アウレーネ・ゲオルグティーレ
アーニル様が去ると急に静けさが戻ってきた。そろそろケヒス姫様の元に戻ろうか。
あまり待たせすぎると悪化している機嫌がさらに悪化する。
ふと、背中に気配を感じた。
突然起こった予感に近い感覚に振り向くとそこにはケプカルト諸侯国連合王国第四王姫アウレーネ・ゲオルグティーレ様がおられた。
「アーニルと親しげに話されていて、少し妬いてしまいます」
廊下に定期的に置かれている蜀台の明かりに浮かんだはにかむような笑顔に胸が高鳴る。
しかし、王姫ともあろうか方が――それも今はケプカルト大公国を預かる大公がパーティーを抜け出して良いのだろうか。
「ふふ。心配なさらないで下さい。皆には少し疲れたと申し付けて有ります。アーニルと何を話していらしたのです?」
物腰は柔らかいが先ほどの会話を詮索するような物言いに疑惑が芽生えてしまう。
昼の刺客を送り込んだ本人かもしれないのだから慎重に答えよう。
「アムニス大橋での事を聞かれて」
「まあ! 私には話されなかったではないですか。私にも教えてくださいな」
「アーニル様に話したと言っても昼のときとは変わりませんよ!」
詰め寄るような態度にいきなり焦りが出てしまった。
外交と言うか、駆け引きを意識した会話はまだ出来そうに無い。
前世でもそんな会話は不得意だったし……。
おかげ『米海兵隊が教えるタリバンから命を守る二百のテクニック』というバイブルを表紙買いしてしまったし(役に立たない事が多いが)。
「ふふ。オシナー殿は面白いお方ですね」
頬を膨らましていた態度から一変。
花が咲く瞬間のような笑顔を向けられた。
なんだか四苦八苦していた俺がバカらしく思えてくる。慣れないことはするものではない。やはりドワーフ流に単刀直入に話そう。
「いえ。アーニル様とはその後、タウキナのことについてお聞きして……」
「アーニルが大公をしていたお話ですか?」
アーニル様自身は己の失敗を悔いていたようだから小さく返事をした。誰しも触れられたくない物はあるし、それを第三者が本人の居ない所で公言するなんて出来ない。
「アーニルは自分の考える最善を行ったのです。責められもするでしょう。非難もされるでしょう。でも、彼女の努力を分かってください。どれだけ悩み、悔いながらもタウキナのことを考えた彼女を、その、矛盾するかもしれませんが責めないであげて欲しいのです」
アーニル様が苦しみながら国を率いたと言うのは、分かる気がする。
いかに困難でも進まなければならない状況を俺も経験しているから分かる。
故に攻めないで欲しいというアウレーニ様の優しさも分からないではない。
だが、それは――。
偽善だ。
自分一人であれば努力の如何によって評価も変わるだろう。
だが国や部隊という全の未来を左右するその立場にある者を評価する時にその努力は問えるのだろうか。
作戦が失敗して誰かが死んでも頑張ったから許してくれなんて言えるだろうか。
俺は言えない。
俺の作戦で部下が死ぬのを許してとは言えない。いや、言う資格が無い。
だからそれを責めないと言うのは偽の善行だ。
いっそ責められたほうがまだ救いがあるだろう。そんなんでは自分を、許したくなってしまうではないか。
自分の犯した結果を許してしまうではないか。
それでは自分の罪を考えていないのと同じではないか。ヨスズンさんに諭されて分かった。
俺は考え続けなければならない。
俺の犯した罪について考えて、考えて考えて。
それが二度と起こらないように考えなければならないのだ。
だから――。
だから自分の罪を叱って欲しいのだ。否と言って欲しいのだ。
「オシナー殿はそうは思われていないのですね」
「え? いや。その――」
いくら外交に初心だといっても顔に出していたのか。慌てて手で己の表情を隠すように目頭をつまんだ。
いや、明らかに『図星ですよ』と言っているような行為だ。
もう、何が何でも政治の場に出るのはやめよう。
「あぁ。これは悪癖のようなものなんです。王宮だと色々な人たちの顔色を伺いながら過ごしていたので少しの動作で、なんとなく分かってしまうのです」
恥ずかしそうにうつむいたアウレーネ様も恥を隠すように頬に手を当てられた。
ドラゴンも逃げ出すような政争が繰り広げられる王宮。
