幕間 剣戟のヨスズン
私には親が居ない。
物心ついた時から私は奴隷であり、奴隷として扱われてきた。
だから親を知らない。
「殺せ! 殺せ!」
残酷な歓喜の渦巻く闘技場。そこが私の故郷であり、始まりだった。
「お前が最近、調子に乗っているヨスズンか」
闘技場で対峙する形になっている相手が私の名前を言った。
親は居なくても名前はあるのが自分でも不思議だな、と思っていると相手はそれを挑発か何かと勘違いしたらしく、苛立たしげに腰に吊った剣を抜く。
相手の体格はたくましく、闘技場に来るまではどこかの国の兵士だったのかもしれない。国が敗れたのか、それとも借金の返済が出来なくて奴隷に身を窶したのか。
まぁ、私からすればどのような理由でここに来ようとも殺すだけだ。
今までだってそうだ。死ぬのが嫌だから殺して、殺して、殺し尽くして来た。ただ、それだけだ。
「怖くて声も出ないってか? あんッ!?」
相手の顔は怒りと興奮で赤く染まっている。こんな顔に出るような輩なら余裕で勝てるな。
そう、確信しながら私も腰から剣を抜き放つ。
「始めッ!」
審判とも、主催者ともつかない者の号令とともに相手が切り込んできた。それを剣の腹で往なしつつ、逃げる様に二、三歩ほど後退。
「威勢のいいのは態度だけか? あッ!?」
打ち込まれる連撃に観衆がヤジを飛ばす。敗勢を装いつつ、数太刀ほど受ける。そろそろだろうか。
相手が単調に降りおろしてきた剣を右足を半歩だけ前進させて体を開く事でかわす。
ズトンと相手の剣が地面を打ち、空振り、致命的な隙が生まれる。だが、すぐには殺さない。相手の鍔に私の剣の柄頭を叩きつける。
自分の斬撃と相まって相手は剣を取り落した。
「何が起こった!?」
「あいつ、何をしたんだ?」
「なんて早業だ!」
必要最小限の動きとその速度で観衆がどよめく。
こういう、早業の起死回生劇を観衆が好む事も、これまでの死合で感づいていた。要は私の仕事は客を楽しませる事であり、一方的な蹂躙よりも形勢逆転を演じる事なのだ。
これが出来れば主は機嫌が良くなる。機嫌が良いと主は殴ってこないから、出来るだけ盛り上げてやる。
「ま、参った」
「……威勢が良いのは口だけか?」
棒読みで口上を述べると観衆の熱気が膨れ上がった。
「良いぞ! 殺せ!!」
「そうだ! そうだ!」
「殺せ! 殺せ!」
暴力的な声援を受けながら私は剣を相手の腕に叩きつけた。
悲鳴が響き、興奮が場を支配する。
今日は良い感じに盛り上がっている。これなら主から良くしてもらえるだろう。
いや、まだだ。観衆達にはもう少し盛り上がってもらおう。そうすれば今日は柔らかい藁の上で寝られるかもしれない。
そう思うとどこからか、意欲のような物がこの空っぽの身に満ちてくる。生きがいとでも言うのだろうか? よく分からないが。
「やめろ! ヤメロ!!」
そうして痛ぶるだけ痛めて相手を殺すと、熱烈な歓呼が私を迎えてくれた。
それに手を振ってやればたちまち客達が私に小銭を投げてくれた。が、拾わない。
奴隷は富を持てないし、何より騒がしいのは好きでは無い。
だからそそくさと控えの間に移動する。
いつもならそこで主から何か注文を受けるのだが、今日に限って主はそこに居なかった。
だが、勝手に動くわけにもいかず、そこに待機していると暫くして主が現れた。
デップリと太った体躯の主。その前を歩く金髪の男。その身は主と違って力強く整った風体だった。
「頭が高いぞヨスズン!」
「……申し訳ありません」
言われた通り、頭を下げる。すると金髪の男が「良い、許す」と言った。
「ヨスズン。よく聞け。お前は現王様に召し抱えられる事になった」
「わかりました」
その言葉に主は青筋を立てたようだが、男の方は「く、フハハ」と嘲るように笑った。
「ますます気に入った」
「ですが、陛下。畏れながら申し上げます。私が申し上げるのも何かと思いますが、このような輩をお側におかなくても――」
「朕は気に入ったと言ったのだ」
そうして私の主が変わった。
その名をクワバトラ三世――この国の王だと言う。
まぁ、例え主が王とて私のする事に変わりはない。
命じられたままに誰かを殺すだけだ。
そうして私は東方と呼ばれる場所での戦に参加した。
主――現王様からは「亜人を殺せ。もし、朕の役に立つような人間が居ればそいつを朕の元に連れてこい」と命を受けた。
そうして妙な力を使う奴隷を見つけた。名前は無いという。
ここでも私は殺した。殺して、殺して殺しつくした。
