幼馴染が「大好き」とウソをつくので「私も」とウソを返した結果
エイプリルフールネタを書こうと思ったのですが4/1に間に合いませんでした。
来年まで寝かせるのもアレなので、1日遅れて投降致します。
こちらは過去作の「くっころ」と「どっせい」の軽いスピンオフになりますが、どちらも読まなくてもお話は成立しているはずです。
ポーラ・チェッカーは貴族令嬢としてはかなり異質である。
まあ、そもそも貴族令嬢と言っていいのか、立場はかなり微妙だ。
父は元平民だったが非常に優秀で、最初はとある有力貴族の持つ商会の下働きとして勤めだした。あまりにも優秀でぐんぐん出世し、なおかつ当時の商会の責任者と違って、会計をごまかして私腹を肥やすようなことをしない視野の広さと誠実さとを持ち合わせていた。
それで、商会の新たな責任者となった暁に、貴族相手の商売ができるように一代限りの準男爵の爵位を(まあ上が色んな手を使ったらしいのだが)賜ったのである。
だからポーラ自身が望めば社交界の端っこに存在することはできたかもしれない。が、彼女は美しいドレスや可憐な花、煌びやかな宝石や甘い菓子、女の子同士の他愛ないお喋りや、はたまた見目麗しき男性などには全く興味を示さなかった。
彼女が望むもの……それは全知全能の神に一歩でも近づくこと。それも全能ではなく全知の方にのみ興味と関心を注いでいる。
大袈裟な表現ではあるが、大袈裟にもなるほどポーラの知識欲はとどまるところを知らなかった。
彼女が幼いころは「あれなあに?」「これはどうするの?」という無邪気な質問に微笑ましく答えてくれた周りの大人たちは、ポーラが成長するにつれて「あれとこれにつながりがあると思うのだけど」と質問内容が細かく複雑なものに変化していくと、ウンザリしておざなりに対応するようになった。
しかし彼女にはその理由も気持ちも理解できない。
「だって知りたいんだもの。みんなそうじゃないの?」
変わらず無邪気に首を傾げるポーラは、おそらく父親の地頭の良さや驚異的な記憶力を引き継いではいたが、残念ながら彼の社交性はほぼ受け継がなかったのであろう。相手の顔色を見ながら立ち回ることはあまり得意でなかったのだ。
そんな様子だから当然、同年代の少年少女とは話も合わない。ただ一人を除いて知りたがりの彼女に積極的にかかわろうとする者はいなかったのである。
故に彼女は生きた人間から知識を引き出すことを諦め、代わりに紙に書かれた、あるいは印字された文字列による世界……つまり本を読み漁ることに浸った。
父の商会で仕入れた本を片っ端から読んでいたが、そのうちに読むだけではなく文章を諳じることや本の内容をまとめてレポートにすることまで始めだした。ポーラの父がそれに目をつけ、商会で売る本に彼女の書いた短いあらすじや解説を付けたところ、本の売上げが格段に上がったくらいである。
そんなポーラはやがて成人を迎えると社交界デビューはせずに、なんとそのまま王宮の門をくぐり抜けて図書室勤めとなる。この国では公爵夫人が貴族令嬢でありながら職業婦人だったという事もあり、女官以外の仕事をする女性も僅かながら現れ始めていたのも彼女に有利に働いたのだろう。
今やポーラは宮殿図書室唯一の女性司書であり、「本が主食」と言われるほどに(まあそれは揶揄もあるのだろうが)認知されるまでとなった。
毎日大量の本に囲まれる仕事、それはまさにポーラの天職。このままずっと本や文字とともに生きる人生を送るだろうとポーラ自身も周りも思っていたのだ。
「ウソの日って知っているか」
ある春の日の昼休み。
いつものように本しか見つめていないポーラの横顔に向けて、ジェイムズが語りかけてきた。これまたいつもの事だが、彼女は本から目を離さずに答える。
「ああ、遠い異国の風習?」
「そうだが、詳しくは知らないのか」
ここで初めて彼女は本から目を離し、幼馴染の男を緑の目でじっと見つめた。彼は挑発的な微笑を口元に浮かべている。
「知ってるわよ。わざわざ言うからには今日のことでしょう。種蒔きや芽吹きの春ではなく、寒さの厳しい冬を一月一日と決めた王に反発して、農民たちが四月一日を『一月一日だ』とウソをついたのよね」
「その通りだが、それだけか?」
彼の微笑が深まり、ニヤニヤとしたものに変わった。と同時に、ポーラの目尻がわずかに吊り上がる。前述した『一人を除いて彼女に積極的にかかわろうとする同年代の少年少女はいない』という、その一人こそがジェイムズだ。彼は少年時代からやたらとポーラに張り合い、知識量や知恵比べを躍起になって彼女に仕掛けていたのである。
