愛と恋を間違えないで 〜愛人になってくれと言われた令嬢の幸せな結末〜
言葉一つで、とんでもないすれ違いを起こした二人のお話です。
よろしくお願いします!
「私の愛人にナってハくれナイか」
「…………え」
卒業式間近の放課後。
校舎裏にある、冬でもハート形の大きな葉を落とさないことから愛の木と呼ばれるラーリスの大木の下で男子生徒と二人きり。
全乙女が胸をときめかせ、期待をするなというのは無理でしょうという告白シチュエーション。
しかし、私は、同級生の男子生徒に、一体全体何を言われているのでしょうか。
私ーーレアノーラは、ズーロア王国ヴェアテイン侯爵家の三女である。ズーロア国貴族では珍しくもない普通の金髪に特徴のない普通の顔。平均身長に平均体重、平均スリーサイズのど真ん中。唯一珍しいのはオレンジベリルの瞳の色だろうか。けれど我が侯爵家は言語を操る能力に長けていて、代々翻訳家として王家に重宝されている。そんな私は、学園にやってくる留学生の通訳兼お世話係を任されることが多かった。
そして、私の対面に立ち、未だに辿々しい発音が混ざる彼は、ルティエン・アストラス公爵令息。一年前にやってきた、我が国の三倍以上もある領土の南の隣国ライアーン帝国からの留学生だ。
にこり、と穏やかに微笑む顔は、まるで物語の王子様のように美しい。
平均身長の私より15センチは高いスラリとした体躯に少し浅黒い肌。アンニュイな藍色の、柔らかなウェーブを描く肩に触れる長さの髪。美容に余念がない令嬢も真っ青の小顔の中に、長いまつ毛に彩られたアーモンド型のくっきりした二重、陰影がはっきりする高い鼻筋、ふっくらとした色気のある唇が黄金比のバランスで配置されている。
なにより人目を引くのは翠玉と、虹色に煌めく色とりどり光を弾く貴蛋白石の美しいオッドアイ。しかし、遊色オパールの左目の下の黒子が彫刻のような完璧さを緩め、学園内で失神者を続出させるほどの色気を放出している。
私だって何度鼻血を噴くのを耐えたことか……この1年ですっかり心の中だけでキャーキャーと騒いで悶える術が上手くなった。彼の学園生活をつつがなく支援するという影の役割を全うするため、お腹に力を入れ、じわじわと赤くなりそうな頬を秘伝の呼吸法で冷まし、ゆったりとした微笑みの下で、スンッと見せるなんてもうお手のものだ。
しかし、いまはこの世のものとは思えない美貌を前に、本気でスンっとしている。困惑がときめきをだいぶ凌駕している。
「えぇと………、ルティエン様?今、なんと……」
随分と温かみを増してきた気候だというのに、凍るような冷たい風が二人の間にビュオオと一段強く吹き、貴族令嬢らしい貞淑な足首丈の制服のスカートを膨らませた。
私の裾を悪戯にはためかせた風は、目の前の彼の夜闇の髪もひどく乱して、苦労を知らない美しい長い指が慌てて乱れてしまった前髪をかきあげている。
形のいい額と意思の強そうな秀麗な眉が露になった。
思わずじっと見つめてしまうと、彼はバッチリと目が合う。彼は、私にはにかんだ笑顔を返すと、ほんのり耳の先を赤く染めて、右手で私の左手を優雅に取った。そしてこほん、と一つ咳払いをすると、被せるように彼の左手を乗せてくる。
「『愛人』になってほしい」
今度は綺麗なズーロア語の発音ではっきりと聞こえた。
目眩がしそうだ。
もし。もし、これが、恋人、という言葉だったら、舞い上がって一も二もなく頷いていた…………かもしれない。国力差に基づく大きな身分差、明らかに釣り合っていない容姿。そんなもの考えずに、この人の甘やかな瞳に、熱のこもった視線に、身を任せていたかも。
けれど、二度も告げられた言葉は、愛人。
正式な婚姻も成せない立場。体だけのふしだらな関係。
たしかライアーン帝国も、今の王朝は一夫一妻制のはず。ただ、もちろん、貴族階級が愛人を持つなんて別に珍しくないわけで。けれど、それはまず妻との間に正式な子供を持ってからでは……いいえ、最初から愛人がいて政略結婚する人だっているわ……それなら普通のことかもしれない。
でも待って。
なぜ私……。愛人にするのはもっとこう、魅力的なというか、女性のはち切れんばかりのフェロモンとか、有り体に言えば肉感的というか…………とにかく見た目が素晴らしく美人とか男性の欲を煽るようなそういうお方では。どこまでも平凡な私などではないのでは。
「なぜ、私……などに……?」
「そんなノ簡単だ。私ガ、君ヲ、『愛している』カラ」
「っ!」
心臓が止まるかと思った。愛しているってそんな言葉をもらうだなんて。じわじわと頬が……いえ、耳も首も朱色に染まっていくのを止められない。
ルティエン様はまるでプロポーズのように私の手を包んだまま片膝をついて跪いた。
「もうすグ、私ハ国に帰らネバならない。だカラ、将来ノ約束ヲ、くれナイか?愛する人……ドうか、私ノ、『愛人』にナってくれ」
これはやっぱり告白?
もう心臓がバクバクとすごく大きな音を立てていて、指先まで脈打っている気がする。秀麗な美貌を思わぬ形で見下ろすことになってしまった私は、パクパクと口を無意味に開いたり閉じたりするしかできない。
嬉しい。愛する人だなんて。そんな素敵な言葉をこんな素敵な人にもらえる日が来るなんて思ったこともなかった。
けれど、ええと、でも、せめて二人の間では『恋人』ではないの?最初から『愛人』確定なの?『恋人』に――『妻』にする努力はしてくれないの……?
