亜人
一介の工商が王国の姫君の従者に選ばれてしまった。
いや、ありえないだろ。俺が従者を選べる立場だったら絶対にそんな奴は雇わない。
素性もなにも不明の輩だ。どうしてそんな俺を雇うのだ?
「我が騎士団は甚だしい人員不足が甚だしいからだ」
とはケヒス姫様の言葉だ。
そしてそのケヒス姫様から俺は一枚の羊皮紙を渡された。
「手形だ」
「手形?」
「知らんのか。余の名前で金を借りることが出来る。限度はあるがな」
これで手銃とを買って来いという事らしい。てか俺から奪った手銃三丁を返して。
購入ならまだしも接収なんて目もあてられないぞ。
だがこの手形という奴で本当に金を借りれるのか?
いや、きっと借りれるのだろう。でも、どうやって借りるんだろう。平民より下の暮らしをしている身としては使い方がわからない。
そのためしげしげと手形を眺めているとケヒス姫様が大きなため息をついた。
「……不安になってきた。ヨスズン、オシナーについて参れ」
そして俺はケヒス姫様の従者をされているヨスズンさん(姫様はもとより俺よりも年上だから『さん』付けは当たり前だろ。決して怖いわけではない)は手銃を手に入れるために親方のいる工房を目指すことになった。
説明終わり。
今、俺とヨスズンさんは目的地まで幌のついた一頭立ての小さい馬車に揺られて楽々と旅をしている。市に来るまで徒歩で来た俺としては非常にありがたい。
「お前はその手銃をどうして思いついた?」
「え?」
その疑問はもっともだ。もっともすぎて返す言葉が無い。前世の記憶が――と言ったところで通じるわけが無い。
「それに火薬についてもだ。一介の工商が思いつくとは到底思えない」
俺としてはそこまで根掘り葉掘り聞かれないだろうと思っていた。(少なくとも親方がそうだった)
嘘をつくのは嫌だが、前世では嘘も方便と言った。
「旅の商人の方に火薬の事を聞いたもので。それで、こう、ピーンと来たと言いますか……」
ヨスズンさんは納得してはいないようだった(俺だってこんな事言われても納得できない)が、困惑する俺に気を使ってくれたのか、話題を変えてくれた。
「それにしも、こんな所に人里があるなんて初耳だ」
「まぁ、なにぶん田舎のもので……」
市まで徒歩で丸一日は掛かった。東方辺境領と言われるだけあって発展しているのは王国が定めた都市くらいで、その外に出ると細々とした村々があるだけだ。
それに正確な戸籍調査や検地も行われていないから、ヨスズンさんが俺の村を知らないのも無理は無いだろう。
だが、その旅程も馬車に揺られること半日ですんでしまった。さすが騎士様の手配してくれた乗り物だ。
「あれです。あの煙が見えますか?」
「あそこか。だが、やはり知らなかったな。それより、昼時をすぎたのに煙が立ちすぎじゃないか?」
「そうですか? 普段からこんな感じですけど」
閑散とした村。いくつも家があるが、見慣れない馬車に警戒してか、周囲に人影が無い。
だが今はそれに構っていられない。今にも首を括ろうとする親方に朗報を告げねばならない。
「そのまままっすぐ。あ、ここです。親方! 金が手に入ったよ!」
実家兼工房に声をかけると物音がした。よかった。まだ首をつっていない。
「今、踏み台に乗った所なんだ。止めないでくれ」
直前だった。ヨスズンさんに断って親方を止めに行く。
ドッタンバッタンと輪の作られたロープに手を伸ばしていた親方を無理やり引き剥がしてヨスズンさんの元に連れて行った。
「す、すいません。ヨスズンさん。お見苦しいところを」
「お前、親父代わりをしたわしの死に様を見苦しいなんてバカ言ってんじゃね」
いや、親父代わりだからこそ見苦しいんだ。
そして俺は親父――もとい親方をヨスズンさんに会わせる。ヨスズンさんは驚いた顔をした。
「ドワーフじゃないか」
「あれ? 言ってませんでしたっけ?」
暗い工房から出て来た親父は相変わらず小さく、髭が濃い。
親方が「孤児だったオシナーをわしが育てたんだ」と言ってくれた。ヨスズンさんは小さくうなづくとケヒス姫様から渡された羊皮紙を取り出す。
「ここはドワーフの村か。どうりで聞かぬはずだ」
「すいません。素性を隠していたつもりは無かったんですけど……」
ヨスズンさんは「なるほど」と呟くとオホンと咳をついた。
「ケプカルト諸侯国連合王国第三王姫にして東方辺境領姫、ケヒス・クワバトルの名において手銃を買い付けたい」
「ケヒス? 冷血姫ケヒスか?」
おや、親方はケヒス姫様を知っているのか?
