秘密の景色
出発の早朝。まだ日の出前の時刻だった。
メグルは布団の中で、誰かが枕元に立っている気配を感じた。
目を開けると、そこにはコッチネラがいた。
彼女は口元に指を立てて、「静かに」と合図を送ってくる。
二人は音を立てずに部屋を出て、薄暗い廊下に立った。
「こんな時間に……何ですか?」
メグルが小声で訊ねる。
「出発する前に、見せたいものがある」
コッチネラが答える。
「何て言うか、その……選別かな。きっと、役に立つ時が来ると思う」
メグルはうなずき、コッチネラの後を歩いた。
たどり着いたのは、「立ち入り禁止」と書かれた扉だった。
「何年ぶりかな。この扉を開けるのは」
コッチネラがつぶやきながら扉を開く。
通りすがりに、メグルは別の注意書きに気づいた。
『この先、道を知らぬ者 通るべからず。さもなくば、屍となろう』
「……ここ、本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫。あたしは道を知ってるからね」
コッチネラが、タオルサイズの布をメグルに手渡す。
「これで目隠しして。部外者に道順を覚えられると、面倒だから」
メグルは言われるままに目隠しを着ける。
その手を、コッチネラが左手でしっかりと掴み、静かに歩き始めた。
***
およそ二十分後。
「もういいよ」とコッチネラに促され、メグルが目隠しを外す。
視界に現れたのは、盃のような岩山と、その頂から顔を出す朝日だった。
「……この位置からだと、太陽と山がちょうど重なるんですね。皿の上に太陽が乗っかってるみたいです」
「でしょ?」
コッチネラが満足げに答える。
「でも、なんでこんな絶景スポットが立ち入り禁止なんですか?」
「この風景はね、ブラッド・ロータスの魔法使いたちにとっての“切り札”なんだよ」
「切り札?」
「ここは、《トーモス・シン・アニマ》って固有魔法に対応する風景。
つまり、この風景を知っている人しか、その魔法を使えないってわけ」
「なるほど……」
コッチネラが両手で、ボールを包み込むような《印》を作る。
「《トーモス・シン・アニマ》」
目の前に、炎の虎が姿を現す。サイズは柴犬ほど。
「これが、ゴーレムを倒したあの魔法……でも、ずいぶん小さいですね」
「最低限の魔力しか込めてないから。……さ、アンタもやってみな」
メグルも同じ《印》を作り、呪文を唱える。
「《トーモス・シン・アニマ》!」
出てきたのは、鶏冠のある炎の鳥。
「……なんの鳥だろ、これ。鶏? いや、キジか。色がオレンジだったからわかりづらかった」
「せいぜい、大事にしなよ」
「……あ、そういえば。けっこう日が昇りましたね」
「やばっ、戻らないと! 帰りは目隠しなしでいいって!」
二人は来た道を急いで戻っていった。
***
立ち入り禁止の扉前に戻り、メグルとコッチネラは息を整える。
「秘密の道順だけど、さすがに一回通っただけじゃ覚えられないよな?」
コッチネラが訊ねる。
メグルは目を閉じ、脳内にルートを思い描く。
「……たぶん、覚えちゃってます。なぜか道順とか風景の記憶力だけは高いんですよ」
「このバカ。道順はすぐに忘れろ」
「そんなこと言われても困りますよ」
「だったらせめて、“忘れたふり”をしな。
《固有魔法》の場所への行き方を知ってるってこと自体が危険なんだよ」
「わかりました。……二人だけの秘密ですね」
***
出発の日の朝。
居間にいるはずのコッチネラの姿が見えない。
「どこ行ったんでしょうね。今日でお別れなのに」
二人はしばらく待っていたが、現れる気配がない。
しかたなく玄関に向かうと、すでにそこには荷物を背負った人影が立っていた。
「遅いぞー」
コッチネラが手を振る。
「あれ、やっぱり一緒に来るんですか?」
「違うよ、この寂しがり屋め」
ニヤリと笑いながら、コッチネラは言う。
「とりあえず、ここを離れることにした。
麓の村までは同じ道を通るから、一緒に行こう」
三人は、ブラッド・ロータスの拠点を後にした。
「じゃあね、みんな。しばらく留守にする」
コッチネラがそうつぶやいた。
***
村へと向かう道中、コッチネラがぽつりと語り始めた。
「知りたいことがいっぱいあるし、行きたい場所だって、まだまだある。
あの建物はね、どうにも私一人には広すぎるんだ」
そして、話はどんどん広がっていった。
子供時代の話。
旅の支度の話。
昔の仲間たちの話――
その声は、次第に朝の光に溶けていった。




