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第一章 三『おしごと』


 私たちの職場は異師連の本部とされ、西洋風に組み替えられ始めた街並みをずっと進んだところに位置している。外観は今流行りの煉瓦造り。この辺りも一昔前は草葺きを誂えた家々ばかりだったというのに……。いつの間にかそんな面影は消え、幾度となく通っていても知らない街並みに感じて仕方ない。

 かくいう職場は二階建て。奥まった場所に建っているせいか、日光も禄に当たらず怪しい組織風なのが特徴だ。そこへ私たち二人は休憩を終え、再び仕事を始めるべく帰還した。


「ちょっと部屋行ってくるな」


「分かった、この辺にいる」


 竹原が小走りで目の前奥の階段を駆け上がる姿を眺めながら、私は壁に寄りかかり戻りを待ことにした。

 職場の表に設けられた大きな扉を開けると、見た目からは想像できない程の広さが帰還した者を出迎える。その広さを邪魔しないよう、医務室などの部屋は大方壁沿いに設けられている。広いだけの中央は流行なのか吹き抜けを取り入れ、一階から二階の様子が丸見えだった。


「私も一旦戻ればよかったな」


 二階の奥から聞こえた扉の閉まる音を他所に、私は誰と会話するでもなく一人呟いた。

 この建造物の二階には悲しいことに私たち異師の自宅が併設されている。建物入り口から見える場所に位置する部屋は女性が、その裏に隠れるように位置する部屋は男性にあてがわれている。それは本部の人間だけではない。

 異師と呼ばれる者は大抵職場に併設された自宅に住み、衣食住をともにしている。私たちも操師同様異師連という存在に監視されているのだろう。それは皆口にこそしないが理解している。野に放てば脅威となりうる強者を、言葉通り自由にさせないためには———。


「それもまた致し方なし、か」


 特にこれといった不満はない。力を有効に使えるのなら、持て余すよりは幾らかマシだろう。


「百瀬さん! おかえりなさい」


 十代の頃からともに仕事に励んできた一歳下の同僚、私と同じく指定異師の(みず)(しろ)が嬉々としてこちらに駆けてくる。彼女も休憩から帰ってきたところなのだろう。ここのところ皆調査調査で忙しなくしていた。休憩時間も禄に取れず、取れたとしても夕方以降だ。


「瑞城も今帰りか?」


「そうなの。ほんと、毎日忙しくって嫌になる」


 笑いながら明るく言ってはいるが、目の下にはうっすらと隈が広がっている。


「空いた時間に寝た方がいい。仮眠でも少しは疲れが取れる」


 私は仮眠室を指差しながらそう言った。すると彼女はやはり笑いながら、目元をさり気なく隠す素振りをする。


「そんなに酷いかな……?」


「そうでもない。だが、最近寝る間もないのは皆一緒だ。丁度今やることもないだろう? ほら、寝ておいで」


「なら百瀬さんも寝て。また夜中に起こされるだろうし」


「私はこれから別棟に行くんだ」


「なら私も!」


 働き者も時には困りものだな、と改めて思う。彼女は自分の仕事どころか他人の仕事をも請け負おうとする節がある。だから尚更寝る時間を削っているのだろう。おそらく、他の誰よりも仕事に追われているに違いない。


「瑞城は寝なさい。別棟には竹原と行くから大丈夫」


「そう……そうよね」


 何故かしょげている瑞城に首を傾げつつ、上司に彼女の休暇を進言しようと決めた。彼女はそれから何も言わず、しょんぼりと肩を落としながら仮眠室へと歩いて行く。その背中は何故か妙に寂し気だった。


「そんなに別棟に行きたかったのか?」


 あまり気持ちのいい場所ではないけれど、だとしたら悪いことをしたなと後悔した。



 暫くして戻って来た竹原とともに私たちは漸く別棟へと向かう。別棟へは入り口入ってすぐの、左手にある階段を下る必要があり、そこはどことなく張り詰めた空気を醸し出していた。

 ここから先は別世界だ。私たちの過ごす日常とはかけ離れた……否、意図的にかけ離れさせた、表から追いやられた裏の世界だ。そんな空気の籠る向こう側へ、今まさに足を踏み込まんとしている。


「やはり慣れんな、ここは」


「慣れたら終いだ」


「それもそうだ」


 緊張感を和らげるように言葉を交わし、どちらからともなく一段ずつ下っていく。段を重ねるごとに酸素が薄くなっていくような感覚に苛まれる。薄暗い。いくら経費が少ないからと言って、極限まで明かりを省いては歩くのもままならない。けれどそれを進言したところで「操師などに使う金はない」と突っ返されるだけだ。

