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第一章 五『我ら異師なり』


 昨晩の事が嘘だったのではないかと、そう思うほど寝起きはすっきりとしていた。もしかしたら本当に嘘で、ただ夢を見ていただけかもしれない。そんな疑問に答えてくれる者がいないのだから、今の私には確かめようがなかった。

 私は畳の上に敷いた布団を片付け、西洋の洋服に腕を通す。上下とも黒のその服は、自分が只人ではないと全身で表しているようだ。けれど着物よりも楽に動けるのでこれはこれで快適だった。

 そうしてから同じく黒い上着を手に、何も口にすることなく自宅の扉を開ける。


「あ、おはようございます」


「おはようございます」


 偶然前を通りかかった事務員と何気ない朝の挨拶を交わす。午前七時を少し過ぎたばかりだというのにもう働いている者がいる。この仕事は、働き者が多く集められているのかもしれない。

 私は持っていた上着を羽織り、前を全て閉めた。同僚の中には首元を閉めるだけで裾をはためかせる者がいる。けれどその恰好はどうにも性に合わなかった。着物生活が長かったからだろうか。隙のない装いに安心感を感じている。


「今日は何事もなく終わってほしいな」


 自宅先で独り言ちてから、私は静かな廊下を進んだ。階段を下ると、既に多数の職員が作業を始めていた。最早仕事熱心などという言葉では足りない気さえする。仕事の亡者、が適切なのかもしれない。


「百瀬さんおはよう。今日も早いね」


 私に気づいた瑞城が、そう言ってこちらへ歩いてくる。


「おはよう。瑞城も早いな」


 そう言うと、彼女はどこか嬉しそうな笑みを湛えた。


「聞いたよ。例の事件解決したんだって? 深夜の見回りから帰って来て、寝て、いつも通りに来てみたら! まさかそんなこと聞かされると思ってなくてびっくりしちゃった」


 興奮気味に話す彼女。私はまだ起きたばかりで、昨夜の件は誰にも報告していない。まぁ、誰が口外しているのかは容易に想像できるけれど。


「私が解決したわけじゃないんだよ。そんなこと、ちっとも出来てない」


「え? でも竹原さんがそう触れ回ってるけど」


 それは自分たちが解決してやったと、自慢げになっているだけなのだろう。手柄を上げれば給料が上がるどころかお偉いさんになれる可能性さえなくはない。現段階で既に特別指定異師なのだから、上り詰めようと思えば他の人よりも容易いことに間違いはなかった。


「……とにかく、あいつの言うことはあまり信用するな」


「? ……分かった」


 私は彼女を無理やり納得させ、その足で竹原を捜すことにした。あいつには聞きたいことが山ほどあるんだ。昨日の件と、先程聞いた件について。




 そうして館内を暫く探していると、脳内に伝令が入った。



《隣町で野良の暴走報告。現在数名が鎮圧にあたるも苦戦中。百瀬組、向かってください》



 脳内に直接声を飛ばせる者のことを、私たちは〈補佐官〉と呼んでいる。その人数は僅か数名で、遠隔的精神感応を扱える優れた人たちだ。彼らは異師がどこにいようと自分の声を届けることが出来る。特別指定異師である私であっても、それを習得することは不可能に近い。


「でも、やはり慣れん」


 直接話しかけられるのとは訳が違うため、むず痒いような、もやもやするような、そんな感覚になる。この先もきっと慣れることはないのだろう。


「百瀬さん!」


 玄関の方へ向かって行くと既に数名が集まっていた。皆寝起きだということもあり、どこか目がしょぼついているような気がする。


「おはよう」


「おはようございます」


「おはよ……」


 朝の挨拶に気合が入らない気持ちは大いに分かるため、私は別段咎めることもなくそのまま放置した。

 異師連に所属している異師は、皆どこかしらの組に所属している。その内本部に駐在している組は三つ。私を筆頭に九人の異師が属する百瀬組。戦闘狂を頭に据え、四人の異師を従える深栖組。少々変わった、二人で結成された和智(わち)組。

 三つある組のうち、今回補佐官が指名してきたのは百瀬組。それだけで事の重大さが安易に想像できる。何故なら、百瀬組に所属する指定異師の数は四名。本部に属する特別指定異師全員が組されている。即ち、それだけ強いということだ。それはつまり、相手も同様。


「あとは……三人か」


「お、みんな居んな」


 明るい声とともにやって来たのは私が探していた竹原だった。どこか暢気そうなその男は、これから仕事だと果たして分かっているのだろうか。


「二人は腹痛いから遅れるってよ」


 竹原はそう言って私の肩にポンと手を置いた。彼はきっと私と同じことを思ったのだろう。腹痛を訴えた二人は近いうちにここを辞めるに違いない。


「よし、行くか」


 誰よりも先に声を上げた竹原は皆を先導するように駆けだした。その後を、一人、また一人と追いかけて行く。


「あの二人は……」


「辞めるなら仕方ない。精神的にも過酷だからな、この仕事は」


 走り出す仲間の背中を、私は溜息を吐いたのちに追いかけた。

 私の組を外れると彼らにはお決まりの選択肢が与えられる。別の組に移るか、別の県の支部に移るか、事務に移るか。はたまた死か———。常人の持たざるものを得た代償は制限付きの行動と相場が決まっている。婚約者は選べても仕事を変えることは許されない。それは遥か昔からの決め事だった。


