冷血姫
「悪いことは言わない。冷血姫と手を切れ」
ヘルスト様の言葉を理解するのに少し時間が掛かってしまった。
だがその意味を理解しても、その意図がわからない。
「どうして、ですか……?」
「主が冷血姫だから」
そう呟いてヘルスト様は自身のグラスを見つめながら言った。
「あの姫君は鬼女だ。戦しかしらない修羅のような人だ。あの鬼女に言わせれば平和というのは戦争と戦争の間でしかない」
「それは知っています」
戦争と戦争の間こそが平和。ケヒス姫様の言いそうな言葉だ。
ケヒス姫様が目指す先は血塗られた覇道でしかないのだからあの姫君に言わせれば平和というのは戦争の箸休め程度にしか思っていない気がする。
「自分は主であるエイウェル様からよく冷血姫の事を聞いている。それに冷血姫が介入していた西方植民地の統治にも苦労させられた」
そう言えばヨスズンさんは騎士団と共に西方戦線にも身を置いていたと言っていた。
東方辺境領での亜人差別を思い出せば西方で何をしていたのか想像しやすい。
「オシナーは何故、冷血姫に仕えているのだ?」
「それは……」
「あの愚将に何故仕えるのだ?」
愚将? どういう意味だ?
ケヒス姫様には短気というか、残虐さがあるのはわかっている。それこそ優しさの欠片も無い。
だがタウキナ動乱においては手銃や大砲と言った火器の効果を最大限に発揮できる三兵戦術を俺のような知識が無いのに作り上げたのだ。
新兵器が登場してこうも早く適切な戦術を見つけられることが出来るだろうか?
本来であれば数々の図上演習と実戦を越えて完成させられる戦術を見抜いたその戦術眼は紛れも無く勇将のはずだ。
「そもそもあの冷血姫は配下に二万の騎士団が居たのだぞ? それを東方でむざむざ殺して今や見る影も無いだろ?」
いつかケヒス姫様は言っていた。
二万の騎士団を東方で失ったと。それも手持ちの戦力は二千ほどに。
確かに数字だけ見れば部隊をいたずらにすり減らしただけに思える。
「それは、東方諸族の抵抗が苛烈だったからでは? 一つの建物を奪う熾烈な市街戦が起こったと聞きます」
「戦闘が熾烈を極めたのはわかる。そりゃ自分たちの家を余所者が奪いに来るのだから戦闘も激しくなる。だけど問題はそこじゃない。『普通』の指揮官ならそれだけ損害が出れば『撤退』するだろ!?」
確かに兵力が十分の一になると言うのは普通に部隊の全滅を意味する。
普通の指揮官ならその数値になるまでに撤退を行って戦力の建て直しをするべきだ。
「だが冷血姫はそれをしなかった。どうしてだと思う?」
「……そりゃ。ケヒス姫様は執念深い方だから、どちらかが根絶やしになるまで戦闘を続けようとされたのでは?」
「それもあるかもしれないけど、違う。冷血姫は自分の命が惜しかったんだ」
命が惜しい? そういう人には見えないが。
「クワヴァラード掃討戦は現王であらせられるゲオルグティーレ様のご命令――要は勅令だ。もしクワヴァラードから撤退を行えば勅令に背いたことになって指揮官は処刑されるだろう。処刑にならなくてもそれなりの責任を取らされる。だから撤退もせずに戦い続けたんだ」
命が惜しくて撤退しない。
いや、違う。おそらくケヒス姫様は責任を取らされる事を嫌ったのだ。
前王クワバトラ三世――ケヒス姫様の父を廃した現王に復讐を遂げるために軍指揮官としての立場を奪われないようにするために全滅覚悟で戦ったのだろう。
生きてさえ居れば軍の再建は出来る。現在進行形で行っているように軍指揮官として軍を再編してクーデターを起こす機会を伺っている。
「おかげで冷血姫はまだ生きている……」
ため息まじりに言った言葉が俺に突き刺さった。
その言い方はまるで『ケヒス姫様に死んで欲しかった』と言っているのと同義だ。
「怒らないでくれオシナー。あの前王の血を引くものは何であれ消した方が世のためだ」
「何を言っているんです? 確かにケヒス姫様は残虐で、非道で、冷血な方ですが俺の主です。主をそこまで言う人と酒は飲めません。これにて御免」
「だったら前王クワバトラ三世の暴君ぶりを聞いてもそれを言えるのか?」
前王クワバトラ三世の暴君ぶり――。
ケヒス姫様の口からは聞いた事がないクワバトラ三世という人物。
「クワバトラ三世は膨張政策を推し進めて西方、そして東方に版図を広げようとした。それで何が起こったと思う? 西方では未だに国境をめぐる小競り合いが続いている。東方だって王国に帰順しない亜人や地域がある。それにその戦役でどれだけの人間が死んだと思う? オシナーも東方遠征を知っているだろう!?
