第一章 六『連携制圧』
「なんだよ、そっちから来たのか」
現場へは、先頭を進んでいた竹原とほぼ同時に到着した。私の顔を見るや否や、少々呆れ気味な様子を前面に浮かべる。素直に後ろをついて来なかったせいか、はたまた色町を通過してきたせいか。いずれにしても、部下たちより先に到着したことで上司としての面目は保たれた。
「うわぁ。凄い剣幕ね」
目の前の光景を視界に捉えた瑞城は今にも溜息を吐きそうだった。
商店が所狭しと建ち並ぶ繁華街。早朝から活気づくその場所は、今や悲鳴に溢れていた。丹精込めて作られた作物や魚が地面に転がり、踏まれ、砂とない交ぜになり、挙句の果てに店の壁は大胆に壊れている。
「一人じゃなさそうだな」
「そうだね」
性別も、年齢も、何人いるかも明かされてはいない。補佐官に聞こうにもこちらから連絡を取る手段はなかった。全て現場に丸投げなど今に始まったことではない。けれど、さすがに前情報は幾つか頂きたい。
「瑞城と他二人は市民の安全確保、残りは私とともに野良を拘束する」
「「「「「「了解!」」」」」」
少しでも早く解決する。それが、私たちに出来る唯一のことだ。
「百瀬」
「あぁ」
竹原の言葉に、私は残った三人の服やら腕やらを掴む。そうして息を全て吐き、吸い込むのと同時に片足を地面に叩きつけた。
「うわぁ‼」
その声よりも早く私たちは勢いをつけて浮かび上がり、一瞬にして町並みを一望できるようになる。未だ若い異師は下を見ることもままならないが、一刻も早くに慣れてもらう必要があった。百瀬組にいる以上、これからも幾度となく宙へと浮かび上がるのだから。
「あっちか?」
「あっちもですね」
他二人が目的地を確認し、私は町全体の状況を把握する。現在酷い混乱が生じている場所は全部で二箇所。野良が市民を追い回しているのか、避難等は完了していない。今もまさに視線上で民家が倒壊していく。
「お前らはあっち行け。俺らは危険な方行くからよ」
どちらもさして安全とは言えないが、より強力なのは民家の倒壊した辺りだろう。もしかすれば主犯格がいるのかもしれない。
「では、二人は安全な方へ」
私はそう口にしてから二人を目的地へと放る。すると二人は服をはためかせながら、風を切るように滑空していく。一人は悲鳴を上げながら。もう一人は気合を入れるように大声で咆えながら。その様子を見ていた竹原は「あいつ面白いな」とクスクス笑った。
「すぐ慣れるさ。お前だって、最初はあんなだっただろ」
「俺はもう少しマシだった!」
不服そうな表情はいつもの何てことない日常だ。
「そうだったか? もう随分前のことだからな。覚えてない」
私がそう言うと、彼は決まって「老化始まってんな」と小馬鹿にする。喧騒の届かない空の下では、まるで何も起こっていないような錯覚に陥ってしまう。私たちを必要としない世界がいつか来るのだろうか。毎日が平和で溢れる世が、一刻も早く来ればいい。
「行こう、俺たちも」
切り替えが早いのか、彼からは笑顔が消え失せている。緩やかに、それでいて着実に、私たちの身体は降下していく。それを知ってか知らずか竹原が右手を伸ばして宙を搔くと、身体が流れるように移動する。
私は宙に飛び上がることは出来ても前後左右に移動することは出来ない。他人を放れても自分を放ることは出来ない。少々不便に思うこの力も、彼がいれば幅が広がる。お互いを補い合えるのは、おそらく自信にも繋がっていることだろう。こいつがいれば大丈夫だと、どこか安心できる。
「おーおー、やってんねぇ」