そんな言葉を思い出せば現王様や王子以外にも宰相閣下や王直属の貴族から使用人にいたるまで弱みを見せれば喰いつく連中は多いのだろう。
その中で生きてきたアウレーネ様は人の顔色を伺う力を実地で身につけたと言うのか。
「私は兄たちやお姉さまのように強くありません。それに、私の母は下賎な身の上で――」
下賎な身分。
そんなのはいくらでもある。東方に住む人々がそれであり、人間の中にもその身分は存在する。
と、言うか王族からすれば大衆はみんな下賎なのかもしれないが。
それにしてもその下賎な身の上の人間が王宮に取り立てられるなんてありえたのか。前世の記憶にはそういうストーリーがあるというのは知ってはいたが実際にあるものなのだな。
「母は政争を知りませんでした」
どうしてそんな話しを俺にしてくれるのだろうか。出会って一日もたっていない。それこそ俺は姓も持たない下賎な身の上の人間だ。
そんな俺に身の上話をして何になると言うのだろうか。
「周囲にちやほやされる事に慣れていなかったんです。それに、母は王宮に居るには優しすぎる人でした。だから、殺されたのです」
アウレーネ様の言う下賎な身の上だったのが急に王族に迎えられた――つまり身の丈に合わない身分を与えられて、そして身を滅ぼしたのだ。
ケヒス姫様の言で言うとこの自分に酔っていたのだ。
そうか。
だからアウレーネ様は人をよく見れるのか。違う。見るようになったのかもしれないが、どちらにしたって俺にはわからない事だ。
それでも言える事があるとすれば偽善のような優しさを持つ姫様は他人の心を覗ける瞳を持たなければ陰謀渦巻く王宮を生き抜けなかったのだろう。
「だからタウキナに行くことになったときは嬉しかったです。このままタウキナに居続けられれば良いのですが」
「ダメなのですか?」
「いずれ王都に召喚される日が来ると思います。タウキナの実情は芳しく有りませんからね」
タウキナの現状について認識はあったのか。
認識が無いから城の私費を売って無理にでも内政をしているのだと思ったが、違ったようだ。
だが、どうしてそこまでして人々を救おうとするのだろうか。
その時、アウレーネ様が小さく苦笑した。また表情を読まれたらしい。
「王宮では誰かの足を引っ張るために様々な権謀術数が蠢いていました。誰かが死ねば自分の位が上がる。ダメだったら上がったものをさらに殺す。救いなんてありませんでした。だから王とはなんなのか、考えました。そんな血で染まった王位とは何のために有るのか考えました」
「その、血で染まった王位に反するために人々を救おうと思われたのですか?」
「いえ。なんと言いますか。疲れたといいますか」
「はい?」
疲れた?
俺はアウレーネ様ではなくとも読み取れるようにまぬけな表情を崩してしまった。
どういう意味だ?
「変な話しですが骨肉の争いに私は疲れてしまったんです。自分で言うのも可笑しな話ですが傷心していたんだと思います。タウキナに来た時もアーニルに全てを任してしまおうとも考えたのですが、タウキナには救いを求める人々が居ました」
だから助けたのです。
「大公に任命されたのですからとりあえず大公らしい事を適当にして後はアーニルに任そうと思っていたのです。その方がタウキナ側としては良いはずですから」
部外者が突然、先祖代々受け継いできた領地政策に口を挟むというのは面白くない話しだろう。
だから最初はそれっぽい事をして投げ出そうと思っていた。
だが投げ出さなかった。
「その時、感謝をされたのです」
小さい理由だが、それは大きくもある。血みどろの政争をしていた頃では想像も出来ない言葉だったのだろう。
「王宮では下賎な者の娘として扱われてきましたが、ここでは私を必要としてくれる民草が居る事を知りました。ふふ。お姉さまの言うとおり自分に酔っていたのです。王宮で傷ついた私自身を癒すために私以上に不幸な人を探して、それを救って自分も救われていると思っていたのです」
他者を救うことで自分も救われているのです。
「ここに来て思ったんです。王とは民草を救うためにあるのだと。権力に妄執していては王道を打ち立てることは出来ないのです」
だから私費をなげうって人々を救おうとしているのか。『亜人』と蔑まされた奴隷を身の回りにおいて保護しているのか。