 そんなこと、聞くまでもない。


「松明でも持ってくりゃよかった」


 後悔したように竹原が言う。約十八間おきにしか灯りがないのだ。そう思うのも無理はない。


「怪我だけはするなよ、私の仕事が増える」


「俺の心配じゃないのかよ」


「怪我しても死にそうにないしな」


 冗談でも言っていなければ真っ暗な闇に飲まれてしまいそうだった。だから私たちはいつも二人で足を踏み入れる。たった一人では、きっと一段だって下れやしない。


「あと二段……!」


 暗がりでは、自分の感覚と記憶だけが頼りだった。何段下りたのかも、この先に何段あるのかも、見えなければ感じるほかなかった。


「終わったか?」


 残りの二段を下り終えると、本当に平地かを片足で確かめる。毎日頻発する落下事故を防ぐためにもこれは必要な動作だった。

 階段を下り終えるとそこからは暫く平坦な道になる。段差に躓くことも、落ちることを心配する必要もない。人二人が何とか横並びで歩ける地下道に、ただただ二つの靴音が響くだけだった。

 限りある灯りの元には虫が集まり、地面にはどこからか紛れ込んだ鳥の羽が散乱している。その光景に溜息すら出ることはなく、かと言って綺麗にしようと行動することはない。

 地下道が薄汚れているなんていつものことだ。この場所が出来たときから変わらない、不変の不文律(ふぶんりつ)だ。


「ところで誰に協力を頼むんだ? って言っても選べるほど人いねぇけど」


 竹原の声が狭い空間に反響する。彼の言う通り操師の協力者はほとんどいない。皆私たち異師に怯え、話も聞かずに逃げ去る者ばかりだ。せめて話を聞いてくれさえすれば……と淡い期待を抱いたりもするが、巷の評判も相まってなかなかそうもいかない。


「そうだな……()()さんはどうだ?」


「あのちっこいのか……そうだな」


 あの子なら酷い絡まれ方されないな。竹原が小声でそう口にしたのを、隣を歩く私はしっかりと耳で聞いた。平坦な道が終わると、今度は目の前に上り階段が現れる。それを上った先にある長細い建物が目的地である別棟だ。

 この辺りから静寂の中に生活音が聞こえだす。例に漏れず今日も、彼らは元気いっぱいに暴れまわっているようだった。


「元気だねぇ」


 視線の先に現れた光の先を想像し、私はふぅっと息を吐いた。



 高い壁や柵に囲まれた広い空間。地には芝が生い茂り、切り取られた空が頭上に広がっている。その中央に、長細い平屋が何も語らず建っていた。

 そんなのどかな景色とは裏腹に、視線の先には横たわる少年と覆い被さる少年。


「何してるんだ、君たちは」


 階段を上り終えた先におよそ秩序というものは存在していない。何度目かも分からない呆れという感情を、私は既に持て余していた。


「こいつが弱いのがいけないんだ。悔しけりゃもっと強くなるこった」


 私の目の前でそう言い切った十歳ほどの少年は、地に伏す少年にプッと唾を吐き捨てた。またこれだ。この少年は、常に同じことを繰り返していた。


「喧嘩は別に止めない。でもこう毎度毎度やり合うのはやめろ。彼も貴重な戦力なんだ」


「そんなこと知るか。毎日こんな変わり映えのしない生活してるんだ。楽しみのひとつでもなけりゃ、退屈でどうにかなっちまうよ!」


 勝負好きの少年は、別棟にいる操師に手当たり次第殴りかかる。時には私たちも標的になり、先日は竹原が目を付けられた。当然、彼らは一度は私たちに両手を上げている。そんな者たちに、たとえ自己防衛であろうと反撃出来るわけがなかった。

 きっとこれを上層部が聞けばすぐにでも指令が下るだろう。蹂躙しろ、と。立場の違いを思い知らせろ、と。そう言われるかもしれない。

 しかし私たちにかかった洗脳は遥か昔に完全に解けている。もはや与えられた選択肢は避けるか受けるかの二つに一つだった。


「そんなことより竹原! 今日もやろうぜ」


「やなこった。痛いのは勘弁だね」


 竹原はそう言ったが、少年は容赦なく片手を上げて駆け出した。逃げる竹原。追いかける少年。端から見れば微笑ましくも見える光景だった。私はそんな竹原を他所に、一人静かに別棟の方へ足を踏み出した。


「ちょ、百瀬!」


 背後で助けを求める声が聞こえたが、私は取り合わずに構わず進む。


「許せ、竹原」


 私とて痛いのは嫌なんだ。ましてやあの少年は力加減を知らない。下手したら当分仕事など出来なくなりそうだ。そうなれば山積みになっている仕事が止まってしまう。

 これは致し方ない犠牲だと、自分を言い聞かせることにした。後で何でも好きなものを奢ってやろう。


「静かなものだな」


 靴を脱いで中に入ると、外の剣幕とは打って変わり非常に静かなものだった。人数が少ないというのもあるだろうが、時間が時間なだけに皆遊び疲れて寝ているのかもしれない。


「羽鈴さんの部屋は……」


 横幅の三分の一ほどを占める廊下を、私は足音を立てないようゆっくり歩く。左側には幾つかの部屋が横向きに設けられ、彼女たちはその中の一室を与えられている。

 仕切りの無い大きめの一部屋だけだが、一人で暮らすには十分な広さだった。部屋の扉の上部は格子状になっており、外からも中からも反対側が見えるようになっている。些か悪趣味な作りではあるが、上の考え故に目を瞑るしかなかった。


