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第二章 十五『死なないんだからいいじゃない』

 道標のように他人の血液を垂らしながら歩き進めれば、酷く崩壊した家々が嫌でも目に入る。いくら空き家とはいえ、派手に破壊されている光景はなんとも言えない感情を抱かせた。自分事じゃないから良いだなんて思いたくはなかった。

 そうこうしている内に芝居小屋に到着した私たちは、誰かが壁に開けた大きな穴から中に侵入した。床一面は未だに足や手を凍りつかせ、被害に遭った参加者たちの呻き声が周辺にこだましている。


「動かないでくださいっす」


「止血するだけだ!」


 その中で懸命に言いつけられた職務を遂行し続けている二人は、私たちの帰還に気づく様子は微塵もなかった。副連長は上着に包んだ男の死体を隅に置くと、ゆっくりとした足取りで舞台の方へと歩いていく。そんな上司の姿を目で追えば、舞台上の檻から脱出した棗が檻の上に座っているのに気がついた。やはり自力で脱出できたのか……。えも言えぬ安心感が身体の力を抜いていくのと同時に、呆れと微かな怒りが現れ始めていた。


「……ふぅ」


 私は男の死体の横に烏の骸を置いたのち、息を吐き出しながら再び棗のことを見上げた。彼女は終始私のことを見下ろし、目が合うと口の端をほんの少し上げるだけ。何を言うでも動くでもなく、ただ座り微笑むだけの人間だった。


「いつも通りだな」


 心をおかしくするほど何か酷いことでもされたのだろうか、という心配は一瞬で立ち消えた。彼女の不可解な行動や理解し得ない行いは今に始まったことではなかった。何を考えているのか分からない。それが棗だ。


「夢さん」


 静かな声が騒めく室内に掻き消える。私は凍り付いた床をトンと靴裏で打ち、舞台上に上がった副連長の後方に着地した。


「————零大さんなら、既にどこか遠くのはずです。二日前の処置後にはもうこの辺りには居なかったでしょうから」


 千切れた脚が止血されることはなく、今も尚だらだらと血を流し続けていた。このままでは失血死してしまうかもしれない。


「逃がしたのか?」


「はい。この子の力を使って、ばれないようこっそり逃がしました。あの人には生きていてほしかったのでございます」


 夢さんは握り締めた白いお守りを胸に当て、噛みしめるようにそっと言った。すると輪郭の定まっていない本部長が夢さんの隣に現れ、ともすればどこからかキャハハという子どもの声が無数に聞こえた。


「幻像も、声も、集中していないと上手くいかないのです。少しでも不安定になるとこの子の声が聞こえてしまって……」


「操師か」


 副連長の声に幻像と声がパッと消えた。そこに残されたのは薄暗い室内と鉄の匂い。それから、銃を取り出す衣擦れだった。


「今ここで殺されるか、私たちに協力するか……選べ」


 脳を通さずとも口に出来るその言葉を副連長は口にした。聞かなくてはいけないこと。操師と出会った際の定型文。これまで幾度となく繰り返し口にしてきた言葉が、私の喉の奥で棘のように引っ掛かり刺さっていく。見ず知らずの他人には平気で言えることが、目の前の女性にはどうしても難しい。名前や話すときの仕草を知ってしまっているばかりに、こんな区別をしてしまう。


「殺してくださいませ」


 待っていたとばかりに副連長は手にした銃を夢さんに向けた。


「夢さん」


「もう、良いのです。この身体はとうの昔に死んだ身。縁あってこの子の力を借り、ただ死ぬという行為を先延ばしにしていただけなのです。ここらが潮時でございましょう」


 全てを諦め手放した人間の目は、どこまでも透き通る水のようだった。ここで死んでしまってはもう二度と本部長に会えないんですよ? せっかく生き返ったのだからもう少し生きてみませんか? 声になろうとしたそんな言葉を理性で押さえつけ、私も副連長と同様に専用銃を構えた。カタカタと部品と部品の触れ合う音が聞こえる。この感情は初めて操師を手に掛けたときと似ていた。


「良い余生でございました。とても素敵で……夢みたい」


 穏やかな顔でそっと俯く夢さんはゆっくりと目を閉じた。まるでこれまでの人生を噛みしめるかのように呼吸を大きく繰り返す。暗がりでも存在感を示す金の腕輪が、差し込んだ光にキラリと輝いた。



《胸です》



 脳内に反響した声に、私と副連長は目配せも合図もすることなく同時に引き金を引いた。発射された二つの弾丸は胸に添えられた手の甲を貫通し、握られていたお守りに触れた。瞬間、どこからともなくキャハハと甲高い声が聞こえる。楽し気で、嘲笑うかのようで、軽蔑の眼差しを向けるかのようで。私は握り締めた(じゅう)()に一層力を込めて、瞬きを一つした。そうしてからもう一度引き金を引く。