「もっと詳しくは自分で読んだら? 手前から三番目の雑学の棚、上から2段目に参考になる異国の解説書があるから……」
「いやいや、きっとその本には載っていないさ。俺が知ってるのはその異国の風習が歴史を経て、最近は変わっているってことだからなぁ」
ジェイムズは「知ってる」に殊更に意を込めた。まあつまり、この分野に関する知識量で己がポーラを上回ったという勝利宣言である。彼が彼女に勝つのは滅多にない事でもあり、ニヤニヤ笑いが止まらないようだ。
対するポーラはというと、悔しさのあまりギロリと彼を見上げていたのだが、数秒するとフッと険しい目つきが緩んだ。結局ポーラは負けの悔しさよりも知識欲を満たす方を優先させたわけだ。実に彼女らしい選択と言える。
「……私の負けね。そんな文献は確かに記憶にないもの。教えて頂戴」
「今は彼の国では勿論、周辺国でも『ウソをついてもいい日』になっているらしい」
「ウソをついてもいい日ですって?」
「勿論、騙して金品を巻き上げたり、相手を傷つけたりするのはダメだ。あくまでもジョークで済むかわいいウソだな」
「へえ……面白いわね」
「ああ、気楽なウソを一日限定で大っぴらに楽しむというのは中々楽しいぞ。この国でもその内流行りそうだ」
ジェイムズは伯爵家令息でもあるが実は彼も王宮勤めだ。宰相閣下の下で文官として、主に外交関係の情報を集める仕事をしている。きっと今の話も仕事上で集めてきた生身の情報なのだろう。彼は見た目も悪くないしポーラと違って人当りも良いので仕事は順調らしい。
「ところで……俺はお前が大好きだ」
彼はまたニヤっと微笑しながら、いかにも裏に意図があるような言い方をした。ポーラはそれにピンとくる。
(なるほどね。確かに楽しいかもしれないわ)
彼女は彼のウソに自分も乗ることにした。
「あらそう、ありがとう。私も貴方が大好きよ、ジェイムズ」
にっこりと笑顔で返すと、彼のニヤニヤ笑いが一層濃くなる。
「へえ……それは本当か?」
「勿論、本当よ」
「そうか、じゃあ今から俺たちは恋人同士ってことで」
「えっ!?」
「何か問題でも?」
ジェイムズの突拍子もない提案に戸惑うポーラだったが、考えてみれば別に誰に迷惑をかけるウソでもないし、これを大っぴらに周りに触れ回らなければいいのだ。自分は一生本に埋もれて独身だろうし、ジェイムズにも今は婚約者は居ないはずだ。彼の将来の縁談に問題が起きないように気を付けて秘密のごっこ遊びを一日限定でする程度ならいいだろうと思った。
それに、ちょっと子供のころに戻ったようで楽しい気持ちに胸が躍ったのもあるし、他の思惑もある。以前から彼女が抱えていた悩みを少しは解消できるかもしれない。
「……いえ、別に?」
「そうか。じゃあ昼ご飯を一緒に食べに行こう」
「今から? 時間が足り……」
もともと「本が主食」のポーラは昼も食べずに読書に没頭する事が多々あるので、昼休みの残り時間が気になった。その言葉を言い終えないうちに、ジェイムズはポーラの側からさっさと図書室内を横切り、彼女の上司のところへ行く。
「バクスター様、『ウソの日』を御存知でしょう? 異国ではその風習が変わり、今では今日だけウソをついてもいい日となっているんですよ」
「ほう? それで?」
「僕はポーラに告白しました。彼女も応えてくれたので、今日は恋人同士として昼食を摂りに今から行きたいのですが」
老年の図書室長は目の周りに多くのシワを作り、白い髭に埋もれた口を開け、カラカラと笑った。
「ほうほう、そりゃあ面白い! チェッカー君、今日はゆっくり昼休憩を取りたまえ。何時に戻ってきてもいいからね」
「室長!?」
「君、良い機会じゃないか。先日の恋愛小説についての考察を深めるきっかけにもなるだろう?」
「うっ……!」
図星を突かれたポーラはそれ以上反論できず、ニコニコ顔の上司に見送られてジェイムズと共に図書室を出たのであった。
「さてどこに行こうか? 城内の食堂でもいいが、折角だから城下のレストランかカフェでも行かないか?」
ポーラに知識勝負で勝ったのみならず、「叡智の権化」とも呼ばれるバクスター室長が賛同をしてくれたのがよほど嬉しかったのか、ジェイムズのニヤニヤ笑いはいっそうひどくなっている。ひどすぎて、もう悪巧みをしている顔にしか見えない。
(これは流石に外交官としてはまずいのでは?)
