ローマニアの滅龍戦争
931年、継続戦争の嵐も過ぎ去り、平和な年が始まろうとしていた。しかし、それは夜駆ける夕焼けと共に欺瞞であると誰もが知る。焼き溶かす炎は凡そ30分のうちに大国の主要都市の5つを灰燼としたのである。
「そんでこいつを殺せってことか。」
ローマニア国籍を持つ者が魔術師なる場合、基本的に帝国魔術師協会に属することが必要である。帝国魔術師協会は協会員は協会からの研究援助資金を受けられ、また帝国魔術師法の帝国魔術師委員会法によってその身分を保障され、特権を得ることができる。しかし、その代償として有事の際、兵力として国家の招集に応じなければならない。
「帝国魔術師招集命令ですか。」
彼らはルードヴィッヒ邸の書斎にて、その招集書を読んでいた。
「報酬は金品やら宝石やら色々と、滅竜戦士勲章ね。」
「フォーマルアウトの名は伏せてるか、便宜上この龍を新種の竜竜として処理するわけか。」
火龍フォーマルアウト、その名は炎竜リンドルム=ロードと変えられている。
「ネクロ書を齧ったことがある魔術師なら、勲章の名前で色々察しちゃいそうですけどね。」
「ねぇ、ネクロ書を齧るってなによ。あれって読んだら発狂死するとか、そう言う代物じゃないの?」
ミーシャも魔術師であるが、彼女が魔術を学ぶ理由はあくまで目の前の人間のためだ。だからこそ絶対に関わることのないネクロ書のことなど知らないのである。
「ネクロ・ヴィーナスの狂死の魔術のトリガーは理解だよ。」
彼を除いて彼らの中にはあの炎の龍を火龍フォーマルアウトとする明確な根拠はどこにもない。なぜなら彼を除いて彼らはネクロ書を読み、理解しているわけではなく、火龍フォーマルアウトというネクロ書に登場する単語を知っているだけなのだから。
「あぁ、それなら納得だわ。でも、それはそうとして相手はあのネクロ書の怪物なんでしょう?倒せるの。」
「うん。おそらくだが、多分、帝国が思ってるより簡単に倒せると思う。」
「...なんで?」
新聞によればフォーマルアウトは凡そ30分のうちに大国の主要都市を5つ破壊し、世界で9番目に大きな湖を蒸発させた。星振が整っていないながらそれほどの力を有していたことは驚愕に値するが、しかし、それほどの力をもう振るってしまったのだ。だから、彼の身体はもう半分以上溶けているだろう。
「それは言えない。ネクロ書の内容に触れかねない。」
「じゃあ言わなくていいね。私は発狂死したくないもん。」
ネクロ書を読んだ死刑囚は糞尿を撒き散らしながら己の眼を抉り、壁に頭を打ちつけて叫びながら失血死したそうな。
しかし、狂死の魔術とはな。神代の魔術は心にさえ干渉ができたと言うが、ネクロ書が書かれたのは600年ほど昔、神代とはとても言えない時代だ。本当にネクロ・ヴィーナスは神代の魔術並みに高度な魔術を編み出したのだろうか?
「しかし...」
星振が整っていないにも関わらず、呼び出されてしまった龍は身体が溶けて死滅する。それはネクロ書を読み解かなくても、今までの龍を見ればわかるはずだ。なのに帝国は否が応でも自らの領土でこの龍を処分しようとしている。それはなぜだ?