それにしても冷血姫って……。不敬を理由に斬られないか?
「亜人たちにはそう言われているようだな」
「あいつの子分なら帰れ。売るものは無い」
「待った!!」
商談をここで止められては命が絶たれるのと同義だ。親方はもう首吊り用のロープを張っているから(律儀にも二つ)後には引けない。むしろ後が無い。
「オシナー、去年の虐殺を忘れたのか。うちの村では無かったが、街に住んでいた連中は皆殺しにされたんだぞ」
「それを言うならコッチも部隊全滅はザラだったぞ」
親方の言う皆殺しの事は俺も覚えている。市のあったあの街で騎士団と東方諸族による戦争が在って、そこに住む亜人たちが皆殺しにされたらしい。
噂には聞いていたが、あのケヒス姫様がその首謀者だったのか。
それならあの凍てつくような視線も納得だ。あんな目つきの人じゃなければそんな事できるはずがないしな。
だが、相手が誰であれ顧客には代わらない。ここで商談を失敗させるわけには行かないのだ。
そう思って口を開こうとしたとき、それを制するように親方が口を開いた。
「東方辺境領? 俺たちの土地に土足で踏み込んできて勝手に植民地にしやがって。俺たちの事を人間の亜種――『亜人』とさげすみやがって。その『亜人』に武器を求めるのか?
その武器でまた殺すのだろう。あれだけ殺してまだ殺し足りないのか?」
「お前たちを絶滅させるまではな」
修羅場というか、もう戦争が起こりそうだ。すでに商談どころではない。二人を離して頭を冷やさせてから改めて売買の話しをしよう。そうしよう。
だが俺が口を開く前にヨスズンさんの口が先に開いた。俺にもしゃべらせてくれ。
「一丁、金貨二十枚で手銃を買おう」
「ふん……乗った」
「『ふん』じゃねーよ! 売るもの無いんじゃないのかよ!?」
これほど酷い手のひら返しを見たことが無い。守銭奴にもほどがある。てか、先ほどまでの敵意に満ちた会話は何だったんだよ。
「材料がないからな。『今は』売るものが無い」
「そんな頓知は聞いていない」
親方はそんな軽口を叩きながらヨスズンさんに言った。
「だがな、俺たちみんなお前ら騎士団が嫌いだ。それを覚えておけ」
「亜人共も覚えておけ。騎士団は亜人を絶対に許しはしない」
その存在は平行線だ。互いに決して交わることの無い直線。
目の前にたつ二人の距離は近いようで、かなり遠い。
◇ ◇ ◇
それから俺たちは再び村を後にした。
王宮――東方辺境領総督府に帰り着くとケヒス姫様から開口一番に「手銃は買えたか?」と赤い目を輝かせて聞かれた。
「いえ、これから製作するので、一週間もすれば納品されるかと」
「なに? そんなに掛かるのか?」
一つの工房で作るのだから限界はある。
「いくらドワーフでも一週間で三十丁ほど作るので限界ですよ」
「ドワーフ?」
「孤児だった俺を引き取って育ててくれたんですよ。それで鍛冶師見習いをさせてもらっていて」
そう言えばヨスズンさんたち騎士団は東方諸族を憎んでいるようだけど、ケヒス姫様もそうなのだろうか。
「忌々しい連中め。生きておったか。殺さねばなるまい」
「俺の育ての親ですよ!? 冗談ですよね!?」
冗談に聞こえないあたりが恐ろしい。
「ふふふ。面白い冗談だろ?」
「まぁ、それも今後の課題なのだがな」と小声で言われたようだが、聞かなかった事にしよう。
「まずは騎士団の再建だ。雑兵でもよいから戦力が欲しい。故にうぬの提案した部隊編成は利に叶っている」
「その、聞いて良いですか?」
なんだ、とケヒス姫様が言ってから俺は質問をした。たぶん、これ以上に無く失礼な質問だろう。
