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00.01-

活動十周年記念作品として執筆したものです。


とある男の十年を淡々とつづる作品です。

鬱々とした雰囲気の物語となりますが、最後までお付き合いいただけましたら幸いです。

その扉はどこまでも広がる世界の入り口である。


子供というハコの中でなに不自由なく、それはそれは大切に育てられてきた少年は、まさに今、ハコの外の世界へ向かおうとしている。


別に大それた夢や目標があるわけじゃない。

大それた事を成し遂げようとか、大金を稼いでやろうとか、そんな野望も無い。


ただ周りの大人と同じように、普通に働いて、食べて、寝て、時々、好きなことにうつつを抜かしながら、歳を重ねていくのだろうと思っている。


恐る恐るドアノブに手を掛ける。

冷たい感触がその重みを教えてくれる。


これからどんな世界が待っているのか。

期待と不安で……などというテンプレートな感情はなく、これからやってくる未知の世界に少しだけ怖く感じながらも、自分なりに歩みだそうとしている。


ドアを開くと、冷たい風が吹き込んでくる。

やけに重く感じられる扉を力一杯開くと、どこまでも真っ白で何も無い空間が広がっていた。



その扉をくぐれば、後戻りはできない。

たとえ、そこに何も無かったとしても、決められた場所には必ずたどり着く。


ただ、行き着く先がどこなのかは、まだ誰も知らない―――





着なれないスーツと履きなれない靴で着飾った自分はまだ違和感があった。

まっさらな衣装で赴く先は…。


通い慣れた学校の廊下、近くの教室では普通に授業が行われていて、がやがやと色んな音が響く。

緊張は無かったけれど、不安は隠せないほどあった。


順番が来て呼ばれる。


ノブを下げ、ドアを開く。

教室というには少し手狭な部屋。

その真ん中には、生徒が使う机が一台と椅子が二脚。

ただそれだけが置かれていた。


椅子のひとつに先生が座っている。

その先生に向けて、室外の雑音に掻き消されそうな声で話し始める。


これは単なる練習なのだ。

用意した台詞をその通りに喋ればいい。その他には何もいらない。


でも、台本どおりには振る舞えなかった。

悔しさか、情けなさか。頬を伝った涙がすべての始まりだったと思う。

何度かやって、ようやくオッケーを貰えた振る舞いも、理想とはほど遠くて。


世の中の慣例に抵抗があった。

大人になるための通過儀礼みたいなものだと先生は言った。


後先考えず、風のように通り抜ける一瞬をただひたむきに生きてきた人々に課せられる壁。

でも、それを越えないと大人にはなれない。


横一線で並んでいたはず誰かは、すぐに二歩、三歩先を行く。

その背中は次第に遠ざかるように離れて行く。

まるで壁など無いように。



アピールできるものは最大限生かし、ちょっとだけ脚色し誇大する。

逆に欠点や短所はねじ曲げてポジティブなものにする。


書類は飾っても、自分は飾らず。

浮かず、悪目立ちせず。

好印象を心がける。


そう何度も言い聞かせるが、()()は出るもので。

練習すら満足にいかない中、ぶっつけで本番に臨むのだから無理もない。


右も左もわからないような場所。

嗅いだことのない匂いや聞いたことのない音がする中を、案内されるまま進むと椅子が並んでいた。


その一角だけ静まり返っている。


自然と声を潜めたくなるような空間に響いた声を合図にして扉は開いた。

その向こうには、さらに張りつめた空間があった。


まるで少しずつ違う間違い探しの絵をたくさん並べたように、誰もが横一線に並び立った。


どこもこんな感じなのだろうと思う。

そう頭では考えられるのに上手に振る舞うことができなかった。



その日初めて会う、顔も名前も知らないような、年齢の離れた人たちが自分の前に並んでいる。

その人たちに、自分とは何者かを語り聞かせ、振り向かせなければならない。


用意したシナリオはある。

先生から及第点を貰った履歴書の文を元にしたものだ。

きっと自分のことを伝えられるだろう。


しかし、いざその時になると言葉が意図したとおりに出てこない。

自分の記憶力のせいでもある。でも、どうも慣れない環境に出鼻を挫かれる。


しどろもどろでも、かいつまんで伝えるが、例えるなら、自信も覇気も無い街頭演説だ。

通りすがりの民衆はおろか、演説に集まる熱心な支持者にも響かないだろう。


自己紹介を終わらせれば、後は質問に答えるだけなのだが。

終始、かすかに動く目線や手元が気になって仕方がなかった。


すべてが終わり、静かに閉じられたドアの外でなんとも言えない感情に苛まれた。


居合わせた十何人の学生も似たような顔だったと思う。


学歴、才能、経験、個性……

本当は様々な人間が集まっているはずなのに、横に並ぶ誰もがどれも似たり寄ったりに感じる。


でも、他人のそれらが妙に眩しく感じられて、自分は似たり寄ったりにもなれていないように感じる。


その予感は、その通り結果となって返ってくる。


繰り返されるお気持ちの表明。文面を覚えてしまいそうだ。

改めて、自分の出来の悪さに辟易へきえきする。



このためにこしらえた一張羅はみるみるハリや艶が失われていく。

ハードな活動に相応しい格好とはお世辞にも言えないが、それでも、()()()()だけはまともに。


そう思っていたけど、汗をかき、雨に降られ、埃も被る。

その度にシワやシミ、汚れが層のように重なっていく。


それがまるで自分の心を写しているかのようで。


周りの人たちは少しづつ吉報が届き出す。解放された人々は残りわずかな学生生活を謳歌しようとしていた。


まだ決まっていない人も大人びて見えたし、自分よりイキイキとして見えた。

隣の芝生を見ているだけなのだろう。それでも、僕はあんな風になれるんだろうかと本気で思うようになった。


媚を売ろうと歩き回るも、自分の至らなさが際立った。

最初は一つ一つ丁寧に臨んでいたが、次第に余裕が無くなっていって、惰性で同じことの繰り返すだけになっていった。


きっと、やりようはあるのだろう。打開策もあるはずだ。

そういうフリでも気にかけてくれる人も居る。孤立無援なんてことはない。

助け船なんていくらでも見つかる。


それでも、誰かに相談する気は起きなかった。そもそも何をどう訊けばいいかも分からなくて。


自分でさえどこに向かっているか分からぬまま、また時間だけを費やした。



そんな自分のことを周りの人たちはどう見ているだろう。

やる気がないと見ているかもしれないし、同情の目で見られているかもしれない。


でも、誰にも本当の自分を見せられなかった。

見せてしまったら、笑われてしまいそうで。たぶん、叱られもするだろう。

純粋にそうなることが怖かった。


暑さに悩まされた夏を抜け、秋めいてきた頃、ドアは開かれた。


まるで、行き場なくさまよう人の腕を掴み、どこかへと導こうとするように。


先生はこうなることを織り込み済みなのだろう。突然の提案に驚くが、二つ返事で答える。


試験や面接などを通り越し、お試しで働くことになった。












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