そんな厚かましすぎる思いが湧き上がると共に、私の脳裏に一番上の姉のぼやきが思い浮かぶ。
姉の義理の兄は、平民と熱烈な恋に落ちたが、世間的には認められなくて結婚当初から愛人を持っているのだと。後継が生まれて以降は、愛人の家に転がり込んでろくに帰って気もしない。正妻が気の毒すぎる、というものだった。なお、姉の夫は実兄を反面教師にした大変な愛『妻』家である。その分、義姉は腫れ物に触るような扱いになってしまうと何度もため息を溢していた。
――最初から愛人なんて持つ不誠実な男に嫁ぐなんてこの世の地獄ね。
愛人は妻を不幸にする。
そんなのはわかりきっている話だ。
だから、私は……ルティエン様が都合の良い体だけの関係を希望しているわけではなくて、もしかして、彼が身分差を考慮して誠実に申し出てくれたのかもしれないとも思っても、『愛人』なんて言葉に飛びついて頷くなんてできなかった。
彼と一緒に学園で過ごす中、抱いていた淡い恋心がヒンヤリと凍っていくような気がした。
(愛人だなんて……そんなことを言うなんて……)
ルティエン様は本当に優しくて気が利いて誰にでも親切で。あまりにもできすぎているお方だった。いつでもただの通訳の私をさりげなくエスコートまでしてくれて、女性の扱いにも長けているのがよくよくわかっていた。博識で、いつも熱心に私にこの国の文化を聞いてくれるし、逆に私に対してもあちらの国の歴史や風習を気さくに教えてくださる。この国に興味がありすぎるのか、いつも私を誘って街に買い物に行ったり、公園や博物館を見学に行ったり、先日はなんと恋人たちのイベントとまで言われる雪祭りにも二人で行くことになった。
彼との時間はとても楽しくて、ドキドキして、空気みたいなスン顔通訳と彼を狙う女生徒たちに陰口を言われたって、「喜んで」とお誘いに応じてしまう。ルティエン様も、私といると楽しそう……に見える。「騒がれずに落ち着いて異文化交流ができる」ということで楽しいんでもらえているんだろうと、ちょっとだけ浮足立ってしまう心を、朝、家を出る前に、いつも落ち着けている。
彼は、国に戻れば、宰相であるお父様の補佐につくと言われている。
向こうの皇太子殿下とも懇意であり、大国の宰相を期待されているとか。
山に囲まれていて周辺国とは全く違う山岳なまりのある小国である我が国に、山間にトンネルを整備すれば物流で要所地になりうるとわざわざ留学され、学生の身なのに、既に国王陛下とも対話のテーブルにつくような、そんなお方。
住む世界が違いすぎる、のだ。
そんな彼に指名されて学園だけでなく、公式な場でも通訳者として彼の隣に立っていたから思い上がっていたんだろう。美しいドレスを宝石をいくら贈られたって、それは彼の通訳として恥をかかせないためでもあり、便利であったからで、彼と対等に並び立てるわけがないのだ。
『恋人』だなんて、そんなふわふわとした夢物語みたいな立場になれるわけがなかった。
もうすぐ、私たちは学園を卒業し、大人になる。
夢物語を見る時間はなくなってしまった。
私は、マナーとして身につけた最上級の作り上げた微笑みを彼に向けた。
パッと彼が頬を染め、わかりやすく嬉しそうな顔をする。
胸が痛んだ。
申し訳ありません、ルティエン様。
私には、あなたの誠実な、残酷な優しさはどうにも辛いものでしかないのです。
ルティエン様の大きな手に包まれていた左手を取り戻し、スカートを軽く摘んで、背筋を伸ばす。そして、長年の淑女教育で一番というほどの礼を披露した。
「『愛人』は、謹んでお断り致します」
「……え……」
断られるとは思っても見なかったのだろう。
深々と下げた頭上と跪いた彼の顔の高さが同じくらいで、つむじのあたりに唖然とした響きが落ちてくる。
どんな顔をしているのだろう。確かめたかったが、私は顔だけでなく瞼も伏せたままでいた。
彼を見たら、多分、泣いてしまう。
もしかしたら、愛人でもいいと揺らいでしまうかも。
ううん、むしろ、恋人になる努力くらいはして欲しかったと一方的に責めてしまうかも。
平凡な私はとてもおとなしそうに見えるが、案外、気が強い。
愛する人なんて夢見る言葉を言いながら『愛人』と貶し、また、妻を愛する努力を放棄して最初から『愛人』を持とうとするだなんて幻滅した、と失望の声がはっきり漏れそうだ。
でも、それを言ってしまって、あとほんの少しの学園生活を台無しにするのも良くないとはわかっている。
「"私にとってルティエン様は非常によき友人です。国に帰ってもどうぞ『友人』として交流していただけたら嬉しいです"」
ライアーンの言葉ではっきりと伝わるように。
次の瞬間、ルティエン様に肩を掴まれる。驚いて顔を上げれば、立ち上がった彼が美しいオッドアイを見開き焦燥した様子で私を覗き込んでいた。
「"何故だ!?君と私は親しい仲になれたとそう思っていた!君だって………君だって、まんざらではなかったはずだ。いつも穏やかに笑って私の隣にいてくれて、楽しそうに頬を染めて私の話を聞いてくれて、いつだって私のことをさりげなく助けてくれた。私の送ったドレスで私と踊ってくれた時の君はとても愛らしくて、潤んだ目で私を見てくれた。あんな、誘うような顔を友人にもするというの?"」
「"さそ……、ルティエン様、それは流石にひどくありませんか?"」
そんな顔をしていた自覚なんてなかったけれど、ルティエン様への憧れや恋心がだだ漏れていたのかしら。恥ずかしい。淑女大失格よ。
でも、だからって、ほいほいと体だけの関係に乗るとか思われたのは心外だ。
「"翻訳者としてルティエン様の学園生活をサポートするよう陛下に直々に仰せつかったのです。お客人に親切にするのは当然のことです"」
「"………………誰でも?私でなかったとしても?"」
ルティエン様が傷ついた顔をした。
きっと、違う。私は、ルティエン様だから。彼に惹かれていたから。好きに、なってしまったから。
スンとしていたつもりが、この気持ちが全然隠せてなかったなんて。
でもそれを言って、じゃあ『愛人』でいいではないか、とは言われたくないのだ。
学生時代最後の綺麗な思い出として終わりたい。
これ以上傷つきたくない。
「"そうです。私はあなたに、お客人で、友人、以上の感情は持てませんので、申し訳ないですが『愛人』にはなれません"」
「"…………そう、か。私は……勘違いをしていたんだな"」
ルティエン様は手で顔を覆った。しばらくそのまま動かなくて、やがて、一つ頭を振ると、苦笑を浮かべて私を見た。
「"恥ずかしいものだ。君の優しさを勘違いするだなんて、とんだ道化だよ"」
少しだけ潤んだように見える瞳に、ずきん、と胸が痛む。
この人は『愛人』だとしても大切にしてくれる気があったんだろう。
ーーもったいないよ。こんな素敵な人、諦めていいの?
