酒場
「状況終了。九十八ターンを持って黒軍本陣の陥落を確認。よって白軍の勝利とする」
審判の宣言に拍手が起こった。
それは勝利した白軍だけではなく善戦を果たした黒軍も含めた拍手だ。
「よくやったオシナル。騎士での撹乱作戦が上手く行ったな」
「敵の包囲を受けたときはヒヤリとしましたが、皆様の協力のおかげで無事解囲出来ました。ありがとうございます」
互いの健闘と称えていると前半戦の終わりと同じくワインが供された。
「それでは皆。勝利に」
ヘルスト様が高らかにグラスを掲げ、それを口に運ぶ。
先ほど、口にしたワインとはまた別の香りがする。
それを口にすると繊細であるがその存在を主張する酸味を感じる。その余韻に苦味が加わってほんのりとした調和が取れている。
「これはタウキナ大公国産だな。あの国は優良な武具とワインを造るからな」
「酒にお詳しいのですね」
俺からすればアルコールの入った水であれば何でも良いと思っていたから味だけで産地を見極められるのは驚嘆に値する。
いや、前世でも味と香りでワインの産地を識別できるような人が居たら驚嘆していた。
「ん? オシナルの故郷はタウキナじゃないのか? 故郷の味くらいわかるだろ?」
さも当然と言った風に言われて、内心焦りが出た。
地酒の味くらいわかるだろ? って事か? いや、そんなスキル俺には無いよ。
てかタウキナ産の酒なんて飲んだ事無いし。
「い、いやぁ。各地を放浪していて最近はめっきり飲んでいなくて。ははは……」
「確かに最近はタウキナ産のワインは出回っていなくて貴重な品だが……。だがオシナル。さっきの会話からすると仕えるべき主君がいるような話しぶりだったじゃないか」
アレは嘘なのか――?
ヘルスト様の眼鏡の奥の瞳が細まる。
「ご、語弊がありました。主君の下で働いているので中々、タウキナに帰る事が出来なくて……。そ、それにタウキナ産のワインは最近目にしていませんからね。いやぁ。懐かしいです」
苦しい言い訳にヘルスト様以外にも俺の事を不審そうな目で見ている奴らも出てきた。
早々に撤退した方が良い。
退路はどうする? そうだ! 急用。急用が俺には出来た。これでこの場を抜け出せるだろう。
「あ、そろそろ行かなくては。これにて御免」
「いや待て」
ダメでした。
「オシナル。まさか嘘をついているのか?」
嘘をついていると言えばついている。
どうする? 本当の事を言うか?
言ったら言ったで今度はケヒス姫様の逆鱗に触れ――。
あ、ケヒス姫様!
ケヒス姫様とアウレーネ様が現王と会談しているうちは控えの間で待っているように言われていたのだ。
今は何時だ!? まだケヒス姫様たちが現王と謁見しているならまだ助かるかもしれない。
そのためには早々にこの場を後にしなければならないが、俺に詰め寄るヘルスト様から逃れる術を俺は持ち合わせていない。
万事休すか。
「オシナル。お前の主君は一体誰なのだ?」
「そやつの主は余だ」
中庭に響いた冷たい声に歓談の声が止まった。
恐る恐る声のした方を見ると腕を組んでゴミでも見るような目で俺を見ているケヒス姫様がおられた。
「うぬの名前はオシナルと言うのか?」
「お姉さま。それくらいにして差し上げたら?」
ケヒス姫様の後に続いて困ったように笑っているアウレーネ様と無表情のヨスズンさんが歩いてきた。
中庭に「冷血姫だ」「第四王姫様も」というざわめきが起こり、この場に居た者達が膝をついて礼を現す。
「初めて聞いたぞオシナー。いやオシナルか」
「け、ケヒス姫様……」
血の気が引く音が聞こえる。もうダメかもしれん。
「オシナー? 東方辺境領で五千の蛮族に百の兵で打ち勝ったオシナー将軍か?」
「この人が? いや、さっきの図上演習の采配ぶりはそうかもしれない」
そんなささやき声が聞こえたが、今は関係ない。
それよりも差し迫ったこの危機をどう脱するかが問題だ。
「余の命令を覚えているか?」
「ハッ。もちろん」
「言ってみろ」
「王城ではしゃべるな――」
「だからしゃべるなッ!!」
ヅカヅカと歩み寄ってきたケヒス姫様は腰を軽く捻り、それをバネのように解放しながら右手の拳を――いやその鋭さは拳というより剣を遠慮なく俺の頬にたたきつけた。
「どうすれば、良いんです……?」
俺……視界が暗……ってい……。も……何も……見……ない。
気がつくと窓から差し込む日差しが茜色を帯びている頃合だった。
「痛ッ――」
唇が痛い。ケヒス姫様に殴られて切れたのかもしれない。
だが、あの頭を揺さぶるような一撃を受けてコレだけですんで幸いと考えるべきか?