とくにと言うか、やはりと言うか。感慨は無い。強いて言うなら亜人共は今まで戦ってきたどの奴隷よりも強かった気がしたが、私ほどでは無かった。(私以上に強ければ、私は死んでいたろう)
そして今度は西方に戦場を移したが、やることは同じだった。
だが、違っていたのは現王様からの命令――「西方亜人の捕虜から情報を集めよ。情報が無いようなら殺せ」――だった。
だが、私は奴らの言葉が分からなかった。
現王様から同行を命じられていた通訳から言葉を習いながら私は次々に情報を聞いていく。
だが、奴らの口が堅いのか、それとも私の言葉が通じないのか、誰も情報を教えてくれなかった。
だから現王様に命じられるままに百匹ほどの亜人を斬った。
淡々と情報を『知っているか?』『知らない』の問答を繰り返すだけだったので、私はただただ亜人の頸を刎ねて行った。そんな中、私のその行いに熱烈な視線を送る娘が居た。現王様娘――ケヒス・クワバトラ姫様だった。
だが、ただ見られているだけだったのでとりあえず派手に頸を刈り取るようにした。すると、姫様が喜ばれているご様子だった。
その後、現王様は私に言われた。
「亜人に問いを投げかけ、答えに詰まっている隙に斬るだけでは奴らは口を開かない。うぬは色々と学ぶ必要があるな」
と、の事で、私はそれから西方蛮族の話す言葉等を習った。
それらの『会話術』が実を結ぶのはまだ先だが、それでも私はここで多くを学んだ。
現王様は私にありとあらゆる物を教えてくれた。
語学、マナー、兵法等の教養から武術まで。
私は言われるがままにそれを身につけた。
現王様が身につけろと言うのだから、それらを身につけていった。
そう言えば、東方で私が見つけた奴隷――名無しだが、名無しの方は宰相閣下の下で私と同じように様々な事を学んでいるらしい。
最近ではベスウス大公のシューアハ様自ら魔法を教えていると聞く。
そう、自慢げに現王様が言っていた。私はそれに対抗させられる形で学ばされた。
そして、ある日、一揆の鎮圧として私は現王様の一人娘――ケヒス・クワバトラ姫様と共に出陣した。
姫様は父上――つまり現王様の事を尊敬しておられるようで、道行く先々で「父上のようになりたい」とおっしゃられていた。
その一揆の鎮圧は姫様のたてた作戦のおかげで一揆の首謀者以下、全ての者を討ち取る事が出来た。
後は変わらぬ日々。
勉学と剣術の稽古、そして『会話術』を学ぶ日々。
だが、転機が訪れた。
病床に伏せていた現王様に最後の時が訪れたのだ。
『ヨスズンはケヒスの下で直接支えてやってくれ。フン。その仏頂面を辞めろ。
ケヒスの下につくのだから、ちとは人間らしく振舞え。そして人間のように生きよ』
現王様はそう私に命を発して息を引き取られた。
姫様の下で働く事は構わなかった。だが、人のようにと言うのはどういう物なのか分からない。
人のように振る舞おうと思った事など無かったから、私は途方に暮れた。
そんな中、姫様より「余の従者となれ」と命じられた。
「余の筆頭従者を命ずる。父上がそうしていたように、お前も余に仕えるのだ。
ただ、決して余を裏切るな。裏切れば余はお前をこの手で殺す」
くれぐれも宰相のような事をするな、と言われた。
私はその命を受けた。それが現王様の命でもあったからだ。
そのため命令通り決して裏切る事無く、姫様の従者たろうとした。
だが、人のようにと言うのは出来そうに無かった。
私には分からない事だったので姫様に、何かのきっかけで聞いた事がある。人とはどのような者か、と。
すると姫様も答えに窮していたが「戦場のような極限の状況でなら、分かるのではないか?」と言われた。
なるほど、と得心したものだ。
それから姫様は王都と発たれた。姫様が謀反を起こそうとしていたのである。
だが、それは兵法を前王様の下で学んだ私からすると稚拙なものだった。
そういえば、名無しがその上役である前宰相閣下に意見していたのを見て、人間らしいとシューアハ様が言っていたのを思い出した。
だから私は姫様にこの計画が無謀である事を説いた。
そして姫様は謀反を延期する事を誓い、王都から西方に向かった。そこで度々起こる一揆の鎮圧に当る事になったのだ。
私は現王様――前王様から教わった『会話術』を使って多くの亜人と会話を重ねた。
だが、一向に人と言うものが分からなかった。
少なくとも会話がそれの足がかりになるのではと思って出来るだけ言葉数を増やしていたが、それでもよく分からなかった。
そうしてついにクワヴァラード掃討戦が命じられた。
私達、前王様の遺産――前王派騎士団をすりつぶすための作戦が発令され、私は東方の地に戻った。