そんな悪魔の囁きがする。
けれど恋愛結婚の仲の良い両親の下で育てられた私はきっと愛人では我慢できなくなる。頭では理解しているつもりでも、いつか彼が妻を迎えた時に苦しくて苦しくて死にたくなってしまうだろう。
だから、私はもう一度頭を下げた。
「"私には過分すぎるお誘いでございました。どうぞ、あなたが愛せる身分も申し分ない方を妻とし、素敵なご家庭を築かれることを、この地からお祈り申し上げております"」
「"ははっ、……………残酷な人だ"」
ルティエン様は私の金色の髪を一房掬い、屈んでその毛先にちゅっと口付けた。
すごく絵になる素敵な仕草。
またドキッと心臓が跳ね上がって息が止まる。
「"未練がましくてすまないが、握手だけしてくれないか?"」
そう言って彼は手を差し出した。
握手を断る謂れはない。
私はスカートを掴んでいた手を差し出した。
ぎゅっとルティエン様がその手を握る。
「"ありがとう。君のおかげでこの国で楽しく過ごせた"」
「"そんな恐れ多い。全てルティエン様の努力と人徳です"」
「"ふふ、君はいつも奥ゆかしい。どれほど私が君に助けられたか。いつも笑顔で、さりげなく、的確に私をサポートしてくれた。感謝してもしきれない。これからも君が隣にいてくれたらどんなに………、いや、本当、未練がましいな。すまない"」
瞳を伏せて、ルティエン様は手を離した。
「"ありがとう、レアノーラ"」
そこで、私と彼の道は分たれた。
***
あれから三年。
私は外交官をお勤めになる第二王女のネルタニア殿下の通訳として忙しい日々を送っていた。
「はあ……本当にレアノーラは優秀ね。どこへ行っても流暢な言葉で話してくれるから、ニュアンスの伝え間違えがなくて助かるわ」
「もったいないお言葉ですわ」
「言葉だけでなくその国の文化やマナーについても造詣が深いから、いつもあの子を通訳にくれって周りがうるさいのよ?」
「ふふ、過分な褒め言葉ですね」
「過分なんかじゃないわよ。特にライアーンの言葉についてはピカイチだものね。あそこはいくつもの民族がより合っているから方言がたくさんあって難しいのによくわかるわ。お陰でトンネル工事も大きなトラブルなく着工しそうよ」
「………学生時代、あちらのお言葉や文化を詳しく教えていただけたので。幸運でしたわ」
「ルティエン・アストラスね。彼も随分やり手と聞いてるわ。まったく、嫌になっちゃう!どちらも私より年下のくせして」
「たったの1歳差ではありませんか」
王女様から出たその名前の響きにまだ胸の奥に刺さったままの鈍い棘が疼く。
両国の威信をかけた一大事業。
私も要請があれば書類の確認や現場責任者の方々との会談に同席していた。その都度、責任者としてのルティエン様のサインをじっと眺めてしまうくらいに、未練がましい自分を自覚する。
この三年で、潤沢な資金をライアーン帝国から得て国内の街道は一気に美しく整備された。あとはライアーンとズーロアを隔てているあの山を掘り進めトンネルを作れば完成だ。
ライアーンは伝導石という不思議な動力源を持ついかめしい機械をたくさん持っていて、固い岩盤も砕ける爆裂石を使いながらあの大きな山に道をひくのだ。危険な公共事業だが、成功すれば南北の輸送ルートが劇的に変わり、周辺国からの物量も桁違いになるだろう。この先どれくらいの時間がかかるものになるだろうか、私には想像もできない。しかし、ルティエン様が陣頭指揮を取っているこの事業が成功し、彼の偉大な功績になることを願っている。
微力ながらもそのお手伝いができたらと思う。
結婚すると家に入らないといけないし、子供ができれば何年も動けない。
だから仕事を理由に持ち込まれる縁談は断っていた。だけど、いよいよ現場工事が着工とすれば、書類仕事も格段に減るし、もう通訳はほぼほぼ要らなくなる。
この長い公共事業が終わる前にきっと彼は妻を得て、完成記念式典には子供を伴って出席するのだろう。
そう思うと、ギュッと胸が引き絞られる思いがする。
あのときの選択は間違っていたのではないか。
愛人だなんて立場を潔癖に嫌がらなければ彼のそばにいられたのに。
いつか妻子ができて、顧みられなくなったとしても、男盛りと言われる学園卒業後の姿を間近で見ていることができたのに。
ライアーンでの彼の活躍を少しでも支えられたかもしれないのに。
もう何年も何年も同じ問いかけを繰り返していた。
彼の名を聞いて目にして、いつも脳裏に彼の潤んだオッドアイが蘇る。眉根の寄った、どう見ても無理やりに作った笑顔も。ひんやりとした手のひらの温度も。
あれは、私との別離を本当に惜しんでくれていたのだと思うと、胸を掻きむしりたいほどの後悔が湧いてくる。
こんなに好きだったなんて思わなかった。
憧れだと思い込んでいた。思い込もうとしていた。
社会に出て、色々な人を見て、色々な立場を知り、さまざまなしがらみを理解し、本当に私は子供だったんだなと思う。
あの立場の彼が、たかが小国の侯爵令嬢ごときを『恋人』にできるわけがないのに、馬鹿な望みをしたものだ。
こんなに恋しくなるだなんて、想像もしてなかった。
ため息をつくばかりの私に、ネルタニア殿下がそっと背中を撫でてくれる。
「またいつもの初恋に対する後悔?」
殊の外私を買ってくださっているネルタニア殿下にだけは、「結婚はしたくないのだ」と何度も繰り返しているうちに根負けして、学生時代のあれこれを伝えてしまった。もちろんお相手の名前は出さなかった。こんなことがあったのだ、と言っただけ。