その行いが間違っているとは思わない。
だが正しいとも思えない。
タウキナはアウレーネ様のせいで困窮しているのではないか。それこそ城の宝を売りさばいてまですることなのだろうか。
俺には、政治が分からない。
「オシナー殿は聞き上手ですね。ついつい話しが長くなってしまいました。そろそろ戻らないとお姉さまに怒られてしまいますね」
憂いを帯びた口調から一転した口調はもうこの話題を話したくないという意思が感じられた。
俺もこれ以上政治について口を挟もうとは思わない。
アウレーネ様がクルリと俺に背を向けてパーティー会場に向かってゆく。
さて。
『アウレーネ様は、籠の中の小鳥だから――』
アーニル様の言葉の意味とは一体なんだったのだろうか。
籠の中の小鳥。
権謀術数蠢く王宮から抜け出したアウレーネ様はまだ籠の中なのだろうか。
タウキナという檻につながれたという意味なのか。
ああ。やはり分からない。政治は分からない。
◇ ◇ ◇
パーティー会場に戻るとユッタを治療してくれた魔法使いが火の玉を宙に浮かべていた。
火の玉はシャボン玉のように宙を舞って大きく燃えては小さくなってを繰り返しながら幻想的に動いている。
「すごい……」
刺客に襲われたときにケヒス姫様も魔法を使われていたが、雰囲気が変わると魔法の印象も変わる。
「どこに行っていた? 主に恥をかかせるつもりか」
「そ、そんなつもりは……。あの、睨まないでください……」
冷血な視線に俺の血の気が引く。なんだかドラゴンの視線に通じるものがある。
「そ、それにしても魔法って凄いですね。呪文を唱えたら出来るのですか?」
「そんな単純ではない」
それもそうか。魔法がありふれた物ならものなら気に食わない奴を焼いたり凍らせたりする事件が横行するんだろうな。
恐ろしい。
魔法が希少でよかった。
「力あるものが物の真の名を口にすることで物を支配するのが魔法だ」
「真の、名?」
「そうだ。人間にもあるし、亜人にもあろう。それこそ風にも波にも名前がある。それを読み取る力やそれを学ぶ事が出来なければ魔法使い足り得ない。つまり魔法使いはそろって高学歴だ」
高学歴と言う事は学問にそれだけ金をかけられるという所作だ。
貴族が魔法を使えるのは学問に費やす金があるからで、俺のような工商では無理だろうな。そんな金がない。無さ過ぎて借金をしたくらいだし。
「故に貴族の側近として抱えられることが多い。貴族としては有事の戦力にもなるし、真の名を学ぶ過程で得た様々な知識のおかげで相談役にもなる。それに風や水が操れれば天災にも抗える」
なるほど。使い勝手が良いのか。それに数が少ないのであろうからきっと高給なのだろうな。
あの魔法使いはいくらで雇われているのだろう。
「貴族たちもその存在を重宝するから魔法使いを雇っていることが貴族のステータスたりえる。大公国となればあと二、三人はいても不思議ではないが、懐事情の悪いタウキナのことだからあの一人だけであろうな」
「ちなみにケヒス姫様は魔法使いを雇わないので?」
貴族のステータスということなら王族のケヒス姫様も魔法使いを雇ってしかるべきなのではないのか。
と思ったら足を踏まれた。
聞くなという事か。魔法使いを雇う金が無いわけではないだろうからきっと人望のせいに違いない。
「次よからぬ事を思ったらうぬの爪をこのフォークで剥ぐ」
「すごく怖いこと言わないで下さい!」
「それも手ではなく足だ」
「足のほうが痛いじゃないですか!? そこまで拷問されるいわれはありませんよ!」
だから冷血姫と恐れられるのだ。
悪いことに本人に自覚があるからなおさら悪い。
「姫殿下。お飲み物を」
侍女が黄金に輝く杯に深紅のワインが輝いていた。なんだか金髪赤目のケヒス姫様を連想させられる。
ケヒス姫様はそれを手に取り二、三回ほど色を楽しむように回していたが、急にその動作を辞めた。
「褒美だ。うぬにやろう。飲め」
「え? しかし、職務中ですし……」
「よい。侍女の分際で余の命が聞けぬか?」
侍女は脅えたようにそのようなことは無い、と首をふる。目に見えて青ざめているのがわかる。
ケヒス姫様を止めたいのは山々だが余計な火種を起こしたくない。
しかし見てみぬフリは出来ない。どうしたら良いだろうか?