「逃げんなよ!」


 右側に連なるように取り付けられた窓。その向こうで楽しそうに叫ぶ少年の姿が見える。朗らかな夕暮れ時。目の前に広がる光景は平和そのものだった。


「ここか」


 扉の横に設置された名札をもう一度確かめ、私は扉を指で軽くつつく。乾いた音が静寂の中に聞こえ、誰の気配も感じない。私は仕方なくもう一度扉をつつき、そうして暫くしてから格子越しに中を覗いた。

 部屋の中には一枚の布団が敷かれ、その中央に小さな女の子が丸まっている。健やかな寝顔はどこか安心感を感じさせた。


「羽鈴さん、こんばんは」


 太陽はすっかり沈み、夕焼け空は紺碧に変わっている。こんな時間に訪問するのは些か礼儀知らずだが、今更時間など関係なかった。

 これ以上原因不明の骸を増やすわけにもいかない。上も早急な解決を望み、人々に知られる前に片付けることを要求している。逆らったらどうなるかなど、木を見るよりも明らかだった。


「羽鈴さん、起きてください」


 そうなれば、きっとこの子たちにも被害が及ぶだろう。下っ端は彼女らを大切に、それこそ親戚の子のように接しているが、お偉い方はそうではない。生き返った者は化け物だと、人ならざる者だと、そう考えているに違いない。みんなこんなにも生き生きしているというのに。


「羽鈴さん」


「ん……」


 少女の瞼が僅かに開き、私と目が合った。


「おはようございます」


「おはよう……なの」


 眠そうな目を擦りながら少女はゆっくりと起き上がった。五歳ほどに見える幼い女の子を起こした罪悪感が、胸の奥をじわりじわりと占めていく。


「おしごとなの?」


 たどたどしい足取りでこちらに歩いて来た少女は、扉の鍵を開錠し押し開けてくれた。


「こんな時間にすみません。ご協力いただけますか?」


「わかった。このままいくの」


 扉を開け放したまま少女は玄関へと歩いて行く。ぺたぺたという足音を聞きながら、私は扉を閉めて後に続いた。

 この子も一度は亡くなっている。そう思うとなんだか居た堪れない気持ちになった。けれど、生い立ちを知ろうとは思わない。どこで、どうやって、命を落としたのかも特に気にはならない。むしろ敢えて聞かないというのが、私たちの間で暗黙の了解となっていた。

 気持ちのいい話ではないのだ。嬉々として話すことでもない。触れない方がお互いの為でもあった。


「……ちょっとおおきいきがするの」


 玄関に辿り着くと、少女はそう言って片足を上げた。確かに今少女が履いている靴は大きい。なんせ私の靴を履いているのだから。


「羽鈴さんの靴はこっちですね。はい、どうぞ」


 私は木製の下駄箱の中から可愛らしい小さな靴を取り出し、少女の前に置いた。


「これなの。はれのくつは、これなの」


 少女は満足気にそう言ってから、慣れた手つきで自分の靴を履いた。未だ頭が冴えきってはいないのだろう。おっとりとした様子はとても可愛らしい。

 自分に子どもがいたならきっとこんな感情を抱くに違いない。とても愛おしい、と。


「なにしてるの?」


 少女は目の前で取っ組み合いをしている二人に当然のように疑問を投げかけた。今の少年と竹原はまるで兄弟のようだった。

 先程地に伏していた少年の姿は今はもうどこにも見当たらない。自室にでも戻ったのであろうか。


「羽鈴、お前今から出かけんのかよ」


「そうなの。はれはおしごとなの」


「何考えてんだよ、百瀬。だったら俺が行くよ。こんな時間だ。羽鈴は寝なきゃなんねーし」


 少年はそう言いながら少女の頭を優しく撫でた。とても心地よさそうな表情を浮かべる少女に、それでもいいかと思いさえした。けれど、そこで少女が言う。


「これははれのおしごとなの。やすけがねてるの!」


 すると少年は言い淀み、「分かったよ」とどこか寂しそうに言った。この二人も、本当の兄妹のようだった。


「なら()(すけ)も来るか? 一人増えたって俺たちが守ってやれるしな」


 口の端を手の甲で拭いながら竹原が体を起こす。髪は乱れているが、そこまで酷いことにはなっていないようだった。


「行く。羽鈴は俺が守ってやるんだ」


「よし、では行こう。もうすぐ頻発時間だ」


 私は言いながら少女を抱き上げ、再びあの空気の悪い階段へと向かった。




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