けれど、相手がルティエン様だとすぐに見抜かれてしまったのだ。
どうやら私はルティエン様に関する反応だけはとてもわかりやすいらしい。
……………恥ずかしい。外交上、通訳者の顔色でつけ込まれるなどあってはならないことだ。
「後悔といいますか、その……随分と傲慢なことをしたなとは思っております」
「愛人になれ、なんてあっちが傲慢以外の何者でもないわよ。まあ、確かに色男ではあったけれど」
殿下を見れば、口をへの字にされていた。
そんなことよりネルタニア殿下がルティエン様にお会いしたという事実にびっくりしてしまい、言葉を失う。その心情を理解したネルタニア殿下が、少しだけ気まずそうに床を見た。
「実はね、この間、ご本人が我が国にいらしたときにお会いしたのよ」
「……そう、ですか」
ルティエン様はこちらの言葉はしっかりご理解されているから私は通訳として呼ばれなかったのだろう。
それでも、卒業以来初めての訪問ならば、声をかけてくれたってーー……。
何を言っているんだろう、私は。
フった女なんかに会いたいと思う御仁がいるわけがないのに。
本当に馬鹿だ。
きっとこの先、彼に通訳として会う場面があったとして、声を掛けられることもなければ、同級生としての穏やかな視線を向けてもらうこともないのだろう。
ああ、彼があんなことを言わなければ、きっと今でも正しく『友人』だったはずなのに、といっそ恨みがましく思ってしまう。
成長した彼はどんな感じだったのだろう。それを殿下に聞いてみたくて、でも、聞いたら聞いたでまた余分なことを考えそうで、結局、何も言わなかった。
「それで、レアノーラ……その、ちょっとアレは面倒くさそうな相手だったわ。私は、あなたの気持ちを知っているからいいことかと最初思ったけれど、そのーー……ええと、本当にアレでいいいのかっていうか、レアノーラはあいつの人物像を誤解をしていないかしらって思わないでもないっていうか……」
「え?」
しかし、殿下が急に何を言いだしたかわからずに、首を傾げる。すると、いつもハキハキとお話になる彼女はなぜか緑の瞳を床どころかもっとずっと、窓の外の外の外くらい、すごく遠くに逸らしていた。
「何かもうすごく拗らせちゃって、外堀を埋めるどころか、ぐっちゃぐちゃのどっろどろに底なし沼でも作ってるのかしらって感じで……」
「はい?」
「……言えない……言えないわ……」
「殿下?」
「…………これでも私、王族の端くれなのよ。我が国のためよ、許してレアノーラ……」
急に、ぼそぼそと口の中だけでお話になる殿下が何を呟いているのかさっぱりわからず、私は首を傾げるしかできなかった。
*
そんな会話から六か月後。
なぜか私はライアーン帝国の首都パシュンスの大聖堂の控室で純白の花嫁衣装に身を包んで座っていた。
手には大ぶりのカサブランカで作られたこれまた純白のブーケ。頭には一つ一つ丁寧に刺されたのであろうライアーン皇家のスズランの花の紋様。
本日は結婚式だ。私の。
なぜこんなことになっているのか未だ混乱している。
ネルタニア殿下に謎のブツブツ発言をされた数日後、私は父と共に国王陛下に呼び出され、ライアーン皇家から縁談の紹介が来ているとのお話を受けた。
寝耳に水のことでその場でふらりと倒れた私に代わり、お父様がどうにか聞き出してくださったところによれば、今回の一大事業に関して、多民族国家であるライアーンの各地方の言葉が分かる通訳を探していること、また、両国のつながりを象徴するために王家に近い血族での姻族関係を作るべきだということがあちら側からなされたらしい。
王家に近い血族って。
うちは侯爵家でそこまでではないのでは?と父と共に反論したが、「通訳が!通訳がほしいっていうから!それだとレアノーラしかいないんだ!」とネルタニア殿下の兄であるバーセルク王太子殿下が強めの圧で主張してきた。
どうやら、私が働きたいのであればあちらでも通訳として活動することはもちろん歓迎すると言われているらしい。外交をこなす方につけるし、希望があれば家庭教師ももちろん準備するし、今まで以上に海外に行きたい放題だ、と付け加えられた。
仕事をしたいを理由に断るだなんて絶対に許さないと言わんばかりの言いぶりに、きゅっと唇をかみしめる。
(たしかにそれでずっと縁談はお断りしてきたけれど、本当は私……)
ルティエン様以上に好きになれる人は見つけられないと思っているからだ。
政略結婚は貴族の義務だけれど、でも、もう少し、この胸の痛みが薄らいでからでも許されないだろうか。
なのに、バーセルク王太子殿下は必死で「頼む!この事業の成功はレアノーラ嬢にかかっていると言っても過言ではないんだ!」と頼み込んできた。なんなら、顔色を青くしながら「も、も、もしや……こ、ここここい、恋人とか、いるのか?しょ、しょう、将来をち、誓いあったり……?」と不躾なことまで尋ねてくる。
父からもまさかそうなのか?と驚いた視線を向けられて、ぶんぶんと首を振る。
ライアーン帝国から多額の資金融資を受けている我が国としては、あちらの政略結婚の要望に逆らうのは難しいのかもしれない。
だらだらと脂汗までにじませている王太子殿下と気の毒そうに私を見つめる国王陛下を見ていたら、くだらない昔のちっぽけな恋心に蹴りをつけるいい機会なのかもしれない、と思った。
これを抱えていたって、どうせあの人は私に懐かしみの挨拶の一つもくれなかったのだから。
けれどお相手の名前を教えてほしいとお願いしたところ、お二方ともがっくりとうなだれて「言えないんだ」と異口同音した。