多くの人間が軍民問わず命を落としたんだ。そしてその戦費を調達するために税も増えた。反するものは皆、処刑された。
そしてその暴君の娘はクワヴァラード掃討戦で父と同じく多くの犠牲を出したのだぞ。このまま冷血姫を野放しにしていればどうなるかわからない。
せっかくクワヴァラード掃討戦で消耗させた戦力を回復させるためにオシナーが仕えることは無い。ノルトランド家に来てくれ。褒賞もだそう。父上にかけあって名誉騎士の称号も与えよう。どうだ?」
どうだ? と言われてもな。
それにしても名誉騎士か。親方のこしらえた借金に苦しんでいた俺が出世したものだ。
いや、今でさえ十分出世した。こうして王都で貴族と酒が飲めるだけ出世した。
手元の蒸留酒を一息で飲み込む。こんな高い酒は味わって飲むものだろうが、生憎俺は酒の味よりアルコールさえ飲めれば良いドワーフだ。
「ヘルスト様。お話はありがたいのですが、お断りします」
「何故!? 冷血姫の血筋はケプカルト王国を脅かす毒だ。どうして理解してくれない!?」
「生憎、俺は政治がわかりません」
連隊長閣下と呼ばれ、少将と呼ばれるが俺は所詮ただの工商でしかない。
鉄を打ち、酒を飲み、ガハハと笑うしかない無力な工商に政治はわからない。
いくら前世の知識を有していても俺は東方に住む人々を裏切ることは出来ない。
「俺がわかることは戦って勝ちを――価値を示し続ければケヒス姫様は東方辺境領の解放をしてくださることだけです」
「東方の解放? そんなの無理だ。利用されているだけだ。いずれ捨て駒になるぞ」
「ケヒス姫様にとって捨て駒にしかならないような価値であれば、そうなるんでしょう。だから俺は前世の兵器も、戦術も使って価値を示し続けます。東方にすむ諸族に――『亜人』と蔑まされている人々を守るために戦います」
そして、俺の知識で作ってしまった手銃で戦争に巻き込まれて戦死した――俺が殺してしまった人々のためにも、俺は戦い続けなければならない。
全ての犠牲が無駄にならないためにも。
「……そうか。オシナーとは、分かり合えると思ったんだけどな」
残念そうにヘルスト様が蒸留酒を一気に飲み干した。
テーブルに鎮座した瓶をヘルスト様が空にしたグラスに注ぐ。
「俺がノルトランドに行くということはケヒス姫様を裏切る事です。それは東方で暮らす人々を見捨てることに成ります。俺には出来ません」
「ずいぶん亜人に肩入れをしているんだな」
「俺は、この世界では戦争孤児でした。それをドワーフの親方に拾ってもらったんです」
俺の話をヘルスト様は静かに聞いていてくれた。
そう言えば自分の出自を他人に打ち明けるのはヨスズンさん以来か。
「そこで、ドワーフとして育てられました。そりゃ、俺は人間でしからいじめられもしましたけど、それでも仲の良いドワーフってのはいました。一緒に工房を抜け出して釣りしてサボったり、親方に怒られたり、酒を飲んだり。だからアイツ等が奴隷になるかもしれないのが、許せなかったんです」
それはドワーフに限らない。クワヴァラードで売られそうになっていたユッタ達エルフを含めて俺は彼女たちが奴隷になることが許せなかった。
「面白い事を言うな。前世でも奴隷とは言わないが被差別民は居ただろう? 人間が本来持っている嫉妬に羨望といった醜い感情が作り上げた社会秩序が差別なんだ。仕方の無い事だろ?」
「それは、人間の理論ですよ」
「被差別民は被差別民で自分より下のものを蔑むだろ? オシナーはゴブリンを亜人と対等に見れるか?」
「それは――」
「見れないだろ? それにその考えは冷血姫に利用されているだけだ。コレが最後だ。ノルトランドに来てくれ。そんな偽善を捨てても誰も咎めないさ」