いくら自分が愛想も色気もない女でも、女は女である。女連れでこんな顔をしているところを城内の人間に見せては、彼の立場上良くないのではないだろうか……とポーラは咄嗟に考え、彼と距離を取って先にずんずんと歩きだした。
「外に行きましょう。良いお店を知ってるわ!」
◆
「……」
ポーラの言っていた「良いお店」とは、仕事終わりに友人と酒や食事を楽しむ行きつけの店だったのだが。
固く閉ざされた店の扉を前に彼女は呆然と立ち尽くす。普段は昼食をサボりがちなポーラは、そこが夕方からの営業だと知らなかった。
「……っ、予定変更して【飛び跳ねる小鹿亭】に行きましょう!」
彼女は自分の給料で行ける中ではかなり上位クラスの店を提案した。ここで不味い店に連れていくのはニヤニヤ笑いのジェイムズに更なる弱味を見せるようでなんだか悔しかったのだ。……だが。
「【飛び跳ねる小鹿亭】? いや、無理だろ。あそこは予約必須だよ」
「えっ、夜は確かにそうだけれど、昼でも?」
「むしろ昼の方が安いから大人気で予約が取れないって聞いたぜ」
「そんな……」
ここでもジェイムズの生身の情報に負けてしまったポーラは、塩をかけられた青菜のごとくしなしなになった。この様子を見れば、いつものキリリとした女性司書と同一人物だと気づけない人もいるかもしれない。
「大丈夫。ここなら近くにオススメがあるから」
そう言ったジェイムズに連れられて入ったカフェは、軽食しか出さなかったが確かに食事は美味だった。ポーラは表情こそ変えないものの、内心ではこの店にまた絶対来ようと思ったくらいだ。
「いや、これで満足しちゃダメだ。デザートが来るからね」
幼馴染みだからなのか、ポーラの内心を読み取ったジェイムズはそう言った。そして彼の言う通りデザートに出てきた焼き菓子は最高だったのだ。ひとくち食べた瞬間、彼女の顔がぱあっと明るくなる。
「……これ、お酒をしみこませているのね?」
「ふふっ、ポーラは酒が好きだから気に入ると思ってたんだよ」
「あら、私がお酒好きだって教えたかしら? でもその通りよ。すっごく美味しい!」
アルコールをとばしていない酒の風味が香る大人の味のケーキは非常に彼女の好みで、食後のお茶とともにそれをゆったりとポーラは満喫する。と、突然ジェイムズが切り出した。
「で、さっきバクスター様が言ってた恋愛小説についての考察ってなんのことだ?」
「!?」
突然、触れられたくない話を引っ張り出されて紅茶をむせそうになるポーラ。しばらくハンカチで口を押さえていたが、落ち着くとまたキリリとした表情を取り戻した。
「大したことじゃないわよ」
「大したことじゃなくても知りたいなあ。俺たちは恋人同士だろ?」
「……」
再びニヤニヤ笑いが復活したジェイムズを一瞬睨みつけたものの、ポーラはすぐに切り替えた。バクスター室長に話した時と同じように言えばいい。不都合な部分は除いて……と考えて。
「実はね、最近私、本を読むだけじゃなくて少し書いてもいるの」
「それって今までやってた蔵書の目録や、難しい歴史資料のレポートをまとめてるのとは別ってことかな?」
「ええ、仕事とは別。休みの日に大衆向けの物語を書いているのよ。最初は見よう見まねで書いてみたんだけど意外と楽しくて」