「はよう、飲め」
ケヒス姫様の手から杯を侍女が受け取ろうとした時、侍女の口がかすかに動いた。
『王国万歳』
なんとなく。本当になんとなくそんな風に呟いたように聞こえた。
「お覚悟!!」
侍女は受け取った杯の中身をケヒス姫様にかけようとしたが、ケヒス姫様がその腕を力強く握り締めた。
侍女はそれに抗うことなく袖の下から細身のナイフを引き抜いた。
「やめろッ!!」
ナイフを持った腕に組み付くとヨスズンさんも加勢してきた。
杯を無理やり奪い取り、それからナイフを持った手首を握る。
「腕を放せ」
「は、はい」
ヨスズンさんはその腕をテーブルに打ちつけた。その痛みでナイフが手から離れる。
俺は侍女がヨスズンさんの拘束を逃れた時を思ってそのナイフを遠くに蹴飛ばした。
「さて。余も嫌われたものだな」
ケヒス姫様はヨスズンさんが奪った酒盃を手に取り、その血のようなワインの色を堪能するように小さく振った。
「ふん。幸か不幸か暗殺慣れしている余に銀の酒盃ではなく金の酒盃を持ってくるとは疑ってくれと言っているような物だ。この間抜けめ」
ケヒス姫様は侍女の頬を強く握って無理やり口を開かせた。
「誰の命だ? 言えば貴様の望む死に方で殺してやろう」
しかし侍女は口を開かない。だが観念したように喋った。
「××××さま……」
「何を言っておる? 聞き取れぬ。もう一度申せ」
「××××さまです……」
喋った。と言うよりうめいたと言ったほうが良いのかもしれない。その発音は聞き取れないと言うよりも単語にさえなっていない。
しかし侍女は喋ったとでも言うように観念してうつむいている。
「姫様。この娘。アムニスのオークと同じ呪いがかけられているようです。主の名前を口に出来ない呪いです」
「なるほど……」
ならば仕方あるまい、とケヒス姫様が毒杯を持ち上げた。
「や、やめ……ゴフッ」
侍女の口の中にそれを入れると鼻をつまんで無理やり嚥下させた。侍女の口の隅からワインがこぼれる。
いや。ワインじゃない。
血だ。
侍女は咳き込むように吐血して床に倒れ付した。頭蓋骨と大理石の床が鈍い音を立てた。
気づくと音楽も談笑も止まって一堂が俺達を見ていた。食い入るように。
「よくもやってくれたな。アウレーネ」
「お、お姉さま……」
「昼の一件もおぬしが主犯であろう。風呂に誘ったのは貴様だったな」
「ち、違います! 私では――」
「戯けッ!! 護衛が居る中で刺客に襲われると言う事はその護衛が刺客だったからだろう。そして此度の蛮行。協定調印までは黙ろうと思うておったが余が甘かった。その首、貰い受けるぞ」
得物が無くても斬りかかる直前のような殺気を噴出するケヒス姫様の前にアーニル様が立ちはだかった。
「お待ちくださいッ」
「毒を仕込んでおいて待てだと!? バカをぬかせッ!」
ケヒス姫様は握り締めていた金杯を床に投げ捨てテーブルを蹴り飛ばした。
テーブルの料理たちが宙を舞って醜い音が響く。
「ケプカルト諸侯国連合王国第三王姫として命ずる。速やかにタウキナ大公国大公の首を刎ねよ。次いでタウキナ大公国は余への暗殺の責任としてタウキナ家とその重臣一族の処刑を命ずる。そしてタウキナ大公国を解体して東方辺境領姫である余の臨時統治を実施する」
怒声が響き終わると会場には嵐のような喧騒が巻き起こった。
もう、嵐を止めるすべはない。
「た、タウキナの……解体?」
「タウキナ家の処刑?」
「アウレーネ様の、処刑?」
ケヒス姫様はきびすを返して歩き出す。その後姿にヨスズンさんが続く。
だがその目の前に宰相閣下が立ちはだかった。
「そう血気盛んになるのはよく有りませんよ」
「まだおったか。ちょうど良い。立会人になれ。この宣言は最後通牒だ。一週間待って回答が無い場合、余の軍勢はタウキナ公の首を貰い受けに行こう!」
振り向きもせずに放った言葉は宣戦布告。戦争が、始まる。
「オシナー。帰るぞ。ヨスズンは馬車の手配をせよ。タウキナには任せるな。三度命を狙われてはかなわぬ」
「御意に」
俺も歩き出した。もはや戦争を止めることは出来ない。ケヒス姫様は、怒っている。
傭兵ではなく奴隷を買った俺を許すことは無いと思っていた時があったが、その比では無い。
ケヒス姫様は本気だ。
本気でアウレーネ様の首を取ろうとしている。
そしてパーティー会場の扉が閉ざされた。
ご意見、ご感想お待ちしております。