「お目覚めか? オシナル」
「ヨスズンさん?」
辺りを見渡すと俺はソファに寝かされているようだった。
起き上がると少し立ちくらみが起こる。
「貴族の子息に混じって図上演習に興じるとはお前も中々度胸があるな。いやアムニスの時に比べれば度胸もいらないか」
「いや、アレに参加したのは不可抗力で……」
「何にせよ、聞いたぞ。あの図上演習を上手く切り抜けたそうだな」
「白軍の面子が良かったからですよ」
俺の作戦に賛成してくれたヘルスト様を含めてピンチを救う案を考えてくれた仲間が居たからこそ勝利できたのだ。
これは本物の戦場と変わらないのかもしれない。
「アレで大敗していたら間違いなくオシナーは俺の『会話術』を受けてから処刑されていたかもしれないぞ」
ヨスズンさん得意の誰とでも強制的に『拷問』をさせられる術を使われそうだったのかと思うと生きた心地がしない。
戦友たちに惜しみない感謝を捧げる。
「それに個人的にだがノルトランド大公国のヘルスト殿と親密な間柄になったようだな。この点は褒めると姫様が言っていたぞ」
「そりゃ、ありがたいです」
今思えば一介の工商が大公――公爵家の娘と知り合うこと自体が有りえないことだ。
よくめぐり合えたな。
「いったいあのお方とどうやって知り合った?」
「た、たまたまですよ。運よく同じ白軍に入っただけです」
ヨスズンさんは「お前は運が良いな」と小さく呟いた。
「お前の火薬の知識や火器の扱いぶりに戦術思想。そして大公家の人間に渡りをつけるとは何者なのだ?」
俺の存在について核心に迫ったような問いに俺は生唾を飲み下した。
「まあ良い。お前は姫様を裏切ることは無いだろう。ならばそれで良しだ」
「その、聞かなくて良いんですか?」
「聞かれたいのなら聞こう。それに本気で聞き出したいのならすでにお前は生まれてきた事を後悔するような『会話術』を受けているだろう」
利用できるのなら何者でも構わないという事か。王族としてそれで良いのか?
そうやって暗殺者を送り込んできたらどうするんだ?
いや、そこまで深刻な人材不足なのか?
「そう不安になるな。人物の見極めくらいは出来るつもりだ。それにお前には枷があるからな」
俺の枷。
俺を束縛する鎖。
それは東方辺境領を人質に取っていると言っているのと同じだ。
「失礼してもよろしいでしょうか?」
扉の外から聞こえた言葉に一瞬、心臓が止まりそうになった。
ヨスズンさんが剣を手にしてから「どなたか?」と誰何する。俺もソファから立ち上がってケヒス姫様から下賜されたサーベルを手にする。
「ノルトランド公が娘のヘルストです」
ヨスズンさんは油断無く扉まで歩を進めて扉を開けた。
「改めで自分はヘルスト・ノルトランドと申すものです。第三王姫殿下筆頭従者のヨスズン殿とお見受けいたしますが、こちらにオシナル――オシナー殿はおいでか?」
「これはヘルスト殿。お入りください」
一礼して入ってきたヘルスト様に俺も頭を下げる。
「オシナル軍師殿。頭を上げてください」
「あの、その……。その節は申し訳ありませんでした。悪気はなかったのです」
無用な混乱とケヒス姫様に泥を塗らないように偽名を使ったのだから悪気は無い。と、思う。
「クスクス。その件はもう良い。ヨスズン殿。どうか自分にオシナル殿を少しお貸し願いませんか? 夕餉を共に取りたい。よろしいか?」
「わかりました。オシナルという者は姫様の臣下にはおりませぬのでどうぞご自由に。一応は我が主であるケヒス・クワバトラ様には私から伝えましょう。」
ヘルスト様は「かたじけない」と言ってほら行くぞと言いたげに歩き出した。
「ヨスズンさん良いんですか? 俺が出歩いたらまた――」
「いや。姫様は私が説き伏せる。それよりノルトランド大公家とつながりを得るほうが益になるであろう。しっかり励め」
何に励めと言うのだ。
不満タラタラにそう言おうと思ったがヘルスト様が「速くしろ」と言ってきたので喉の奥に文句をしまいこむ。