「ふうん……つまり、趣味で自費出版でもしているのかい?」
ドキリ、とポーラの胸が跳ねた気がした。実はポーラは以前、酒の勢いも手伝って親友の女騎士と冗談半分で少々いかがわしい小説を一冊だけ作った事があるのだ。父の商会の伝手で職人に綺麗な装丁にしてもらい、まるで売り物のような出来栄えだった。
それをもう一人の親友、ユリアの恋の後押しになれば……と彼女を好いているが一向にアプローチをしない男に渡し、なんやかんやでユリア達は結ばれたのである。作戦は大成功と言えたが、ポーラは後々それについて考えるようになった。
つまり、自分はありとあらゆる恋愛小説や、いかがわしい小説に至るまでいろんな本を読み漁ってきた結果……実経験がないくせに、やたらとその方面の知識だけはある耳年増になってしまったという事に軽いコンプレックスを抱くようになってしまったのだ。
だがそんな悩みを親友の二人にも言えるわけがない。悩んだ末に彼女は上司に薄い本の存在は伏せたまま、恋愛未経験で恋愛小説を書くのはいかがなものかと相談したのである。
ポーラは薄い本の存在をジェイムズに知られたのではとヒヤヒヤしながらも、表向きは努めて冷静に答える。
「いいえ、違うの。ちゃんとした自信作ができたら、父に見せて売り物になるか相談するつもりなの。でも今はまだ納得がいくものが書けなくて」
「納得がいかない?」
「恋愛の経験がないから、恋愛小説を上手く書けている気がしないのよ。誰よりも沢山恋愛小説を読んでいる自負はあるのだけれど」
ジェイムズは少し考え込んでからニヤっと笑った。
「……ははあ、なるほど? 通りで今日はずいぶん素直だと思った。俺と恋人気分を味わって、小説に活かそうって考えだったんだな」
「そうよ。どうせ一日だけの恋人ごっこ遊びなんだからいいでしょ?」
ポーラはじろりとジェイムズを見ながら言った。どうせこの幼馴染みは、またニヤニヤしながら恋愛経験のない自分をからかってくるのだろうと思いながら。だが彼女の目に入ってきた彼の姿は想像と違った。
「ま、そういう事なら協力してやろう」
彼は自分の皿のケーキをフォークで一口ぶんすくいとると、テーブルの向かいにいるポーラへ差し出したのだ。
「ほら、あーん」
「あ……!?」
「なに驚いてるんだよ」
「そっちこそ何してるのよ!?」
「え、小説では恋人同士ならこういうのやるもんじゃないのか?」
ある。甘々な恋愛小説ならばっちりそういうシーンはある。だがポーラはそれを読んだ時に顔を赤らめながら「こんなのは非現実的だわ」と考えていたシーンでもあった。
未婚の男女が同じフォークで食べ物を食べさせあうなど、かつて本で読んだ動物の求愛行動とほぼ同じではないか。それはもうキスをするのと同じくらいの親密度だし、非現実的だからこそ小説になるのだと思ったのだ。
「ほら、早く」
躊躇うポーラをジェイムズが急かす。彼女は覚悟を決めてぎゅっと目をつぶった。だが彼はやっぱり意地悪だ。
「こら、目をつぶったら危ないだろ。ちゃんと食べろよ」
「え……」
(ウソでしょ!? 目をつぶって食べるのも許されないなんて!)