事の状況を把握出来る距離に来ると、爆音と悲鳴と笑い声が同時に聞こえてくる。まさにこの世の終わりのような、そんな惨劇が目下に広がっていた。
「離すぞ」
私はそう言って、返事を待たずに彼を握る手を離した。彼の身体は重力に従って、速度を得ながら吸い込まれるように地面に着地する。その後に続き私も地に降り立った。目の前にはガタイの良い男たち。如何にも悪い奴らといった、そんな風貌だった。
「せめて返事してから離せよな!」
服の埃を払いながら立ち上がった竹原も、文句を言いつつ私と同じように正面を見据える。
「能力習得して調子に乗ったか? あぁ?」
「煽るな」
どちらが悪者か、これでは分からなくなりそうだ。
「捕亡吏様のお出ましってか」
「悪い事してる自覚はあるんだな」
「ねぇな、そんなもの」
そう言って、目の前の男は脇にある壁を破壊した。なんとも粗暴な男だ。
「百瀬、俺を飛ばせ」
小声で指示を受け、私は返事の代わりに彼の腕を掴む。そうして前方へ勢いよく投げると、男との距離が一瞬にして縮まった。
「暫く眠っとけ、ジジイ!」
竹原が男の目に右手を翳すのと同時に、辺り一帯が眩い閃光で包まれた。眩しすぎて、とてもじゃないが目を開けていられない。周辺にいる人も、もしかしたら更に広範囲にまで、彼の放った閃光が届いているかもしれない。それは竹原一という人間の存在を、あらゆる人に示しているかのようだった。
「目が終わっちまったじゃねぇか! なぁ‼」
強烈な光が収まると、チカチカした視界の奥で姿の見えない男が威勢よく叫んだ。竹原の閃光を至近距離で浴びても尚、戦意は喪失するどころかより一層増している。悪手だっただろうか。彼と私の行動は。
「もう寝とけって!」
同じく竹原の声が耳の端に聞こえる。少しずつ通常を取り戻す景色。周辺で何の弊害もなく動けているのはおそらく彼ひとりだろう。
「そりゃこっちの台詞だ」
同時にドーンという破壊音が周辺に響き渡る。また家が一つ壊されたのだろう。もしかすれば竹原も一緒に飛ばされたのかもしれない。
「竹原!」
完全に戻った視界で同僚を捜す。朝日に照らされた砂埃が、まるで目隠しの様に対象の姿を覆い隠してしまう。一歩踏み出せば、すぐそこで数名の人間が伏しているのが目に入る。それが一般人なのか、はたまた野良なのかは現段階で判断出来ない。
「竹原! 無事か?」
もう一度目の前に声を投げれば、遠くの方で「おぉ」と弱い返答が来る。
「おかげで眠気が吹き飛んだってもんだ」
「暢気過ぎだ」
「暢気ぐらいが丁度いいだろ」
ハハッと笑う竹原の声が聞こえる。同時に雷の様な細い光の線が現れ、真っ直ぐ、とにかく真っ直ぐ左から右へ伸びていく。私はその線の先目掛けて走り出し、地を力強く蹴って前進する。落ち着き始めた砂埃を割って突き進めば、目の前には案の定ガタイのいい男が顔を出す。
「今度はお前か?」
楽しそうに笑う男には目もくれず、私は本日何度目かの人体投擲を披露する。腕だか脚だか服だか分からない場所を掴み全力で投げれば、その先で待つ竹原の姿が一瞬だけ見えた。標的が向かい来る状況に、野良よりも野良らしく笑って見せる彼は今更ながら恐ろしい。
「これで最後だ」
抑揚無く口にする竹原。私は投げた勢いのまま身体を翻し、彼らに背を向けて自身の目に手を被せる。一瞬。ほんの一瞬の出来事だ。先程の数倍強い光が放たれ、音諸共世界から色を一秒だけ消した。
「あっという間だな!」
強烈な光が収まると、竹原は足元に倒れる男を見ながら再度笑った。彼の足元には屈強な男の姿などなく、筋肉すら禄に付いていない弱々しい人間の姿があるだけだった。