『言えない……ですか?』
『その、絶対に、絶対に言うなと……。万が一にも逃げられたら許さないと言われていて。あ、いや、もちろん!もちろん、身元は保証する!年は君と同じで、見目も麗しい青年だ!本当にびっくりするほどの美青年だ!将来性も抜群!いずれはあの国のさい……んんっ、重鎮になるという古参貴族の男性だ。なんなら君にべた惚れだ。それはもう惚れ込みすぎていると言えるほどに!だからどうか引き受けてくれないだろうかっ!?』
『……べた惚れ?お会いしたことがあるお方ですか?』
『んんっ、あると言えばあるというか』
『もしかして、ネルタニア殿下と一緒に外遊した際にご挨拶された方のどなたかでしょうか』
『ええと、まあ、そんな感じなような……違うような』
『…………さすがにその情報だけで他国に嫁ぐというのは不安なのですが』
『そうだよな、うん。そうだ。わかっている。わかっているとも。そういうわけで、この侍女を連れて行くといい』
突然、王太子殿下の後ろに控えていた一人の女性を紹介された。名前はラティアと言った。私より背が高く、肌の色が濃く堀の深いキツめの美人なメイド服を着た彼女は、ライアーンから異文化交流として派遣されてきた女性だった。王太子殿下は彼女があちらとの窓口となり、私の婚礼の準備も一緒にしてくれると言った。
まったく断る余地のない一方的な話だ、と、帰りの馬車の中で、父はかなり憤っていた。
ラティアが「我が主が大変に申し訳ございません」と流暢なズーロア語で深々と頭を下げていた。彼女が仕えているのが私の結婚相手の男性らしいのだが、彼女も巻き込まれ事故みたいなものらしい、と仲良くなってから聞いた。
それから半年間、スズランの絵が入ったカードや贈り物が頻繁に我が家に届くようになった。
顔も名前も知らない未来の旦那様は、それはもう達筆な飾り文字を書くお方だった。ライアーンでの生活の準備の状況や私の仕事に関してなんかを事細かにたくさん書いてくれて、私の不安を失くそうと必死になっているのがよくよく伝わってきた。お優しい方だと思う。そして最後には必ず、物語のように恥ずかしい愛の言葉を並べ立てていた。
そんな熱烈な言葉を向けられるなんて、一体どこで私を見初めたというのか。
そもそも私の見た目は平凡極まりなく、一目惚れなんてあるわけがないと思う。よほど通訳の能力に関心したのだろうか。それはそれで嬉しいものだ。だけど。
私も結婚する以上は、彼のことを知ろうといろいろと尋ねてたのだが、彼の好きなものや趣味がことごとく、ルティエン様と被るのだ。そのたびに胸がずきずきと痛む。これはルティエン様なのでは、と思うほどだった。
けれど、スズランは現王朝を象徴する国花だ。
その花の便せんを使えるのだからお相手は皇族の血を引く庶子の誰かだろうとあたりをつけている。ラティアもにこっと笑って否定はしないし、ネルタニア殿下も「皇族の血……まあ、引いている、と聞いてるわ」とおっしゃる。王太子殿下も「ま、まあまあ、そんなところだ」とひきつり笑いをなされた。
ずいぶんな高い地位の方があちらから差し出されたものだ。むしろ私でいいのか、と何度も聞いたけれど、全員が「レアノーラじゃないとダメ!!!」と強い口調で言うので、もう納得して、この南の地の首都まで一週間かけてやってきた。
真っ青な空から降り注ぐ強い日差しを反射する白亜の宮殿はとても荘厳で、球状の金のフィンヤールが屋根の先端で美しく輝いていた。明日の結婚式の準備と称して通された離宮も金の縁で彩られた丸窓と輝く色砂を塗りこんでいるというの壁紙がとても幻想的で、やはりスズランの模様が描かれた薄い紗が垂れ下がる天蓋ベッドは広くてふかふかで、枕もとにはこれでもかと艶やかな花が飾られていた。『会えるのを楽しみにしている』というカードがサイドチェストに乗っている。歓迎されていることがよくよく伝わってくる待遇。
それなのに私の心は晴れなかった。
翌日、朝早くから結婚式の準備をしてもらいながらも、顔色が悪いと心配をされてしまった。
どうしても、思い出すのは彼のこと。
私はあの日、あのとき、彼に『愛人』は嫌だと言った。
今度は私の望みどおり『妻』に請われている。
手紙で交流する限りにおいては、理想的でお優しそうな旦那様だ。代筆でない限り。でもきっと、代筆ではないんだろうな、ともちゃんと感じている。
それなのに、結婚式のこの直前まで、鬱々としたため息を止めることができない。
(本当に、どうしてあのとき、私は断ってしまったのかしら……)
本当にいい加減にしたい。
もう1時間もしないうちに、私は『妻』になるのだから。
(次にルティエン様にお会いするときは、私は誰かの夫人なのね……あれ、もしかして、皇族の血を引く方との結婚式だったら公爵家のルティエン様もご列席されていたりして……)
急に、そう思い至った瞬間、ガタン、と私は立ち上がっていた。
もしかして、レアノーラ・ヴェアテインという名前で、誰のものでもない彼の知る私の名前で、最後に会えるチャンスかもしれない。
急激にドキドキと胸が高鳴った。
なぜそんなことを思ってしまったのだろう。
だけれども私は、もう二度と後悔はしたくなかった。
あのとき、伝えられなかった本当の気持ちをーー実は『友人』なんかじゃなかったんだと、ここ三年半で煮詰めきってしまったその気持ちを、伝えたいと思ってしまった。
今更何を言っているのか。迷惑でしかないに決まっているのに。
それでも、彼に、会えるならば会いたい。他の誰かと、神様の前で誓う前に。