頬に血が上る感覚を覚えながら、ポーラは仕方なく目を開け、ジェイムズの差し出したフォークに向かっておそるおそる口を開ける。フォークが彼女の口に運ばれたのを確認して口を閉じると、彼はフォークを引き抜いた。唇に冷たいフォークの感触と、舌にケーキの甘さ、鼻腔に酒の香りを同時に感じる。が、そんなことよりも自分の心臓の鼓動がドクンドクンと主張が激しい。ポーラはあまりにも鼓動がうるさすぎてジェイムズに聞こえてしまうのではないかと心配になった。
「どう? こっちのはチョコレート風味なんだけど」
「おおおお、オイシイワっ!」
「……ふっ」
ジェイムズは軽く噴き出すと、笑顔で言った。
「いいね。反応がすごく可愛い」
「かわ……!? ちょっと、冗談はやめてよ!」
「冗談なものか、俺たちは恋人なんだから。それより、お前が大声を出すから周りが見てるぞ」
「!」
ジェイムズに言われて初めてポーラはハッとして周りを見渡す。ここはカフェで、レストランと違って個室もなければ客席のテーブルの間も近い。給仕係はにこやかに二人を見守っているし、近くの席にいた若い女性の二人連れが頬を染めてこちらをチラチラとうかがっている。
ジェイムズは性格こそ意地悪なところがあるが、見た目は悪くない……というか、結構整っている方ではないだろうか。ポーラにはよくわからないが、もしかしたらモテる部類かもしれない。そんな彼に「あーん」をして貰った姿を周りに見せつけてしまったのだ。
「で、出ましょう!」
ポーラはまた赤くなって席を立った。
◆
辻馬車を拾ったのは失敗だった。
赤い顔のままジェイムズの横を歩くのもはばかられたし、そろそろ昼休みから職務に戻らなくてはと急いでいた点については判断は誤っていない。しかし辻馬車に乗る際にジェイムズはポーラに手を貸して先に乗らせ、あとから自分が乗り込む時にはポーラの向かいではなく、同じ座席の隣に座ったのだ。
「!? ちょ、ちょっと、向こうに座りなさいよ」
「いいだろ。俺たちは恋人同士なんだから」
「またそれ!?」
「本当は俺の膝に乗せても良かったんだが。まあ最初だからな」
「なに馬鹿な事言ってるの!」
「でも小説の参考にしたいんだろ?」
「う……」
反論に詰まった瞬間、彼の左手がするりとポーラの腰に巻きつく。ぐいと引き寄せられ、ぴったりと二人の身体が密着した。右手はいつのまにか彼女の右手に絡められている。密着したことにより、彼の香りがふわりとポーラの鼻先をくすぐった。
それは知らない大人の男性の香りだった。いつだったか小さいころ、二人で同じ本の取り合いをして結局身を寄せ合い一緒に読んだことがある。その時にジェイムズから漂っていいたのはお日様のような柔らかい香りだった。
今は違う。そのはっきりとした違いになぜか胸が高鳴る。心臓の動悸をジェイムズに気づかれたくなくて、ポーラはわざと憎まれ口をたたいた。
「こ、こんなはしたない事、いつもほかの女の子にしてるの? ずいぶん手慣れているみたいだけど」
「……」
彼の眉間が一瞬だけ深く皴を刻む。だがすぐにそれは消え失せ、余裕の笑みが浮かんだ。
「ポーラ、嫉妬してるのか? 可愛いな」
「嫉妬なんか……!」
ポーラはカッとなって彼から距離を取ろうとしたが、彼は意外と力が強くて腕の中から逃げられない。と、ジェイムズがポーラに顔を寄せる。鼻先がぎりぎりでちょんと触れ合い、ポーラは真っ赤になって震えながらぎゅっと目をつぶった。
(し、心臓が爆発しそう……!!)