私の視界は一度目同様多少の色を失っているが、手を被せたおかげか支障をきたすほどではない。仕事への影響など皆無にも等しい。
「手、治してもらってこい。軽い治療の出来る人ぐらい先にいた組にもいるだろ」
「いや、そこまでじゃないよ。ちとヒリヒリする程度」
竹原は右手をぶらぶらと振り、平気なふりをしてヘラッと口にする。本人が平気と言うのなら私がとやかく言う権利はない。けれど心なしか掌が赤くなっている。
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫。ほっときゃ治るって」
「そうか……なら、先に来てた組を呼んできてくれ。一般人に混ざって逃げてるはずだから」
「分かった」
私たちが来ると補佐官から聞いたのだろう。自分たちの仕事を投げ出し、あろうことか尻尾を巻いて逃げたようだった。その証拠に、私は未だ彼らの陰すらも見てはいない。守るべき存在を背に逃亡とはなんとも情けない。異師など命を懸けてなんぼだろうに……。
「ちょっと待ってろ!」
変わらず右手を振りながら駆け出す竹原の背を見ながら、私はこんなことをしきりに考えていた。同じ異師なのに些か恥ずかしい、と。
部下二人が制圧へと向かった場所も無事に事が収まり、あっという間に町の平和が取り戻された。部下曰くそこまで強くなかったらしく、先行組が手こずっていた理由と百瀬組に伝令がかかった理由が今一つ掴めなかった。訓練を怠けているのだろうと瑞城は言ったが、おそらくそれだけではない。
詳しい話を聞くに、先行組は各組を抜けた者が多く配属されていたらしい。即ち、命を惜しむ者が大半だということだ。であれば拘束もそっちのけで逃げ出すのも納得がいく。私は上に申し伝えるか迷い、結局しないことにした。したらきっと彼らは処分対象になる。それはなんだか居た堪れない。
「いやー、お待たせお待たせ。かなり遠くに居て探すの大変だったよ」
朗らかに戻って来た竹原の後ろには数人の同業者。皆俯いて、どことなく表情が暗い。叱られると、処罰があると、そう思っていることだろう。通常ならそうだろうが、今回はそんな心配は必要ない。
「何も言うつもりはない。ただ、ここら一帯の事後処理を頼みたい」
すると、彼らの瞳に心なしか光が宿ったように見えた。叱られることは皆等しく嫌なのだろう。安堵の表情が垣間見えたような気がした。
竹原の連れてきた先行組へ現場を引き渡し、私たちは自宅兼職場へと帰還する。朝からの過激任務に、示し合わせたかのように皆溜息を吐いた。一日分の働きをした気分だがさして時間は経過していない。未だ朝と呼ぶ時間故に、今日がいつもの何倍にも感じた。
「今すぐ寝たい……」
背中を丸めながら、気だるげに瑞城は言った。
「そうっすね、俺も疲れた……」
「誰か運んでくれない? 竹原さーん」
「嫌だよ、お前重いだろ」
口々に文句を垂れながら一歩ずつ前へと進んでいく。これが日常。いつもの、なんてことない私たちの平和だ。
「朝餉でも食べ行くかぁ」
私は皆の後ろ姿を眺めながら呟くように言った。すると前方を歩く面々が一斉に振り返り、目をこれでもかと輝かせていた。期待に満ちているような、私の言葉を待っているかのような、そんな顔で。
「どこ行くかなぁ」
私は腕を上げ、ぐっと伸びをしながらゆっくり歩く。その様を立ち止まった仲間が凝視していた。
「うどん屋行こうぜ」
「やっぱり朝は魚っすよ!」
「もっとがっつりいきましょ」
「私麺がいいなぁ」
私の背後で皆思い思いに口を開く。それが何だか楽しくて、安らげて、私はふふっと笑みを零した。