(ああ、なんで私は馬鹿なんだろう)
まったくもって理性的な行動なんかじゃない。
でも、伝えるだけ伝えたら、「今さら何を」と冷たく突き放されたら、旦那様となる人にーーあの優しい手紙をくれ続けた人に、ようやく納得して向き合えるような気がする。
そんなことに巻き込まれるルティエン様が可哀そうすぎるし、そもそもお会いできるかなんて全く分からないのに。
私は付き人がいなければ踏んでしまいような長い裾を無理やりにたくし上げて、カツっとヒールで踏み出した。
どうして、あのとき、「好き」だと言わなかったんだろう。
「でも愛人は嫌だからごめんなさい」、「恋人だったらなりたかった」「その努力をしてほしかった」と言わなかったんだろう。
もうその後悔を止めたい。
この国で、また彼に会うことがあったときに、旦那様を裏切らなくていいように。
今度こそ、この恋心を終わりにしたい。
扉に手をかけた瞬間、私はまだ力を入れていないはずなのに、それは一気に開いていった。
「”………ああ、結局、逃げるんだ”」
「え?」
突然頭上から降ってきた声。
それは私の鮮烈な記憶のなかのものと同じだ。
扉の向こう、まぶしいまでの快晴の空から降り注ぐ日差しを背にしょって、白い正装に身を包む背の高い男性。藍色髪は一つにまとめられて背中の方に流れている。そして何よりも特徴的な翠とオパールのオッドアイ。
「る……ティ、エンさ、ま……?」
「久しぶりだね、レアノーラ」
ズーロアの言葉で話してくれるルティエン様は、昔のようにたどたどしい発音はもうどこにもない。
元から美しかったお顔は、頬や顎が精悍になり、男らしさが増している。首や肩、胸には厚みがあり、金の肩章と金と赤と青の等分のラインが入ったサッシュをつけた正装を凛々しく着こなしていた。胸にはいくつもの星形の勲章が付けられている。
「あっ、……お、お久しぶりです」
咄嗟に腿あたりのドレスを摘まんでカーテシーをした。ドレーンが長すぎてうまく決まらなかったけれど。
そんな私を目を細めて見下ろしたルティエン様は、絹の手袋に包まれた私の手をそっと取り、恭しく手の甲に口づけるふりをした。
相変わらずの隙がなく美しい所作に、一気に頬に熱が集まる。
ルティエン様にお会いしたらきちんと伝えようと思っていたのに、頭の中が真っ白になり、彼の手のひらに乗っている指先までどくどくと脈打っているようだ。
なぜ彼がここにいるのかも何も思いつかず、ただ彼をぼうっと見つめる私に、ルティエン様がにっこりとそれはもうとんでもなく麗しく微笑んでーーそれからすぅっと無表情になった。
「どこへ、行くつもり?」
「え……、痛……っ」
学園の記憶の中ではいつでも柔らかな弧を描いており、たったの一度だけ悲しそうに目尻を垂らしていた彼のオッドアイが、かつてふんだんに振り撒いていた輝きを失い、一文字のような真っ直ぐになっている。
ぎりり、と隣接する指と指が強く重なり合うほど握りしめられた……握り潰された手が痛みを伝えてきた。
「あ、の……、ルティエン様……?」
「逃げては、ダメだよ。何故、バレたんだろう?」
「え?逃げ………?」
「神の前で誓ってしまえば、もう君は私のものだというのに。裏切ったのは誰なんだ?」
「私のもの………?」
神の前ってこの教会?
私はって、ルティエン様のこと?
君はって、私のこと?
教会で誓って、私がルティエン様のものということ?
一つ一つの言葉の意味を馬鹿みたいに確認して、それでも結局、どうして、にたどり着く。
「あの……、私は、ライアーンの皇族に連なる方と婚姻を……」
「ああ、我がアストラス公爵家は皇族と定期的に婚姻を繰り返しているからね。ちなみに、私の母は現皇帝の妹。皇太子とは従兄弟の間柄だよ」
「えっ」
そんなやんごとないほどの血筋だったとは知らなかった。宰相を輩出しているアストラス公爵家の長男ということでそれはきっと高い身分なんだろうなと思って終わっていた。彼は普通の同級生として接して欲しいと言っていたし、あまり、その差を考えたくなかったのかもしれない。
しかし、でも、国花のスズランの便箋は皇族しか使えないのでは?
その疑問が分かったのだろう。
ルティエン様は、唇だけで微笑んだ。
あいも変わらず目は全く笑っていない。
「スノーフレークという花を知っている?」
「スノーフレーク?」
ルティエン様は私の頭のベールをそっと撫でて、長いそれの裾を目の前に持ち上げた。
白い絹糸で刺されたスズランの刺繍だ。
「よく見てごらん。花びらの先にわざわざ斑点が入っているのがわかる?」
「え………」
目の前にかざされたそれをよく見れば、ふっくらと丸い花弁の先に小さな点が刺されている。
「スズランに似ているけれど、スノーフレークの方が花が大きく、なにより、花びらの先に緑の斑点がついてるのが特徴なんだよ」
そうなんだ、と思うまま、ふと便箋の白い花の先に緑の点が付いていたことを思い出した。
この人を大切にできたらいいなと思って何度も読んだ手紙だから、はっきりと思い出せる。
「あれ……は、もしかしてスノーフレークの花……?」
「そう。今日まで気がつかないでいてくれてありがとう」
「ありがとう……?」
「だってアストラス公爵家からの申し入れだって気がついたら君は嫌がるでしょう?」
「え?」
私の手を掴んでいた彼の手のひらが少しだけ震えた……ような気がした。
「こっぴどく『友人』として袖にした相手から、また求婚されたなんて気持ちが悪いでしょう?」