「ほかの女の子なんていないよ。俺、優秀だけどこれでも結構忙しいんだぜ。そんな暇ないからな?」
ジェイムズの言葉に、ポーラは一も二もなく首を縦に振った。
「信じてくれる? 俺にはお前だけだって」
彼女は目をつぶったまま、ぶんぶんと首を縦に振る。
「そ、じゃあ許してあげる」
彼は耳元でそう囁くと、彼女を拘束していた左腕を解いた。ポーラは目を開けるとずりずりと座席の端に身を寄せ、彼と少しでも距離を取り、ふーっと息を吐く。心臓の動悸と全身の汗はまだ完全に引いていない。
「どう? 小説の参考になった?」
そう言ったジェイムズの顔には再びニヤニヤ笑いが復活していた。ちょうどそこで馬車は止まり、王宮の裏手門前に到着している。
「なった……なったけど、なんなの!? ジェイムズ貴方、おかしいわよ! いつもと違いすぎるもの!!」
まだ顔を赤らめたまま、必死に言い募るポーラに対してジェイムズは随分と軽いノリで馬車から降りながら言う。
「そりゃあ、いつもとは違うな。恋人だけに見せる顔ってやつさ」
ポーラも彼に手を貸してもらい馬車を降り、裏手門をくぐり職場に向かうが、一緒に歩きながらも彼を糾弾する気持ちは止まらなかった。ジェイムズが一日だけの恋人ごっこの相手にキス寸前までの行為をしたのが嫌だった。もし相手がポーラじゃなくてもこんな事をしたのだろうかという疑念が彼女のなかにあったから。
「またそれ? いくらなんでもごっこ遊びにしては度が過ぎてるわ!! はしたないったら!」
「どっちがはしたないんだか……あんな本を書いたりして」
「え!?」
「俺なんかそれを知った時、嫉妬で頭がおかしくなりそうだったけどね。まったく。いくらあらゆる知識を手に入れたがる知りたがりのポーラだからって、まさか未経験でいかがわしい本を書けるほどその分野を読み込んでるとは思わなかったからさ」
ポーラの赤かった頬から一気に血の気が失せる。まさかジェイムズに、薄い本の事を知られているなんて。
「な、な、なんでそのことを……」
「君の二人の親友は第二近衛隊を務める女騎士だろ? 親友の結婚パーティーで馴れ初めを語るついでに自分が本を書いた事をうっかり喋ったそうじゃないか」
「え!?」
今度は背中に冷や汗をダラダラとかきながらポーラは必死に思い出そうとした。そういえば【飛び跳ねる小鹿亭】を貸し切ったパーティーでそんなことを言った気もしないでもないが……なにせあの時はユリアの夫が高級ワイン飲み放題をふるまってくれて、ワイン瓶を大量に空けたのでちょっと記憶があやふやである。
「本でばかり知識を仕入れている頭でっかちだから知らないだろ。彼女たちの上司のセーブルズ副隊長はな、俺の上司のキューテックさんと親友なんだよ」
「……!!」
緑の目をこれでもかというくらい大きく丸くして呆然と固まっているポーラを軽く抱きしめると、ジェイムズはそのつむじにチュッと軽くキスをした。白昼堂々。多くの人の目のある城内。彼女の職場である図書室の入り口前で。周りからざわりと声が上がる。
「じゃあな、俺の愛しい恋人さん。また後で迎えに来るから。夕飯も一緒に食べようぜ」
喧噪の中、飄々と去っていくジェイムズの背中が見えなくなると、ようやくポーラの硬直が解けた。そのままよろよろと図書室に入る。
「お帰り、チェッカー君。昼休みは満喫できたかね?」
「……弱みを、握られました。私はもう一生彼の奴隷です……」
「はあ?」
バクスター室長はポカンとしたあと、今にも膝を折って倒れこみそうなポーラを心配しつつ、いまだ続く外の騒ぎが何か確認してきてくれと他の司書に指示を出す。
やがて戻ってきた男性司書が苦笑いをしながら「どうやら『本が主食の図書室の妖精を遂に捕まえた男が現れた』という話が飛び交っているようです」と報告すると、老室長は朗らかに言った。
「なるほど。チェッカー君、君の弱みが何かは詮索しないが、多分君が恐れていることにはならないと思うよ」
「……何故そう言えるのでしょうか。根拠もデータもないでしょう?」
「データはないけど根拠はあるねぇ」
当然だが「叡智の権化」と呼ばれている宮殿図書室室長は、ポーラとは違って本だけではなく人も良く見ているのである。その彼が言うのだから間違いはないだろう。
「君の幼馴染みは『今日はウソをついてもいい日』だと言ったね。だからウソをつかなくてもいい日でもあるのだよ」
お酒をしみこませたケーキと言えば、サバランやブランデーケーキがメジャーですが、今年の冬に新潟県の越後湯沢駅で購入した日本酒ケーキの「玉風味」がとても美味しくて、それを思い出しながら書きました。日本酒と甘いものがお好きな方ならおすすめです♪
ポーラがどんな薄い本を作ったのかが知りたい方は、過去作をどうぞ!
「女騎士です。同僚の男性が「くっころ」物が好きらしいと知り、からかったら逆にわからせられてしまいました。」
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もうひとつの過去作「どっせい」は、ほとんどかかわりはありません。
ただ、舞台は同じでこのお話の4~5年位前の話です。もしよろしければ♪
「美貌の宰相様が探し求める女性は元気いっぱいの野太い声の持ち主らしい……それ私かもしれない」
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