第一章 四『お姫さま』
怪奇の発生時間はおおよそ午後七時から零時の間。これだけ幅が広いのはそれだけ情報が不足しているということだった。
目撃者はおらず、それ故にどれだけ調べても有力な情報は出てこない。こうして操師を使って調べるも人手が足りず大幅な進展は見込めない。今夜だって何一つも得られないかもしれない。小さな子どもを連れ回しても尚、その可能性の方が高かった。
「ききこみするの」
囚われた敷地の外に出た少女は、地面に両足を着けると張り切った様子で歩き始めた。その脇を守護するように歩くのは少年で、私たちは彼らの後ろからついて回る。
私たちに野良の相手は出来ても、残念ながら見えないものの相手は出来ない。彼ら頼りな行動しか取れないことに少々歯痒さを感じてしまう。
「そんな顔するな。俺たちに出来ることだってあるさ」
「そうだな。今は二人を守ることに徹しよう」
やるべき事をやるしかない。出来ないこと悔やむのは今でなくとも出来る。そうだ、私たちは協力者を守らなければならない。余計な雑念は排除することにした。
「あっちで暴れてる奴がいるって」
少年が遠くを指差す。私たちはその知らせに頷いて、ともにその場所へ向かった。そこは何の変哲もない、ただの道。両脇に家々が建っているだけで特に珍しくもない場所。これまでと同じように、目立った何かは無さそうだった。
「誰もいないな」
物騒な世情故か、住民の姿は誰一人見当たらない。もちろん『暴れてる奴』の陰すらもない。逃げられたか、もしくはそんな者端から居なかったか……。
「少しこの辺りを捜そう」
辺りを見回しながら三人に告げた……はずだった。———はずだった。
「は……?」
周辺には人っ子一人見当たらなかった。暗闇に自分ひとり。竹原も、彌祐も、羽鈴も、忽然とどこかへ消えていた。何故。どうして。何があった。この一瞬で、異変に気付かないほど自然に、私は今たった一人だった。
一体自分の身に、皆の身に何があったのだ。そんなことを考えている隙がないほど、自分が戸惑っているのが手に取るように分かった。冷静にならなければ。こんな時こそ気持ちを静めなければ。そう思えば思うほど、人というものは反した行動を取るのだろうか。
動揺は心臓へ、呼吸へ、指先へ、次々に遺伝していく。もはや状況を客観視出来なかった。
「お前は、ここで何をしているのだ?」
自分の声とも、他人の声とも分からない声が町中に響いて消えていく。何をしているかなんて、そんなの調査に決まっている。怪奇について、毎晩毎晩飽きずに歩き回っているんだ。
「お前は、ここで何をしているのだ?」
だから調査に決まっている。怪奇について、外傷の無い不思議な遺体について調べているんだ。
「お前は、ここで何をしているのだ?」
だから! 調査だと……調査だと、そう言っている———調査とは? 問答を繰り返しているうちに——否、問答にすらなっていない。私は何と……今何をしていた?