偽の善。
アウレーネ様の事を俺は偽善者だと思っていた。
ただ困っている人を救いたいと考えていたアウレーネ様をそういう風に見ていた。
だが、俺もそうだったのか。
ますます俺はアウレーネ様を否定できなくなった。これでは同族嫌悪ではないか。
「誰も咎めなくても、俺自身が咎めますよ。東方を解放するために大勢の兵士が俺に命を預けてくれました。アムニスでもタウキナでも勝ちましたが、東方解放の礎になると死んでいった奴らが居るんです。俺は、ケヒス姫様だけでなくそいつらも裏切りたくないのです」
頭を下げるとヘルスト様は無言で俺のグラスに蒸留酒を注いでくれた。
「もう良い。好きにすると良い。だけど、自分とオシナーはこの世界で二人しか居ないかもしれない仲間なんだ。くれぐれも死なないでくれ。そして何かれば自分を頼って欲しい。ノルトランドから空を飛んで駆けつけよう」
「それは、頼もしいですね」
空を飛ぶってどういう事だよ。
「あーあ。ふられちゃった。これは飲んで忘れるしかないな。マスター! 何かつまみをッ!! オシナーも頼みたいものがあればジャンジャン頼んで」
「いや、そんな。餌付けですか?」
「違う。友に飯をおごって何が悪い」
この人は本当に貴族なのか? そういう視線で見てしまったせいかヘルスト様は言い訳するように口を開いた。
「前世では貴族じゃなかったからね。堅苦しさに馴染む自分とそれを嫌う自分がいるんだ。たまには前世の自分でも、良いんじゃないかな?」
いたずらっぽく笑うしぐさに俺も苦笑いが浮かんできた。
「お待たせしました」
階段を上がってきたマスターは手にチーズの入ったバスケットを持ってきてくれた。
「今日はずいぶん楽しそうですね」
「そりゃ、王都で同郷の仲間と会って美味しいお酒が飲めればね」
マスターはありがとうございます、と頭を下げた。
「ほかにご注文は?」
「それじゃノルトランド産のワインを一瓶」
一礼して去っていくマスターを上機嫌で見送るヘルスト様は蒸留酒を手酌して一口であおってしまった。
「さぁ。オシナー。飲んくれ」
「いや。悪いですよ。そもそもそんなに飲んで大丈夫なんですか?」
「なんだよ。大公の娘の酒が飲めないのか!?」
完全に悪酔いしてるよ大公の娘。
「ん!」と蒸留酒の瓶を突き出してくるさまに断れるわけも無くそれを受け入れる。
「さあ乾杯だ」
グラスとグラスを重ねて、一息にそれを飲む。
度の高い酒が喉を焼くように胃の府に落ちていく。なんだかもったいないな。味わってのみたい。
「オシナーは結構飲めるんだね」
「そりゃドワーフに育てられましたし」
まあ前世でも酒は好きだったから生まれ変わっても飲み続けている。
ガキの頃から酒は飲みなれていたからドワーフしか居ない村でもいじめられるだけではなかったからな。
「そうか、そうか」
すでに目が据わりだしたヘルスト様にあ、これはいけない奴だと思いつつ進められるがままに酒を飲む。
「あの、そろそろ帰りませんか? 夜も深まりましたし」
「まだ大丈夫ですってェ。もう少し飲みまそう」
「呂律が怪しいですよ! そんなに酔っ払って城に帰れなくなりますよ」
「まだ酔ってません」
「それ酔っている人が言う言葉!!」
「――ッ。オシナー」
「なんです? それより帰りましょう」
「吐きそう」
「うぇッ!!」
ドワーフと共に育って酒を共に飲んできた俺に出来た酒への耐性を心底恨んだ。
ヘルストは酒は好きだけど酒に弱いキャラにしたいです。
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