「騎士団の再建って言われますけど、どうして再建を?」
聞いて後悔してしまったが、壊滅したから再建するに決まっているだろう。
だがケヒス姫様はそれに怒るでもなく答えてくれた。とても、淡々と答えてくれた。
「決まっておろう。我が騎士団は壊滅した。だから再建する。壊れた物は捨てるか、直すしかない」
捨てるか、直すか。俺としては選択肢に捨てるというのが含まれているのに驚いた。
だがそれは選択肢にあるというだけできっとケヒス姫様はそれを選ばないだろうなとも思う。
「うぬはドワーフ共を好いておるのか?」
「好き、といいますか……遊び仲間でしたし。友人もいますし」
屈強なドワーフの友人と人間の俺が喧嘩をして大怪我をした事もあったが、それなりに楽しい連中だった。
一緒に工房の仕事をサボって釣をした事もあった。共に酒を飲み交わした事もあった。
だが嫌いな奴もいた。どうしても好きになれない奴。そりが合わないと言うか。
だがそれも人間とて変わらない。前世でも好きになれない人間はいたし、逆に好きな人間もいた。
「余は亜人を好かぬ」
さすが支配者。俺の友好関係の話しをした直後にそれを全否定するような事を平気で言えるなんて。
「だが人間はより好かぬ」
え? 人間不信なの。何を信じて生きていると言うんだ。お金か? 力か?
「人間は信用ならん。その点、律儀に約束を守る連中が多い亜人はましと言ったところだ」
そう言えばケヒス姫様はケプカルト王国の第三王妃だったか。ここに来るまでは宮中で色々あったのだろう。
それが人間不信に陥る理由なら亜人と言われる連中のほうがましなのかもしれない。
エルフは除くが。
しかしこれは偏見も甚だしいが、ドワーフに囲まれて暮らしていたせいかエルフについて良いイメージが無い。いや、頭では迷信だと分かっているが。
「余の目的は一つ。無能な現王を廃して新たな王権を打ち立てることだ」
クーデター宣言かよ。しかも現王を殺すって言ってるじゃないか。それだけでも国家反逆罪じゃないのか。
「現王様を廃してって。それは父君を――」
「違う。予は前王クワバトラ三世の娘だ。今のゲオルグティーレ一世はその弟だ」
現王とは血のつながりの無い姫君。宮中にはドラゴンも震え上がる権謀術数が蠢いていると有名だが、それでケヒス姫様は人間を信用しないのか。
「余は父上を廃し、余の騎士団を奪ったあの豚を許さぬ。そのためには手銃や新しい兵がいる。それも大量にな」
ケヒス姫様はそう言って机から皮袋を取り出した。それを机の上におくと重そうな音を立てた。
「行くぞ。供をせい」
「行くって、どちらに……」
「傭兵を買いにいく。ぬしは金を持ってついて参れ」
「でも、公務とかは……」
ケヒス姫様は「あぁ、ヨスズンがうるさいからな」と呟いた。買い物は中止かな。
「捨て置け」
冷血姫。そんな言葉が頭の中に流れた。
◇ ◇ ◇
俺とケヒス姫様はお忍びという形で市街に出た。お忍びする理由は分からないが。
「市政の様子を肌で感じねば発展はなかろう」
一理あるような気がする。百聞は一見にしかずとも言う。
俺たち二人は衆民に混じって周囲を観察しながら歩いていた。
王族が市民の格好で街を歩くと言うのも本当にあったのかと変な関心を抱いたが、それよりもケヒス姫様が地味な青色のロングスカートに白いブラウスと言う市井に溶け込む姿には息を呑んだ。
なにより目につく肩にかかった赤い肩掛けが非常に似合っている。鎧姿でもそうだったが、赤はトレードマークなのだろうか?