「また?い、痛い……です!ルティエン様っ」
今度はさきほどまでとは比べ物にならないほどの力で握り締めてくる。さすがに手を引こうとした私だけれど、あまりに力が強くて抜けない。
「今度は逃げることは許さない」とルティエン様が、笑みを失った顔で言った。
そうして、涙目になった私を上から覗き込みながら、真顔で告げるのだ。
「レアノーラ……私の、レアノーラ。ねえどれほどこの日を待って待って、待ちこがれたと思う?」
その顔が恐ろしくて、美しい瞳が無機質な色だけを乗せているのが怖くて、私は震えた。
じり……と逃げを打つ体を、腰に回された手のひらが引き戻してくる。
「諦めようとしたんだ。何度も、何度も。あれほどにはっきりと振られて。諦めなければいけないとわかっていた。でも国に戻って、君と離れて、私の見た目と地位に欲をかく令嬢とたくさん見合いをして、その都度、君と過ごした穏やかな日々を思い出すんだよ。私の人生で一番といえるほどに心地よい時間。そして、事業を進めるにあたって聞くようになった『第二王女の優秀な通訳者』への賛辞。話が早く担当は君がいいという指名も、事業の関係者として召し抱えたいという要請もあったよ。いっそ、両国の事業を理由として婚姻させてしまえば我が国のものになるのでは、という話まで出た。だったら、私がもらっていいだろう?なにせ、責任者なんだから」
そればかりかルティエン様の体にすっぽりと包まれてしまった。
ふわりと甘い香水の香りがする。学園にいたときに、隣に立ったとき彼からした匂いと同じだ。
けれどこんな近くに接近したことはない。布越しであっても彼の熱が伝わるほどの近く。どくっどくっと早鐘を打つような心臓の音が耳に届くほどの近く。
「ルティエン様……?」
「君が顔も知らない相手と結婚するだなんて……指をくわえて誰かにかっさらわれるなんて許せるはずがないよね?ねえ、そうでしょう、レアノーラ。誰かもわからない、顔も知らない我が国の貴族なんかよりは、『友人』の私の方が結婚相手として上でしょう?」
ルティエン様の手が私の肩や背中をゆっくりと撫でた。私の心臓もルティエン様に負けないほど速くて、うるさいほどの音を立てている。
「君は、わが国の言葉を流暢に話すけれど、それでも故郷を離れることになる。君が心細くならないように、もう一度ズーロアの言葉を学びなおした。屋敷にいる者たちもラティアと同じだけ話せるようにきちんと教育をした。屋敷の温室にはズーロアの花を多く植えた。君は植物園が好きだと言っていたから。それに家だって事細かに聞いた君の部屋の様子に近いズーロアの家具でそろえたし、君が可愛いと言っていた色の美しい鳥も何匹か用意した。君が望むならいくらでも外に出て仕事をしてくれて構わない。窮屈に家に入れだなんて絶対に言わない。いや、私とは一緒にいてもらわないと困るが。しかし、私は外遊の仕事もとても多いし、今まで以上に重要な役割を果たすことになるだろう。やりがいだってきっとある。だから私は君の政略結婚の相手としては決して悪くな……」
私は自由な方の手の人差し指で、ルティエン様のいつまでも止まらない口に触れた。
「知っていますよ、未来の旦那様。たくさん、たくさん、手紙に書いてくださったでしょう?素敵な贈り物もどれもこれも嬉しくて、ちょっと……量は常軌を逸していましたけれど、でも次は何かしらと届くのが心待ちになるほどでした」
やっと、私は理解ができた。
私の結婚相手はルティエン様なのだと。
勝手に頬が緩んで、口角もこれでもかと上がる。目だって輝いているだろう。
「レアノーラ?」
「ルティエン様……好き。好き、です。ずっとずっと、好きでした。あの卒業前に、なんで断ったんだろうとずっとずっと後悔するくらいに、好きだったんです。本当に私、バカでした。あの時から、あなたが好きだったのに」
背の高い彼の胸に顔を埋めるようにしてぎゅうっと抱きついた。せっかくきれいに整えてもらった化粧が崩れてしまうけれど、そんなことを気にしていられない。
「……えっ?」
ルティエン様の体が硬直した。
「え……好き……?君が、私を……?」
「はい」
「あの時からって……、え……、な、なんで……?」
ルティエン様にしてみれば、好きだったなら何故断ったのだろう、という疑問だろう。
私は彼の胸から顔を上げて、ほんの少しだけ頬を膨らませた。
「だって……『愛人』って。まだ学生だった私には衝撃だったんです。好きな人とは『恋人』になるものだと思っていたし、その先には結婚だって夢見ていました。頭では、ルティエン様のような大国の公爵令息と結婚なんてできるわけがないってわかっていたんですけど、それでも、ルティエン様がいずれ他に妻を持つのを眺めるだけの立場だなんて耐えられないって思ってしまって……でも、もう会えなくなってしまい、たとえ一時的な関係だけでも、頷けばよかったってずっと後悔をして……」
「は?はあっ?!私は”妾”になれなんて一言も言っていないぞ!!」
丁寧な言葉遣いを心掛けているルティエン様がの口調がものすごく崩れた。それにもびっくりしたけれど、彼の言葉にも首を傾げる。
「”妾”ですか?」
「君が言うのはそういうことだろう?他に妻を持つって……」
私は必死で頭の中のライアーン語の辞書をめくった。めかけ、めかけ……正式な婚姻関係になく、男女関係のある、生活面の支援を受けている女性。正妻から見れば倫理観に反する相手。情婦。泥棒猫。体を売る職業の女性が身受けされてなる場合が過去は多かった。
ーーーうん、愛人では?
