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1.駅の見送り

「はぁ……」


 また行かなければならない。住み慣れたこの街を離れて、大学と俺の下宿先があるあの土地へ。


 交通費をできるだけ抑えようと思って、特急ではなく普通列車に乗った。

 吊り革が一直線に並ぶ電車。始発駅だから、横長の座席の一角に座ることができた。これから東へ3時間、ここに座ったまま行く。


 生まれてから18年間、俺はずっとこの街で暮らしてきた。大した観光地もなく、なにも面白いところがない地方都市だ。

 小さい頃から、俺はこの街ではないどこかへ行ってみたかった。もっと広くて、行けるところが多くて、退屈しないところに飛び込みたかった。


 けれど俺の両親は転勤なんかとは無縁だったから、俺はこの退屈な街と見飽きた家で、これまでの人生の全てを歩んできた。


 転機が訪れたのは、大学進学のときだった。


 父はそれとなく、この街か県境を越えたひとつ隣の街の大学へ行くよう言ってきた。けど俺はそれを聞かなかった。人生でそう多くないだろうチャンス――どこか遠くの、この街とは違う新天地へ行けるチャンスが、巡ってこようとしていたんだから。

 東京は人混みがすごそうだな、でも行くところも見るところも多そうだ。いや、雪の降るところってどうかな。海が近いところもいいな。山あいの街にも行ってみたい。

 進学する学科や学力のこともあるから、そんなに自由には選べない。だけど初めから、この街とその近くの大学は候補に入れなかった。


 簡単な道のりではなかった。18年の人生の中で、一番つらく長い時間を過ごすことになった。


 その末に、俺は夢の切符を手に入れた。


 そんなに遠くじゃなかったけど、こことは違う街の大学に行くことになった。また見たことのない景色、感じたことのない空気、新しい生活を送ることができる夢の切符を俺は手にした。


 俺は意気揚々と、振り返ることなくこの街を出た。新しい人生への期待が胸いっぱいに詰まっていた。


 そして1ヵ月で、俺はその勢いを失った。


 一人暮らしが大変だったかと言われれば、確かにそうだ。今まで父さん母さんがやってくれたことを、すべて俺ひとりでやらなければならなかった。

 でも問題はそこじゃなかった。俺の気持ちが失速したのは、移り住んだ新しい街のせいだった。


 悪い所じゃなかった。大きな観光地もあるし、行ったことのない場所がたくさんある。見えるもの全てが違っていた。俺が望んだ通りの新しい世界だった。

 でもその新しい世界は、俺には合わなかった。景色も、日当たりも、行き交う人々も、全てがこれまでと違っていて、俺はそれを喜ぶよりも、むしろつらく思った。


 よその街へ引っ越して、俺は初めて生まれた街を外から見つめることができた。


 大した観光地もなくて、落ち着いた街。18年間見続けてきた同じ景色が、俺を優しく囲んでいた。物心ついた頃から住み慣れた家が、いつも帰りを待ってくれていた。


 新しい街には、その全てがなかった。


 夏――レポート提出と試験が終わってすぐ、俺は夏休み期間になった大学をかなぐり捨てて、電車とバスを乗り継ぎ生まれ育った街へ帰った。

 街は変わらず、そのままだった。家に帰ると、家族みんなが迎えてくれた。


 夏休みが終わるまで、俺はむさぼるように懐かしい街での暮らしを楽しんだ。

 大学へ戻る日には、重い心をズルズル引きずって家を出た。電車が街を離れていく時には、涙が出かかるのをそのままに景色を目に焼き付けた。


 冬――大学の冬休みは大して長くない。それにレポートと試験はこれからだ。


 それでも俺はこの街に帰ってきた。

 家で正月を迎えて、お雑煮を食べて初詣でに行って、うんと羽を伸ばした。


 そして今、夕日の射し込む普通列車の中。俺は窓を背にして座り発車時刻を待っている。


 この電車で3時間、そこで峠越えのバスに乗り換えて、その先でもう一度電車に乗って――全部で6時間だ。

 たった6時間で、俺はこの懐かしい街の夢から覚まされ、現実に連れ戻されてしまう。


 大きな荷物は宅配で送ってある。ほとんど身ひとつの俺を、母さんがこの駅まで送ってくれた。

 なんでか知らないけど、3つ上の姉ちゃんが勝手についてきた。


 今、この電車の中には知らない人ばかり。ここから先は、俺ひとりで行く道だ。


 駅の放送が急に騒がしくなった。

 この電車の発車を告げている。あと少しで、俺はこの街から連れ去られる。


 狭い座席におさまった俺は、ぼんやり反対側の窓を見ていた。中高時代、電車通学で見慣れた駅のホームが見えている。


 これもしばらく、見納めだな……


 ホームで手を振っている人が見えて、俺は誰だか知らない手を振られている人をうらやましく思った。


 ひと昔前の、長距離列車が出て行く時の映像を思い出す。頑張れ、しっかり、と手を振る見送り。それに手を振り返す、旅立つ乗客。

 いま乗っているこの普通列車が、これから長い旅に出ようとする特急列車のように思えた。見送りなんて大した意味はないと思っていたけど、こうして見ていると、今の自分がみじめに思えるくらいにうらやましい。


 窓の向こうで、その人はまだ手を振っている。見送る相手がそれに応えないのだろうか、大げさに手を振り続けている。何人かの乗客が、窓の外を見た。


 ドアが閉まります――放送が駅のホームと車内をかき乱すように流れた。このドアが閉まったら、俺はこの街と切り離される。


 そしてふと、俺は気付いた。


 ――あの馬鹿みたいに手を振ってるやつ、姉ちゃんじゃん。


 どうしてここに……?


 入場券で入った? あのケチが?

 なにか言っているみたいだけど、聞こえない。


 その隣に母さんも立っていて、さすがに控え目だけど手を振っている。


「……」


 見送られているの……


 俺だったんだ。


 夏に来た時は、ここからひとりきりで出て行った。

 今日は、まだひとりじゃない。俺のための、特別な見送りがホームの上にふたり。


 窓の外に向かって、俺は手を振った。

 姉ちゃんは笑った。母さんも微笑んだ。


 プシュー、と音を立てて、ドアが閉まった。ホームの喧騒が、ぴたりと止んだ。


 ゆらり、と電車が揺れて、景色がゆっくり流れ始める。ガタン、ゴトン、と車輪が音を刻み始める。

 姉ちゃんが電車を追って歩き出す。窓の向こうを、ついてくる。


 もういいよ……周りみんな見てるよ……

 走って追いかけないで、いいから……


 だんだん後ろへ流されていく姉ちゃんに、俺も最後まで手を振り返した。


 姉ちゃんの姿が見えなくなって、そのまま電車は駅を出た。東へ向かって、ぐんぐん速度を上げていく。


 俺は夏に来たときと同じように、夕日に染まる懐かしい景色を目に焼き付けた。

 涙は、出なかった。


 頑張るよ、俺。

 必ず帰るんだ。大学を卒業したら、必ず――この街へ。

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