戻って殺して、殺して、殺し尽くした。
熾烈な戦闘。建物の一軒、一軒を奪うような戦闘、部隊丸ごと全滅など日常茶飯事の戦場。
そんな折り、私の部隊もこの掃討戦に投入された。
そこは地図だとただの道路だったのだが、幾多の亜人が住み着き、勝手に家を建てて複雑な地形となっていた。
亜人どもはその複雑な地形を逆手に取り、私の部下を殺していった。だが、私の部下は殺されるだけではなく、もちろん亜人共も殺していった。
そして私だけとなった。亜人共も私の部下の刃に倒れてドワーフが一人だけ残ったのだ。
私はそのドワーフの仲間を己の剣で突き刺したばかりで、そのドワーフに対応しきれなかった。
だから私は剣を抜くのをあきらめて死体ごと剣を放って取っ組み合いになった。
人間より胆力の優れるドワーフともみくちゃになり、ついにドワーフが私の上に馬乗りになった。死ぬな、と己の事ながらそれを傍観している者のように思った。
これで現王様の所に行くのか、と思ったが、ドワーフは短剣を構えたまま固まってしまった。
その好機をとらえて膝蹴りでドワーフの態勢を崩すと、逆に私がドワーフに馬乗りになった。
そしてドワーフの短剣を奪い取り、それで命を刈った。
「どうして、私を殺さなかった」
物言わぬ屍に問うても答えは返らぬと分かっているのに聞いてしまった。
そして脳裏にこびり付いたあの顔を思案する。
「……怖かったのか?」
人間のように思考して導き出した答え。
口にだした事で、それは自問となった。
「私は……怖くないのか?」
人を殺す事に恐怖を感じない。今までそのような事を考えた事もなかった。
恐怖も、忌避も、嫌悪も感じない。
「……人なら異常だな」
人としてなら、私は異常だ。狂っている。
だが、私は奴隷だ。人では無い。だから人の規範に従うなど――。
「いや、私は人になるよう、勅令を受けたのだったな」
ならば、どうすれば良い?
どうすれば良いのだ?
どのような理由でも殺しを正当化するつもりはない。所詮、どのような理由があれど、殺しとは生き物を肉塊に変える事にすぎない。
だが、人であるのなら、その理由が欲しかった。
人のように振る舞いには、その理由が欲しかった。
それが、私に大きな変化をもたらした。
クワヴァラード掃討戦で得られる物があったとするなら、この気持ちだった。
それからしばらくしてクワヴァラード掃討戦は終わった。
騎士団の甚大な被害をもって終えた掃討戦。
姫様が堅く復讐を誓ったあの日が過ぎ、ケプカルト各地で行われる復活祭の日が来た。
戦傷の絶えぬクワヴァラードでも初代ケプカルト王の復活を祝う祭りが開かれた。
そこに、私は参加した。
そこで人のように振る舞い、人のように戦友と酒を飲んだ。
ただただ、楽しかった。そして悲しかった。
私は感情を手に入れた。
いたずらに騒ぐ仲間と春の到来を祝い、それを知る事無く死んでいった仲間を思うと涙が出た。
私は大きく変わった。人になるよう、命じられて、そのように過ごしてきた。
そこで私はより多くを学んだ。
祭りの楽しさ。戦死した仲間への悲しみ。姫様の怒り。
それが私の心に奔流となって流れ込んできた。それが今の私を作り上げた。
私は人を真似、人のように生きながら戦う理由を探した。
あまりにも空っぽだった私をを満たすためにその理由を探した。
だが、それは未だに見つからない。そんなモノ、最初から無いのかもしれないと思うようになった時、姫様が新しい従者を決めた。
オシナーという青年。
オシナーが持つ火薬と手銃という技術。
最初こそ、人だったらそう答えるであろう答え――「民草を戦場に送ると言うのか?」と反論した。
だが、姫様に認められ、アムニスで辛苦の勝利を得たオシナーに、私は人としての答えなどいらないと思った。
これが姫様の言う新しい戦場なのかと目を見開いた。
だが、それと同時にオシナーは戦う事に悩んでいた。
私と同じ悩みを持つ者として、私はオシナーに好感を抱いたと言えよう。
だからタウキナで、本音という物をこぼしたのかもしれない。
それが、オシナーにどのような変化をもたらすのか、気になったからだ。
それでも、答えは見つからない。
その答えを探して、私はついに西方に帰ってきた。
「ヨスズン殿! もう持ちません!」
「それを持たせるのがベスウス騎士団では無いのか?」
西方に帰り、そしてマサダの支城で、私は最期の時を迎えようとしていた。
「ヨスズン殿! 通信陣にお越しください。第三王姫殿下が通信を求めております」
「そうか。今、行く」
思えば、姫様の従者となった時から私は大分変わった。