「では行って参ります」
ヨスズンさんは言って来いと言わんばかりに手のひらを振ってくれた。
それにため息をついてヘルスト様の後を追う。
「あの、どちらに?」
「貴族街に良い店を見つけたんだ。そこに行こうオシナル」
「……そろそろそのオシナルというのをやめて頂けませんか?」
「なら自分にちゃんと名乗ってくれ」
確かに正確な名前を俺は名乗っていない。
そう言えばケヒス姫様は俺にタウキナ姓を名乗るように言っていたが、この人には必要ないかもしれない。
政敵として話し合いをする人ならタウキナ姓を名乗っても良いかもしれないが、俺はこの人に嘘を名乗りたくない。
せっかくこの世界で出会うことが出来た仲間に嘘はつきたくない。
それに――。
それに俺は政治がわからない。
「東方辺境領で工商をしていたオシナーと言います。今はケヒス姫様の下に仕える物です」
「オシナーか。姓は? タウキナ家の人間が東方で工商をするなんて無いだろ」
「姓は、ありません」
「そうか……」
複雑な事情があるのだろうと察してくれたのか、それ以上言われる事無かった。
俺たちは無言のまま城を出て貴族達や豪商が暮らす品の良い区画を歩く。
周囲は日暮れが近づいているせいか家路に向かう者。ヒソヒソと噂話に興じる者。商店を閉じようとする者と様々な人がいる。
だがここには人間しか居ない。
タウキナでも東方諸族の人々の姿を見ることは出来たが、東方から離れたこの地にその人々を見ることは出来ない。
ここは人間の街なのだな、と思う。
「こっちだ」
ヘルスト様の案内の下に大路からわき道に入る。
家々の隙間に通った道はすでに薄暗く静かだった。
「ここだ」
案内されたのはそんな裏通りにある小さな居酒屋だった。
ヘルスト様は迷うことなく店に入る。
俺もそれに続こうとたが、電流が走った。
金は足りるのか?
一応、連隊長という職務をしている性質上、ケヒス姫様が給金をくれるが、その金で足りるのか? 王都とか都会という奴は物価が田舎に比べて無茶苦茶高い印象がある。
だが逡巡していても仕方ない。
思い切って店の中に入った。
扉を開けると薄暗い店内にはまだ客はおらず、L字型のカウンターの奥に店主と思わしき初老の男性が居るだけだ。
「いらっしゃいませ」
静かな重みのある声を発した店主はその後、口をつぐんでグラスを磨き始めた。
店はカウンター席しかないようで、案外小さい。店主の背中には厨房に続いていると思われる扉があるだけだ。
「オシナー。コッチだ。マスター個室を借りる」
「かしこまりました」
個室? と思っているとヘルスト様はカウンターの中に入り、マスターが開けたドアをくぐっていった。
俺は少し逡巡してからその後を追う。
扉をくぐるとそこは予想通り厨房になっているようだ。その厨房の隅に螺旋階段があり、ヘルスト様はそれを上がっていくところだった。
隠し部屋に行くような気がして少しワクワクする。
いや、いくら前世と今世を生きる俺としても男なのだ。こういう物にワクワクしてしまう。
俺もヘルスト様の後に続いて階段を上ろうとして立ち止まった。
階段を上る女性の後姿を見るのは良くないな。
そういう紳士的な俺がささやいたが、俺は紳士ではなく工商だからと言い訳しながら上を向く。
だがそこには動きやすそうな乗馬ズボンが目に飛び込んできた。
いや、わかっていたさ。
ヘルトス様がお召しになっているズボンがヒップの辺りがぶかぶかの乗馬ズボンであることはわかっていた。
だが期待せざるを得ないというのが男という者で――。
「どうしたオシナー?」
「いえ。素敵な店だと思って」
「そうだろ? エイウェル様が密談を行う時に使っている店なんだ。マスター! とりあえずエールを二つ」
階下に叫んだヘルスト様に「かしこまりました」と答えが返ってきた。
俺はそれから階段を上りきると個室の真ん中に円いテーブルが置かれているのが見えた。
薄汚れた窓からは夏の西日が差し込んで部屋を暖めている。