「『愛人』とは”妾”と同じ意味ですよね?」
「はぁっ?!ズーロアの言葉で、愛と人、という意味を並べているのになぜそうなるんだ!?愛する人って意味になるんじゃないのか?!」
「えっ」
言われてみれば、確かに。
余り気にしたことがなかったけれど、確かに「愛」と「人」なら愛する人となってもおかしくはない。
何故だろう。
「えっと……申し訳ありません。私の国では当たり前のように”妾”や”情婦”の意味で使っておりました。その理由はよくわかりません……」
「なんだって!!?」
ルティエン様が、瞳をこれでもかと見開いて、私の肩をがしっとつかんだ。
「ちょ……ちょっと待ってくれ、……”もしかして、私は君に妾になれと言ったのかっ!?”」
動揺しすぎてライアーン語に戻ってもいた。
「”そうですね?でもいいんです。皇太子殿下の従兄弟であるとは知らなかったですが、ライアーン帝国の公爵令息に対してたかが山合いの小国の侯爵家の娘が『恋人』にしてほしいなんてとんだ高望みだったのは、今になればよくよく理解をして……”」
「”違うっ!そんなこと言いたかったわけじゃない!俺の『想人』”になって欲しい、……将来の結婚の約束をしてくれって言いたかったんだ!!”」
「えっっ?!?!」
今度は私が、オレンジの瞳をこれでもかと見開いた。ついでに口もぽかんと開いた。
私の肩から手を離したルティエン様は頭を抱えている。
「”嘘だろう……?妾……妾って言ったのか、俺……?なんで……?”」
俺、なんて言うのも初めて聞いた。かなり動揺しているらしい。
「”愛する人って言ったのに……だって、恋よりも愛のほうが上じゃないか。だから……嘘だろ……そんな……妾とか、失礼なこと言ったのか俺……ありえないだろ……”」
「”え、えっと、ルティエン様……?”」
「レアノーラ!」
「はいっ」
突然、ルティエン様が大声で私の名を呼んだ。そうして、私の両手を両手でそっと包み込みながらその場に片膝をついた。
白い衣装が汚れてしまう、と慌てたが、もう一度、今度は真剣なトーンで名前を呼ばれると黙るしかなかった。
私を見上げるその顔は、かつて、あの、愛の木ラーリスの大木の前で跪いてくださったときよりもずいぶんと大人びている気がする。けれど、そのオッドアイの美しさは何も変わらない。
先ほどまでの冷ややかな温度の瞳とはまるで違う、熱のこもった視線だった。
「……レアノーラ、すまなかった。改めて謝罪する。君をそんな風に侮辱するつもりは欠片もなかったんだ」
ズーロアの言葉で、彼は、申し訳なかったと繰り返した。レアノーラは彼の眉がひどく苦し気に寄っているのを見て慌てる。
「いえ、そんな、侮辱……というほどのことでは」
「でも俺……私が、愛人って言ったから怒って断ったんだろう?傷ついたよね?」
「…………その、まあ……子供、でした……」
「あの頃から、私が……好きって本当かい?」
「は、はい」
勢いではなく、改めての、好き、との本人確認は恥ずかしかったが、もう誤解をしたくはないと深く頷いた。
きゅっと今度は優しく指先を握り締められた。
「ああ、夢みたいだ……どうにか、絶対にどうにかして、捕まえようと思って、皇太子を脅して伯父に嘆願してありとあらゆる根回しをしてからズーロア王国の王族に手を引かれたくなかったらレアノーラを差し出せって脅迫し続けてそれでもいつ君が気が付いて逃げ出すのかと思うと夜もロクに眠れなかったのに、両想いだったなんて……いや、本当馬鹿だ。馬鹿すぎる。なんで私はあのとき、格好つけてズーロア語で告白なんてしようとしたんだ。そんなうまく話せなかったくせして。本当に馬鹿だ。この数年を無駄にして、本当になんで………」
ルティエン様は、何か怖いことをぶつぶつぶつぶつ呟いていたが、だんだんと、私の手を見つめて、視線がどんどん下に下がって行ってしまった。
なんなら地に付きそうなほどに頭も肩も下がっていく。どよんとした黒いモノが背中に見える。
ルティエン様って完璧な王子様かと思っていたけれど、どうやら違うようだ。
可愛らしく見えるその姿に、くすっと笑みがこぼれた。
「ルティエン様、大好きです」
「!わ、私は、愛している!」
顔が上がった。またキラキラのオパールの瞳が私をしっかりと映しこんでいた。
「やり直しをさせてくれ、レアノーラ。君が好きだ。愛している。恋、なんてそんな浮ついた気持ちじゃなくて、愛、しているんだ。どうか、どうか私の、……『恋人』に、いや、『妻』になってほしい。君を一生愛すると誓う。君以外いらない。生涯、そばにいてくれ」
「ルティエン様……はい、はいっ、ぜひ、『妻』にしてください!」
震えるほどの喜びに包まれた私は、必死で涙をこぼさないようにしつつ、ルティエン様の手をぎゅっと握り返した。
あとほんの十数分後には大聖堂の神様の前での誓いがあるけれど、私たちはそんなものを待てずに、狭い控室の中、二人だけでの厳かな誓いを唇に刻んだ。
口紅が取れて同じ色に移った私たちを、結婚式まで絶対に私に正体が気づかれぬようにと彼に脅されに脅されに脅され続けた王太子殿下と第二王女殿下とラティアがやれやれと見守っていたことに気が付くのは、数分後ーー。
それからルティエン様は自分の言葉が原因で三年半も無駄な時間を過ごしたことに何度もあちらこちらに頭を打ち付け、とにかく後悔をしていた。
そして私と離れていた期間を取り戻すと言い放って全ての公務を放棄し、外遊にかこつけた新婚旅行をゴリ押した。二ヶ月後、皇太子殿下の遣いが毎日毎日毎日やって来て泣き落としをされても「気にしなくていい」と私の肩を抱いてずっといちゃいちゃしていた。
しかし、その異様な状況にさすがに私が音をあげて「もう帰りましょう」と言うと、この世の絶望を全て背負ったかのような顔をして「俺といたくないの?やっぱりまだ許してくれないのか」とジメジメとし始めた。
落ち着いた雰囲気を持つ彼は、随分と感情の振れの激しい、楽しい人だと新発見した。
そんなこんなで、暴走するルティエン様を私が宥めるということを繰り返して、私は、笑いの絶えないライアーン帝国での生活に慣れていった。
***
十五年後、すべてのトンネル工事と街道の完成とともに、私たちの息子セルジュがズーロアの王立学校に留学することになった。
ルティエン様はそれはもう口酸っぱく、「愛と恋の使い方を間違えるな!」と指導していた。
私は、しばらく兄が家からいなくなってしまうことを悲しむ娘二人を膝に抱き寄せ、まだ末の息子をおくるみで包んで腕に抱きながら、くすくすと笑った。
(Fin)
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。
恋人と愛人。愛だからそっちの方が上と勘違いし、言葉の意味の違いで3年半もすれ違ったあげくに、拗らせすぎたヒーローのお話でした。
ちなみに第二王女のネルタニアは真実を知っていたしレアノーラのためを思って、真実を何度かルティエンに告げようとしたのですが、ルティエンはレアノーラを独り占めしていたネルタリアが大嫌いだったので「うるさい、黙れ。マウントか」と常に全力拒否をしていました。結果、「こいつ、嫌われてしまえ」と思い、レアノーラが手紙のまだ見ぬ先の旦那様は自分を大切にしてくれると夢見ている、まさかお前とは思ってもいなくて可哀想、どんな反応するんだろうな、と煽りに煽りまくってました。そして、病み鍋ルティエンの出来上がりです。
普段はムーンライトノベルズで活動をしておりますが、溺愛、執愛、ヤンデレ好きです。全年齢もまた少しずつ投稿していこうと思っています。
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ありがとうございました。




