戦後
――最後にあの叛乱――東方動乱の終戦について記しておこうと思う。
あの終戦にはいくつかの諸説がある。
曰く、謀反人ケヒスは東方解放の立役者オシナーさんに討ち取られ、その首は王都に向かう際中、当時タウキナ大公姫アウレーネ様の手で埋葬された。
曰く、オシナーさんを射殺し、未踏の地へとわずかな側近を連れて落ち延びた。
曰く、橋に現れた人物は影武者であり、本人はクワヴァラードの隠し通路を通って南に落ち延び、海を越えて帝国に亡命した。
あの戦争の当事者であるわたしはこの多様な説に舌を巻くばかりである。
それと言うのもつい最近までこれらの事柄を極力避けていたのだ。黙して語らず、墓場まで持って行こうと思っていたのだが、当時の戦闘詳報の一般公開や思う事があり、こうしてケプカルト動乱劈頭期の記録を作る事にした。
当時、わたしはオシナー支隊の副官兼モニカ支隊支隊長として逃亡を強行しようとする東方辺境騎士団の迎撃にあたっていた。
戦闘後半、我らは敵の突撃を許して混戦となる。規律正しい戦闘とは到底言えない混沌とした様相はまさに地獄の窯の蓋が開いたかのようだった。
騎士団の抵抗は凄まじいものがあったが、それでもこちらの野戦築城のおかげで彼らの機動力を封殺し、数の力で彼らを圧殺した。
戦闘の終息し、わたしは己の長であるオシナーさんを探し、そして凶弾に倒れた彼を見つけた。
その近くには大量の血痕と打ち砕かれた銀色の鎧片が見つかるも謀反人ケヒスの姿は無かった。
周囲の捜索を実行してもその影を追う事は出来ず、結果としてオシナーさんの放った弾丸が謀反人ケヒスに命中、その拍子にアムニス大河に落ちたのでは無いか、と言う事に成った。
この結果、上記のような種々の説を生むようになったのだと推察する。
わたしはその日の事をありありと覚えている。動乱が終わりを告げる様に空にかかった虹を、彼が浮かべていた笑みを。
その思い出を胸に仕舞い、彼が最後に願った東方を、そしてケプカルトを守ると言う想いを抱いて生きて行こうと決心した。
そのため、わたしは黙して語らず、戦闘詳報においても最低限の報告しか記さなかった。
もっとも、これはわたしの私的な話であり、公的記録にそれを書き加えるべきではないと言う判断もあった事をつけたしておく。
つまりわたしも知らないのだ。
冷血姫と呼ばれた王姫の最期も、わたしを奴隷馬車から救ってくれたあの人の最期も。
ただ、あの戦闘の終わった時の空虚感と暗雲の晴れた先にあった残酷的に美しい虹を見て誰もが終わったのだと感じた事だろう。
瞼を閉じればあの光景が蘇る。
鼻をつく硝煙と血。赤く染まった大地と空。そして空にかかる七色の橋。思い半ばで倒れた者達のうめき声。
互いの矜持と誇りが激突した激戦。それでも世界は美しく輝いているのだとわたしは知った。
そしてわたしの中で大きく口を開けた穴の存在が悲しくて仕方なく、声を上げて泣いてしまった。
全ての動乱が終わり、平和が訪れるのではないかと言う想いを抱いた。
だが戦争が終わっても、それは次の戦争のための幕間でしかなかった――。
「閣下! 失礼してもよろしですか?」
「どうぞ」と反射的に答えて買い物から目を上げると、ちょうど子供の背丈ほどの軍人が入室して来る所だった。
「……あら、どうしたんですかヨルン大尉?」
しかし、その顔に浮かんだ苦笑に疑問が浮かぶ。
「寝ておられたのですか? ヨルンは父ですよ」
「あ! ごめんなさい。ミラン大尉」
「父親似だとよく言われるんで気にしませんよ。ですが、貴女の中では父はまだ大尉のままなのですね」
ミラン・ヨルク大尉。彼の父であるヨルン・メルク大尉はその後、北ケプカルト分離戦争の後に軍を去り、初代東方議会議長を務め、そして十年前に天寿をまっとうしたと言うのに……。きっとこの書き物のせいだろう。
愛おしげにその思い出を撫でる。もう、あの戦争から百年の年月だ経とうとしている。それとも百年前の戦争に未だ縛られているのだろうか?
