩を掴む。
心なしかアウレーネ様の顔色も優れていないようだ。まあ理由は察することが出来るが。
「それより我らを参集させたのは何用ですかな?」
「そう急ぐなシブウス。なに、血を分けた兄弟が共に同じ時間を過ごすのが悪いことなのか?」
エイウェル様の物言いは静かだが、王としての貫禄が伝わる重い声でシブウス様に諭すように言った。
「しかしですな。この場で血を分けた兄弟は兄上殿とこの我しか居らぬではありませぬか」
「む。そうか。アウレーネはタウキナ大公に就任したのだったな」
「はい。昨日付けでタウキナ大公を正式に名乗らせていただいております。本来であれば王族であるお兄様方とこうしてお茶を飲むこともはばかられますが、ご容赦ください」
「そうか。だが我らが血を分けた兄妹であることに違いは無い。何かあればノルトランドに居る予を頼ってくれ。いつでも助けに行こう」
いつでも助けにか。いつでも動かせる軍があるという事だろうか?
俺が勘ぐっているだけかもしれないが、ケヒス姫様の先制攻撃への牽制だろうか。
「しかし兄上殿。兄上殿は西方に敵を抱えておられる。そして先の動乱の傷跡残るタウキナの世話を焼くとはおいたわしい。タウキナに相応しい王がいれば兄上殿の心労も減るだろうに」
「シブウスお兄様。私が王としていたらないのもわかっております。されど、お姉さまと緊密に協力してタウキナを守っていく所存です。長い目で見守ってください」
「はあー。わからぬのか?」
シブウス様は大きなため息をついてアウレーネ様を見下すように言った。
「お前は王に相応しくない。あの女の娘なのだ。王の血を引いていないかもしれないお前に王の責務が務まるとは言えない。そうでしょう兄上殿」
「そういう意見もあるな。だが、アウレーネが王位継承権を放棄してまでタウキナ家を名乗るなら、兄として応援したい。だが、シブウスの言ったとおり、お前の血は争いの種だ」
エイウェル様はお茶の入ったコップを手にとって中身を確認するように眺めだした。
「所で兄上殿。我の従者をしているシューアハの妻はタウキナ家に連なる血を持っているのです。その子息であり、次期ベスウス大公のヘーパザラであればベスウスの隣国であるタウキナを治める資格があると思うのですが」
「ほう。シューアハの妻はタウキナ家の者なのか。ベスウス、タウキナの両国間の事を思えば、混迷しているタウキナに相応しい、かもしれない」
これは、少しあからさま過ぎないか?
タウキナ公位についてはすでに勅旨が出ているのだ。
それにエイウェル様もシブウス様も台本を読むようにスラスラとアウレーネ様のタウキナ大公就任を批判して新たなタウキナ大公候補を擁立している。
二人の息のあったような――否、息を合わせた会話にケヒス姫様が口を挟んだ。
「しかし兄上。昨日アウレーネにはタウキナ大公に着任する勅旨が渡されています。それに異を唱えるのは――」
「父上に叛意がある、か? 笑わせる。お前も父上に叛意があろう」
その言葉にケヒス姫様の頬がピクリと痙攣した。
顔から表情が消えているのを見ると怒りをためているようだ。
「なら退位すればよかろう。そして次期大公にシューアハの息子であるヘーパザラを大公に任ずれば良い。アウレーネは、そうだな。王都の近くの離宮に暮らすのが良いだろう」
「何を勝手な!!」
「勝手はケヒスもであろう。これではタウキナが植民地ではないか」
確かにケヒス姫様は敗戦国のタウキナに大きな発言権を持っている。
統治自体はアウレーネ様に行わせているが、その方針となるものはケヒス姫様が決めている。
「そんなお話は受け入れられるものではありません!」
「あくまでアウレーネは退位しないのだな?」
「そんなタウキナの民を裏切るようなまねを私は行う事が出来ません」
「タウキナの正統な後継者であるヘーパザラに王位を譲らないとなれば、こちらは正統な血を王にするために非情な措置をとらねばならぬな」
「非情な、措置?」
怪訝な表情を浮かべるアウレーネ様に油っぽい顎をなでながらシブウス様が言った。
「そうだ。アウレーネよ。タウキナを牛耳る偽の王を廃して真の王を打ち立てるために我らは騎士団を国境に進めさせようと思う」
「そんな――!? お考え直しください」
「……言葉では解決しないようだな。ヘルスト」
ヘルスト様は無言でエイウェル様の下に歩み寄り、バスケットから丸められた一枚お羊皮紙を出した。
それをエイウェル様に渡す。
「宣戦布告の証書だ。シブウス」
恭しくそれを受け取ったシブウス様がアウレーネ様にそれを渡した。
丸まった羊皮紙には綺麗なリボンと封蝋が施されていて中身を確認できない。
「期日は今日から一月後だ。それまでに退位の返答を示さなければ我が率いるベスウスと兄上殿が率いるノルトランドの連合騎士団がタウキナに攻め入るぞ。悪いことは言わないから――」
「待てシブウス」
「……兄上殿?」
「予は今日付けでノルトランド大公国臨時大公を辞する。故に第一王子とは言えノルトランド大公国の兵権は無い。つまり予はノルトランドから兵を派遣できない」
「な、なんですと!?」
シブウス様がアウレーネ様の手から宣戦布告の証書を奪い取り、その封蝋を破った。
慌てた手つきでその中身を検めたシブウス様の目が皿のように見開かれる。
そしてわなわな震えだし、エイウェル様を睨んだ。
「予は今日付けで西部戦線総大将の任を父上から承った。これからは来るべき西方戦役に備えるためにノルトランド大公国と共に騎士団の再編を行わなければならない。予が軍を動かせるのは西方蛮族を討つ時だけだ」
予を巻き込むな――。
エイウェル様は冷たくそう言うと席を立って支塔からバルジラードの街並みを見下ろしながら言った。
「悪いが戦はお前たちだけでやれ」
その冷ややかな視線が茶会の終わりを告げていた。
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