そう、思えるだけ、人に近づいたのかもしれない。
あの闘技場で観衆の完成を受けていた奴隷がこうして西方の城で一国の姫君の従者になるなど、運命とは分からぬものだな。
「こちらです。あの者が姫殿下からの通信を伝えますので、お伝えしたい事があれば彼女にお伝えください」
これがベスウスの魔法使いか。
身の丈ほどの杖を携えた少女と言って良いほどの娘。砲撃を受けるたびに肩を震わす様に、己の無力感を感じた。
「通信は?」
「お伝えします。『支城から脱出し、東方辺境騎士団に合流せよ』と」
「また無茶なご命令を……。ではこう伝えてくれ。それは不可能にございます。すでに支城は敵に包囲され、砲撃や銃撃を受けて身動きがとれません。」
しばらくして魔法使いは姫様の言葉を紡いだ。
『死んでも撤退してこい。第三王姫の命令だ』
「申し訳ございません。例え、前王様の命でも、撤退できそうにございません。
先ほども申しましたが、状況はもうどうにもなりません。
それよりも殿下。私のような物をお側に置いていただき、誠にありがとうございました。
このご恩はあの世の前王様に報告いたしましょう。前王様が姫様を誉めるかは分かりませんが」
『たわけ。何を言っている。お前は余の物だ。
持ち主たる余が帰ってこいと言っているのだぞ。どうして諦める! お前には余の復讐につきあってもらう。だから帰ってこい』
「さすがに無理にございます。私はガウェイン様と共に姫様の行く末を地獄の底から見守りたいと思います」
『……どうしてもダメなのか?』
その答えに無言を返すと『もういい、わかった』と言われた。
『では筆頭従者の任を解く。後は好きにせよ。貴様はもう、余のものではない』
ヨスズン、世話になった――。
私はついに誰の物でも無くなった。
だが、解放感のようなものは無く、ただ胸の内に穴が空いたような気がした。
その時、轟音と共に城が揺れる。
「よ、ヨスズン殿! 城門が破られた! もうすぐ亜人共が来るぞ!」
その言葉に少女が泣きそうな顔になった。
まだまだと言う、年頃だろう。
このような地の果てで命を落とすには若すぎるだろう。
だが、この娘が助かる術など無い。
魔法使いと言うことなら、貴族の血筋なのだろうが、貴族の血を引いていても他国に魔法技術が流れる事を防ぐためにも自害して頂くしかない。
普通の貴族の娘なら身代金を用意すれば助かったかもしれないが、その才があるばかりに、生への選択肢が与えられない。
それが不憫だった。
そう、思ったが故に、ふといたずら心のような物が沸いた。我ながら人間らしくなったものだ。
「魔法使い殿。貴女はケプカルトの魔法技術を拡散させないためにも、捕虜にはなれません」
「……存じております。私の知識は王国のためにあるべきです。その覚悟も、出来ております」
覚悟は出来ている、と言ってもその小さな体は震えたままだ。
「遅からず、この部屋にも敵兵が来ましょう。その前に、貴女様はご決断をしなくてはなりません」
どうせ助からない。だから死に方だけは選ばせたかった。
ただの自己満足だが、それをしたかった。
だから私は剣を抜く。
「お体が辱められるのは忍びありません。どうか、火を放ち、そしてご自害を。私はその時間を稼ぎます」
「どうして――」
そのような事を――?
最後は言葉になっていなかったが、そう言っているような気がした。
「……戦う理由が欲しいのです」
前王様から命じられた姫様に仕えよとの命も姫様がその任を解いてくれた。
そして好きに生きるよう言われた。
ならば、人らしく――男らしく女を守って死んでみようと思った。
「ヨスズン殿、ですよね」
「その通りにございます」
「……。では、お願いいたします。時間を作ってください」
「仰せのままに」
ついに戦う理由が出来た。見ず知らずとは言え、これほど上出来な理由はあるまい。
思わず笑いがこみ上げてきた。
剣を引き抜き、一歩、一歩踏み出す。
ついにエルファイエルの兵士達が眼前に現れ、反りの入った片刃の剣を私に向けてくる。
ふと、壁際に現王様の幻覚を見た。その赤い瞳がわらっている。
前王様。私は前王様の命を完遂出来ましたか?
そう問おうと思ったが、その答えはすでに私の中にある。
だから私は何も言わない。ただ、わらい返しながら剣を構えた。
「く、フハハ」
これで過去編は終了。次から終章になります。
終章は二話です。
また、感想、メッセージ等の返信は今夜行います。
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