その見えない問いに蓋をするためにわたしはペンを転がす。
「それで、何用ですか?」
「陸軍省人事局から辞令が来ました。どうぞ」
厳重に封されたそれを開く。中には中将への昇進、そして陸軍中央幼年学校長の任を解き、南方総軍司令官に着任せよと言う辞令が入っていた。
「……階級が上がったわ」
「貴女はいつも階級が上がると落ち込みますね。モニカおばさん」
「軍では少将――いえ、中将よ」
ミランが生まれた時から顔を合わせていたせいか、よく彼はわたしをモニカおばさんと言う(わたしも歳をとったものだ)。
そのせいか、彼が軍人を目指すと言った時はヨルンに「本当に入軍させるのか?」と問い詰めてしまった。それでも彼は故郷の東方を飛び出して士官学校に入り、そしてわたしの副官を勤めるまでになった。
冒険好きの血は誰が見ても父親譲りなのだろう。
「階級が上がると書き物が多くなるのよね」
「それでも昇進が遅すぎますよ。閣下の功績を鑑みればすでに上級大将になられていても不思議じゃありません。父も言ってましたよ。政治に関わらないから昇進が遅いのだと」
小うるさい言葉に苦笑を返す。そう言えばヨルンは生前、よくそう言っていた。
それは人間の中で暮らすエルフの待遇を心配しての事だったのだろう。
だが、わたしは別に昇進したいと思って軍務に励んでいる訳では無かったし、それに、オシナーさんがよく口にしていた「政治は分からん」と言う言葉による所が大きい。
確かに将官ともなれば国の政に多かれ少なかれ関わるようになる。それをわたしは遠ざけ今まで生きて来た。その結果が今の階級である。
もっとも寿命の短い人間の中で暮らしていると無駄に永い軍人生活のせいで色々と顔の利くようにはなったが……。
それでも中将に昇進か。
「そうか。ついに中将になっちゃった……」
オシナーさん。わたし、貴方より上官になってしまいましたよ。
そんな想いと共に「南方辺境領に行くことになったわ」と呟くと、メルンが目を大きく見開いた。
「海を渡られるんですか!?」
「えぇ。貴方も来る?」
「出来る事なら。外の世界を見るために軍に入ったのです。南方へは昔から行きたいと思っていましたよ」
ホビット族には珍しい旅好き。本当に父親似だなと実感する。
「人事に掛け合ってみるわ」
「閣下が一言申せば人事部もすぐに折れますよ。あそこの局長って確か、部下だったんですよね」
「昔の話よ。確か、ミスリル戦争の時だったかしら。彼はわたしの旅団の輜重参謀だったはず」
と、言う事は三年前の事か。
海を渡った南の帝国では市井にあふれている金属――ミスリル。これは今までにない魔法抵抗の少ない物資であり、それは魔法戦力拡充に必要不可欠な戦略物資の地位を築いている。だが国防の要となるそれは王国では産出しない。
その利権を巡って争ったミスリル戦争。確か、帝国呼称は北方戦争だったか。
わたしの旅団は南方上陸作戦時から戦争に参加していた。
「ちなみに、それは?」
「あぁ、昔の事を書き留めておこうと思ってね」
「ケプカルト動乱期の事ですか?」
「と、言っても動乱初期の頃よ」
殿下の起こした謀反が終息し、束の間の平和を享受していたがその日は永くは無かった。
謀反に加担した国の処罰と新たな戦功争い……戦場がテーブルに移っただけのそれはいつしか歯止めを失い、再び動乱がケプカルトに起こった。
その際たるものがタウキナとベスウスを中心とした北ケプカルト分離戦争だろう。
褒章本題を端にした新たな争いはいつしか貴族間の群雄割拠となり、それはまさに泥沼の様相を見せた。
王の権威に影が差し、地方領主が争いに明け暮れる。その戦の代償に民は重税と兵役にあえぎ、確実にケプカルトは力を落としていた。
そんな日々を続ける諸侯に愛想をつかした両国が独立を宣言したのである。わたしもこの戦争に東方第四連隊長として参戦している。
「北ケプカルト分離戦争にも参加されているんですよね」
「えぇ。でも、わたしが本格的に戦線に立った時はすでに東方師団は壊滅状態だったのだけどね」
魔法技術のベスウスと火器のタウキナ。彼らは内乱で疲弊するケプカルトから脱却し、己の国を守るために独立戦争をしかけたのだ。
それに同調する公国もあり、殿下の謀反を超す未曽有の内戦となった。
その開戦劈頭、アンブロジロ・スピノラ中将率いる東方師団はタウキナ第一師団との戦闘で壊滅。その戦闘で師団長アンブロジロ・スピノラ中将は戦死している。その後、わたしの率いる第四連隊、戦時招集した寄せ集めの第五連隊とでこれを東方から駆逐し、防衛する事になるのだが、それはまた別の話。
「思い入れはそちらの方があるのでは? 東方防衛の戦果を認められて爵位の授与があったではありませんか」
「あの戦は事実上の連合王国の敗戦で終わったのよ。諸手を上げて喜べるわけでは無いわ」
内乱の収拾に尽力していたゲオルグティーレ一世様もその激務のせいで急死、後を継いだシブウス様もタウキナ・ベスウス連合軍との和平協議の結果、退位。
そして新たに即位したのがアウレーネ様だった。
「でも、今思うとあの人もよく敵将のわたしを側近に向かえてくれたと感心するわ」