「お前は、ここで何をしているのだ?」
「お前は、どこにいるんだ」
「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」
頭の中で、同じ言葉がぐるぐると反芻している。
「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」「お前は、ここで何をしているのだ?」
最早、自分が立っているのかすら分からない。私は———
「お前ら、何をしにここへ来た」
刹那、耳元で地が割れるような、そんな轟音が鳴り響いた。
「な……なんだ」
「びっくりなの」
「え」
消えていたはずの三人が、居なくなってしまった仲間が、今目の前に存在している。そして私は、先程と同じ場所に突っ立っていた。
「なんなんだよ、今の」
「今の……?」
三人に向けていた視線を僅かに前方へ向ける。するとどうだろうか。地面には大きな円形の穴が開き、傍に人が倒れている。その人物は足の先から崩れるようにして形を消していく。
「あれは……」
「おそらく、あれが怪奇の正体」
「怪奇……では何故倒れている? あの穴を開けたのが怪奇ではないのか」
「知るかよ、俺だって何が何だか分かんないんだ。同じ言葉が聞こえ続けたかと思ったらこれだ。本当に、頭がおかしくなりそうだよ」
頭を搔きむしる竹原を他所に、先程の理解不能な現象の方が気になってしまう。二人して謎の現象に襲われた。他の二人もそうであったのだろうか。いずれにしても理解が追い付かない。
「……不可解な現象というのは、状況から見てあの者の仕業なのだろう。妖が、そのような力を持っていたのかもしれない」
今動かせる頭を総動員させて、現状をなんとか言葉にする。
「今起こってないからな。その考えに俺も賛成」
「お、俺もだ」
「なんかいやなかんじなの。きえたあのこののこり、はれたちとちがうの」
分からないことが多い。妖について。操師について。私たちはまだ、ほんの一遍も知らないのではないか。そう思わずにはいられなかった。
「え、ひめ?」
突然彌祐が疑問の声を上げる。
「どうした?」
「いや、こいつが急にひめって……。ひめってなんだ?」
「おひめさまのことなの」
羽鈴の言葉を聞き、私たちはお互いに顔を見合わせた。姫とは、それはまさに不介入条約にあった言葉。
「秩序を守る姫……」
「そんなもの——」
「お前ら、さっさと家に帰れ」
女性の声だ。とてもよく響く、玲瓏な声だった。
「おひめさまなの」
うっとりとした声を上げた羽鈴の視線上に、その人は居た。屋根の上に立ち、背後に欠け始めた月を背負っている。顔はよく見えないが、長い髪に、逆光で色の分からない着物。打掛らしい裾の長い着物が、不思議と左右に揺らめいていた。
「夜は我らの時間じゃ。只人は今すぐ去ね」
「俺たちは只人じゃねぇ! 俺は操師で、こいつらは異師だ」
すると女性はハッと鼻で笑った。
「小間使いに成り下がったのだな、お前たちは」
「こま……⁉」
「まぁ良い。子どもは寝る時間じゃ。早く布団に帰るといい。お前たちの調べている怪奇とやらもこれで無くなろう。安心せい。全てこちらで処理しておく」
目の前の女性は、まるで全て知っているとでも言うように告げた。何が何だか分からない。自分たちの前に『姫』が現れた理由も、怪奇の根本原理も。
「お前は、なんだ」
言葉足らずな竹原の問いに女性は終ぞ答えなかった。これにも不介入条約が絡んでいるのだろうか。『人の世でその存在を明かすことを禁ずる』という言葉の意味が、改めて理解出来なかった。
そうして気づけば『姫』らしい女性はいつの間にか居なくなっていた。屋根の上から視線を外したわけではないのだが、意識の外で雲隠れした。些か不思議な人だった。
「私たちも帰ろう。取り合えず、全て終わった」
「なんて報告すりゃあいいんだよ」
私の横で頭を抱えている竹原を他所に、私は再び羽鈴を抱き上げた。少女は既に眠いようで、しきりに目を擦っている。一体今は何時なのだろう。現在時刻を知るための情報は、あいにくこの辺りにはなさそうだった。
「俺、姫様なんて始めて見たよ。あんな感じなんだな」
先を歩き出した彌祐は、後頭部で手を組みながら何の気なしにそう口にする。確かに、私もその存在を目の当たりにしたのは初めてだった。予想に反して横暴な……いや、想像通り尊大な印象を受けた。
姫というものは、時代や年齢を問わずそういう存在なのだろう。
「俺を置いてくなよ!」
彌祐の後を歩き始めた私に向かって竹原が慌てたように言う。もういい年だというのに彼は夜道が怖いらしい。子どももいるのに情けないと、私は少々大げさに笑って見せた。
その後は別棟に子どもたちを送り届け、私たちはそれぞれの部屋で夜を明かした。