「事務になるといいね! あそこは文字だけで平和だから」


 私と並走する瑞城は微笑みながら言った。確かにそうなるのが一番いい。誰も命を落とさず、それでいて精神を病まずに済むのなら……。帰ったら本人たちに聞いてみよう。私はそこまで恐ろしい人間ではないのだから。


「なんだなんだ、何か始まるんか?」


 私たちを見た一般人が驚いたような声を上げた。


「やだね、全身真っ黒じゃないか」


「ってことは異師かい? ちょっと! 塩持ってきておくれ」


 駆ける私たちの直ぐ傍で、しっかりと耳に届く声量で聞こえる嫌味事。もうとっくに慣れてしまったけれど、それでも大していい気はしない。


「不吉だわぁ。もう店閉めようかしら……」


「見ちまったよ! とんだ一日さ」


「今日はもう家の中に居るんだよ、いいね⁉」


「こんな塩じゃダメさ。盛るんだよ」


「変な服~」


「こら! 家に入りなさい‼」


「最悪な一日になりそう」


「もうお布団被って寝ましょうね」


 ここまで来ると最早厄病神と同等。否、それよりも酷い扱いなのかもしれない。不幸を招くと巷で噂の黒い服。〈異師〉とは即ち、普通の人間と異なった者たちの代表者だった。


「百瀬さん、こっちの方が近いよ」


 そんな一般人の声に耳を貸すことなく瑞城が声を上げる。進行方向とは違う、右に逸れた道を指差しながら。先頭を走る竹原とはだいぶ距離が開いてしまっている。遅れることなく同時に目的地に着くためには、素直に彼女の提案に乗るしかない。


「分かった、そっちへ行こう」


 先頭集団から外れ、私たち二人は逸れた道へと入る。この道がどこへ繋がっているのか、きっと彼女も分かっていることだろう。


「今更だけど、こっちって走ってもいい場所なのかな?」


「走ってる人は見たことないな」


「やっぱり。もしかして遠回りだったかも……百瀬さんよく(かよ)ってるの?」


 周りに配慮してか、彼女は小声でそう問うた。そんなこと配慮したところでさして意味はないような気がする。


(かよ)ってはいない。通りはするが」


 ここで嘘を吐く必要もないので私は事実のみを告げた。けれど彼女は信じていないようで「ふーん」と疑いを含んだ声を上げる。こればかりは証明が出来るものではない。頭を悩ませた末誤解を解くのを諦めたとき、視線の先に話題の場所が見えてきた。


「滅多に通らないから新鮮!」


 目の前に現れた場所は俗に言う色町だった。徳川幕府が終わった今もここらは衰退を知らない。けれど朝という時間も相まって、街には雰囲気を漂わせる店々があるだけで、男性どころか女性すら見当たらなかった。


「昼見世って何時からなんだろ。知ってる?」


「知らん。昼間だろ」


「やっぱり通ってるんじゃないの?」


 この先も事あるごとに言われるのかと想像するだけでなんだか気疲れしてしまう。いっそのことこのまま自宅に引き返してしまおうか。騒動を押さえるのなんて、竹原たちだけでも出来るだろう。私は今すぐにでも、この得体の知れぬ疲労をどうにかしたかった。


「別段、通うこと自体が卑しいわけでもないだろ?」


 まるで彼女の発言を肯定するかのようだが、この際どうでもよかった。誤解をしているのならそのままさせておいても問題はない。言いふらされることになろうと、誰にも責められることはないのだから。


「そうだけど! でも、遊びなんて」


「この前この辺りで竹原を見かけたな」


「えぇ⁉」


 死なばもろとも、だ。彼には悪いが同じ疑いをかけられてもらおう。


「確かに竹原さんなら通っててもおかしくないというか……だって通ってそうだし。本当に通ってたの? でも誠実なところもあるから、ただ通りがかったってだけかも。いや、それじゃあわざわざここを通る理由は? ……通ってた。本当に通ってた?」


 一人でぶつぶつ問答を繰り返す様は、今にも無理問答を始めんとしているようだった。彼女の中では、遊女とともに過ごすこと自体がご法度なのかもしれない。横目で顔を見れば、まるで難題でも解いているかのような険しさ。これは暫く続きそうだと、どこか他人事に思った。

 難題に取り組む彼女の横を、遊女屋は次々と通り過ぎていく。張見世用の格子奥にはどの店も未だ誰も座ってはいない。皆寝ているのだろう。そう思った矢先、格子のずっと奥に人影が見えた。それは開け放たれた戸の奥。廊下を歩き去る小さな影。その影が、どことなく昨夜見た『姫』に似ていた。

 見間違いかもしれない。なにせほんの一瞬、煌々と輝く月の前でしか見ることが出来なかったのだから……。けれど、あの存在感を見間違えるはずもない。圧倒的な存在感が、同一人物であると直感に訴えていた。


「百瀬さん、次の角曲がるよ!」


 一人問答が終わったのか、瑞城は突如進路を示す。色町の終わりもすぐそこに迫り、私は改めて気合を入れ直す。今は『姫』の存在よりも事を収める方が優先だ。私は仕事を全うすることに心血を注ぐことにした。



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