知らぬが仏③
私たちを乗せた新幹線は函館へと向かっていた。
私は車内販売の駅弁を買って婆さんに手渡した。
「ほら…婆さん、弁当だ…これでも食いやがれ!」
「ああ…すまないですね」
婆さんは旅行気分なのか、さっきから機嫌がいい。
ホームに着いてから笑顔が絶えなかった。
でも私はさっきから婆さんのことばかり考えている。
いったい婆さんは何者なんだろう?
どうして札幌に行こうとしてるのか?
過去に札幌で暮らしたことがあるのだろうか?
今はどんな暮らしをしてるのか?
身寄りはいるのだろうか?
考えるだけきりがなく、疑問ばかりが浮かんでいた。
その質問のほとんどを婆さんはまともに答えてくれないだろう。
「婆さん、旨いか? もっと食いやがれ!」
私はもどかしさを感じながら、美味しそうに弁当を食べる婆さんにある感情を抱いていた。
「はいはい…わかりましたよ…でも、そんなに焦って食べさせなくても…」
「べらんめえ! こちとら江戸っ子なんだよ!」
「あはははは…」
婆さんは私の忙しない様子が可笑しかったのか、楽しそうに笑った。
その時の婆さんにはボケた様子なんて感じられなかった。
「以前もこんなことがありましたね」
その言葉はやはり私を誰かと勘違いしてる。
「ほら、選んでくれた弁当を美味しいから食べろ、食べろって…」
私は婆さんを沈黙で見つめることしかできなかった。
「あの時は、お互いにまだ10代でした…懐かしいですね」
私はまだ10代だけど、無粋な突っ込みは入れなかった。
青春時代を懐かしんでるのだろうか?
まだ何もかもが輝いて見えたのだろう。
余韻に浸る婆さんに、私はどう答えたらいいのかわからなかった。
「あれ⁈ 桐島のお婆ちゃん⁈」
通路を歩く20代くらいの女性が、婆さんを見た途端に立ち止まった。
幸薄そうな感じの女性は、見た目も質素で地味な服装をしていた。
「はて…?」
婆さんはその女性を「誰だろう」といった感じで、きょとんとしている。
「お前、誰だよ」
私はいつものように女性に向かって凄んで見せた。
「お、お孫さん…?」
私の迫力に押されてか、女性はたじろいでいた。
「孫じゃねえよ! シバくぞ、この野郎」
調子に乗った私はさらに追い打ちをかけた。
「ど、どちら様ですか…?」
「お前こそ誰だよ⁈」
「私は老人ホーム春風の介護職員で、南です…」
南は私の迫力にしどろもどろだったけど、自分の役割を全うしようと何とか頑張っていた。
怯んではいるが後には引かず、私に食い下がる。
「桐島のお婆ちゃんを施設から連れ出したんですか⁈」
「連れ出してねえよ! 何で介護職員のアンタがここにいるんだよ? 婆さんを探しに来たのか?」
「私は偶々、休暇をもらって旅行に…」
「そしたら施設にいるはずの婆さんが電車に乗ってて驚いたと…」
「じゃあ、何で桐島のお婆ちゃんがここに? これ、函館まで行きますよね⁈」
南の話から察するに、どうやら婆さんは老人ホームから抜け出してきたらしい。
「おい、南! 婆さんの実家は札幌か?」
「よ、呼び捨て…⁈ ち、違いますよ…」
じゃあ、「家に帰る」ってのは何なんだろう?
遥か昔に暮らしていたとしても、「家に帰る」とは言わないだろう。
「家族はどこにいるんだよ⁈」
「家族はいませんよ…旦那さんがお亡くなりになって、身寄りがないはずです」
嫌な話を聞いてしまった。
婆さんは家族もおらず、老人ホームで孤独に過ごしていた。
ホームでの生活はわからないけど、抜け出してきたんだ。
決して楽しいものじゃなかったんじゃないだろうか。
「南、婆さんのことを詳しく教えてくれ!」
「は、はい…っていうか、アンタ本当に誰なんですか⁈」