だが服装こそ市民のそれだが、ケヒス姫様のまとう気品さがその出自の良さを物語っているようだ。
視線さえ合わさなければ貴族ご用達の娼婦と思われるに違いない。視線さえ合わさなければ。
同じ事を二回言ってしまったが、何度でも言おう。視線さえ合わさなければ誰もが見とれる少女になっていた。
おっと、ケヒス姫様が睨んで来た。勘の鋭い方だ。言葉に出してはいなが、これから気をつけよう。でないと俺は殺されるに違いない。
「やはり道路の整備が良い。ここだけならタウナキ大公国の公都と肩を張れるだろう」
「そんなに立派な道路なんですか?」
俺としてはこの街――クワヴァラードしか知らないからなんとも言えないが。
そう言えばこの街は元々、クワバトラ三世が東方進出の拠点として作らせた城砦都市と聞いている。
あれ? と言う事はこの都市を築いたのはケヒス姫様の父君になるのか。
クワバトラ三世が東方植民地を持つためにこの地を選び、その娘が統治者になっていると思うと運命を感じる。
だが、ケヒス姫様の話しを聞く限り、運命でも何でも無いだろう。
左遷。
だから現王を廃してと言っていたのか。まぁ、人間とそうでない連中が雑居するのが東方辺境領だ。左遷もいいところだろう。むしろ島流しに近いのかもしれない。
「邪魔だ! どけ!!」
目の前を馬車が通った。俺の村に行く時に使ったような小さいものではない。四頭の馬が引く大きな馬車だ。チャリオットかと思った。
そうだ。チャリオットに手銃を持った兵士達を乗せて迅速に展開させる戦術なんて良いかもしれな――。
――――。
「うぬよ。呆けた顔をしてどうした?」
「……ど、どうしたって、あの馬車――」
鉄格子のついた荷台。その中には汚い身振りの人間が居た。違う。あの鋭い耳はエルフだ。衰弱したようにうな垂れている姿に本当にエルフなのか分からなくなる。
親方からは弓が得意で、自尊心が高くて他種を鼻で笑い、鉄を嫌うと聞いたあのエルフなのだろうか。
「奴隷馬車がどうした? 一匹欲しいのか?」
そんな事は無い。断じてない。
都ではなんでも買えて、なんでも売れる。そなん話しを聞いた事がある。
なんでもって、エルフも売るのか?
「あれはおそらくだが、東方辺境領からどこぞの荘園に出荷するための馬車であろう」
「――どうして」
「ん?」
どうしてそう平然と居られるのか。どうして何事もないように居られるのか。
夢物語のように聞かされたエルフが鎖につながれているなんて。それをどうも思わないなんて。
「貴族には物好きが多いからな。『亜人』を求める輩は多い。だが、知っての通り王国に帰順しない亜人の多い事。捕獲にも手間取るから――。うぬよ。なにを怒っている?」
「なにをって、エルフは商品じゃ有りません! いや、あなた方が『亜人』と蔑称する奴らも商品なんかじゃ――」
「何を申す。亜人だけではない。人間も売買されている」
まぁ、人間より亜人のほうが高価だがな、と余計な説明をしてくれた。
「オシナー。奴隷は嫌いか?」
「嫌いです」
おかしな話しだが、どうしてここまでキッパリと言えたのか自分でも驚いた。
前世の記憶のせいなのだろうか。
分からない。分からないが、人を物のように売買してしまうことに恐ろしさを感じてしまう。
「く、フフフ」
ケヒス姫様が笑った。いや、嗤ったのか?
「ケプカルトの第三王姫にして東方辺境領姫たる余に対して真っ向から意見するつもりか? それも工商風情が」
確かにこんな田舎に左遷されたと言っても相手は王族。本来なら口を開くことも許されない俺が反論出来るわけが無い。
だが――。
「良い。その反論、今は許そう。どうやら余の目に狂いは無かったようだな」
「はい?」
「何でもない。奴隷の事だったな。うぬよ。物事には何事も裏と表がある」
いきなり何を言っているのだろう。その疑問が顔に出たのか、ケヒス姫様は嗤い顔から苦虫を潰したような顔をしながら呟いた。
「余はここに来る前に現王に謀反を起こそうとした。だが、失敗した。いや、ヨスズンに気取られて辞めたのだ。余は蜂起する事しか考えていなかったが、ヨスズンに兵力も、兵站も、他の貴族への根回しも甘い事を説かれたのだ。
要は戦にしろ、ただ力と力をぶつけるだけでは勝てぬのだ。その裏にある物を余は蔑ろにしたが故にこう言われた。」
現王様はもとより兄君達へさえ勝てない、と。