理由、理由。不滅の心臓を求めている?しかしそれが無限にエネルギーを生み出し保管する器官であり、龍にとっての無用の長物であることを理解しているのなら、ネクロ書の効果で発狂死する。ネクロ書を読み解いたやつが居るのか?それとも、不滅の心臓の使い方を独自に編み出した?いや、それはないはず。不滅の心臓は抽象的な概念器官で精神、心そのものだがそれは人間のものと違って一元的な、動物性の性質を持たない、我々には理解不可能なものだ。それを理解できないものを理解して強制的に不滅の心臓を稼働させる。
「どうしたんです?」
「いや、なんだ。ネクロ書を読んだ馬鹿がいるかもってだけだ。」
「そんなまさか、ありえませんね。」
「帰ってきた捕虜は私でも眼を背けたくなるような容態でしたよ?凡そ人ができる表情では無かったし、終焉だとか簒奪だとかルーラーシフトだとか、そんな囈言を部屋の片隅で呟いていました。」
「その捕虜の名はイワン・カスタンフリスク将軍。あのルーシー連邦の大英雄が、そのようなざまにすらなるのです。」
「大英雄でも人は人だろ?」
「はい。ですが戦場に長く居る普通の人間とは一線を画します。日常的に死や絶望に触れてきたのですから。」
「そのような人間の、崇高な人格をすら破壊し、凌辱する。それがネクロ書と言うのならば、それを読み解かれることなど、あるはずが無い。」
「そんなに...いや、なんでも無い。」
そこまで心は、人格は、精神は特別か?俺の肺もお前の肺も、俺の腎臓もお前の腎臓、それらは多少の差異はあれど、遺伝子で決まった形を持って決まった働きをする。なら脳も、それによって生じる意識も、感情も、心も、それらだけを特緒的に捉えるのは合理的では無いだろう。
「そうですか。で、貴方としてはどうするんです?」
「俺としてはって...あぁ、学者優待か。サボるのもいいが、俺個人としては龍と言うもの観測してみたいという気持ちがある。」
「あぁ、それと。ユラは学者優待で休ませる。俺の権限であれば、適応されるはずだからな。」
精霊は精霊そのものでは物質に干渉できないが、聖性、つまり精霊の幼体は干渉できる。だから精霊使いは相手に精霊の幼体を植え付けて攻撃するのだ。しかし、それには弱点もある。基本的にその幼体は熱に弱いのだ。
「やーだよ。孤餓死虫禩屍芽振を呼べるのは私だけだからね。」
精霊王、蟲死のティターニア。俺はそれの降霊詠唱を彼女に覚えさせた。ティータニア、または孤餓死虫禩屍芽振。それは他の精霊とは違い、悪意を持たないし、意思も希薄だ。奴は赤子なのだ。故に、その赤子はそこに存在する全てに卵を植え付け、蟲死させる。地獄は言葉で簡単に創れるのだ。
「龍精霊は別だよ。」
「んー私はあんま変わらないと思うな。」
「いやそれはあり得ない。龍は法則を捻じ曲げて物理現象を歪曲させるがそれに比べて精霊はそのような不可思議的現象を引き起こせない。なぜならあいつらはニューロンとシナプスの性質を魔術的非ユークリッド振動数で魔素を振動させることによって引き起こしてるし、それはありとあらゆる物理的干渉を無視するがそらは精霊がというより魔素固有の暗黒物質的性質によるものだから、精霊というのは魔術的ユークリッド振動が織りなす計算機である意識という器官に訴え掛けて居るに過ぎない。しかし龍はそれらの器官を持つかどうかわからないしそもそも生物として多くの矛盾を...」
「言ったよね、心と肝臓は同列ってさ、昔に。」
彼女は彼の早口な発言に乱入して無理やり止めた。
「だから....いや、いいや。めんどくさくなった。」
「んじゃ私は付いてくよ、いいね。」
「あぁ、それでいいよ。」
「ミシャは?どうするの?ミシャも一応神学者ではあるから学者特権使えるだろうし。」
「ん、私はサボるよ。やりたいことがあるからね。」
ミーシャには俺が予め頼んでおいたことがある。
「じゃあ、決まりですね。おそらく総力戦になるでしょうから、くれぐれも怪我と、後ろには気を付けて。」
「不吉だな。部下に任せてふんぞり返るだけの男の言うセリフか。」
殺し合いになったら、ここに居る全員でアルバートを襲っても勝てないと思う。でも、これはそれと違う。
「本当は私も前線に出て部下にかっこつけたい所なのですけどね。生憎、私の体術で避けれない、防げない攻撃には私は弱いので。」
「さて、問題は貴方ですよ。パリス処刑人首領、龍を殺せますか?」
彼女は彼の前に跪いた。その姿はまるで主人と騎士だ。穢らわしい戦争屋のくせに。
「...処刑皇帝の名にかけて、必ずしや龍の第一頚椎を挫くことをお約束致します。」
「貴方と貴方の部隊の剣が龍の首を飛ばすことを期待していますよ。まぁ、龍にアトラスがあるかは知りませんけどね。」
フォーマルアウトにも第一頚椎はある。その第一頚椎の形にちなんでそれをアトラスと呼ぶわけだが、フォーマルアウトは全ての頚椎が第一頚椎と同じ形をしてる。まぁつまり全部アトラスなのだ。
頭を支える第一頚椎が、天の蒼穹を支えるアトラスを彷彿とさせる。ならこの場合、フォーマルアウトの頭を支えるアトラスは組体操をしていることになるのか?
くだらないな。
火炎焱燚、それはそう呼ぶに相応しい。それは龍というより、火の玉、いや、火だ。
プロメテウスのように火は可能性そのものであり、この南魚座のフォーマルアウトの龍にも適応できる。つまりそれは宇宙で4番目の生命体であるのだ。
そしてそれは初めて自らの形を獲得した生命でもある。
法則、時間、物質、生命。
それとは、生命の王である。
ネクロ書
題 我が手記
著 ネクロ・ヴィーナス