「まあ脱ぎたまえ」
「女性が言う言葉じゃないですよ」
だが暑いのは確かなので肋骨服を脱いで軍帽を椅子の背に引っ掛ける。
それから襦袢の第一ボタンを外して腕をまくりながら西日を写している窓を開ける。
夜の香りを含んだ風が優しく吹き込んできた。
振り返るとヘルスト様も深緑色のフロッグコートを脱いでYシャツのような白い下着の袖をまくっている。
乗馬ズボンの赤色と白いシャツが相反して眩しさを感じる。
「この世界の服は派手でたまらないね」
「それは同感です。連隊の服も赤い詰襟だから目だって仕方ないですよ」
だがこの時代では誰が戦果を挙げたかを明確に伝えるために派手な物が好まれているから仕方が無いと言えば仕方ないが俺『たち』からすると抵抗がある。
「どうしたオシナー?」
「いや。服の色を地味にすべきだと思う仲間がいると思うと、少し嬉しくて」
ヘルスト様も「そうだな」と小さく呟いて頷いてくれた。
そこで階段を上ってくる足音が聞こえた。
エールの入ったジョッキを持ったマスターがノソリと顔を出した。
「お待ちどうさまです」
マスターは静かにジョッキをテーブルに置くときびすを返して階下に消えていった。
「個室の声は下には響かないようになっているから密談にちょうど良いんだ」
「お詳しいですね。エイウェル様と来られたので?」
ヘルスト様は「それは答えられない」と言ってジョッキを手に取った。俺もそれに続いてジョッキを手に取る。
「それじゃ同郷の仲間に乾杯!」
「乾杯」
ジョッキとジョッキが打ち合わされて鈍い音と共に白い泡が溢れる。
それを口にするとスパイスとハーブの合わさったフルーティーな風味と共にまろやかな味わいが広がる。
それを一気に喉の奥に流し込むと胃が乾いた砂のようにそれを求めるのがわかる。
気がつくとすでにジョッキの底が見え始めていた。
それをテーブルに打ち付けるとヘルスト様も同時にジョッキをテーブルに置いた。
「東方辺境領かな? クワヴァラード周辺はアムニス大河のおかげで肥沃な土地が多いからそこで獲れる大麦は良い味をしている」
「へー。そうなんですか」
「オシナーは地元だろう? 言わば地酒じゃないのか?」
「確かに東方に住んでいますがここまで上等な酒は東方では作ってませんよ。アルコールさえ摂取できればエールでもぶどう酒でもなんでも構いません」
「それはいけない!! 酔えればそれで良いなんてそんな考えはいけない。そもそも果実酒を覗けば五穀を使うんだぞ。大事な糧を嗜好品である酒に作り変えるんだぞ!? そこには麦を育てる領民の苦労があり、より美味いものを作ろうとする職人の英知があるんだ。それを酒なら何でも良いなんて彼らを冒涜している以外の何物でもない! 自分の前では二度とそん事を――いや。今後一切そんな事を言わないでくれッ!!」
熱弁をふるうヘルスト様に俺は思わず何度も頷いてしまった。
この人はお酒が大好きなんだな。
「マスター! マスター! 蒸留酒を一瓶出してくれ! グラスも二つ!」
「あの、ヘルスト様? 俺の分は――」
「ん? あ。お金のこと? 遠慮はしないで。これでも大公家の娘だから大丈夫」
俺が大丈夫じゃない。
男としての俺が悲鳴を上げる。これならエールを一気飲みするんじゃなかったな。もう少しチビリチビリとやっていれば良かった。
そんな逡巡とは裏腹にマスターが瓶に入った蒸留酒を運んできてくれた。
それをグラスに注ぐと琥珀色に輝く命の水が姿を現してくれた。
ヘルスト様はチラリとマスターが完全に去ったのを確認してから俺にも蒸留酒を勧めてくれた。
「……ありがとうございます」
複雑な心境でそれを受け取ると、ヘルスト様は何も言わずに命の水を一口飲んだ。
「オシナー……」
「何でしょうか?」
「悪いことは言わない。冷血姫と手を切れ」
俺はその言葉の意味を理解するのが、一瞬遅れた。
それほど唐突な言葉だった。
ご意見、ご感想をお待ちしております。