「東方に派遣されてからもそれを知った。我らに王国発展の大儀があったように亜人共にも大儀があった。金貨のように表があれば裏もある。この二面は決して交わらない。
おかげで父上が築かれたクワヴァラードに大量の血をまいた。亜人共は余を憎むが、部下を殺された余も亜人を憎んでおる」
親方とヨスズンさんが言っていた『互いを許さない』という言葉を思い出した。
どこまでも言っても平行線の主張。互いに決して交わることの無い直線。交わらないが故に歩みよりもしない。
だから互いが対立するしか、無い。
だがそれは互いのイデオロギーが交わらないからであり、奴隷にも裏も表もあるのか? 人を売り買いする行為に裏も表もないだろう。
「話しが逸れたな。奴隷売買は利益は出る。あれには重税をかけているからな。クワヴァラードの財政を支える上で重要だ。貴様が奴隷に反感を抱くのは構わないが、余は軍備や内政を整えて現王を廃さねばならん。利益の出るものをミスミス手放す気はない」
奴隷が利益を上げる。その構図は前世にも存在した。奴隷を売るという行為は歴史の必然なのかもしれない。
だが歴史上にそれが存在したからと言ってそれを許していいかと言えば、否だ。
「もしかしてうぬよ。よもや『同じ亜人だから助けたい』と思って――」
「どけどけ!!」
また馬車が来た。道の真ん中で口論していたことにやっと気がついた。そりゃ、注意されるよ。
ケヒス姫様は右に避け、俺は左側に避けた。
「え? ちょ――」
俺が避けた先は人で込み合った路地だった。人の流れが俺を路地に引き込む。
その流れに背こうとしたが、無理だ。なんだコイツ等。
「おい! どこに行くのだ!」
痴れ者め! 話しは終わっておらん! どこへ行く!? と声が遠くで聞こえた。
俺はそれに答えようとしたが、もみくちゃにされてそれどころじゃ――。痛! 足踏まれた。
◇ ◇ ◇
ここはどこだ。
人ごみをやっとの事で抜けると薄汚れた路地に出た。
長く留まっているとトラブルが舞い込んでくるような暗さがある。
反転して元来た道を帰ろうかと思ったが、あの人ごみに戻るのは嫌だ。
「そうだ」
雑納に入れていた金貨を確認する。良かった。すられていたらどうしようかと思ったが、良かった。
あの人ごみならスリをしようが、痴漢をしようがばれない気がする。
いや、あの人ごみでそんな事をする余裕はないかな。
「参ったな。道が分からない……」
独り言を呟いたが、状況が変わるわけではない。むしろ自分に言い聞かせるようでより暗澹としてしまう。
薄暗い通りをとりあえず進もう。知っている場所に出るかもしれない。
藁をも掴みたい心境になりつつ俺は歩きだした。だがすぐにその歩みを止めた。
路地の一角。猫の額ようなスペースに馬車が止まっていた。
エルフの乗った奴隷馬車だ。
思わず胃の中の物がこみ上げて来た。
どうしてそうなるのかは分からない。分からないけど、今目の前にある出来事が現実と思えない。そんな気持ちが沸き起こってきた。
そうだ。前世では、奴隷自体が居なかった。
違う。奴隷はいた。歴史を紐解けば奴隷なんて単語はよく目にした。
そういう本もあった。
だけど、それは全て情報として俺に入ってきただけで、本物の奴隷なんて見たこと無かった。
今を生きる俺の中に奴隷は当たり前だという意識と、奴隷は悪しきことだと思う意識が責め合って、より気持ち悪くなってきた。
今世と前世とのギャップが俺に過大なストレスを押し付けてくる。そんな気分だ。
「おいおい、兄ちゃん。大丈夫かい?」
「だ、大丈夫です」
喉がいがらっぽい。かすれるような声を出した自分が少し恥ずかしい。
振り返ればあの馬車を操っていた御者だ。
「あんまりうちの商品の前で吐かないでくれ。まるでうちの商品が汚らわしいみたいじゃないか」
「商品……」
商品――。この男にとってエルフは商品でしかないのか。
「そう。俺もアレをタウキナ大公国に売らないといけないんだ。本国じゃ亜人はよく売れる」
この商売が上手くいかなかったら商会長に捨てられるからな、と呟いた。
「東方辺境姫様の奴隷商への税は重いが、それだけ保護もしてくれる。亜人は正に金のなる木だよ」
「商品って、エルフが商品なんですか……? アイツ等は――。『亜人』は奴隷商を養うためにいるってのかよ!」