あの人に取り立てられ、わたしは東方諸族初の貴族籍を与えられた。
そしてあの人の下、新式小銃の選考委員会の長や初代参謀総長となられたヘルスト・ノルトランド大将の下で働いてきた。
そんな彼女達も己の生をまっとうし、静かに息を引き取って逝った。
「一人になっちゃったなぁ」
そう言えばヘルスト様もよく「一人になっちゃったなぁ」と言っていた。
あれはわたしがアウレーネ様に取り立てられて王都に住むようになった頃だ。
ヘルスト様は新体制の下、陸軍の中枢である参謀本部設営に尽力しており、わたしはその副官として東奔西走していた。
王都での暮らしは田舎娘のわたしには分からない事も多く、貴族としての作法も心得て居なかった。それらを助けてくれたのがヘルスト様だった。
そんな彼女の部下だったわたしは当然、お酒の席も同伴しなければならなかった。
そこでヘルスト様は酔うとよく、寂しそうに呟くのだ。
その本意は分からないが、あの人の中でもオシナーさんの抜けた穴が大きかったのだろうと思うばかりだった。
「今はボクがいるじゃないですか。モニカおばさん」
心配そうに細められたメルンの瞳。
種族も歳も違うと言うのに、彼はそれを意識する事無く他者と接している。
それこそ、あの頃より差別は見られなくなった。だがそれは差別が表面化しないだけで、誰しも心に秘めているに違いない暴力的な感情なのだ。
それなのにこの若者は――。
「ありがとう、ミラン」
「――そう言えば、南方行きでしたね。南方と言えばあの准尉、中々の成績のようじゃないですか」
「えぇ、最初こそ彼女の留学については心配していたけど、これなら無事に主席で士官学校に入学できそうね」
ミスリル戦争でひょんなことから知り合った帝国貴族の娘を王国の幼年学校に留学させる事になって三年。最初こそどうなるものかと心配していたが、彼女は乾いた砂に水をかけるように知識を吸収していき、ついには幼年学校の首席卒業生となろうとしていた。
「生徒監が良かったんですかね?」
「バルターでしょ? そんなはずないわ」
「はは、それは不仲ですか? それとも信頼?」
真面目に答えるのが馬鹿らしく、大きなため息でそれに返事する。もっとも答えは後者なのだが……。
「生徒達が知ったら驚くでしょうね。彼がモニカ支隊創設時から在籍していると知ったら」
「人の事は言えないけど、彼もよく生き残ったものだと思うわ」
確か、彼と出会ったのは彼がまだ一等兵だった頃だったか。螺旋式小銃の試験部隊を前身とするモニカ支隊の中でも新人中の新人。それが中尉となり、今のモニカ支隊の中心的人物になろうとは思いもしなかった。
「バルター中尉も連れて行くんですか?」
「もちろん。子飼いの部隊があるととれる作戦が増えて良いわ。特に非公式な作戦においてはね」
「なるほど。それじゃ、彼も呼んできましょう。いきなり南方行きを告げるのはしのびありません」
「勝手になさい」
彼の退室を見届けて机に乗った辞令と書き物を見比べる。
そしてわたしは校長室の窓に歩み寄ると、ちょうど生徒達が走り込みをしていた。
その先頭を走る少女――くすんだ金髪に王国では珍しい碧の瞳。名は確かマウザー・ベンテンブルク。
異国の少女の周囲には人間だけではなく、この百年で移民してきたエルフやドワーフの姿も見える。
その多様な生まれを持つ若者達が互いを励ましあいながら校庭を走っていく。
「新しい時代が来たのね……」
百年前――そこでわたしは亜人と呼ばれ、奴隷と蔑まされていた。
だがそれをあの人は変えた。
あの人の願いがあってこそ今の王国がある。あの人がいてくれたからこそ今がある。
「守りたい……」
彼らの笑顔を、彼女らの生活を。この国に暮らす者の未来を。
そして無駄にしたく無い。この未来を手に入れるための代償となった命を。だからわたしはこの本を記す。
わたし達がどのような思いで戦い、どのように生きたかを。
「さて、頑張りますか」
ふと、机を見ると、その脇に一振りの軍刀が立てかけられていた。
あの人に返せなかった軍刀――。
「どうかわたしの傍で見守っていてください、オシナーさん」
これからの国を――。あなたの守りたかったものを――。
わたしは静かに軍刀に向かって敬礼をした。
ここまで御付き合いくださり、誠にありがとうございました。
音信不通の状態が続いていた本作ですが、皆さまのおかげで完結させる事が出来ました。
もし、読者様の中に「マウザーとか帝国とかどういうこっちゃ」と言う方が居られたら、稚拙『戦後のファンタジー連載版』の方を見て頂けたらと思います。
さて、これにてケプカルトを舞台にしたお話は終わりです。
少なくともハッピーエンドではありませんが、私はこういったグレーなエンドが好きなのでこうさせてもらいました。
おそらくなろう受けは良くないですが、イメージとしてはエースコンバットZEROのエンディングのような、あの物悲しいBGMに似た思いを抱いてくれれば幸いです。
それでは皆様。この物語に御付き合いくださり、誠にありがとうございました。
まだまだご意見、ご感想をお待ちしております。