「なに怒ってるんだ。亜人はそういうもんだろ?」
俺は、怒っていた。
そうだ。エルフが、ドワーフだったらと思った。
俺を受け入れてくれた村の連中が『出荷』されて行くかもと思った。
だから前世の記憶とあいまってこんなにも、怒っているんだ。
嫌いなドワーフもいた。だけど、俺を育ててくれた親方や好きな奴もいた。そんな連中が『物』として扱われるなんて、許せない。
「俺の商売に文句があるのか? 俺がアレを売らなきゃ、俺は商会長に捨てられての野垂れ死にするしかないんだよ」
お前には関係無い、と彼は言った。
確かに関係は無い。御者が商売を成功させるも失敗するのも俺には関係は無い。
だが、エルフたちは違うだろう。
同じ仲間だろう。
エルフの話がよくされるように、俺たちにとって身近な隣人なんだ。それが売られていく事が関係ない分けがない。
「なんだよ。俺はコレを売らなきゃ生活できないんだ。まさかお前が買ってくれるとでも言うのか?」
「だったら買ってやる!! あのエルフ全部買ってやる!! 俺の奴隷だ! だったら俺がどうするかも自由だよな!!」
売り言葉に買い言葉。思わず言ってしまった。そんな言葉だ。
俺は完全に怒っていた。だから近くの扉が開いた音も聞き逃していたのだろう。
「本当ですか? それは」
声のほうを向けばふくよかな爺さんが扉から半身を出して俺に尋ねていた。
立派なウールの服を着ている。貴族か、高級商人か。そんないでたちだ。
「そのエルフ。全部、お買いいただけるんですか?」
「え? えぇ。はい……」
機先をそぐような物言いに俺の中で炎のように猛っていた怒りが小さくなっていくのが分かる。だが先ほど言ってしまった言葉もある。
取り消したくは無いが、一時の感情で言ってしまった言葉に後悔が生まれそうになる。だがここで後悔はしたくない。
エルフを――隣人を助けると言った言葉を後悔にしたくは、無い。
「お金は?」
「それは……」
金はある。雑納の中にあるが、それは俺の金ではない。
「すぐには、払えません……」
「商会長! 助けてくださいよ。こいつ、俺の商品に文句を言うわ、全部買うと言うわ」
商会長? このふくよかな男がそうなのか。
「何を騒いでおる。地獄の亡者のように騒ぎおって」
商会長の後ろから金髪をなびかせたケヒス姫様が出てきた。こうして見ると商会長とその娘のような組み合わせだ。
「オシナーか。待ちくたびれたぞ」
「これはこれは。従者とはこの御仁の方でしたか。でしたら、話しは早いです」
商会長は扉(裏口か)からでて来て俺の顔を凝視した。近眼なのかもしれない。
「ケヒス様の従者ということでしたら良いでしょう。お買い上げありがとうございます」
「え、あ、はい」
思わず反射的に答えてしまった。
「代金については先ほどケヒス様が求めておられた傭兵代でこのエルフを売りましょう」
「何を言っておる。余は傭兵を買いに来たのであって奴隷はいらん」
「しかし、従者様はお買い求めです。もしや、ケヒス姫様は従者の方の責任を取られないのですか?」
ケヒス姫様は小さく、「責任?」と聞き返した。
「はい。従者様がお買い上げいただいた商品に御代がいただけないとなりませんが、従者様はそれが無いという。従者を抱える姫様としては責任を取ってお代を変わりにお支払いいただかなくては」
「…………」
「なにもそんな屠殺場の豚を見るような目で見ないで下さい」
「よくも余にそんな口が利けるな」
「私の首を刎ねるおつもりで? しかし、姫様の騎士団を優遇する商会はうちくらいですよ。姫様の悪いお噂はよく耳に入ります。そう、睨まないで下さい。私の首を刎ねれば商会は手のひら返しでしょう。では、その後の騎士団への物資の援助等はどこがやるのでしょうか?」
「……こんなことなら別の商会を手なずけておくべきだった。オシナー」
「は、はい」
「金を払え」
急いで雑納から金貨の入った袋を商会長に渡す。「毎度ありがとうございます」と人の良さそうな笑顔
で商会長は受け取った。
「あの馬車を総督府につなげよ」
「かしこまりました。運送費はサービスいたします」
「帰るぞ」
明らかに怒っているぞと言っているようにケヒス姫様は歩き出した。
「余は怒っておる」
言ってしまった。
「従者様。御武運を」
「え?」
哀れみのこもった笑顔で商会長が別れを言った。まるで今生の別れのようだ。