『あぁ、どうしましょ……あ、ぁぁ、はぁ』



 キャハハ、キャハハ。繰り返す笑い声。



『黒子ちゃん! どうしましょう、私……わたし』

『殺したのね……大丈夫よ、私がナシにしてあげる』

『ありがとう……あ、ありがとう』



 銃声、複数の大笑。綺麗に結われていた髪が乱れていく。



『どうせもう家には戻れないのだからこの店の前に座っていてほしいの』

『あの……驚かれるかもしれないのですが———貴女に惚れてしまいました。結婚してくださいませんか?』

『異師のお友達が欲しいと思っていたところなの! 行ってきたらいいわ、今度こそ成功させましょう』



 乱れた髪が持ち主の肩に触れた。前髪が揺れる。着物の袖が微かに動く。笑い声が一つ消えた。



『もう零大さんに何もしないで! 協力させるなんて、そんなこと続けたら———』

『忘れたなんて言わせないわ。貴女が人殺しだってこと、私が代わりに触れ回ってもいいのよ? 旦那様に知れたらどうなるんでしょうね……離縁かしら』

『———————っ』

『分かったら口答えしないでちょうだい』



 キャハハの声が銃声とともにまたひとつ消えた。



『夢! 少しお出かけしましょ、あの子も連れて』

『どこへ行くの?』

『山よ、お父様が最近買い付けたんですって。暑いし涼むには丁度いいじゃない?』

『……キャ——————————』




 誰かの記憶。実際にあった断片的な会話。繰り返される銃声と笑いさざめく声は反比例の形を成し、遂にたったの一人の声も聞こえることはなくなった。目の前に残されたのは帯の巻かれたただの着物と、その端から伸びる砂の山。人間の形は見る影を無くしていた。また一人、私はこの手にかけてしまった。許された殺人を咎める者は誰も居ない。だって操師は既に死んでしまった死者なのだから。


「お見事じゃな」


 檻の上に座る棗は軽快な拍手を私たちに降らせていた。その姿が何よりも大きく目に映り、私は銃を握った手を身体の横に下げた。爽快感は微塵もない。胸の奥にあるのはどんよりと重苦しい不快感だけだった。




* * * * *




「————以上が今回の報告になります」


 数日後。私は幹部室で都田連長に事のあらましを伝え、返答を待たずにその場を後にした。連長はこちらに背を向け窓の外を眺めているだけで、何一つ口にはしなかった。

 新調された制服は起きた出来事を全てなかったことにしてしまった。またいつもと同じ日常がやって来る。任務に追われる日々がやって来る。こんな気持ちも暫く経てば忘れてしまうのだろう。ふとしたときに浮かび上がる罪悪感という名の輪郭は、既に私と溶け合い一体化を始めてしまっていた。


「また居ない……」


 報告後に自宅の扉を開ければ、奥に広がる空間には虫の一匹も居なかった。芝居小屋での一件以来、度々棗が消える。あるときは両手いっぱいの甘味を手に帰宅し、またあるときは着物に無数の猫の毛を貼り付けて帰って来る。昨日は見知らぬ数人に攫われかけたらしい。

 何処で何をしているかは彼女の自由であるし、勿論束縛をしたいわけでもない。けれどせめて一言くらい伝えていってくれてもいいじゃないか。こう思うのは存外私が彼女の存在を手放したくないからなのかもしれない。


「今日はどこへ」


 仕事の合間に探し回るのはもう疲れてしまった。どうせまた涼しい顔をして帰って来るに違いない。そんな余裕を抱きつつも、こういうときに限って何かに巻き込まれていたりするのだ、とこれまでの出来事を振り返った。私はその揺るぎない事実に大きなため息を吐き、開け放った自宅の扉を閉めた。


「あ、百瀬さん! ……また棗さん居ないの?」


「あぁ」


「今度は何処行ったんだろうね」


 廊下で私を見つけた瑞城がこちらに向かって歩き来る。どうせ私も下に下りるのだからと歩き出せば、彼女は足を止めて方向を変えた。


「急に自由っていうか———これまでもそうだったのかもしれないけど」


「出会ったときから自分本位ではあったが……まぁ、ちゃんと帰って来るからいいがな」


 一段ずつ階段を下って、横に見える百瀬組用の部屋を軽く覗いた。中には組員が数人。その中に居た竹原に手だけで挨拶をすると、私はそのまま入り口の方へと足を進めた。何かあっても姫の力でどうにでも出来るだろう。芝居小屋のときもそうだった。自分の身は自分で守る、が彼女は出来ている。あれでも一人の大人なのだ。非常時にあろうともきっと私の出る幕はない。


「一応夫婦なんだから、百瀬さんも棗さんもしっかり話し合わなきゃ駄目だよ? 二人三脚って言うでしょ!」


「そうだな。それよりお前らもそろそろ進展したらどうだ?」


「進展って———竹原さんとは何もないよ」


「竹原とは一言も言ってないぞ、私は」


 ともに歩く瑞城にそう言えば、彼女はハッと目を見開いてから「嵌めたわね!」と声量を上げて言った。この手の話題に真っ先に名前が出てくる程度には気があるのかもしれない。付き合うでも結婚でもいいから、そろそろ何か動きが欲しい。さすがに見ているこっちがむず痒くなってくる。


「でも、好きとかじゃないの! 絶対にない! ないない、あんな奴。ただ一緒に居ると楽しいだけなの。気の置けない人っていうか、気心知れた仲っていうか。そんな感じだから進展はないの」


「そうか。それを世間では気になる人、と言うんじゃないのか?」


 禄に恋愛紛いのことすらしてこなかった人間が何を言っているんだ。愛だの恋だのは瑞城の方がよっぽど詳しいのに……。先輩面も甚だしいな、と私は胸中で笑った。いつもの流れで別棟へ延びる階段へと足を踏み出せば、私の後を追ってぶつぶつ呟く瑞城の足音が聞こえる。別についてこなくともいいのに、などとは言えなかった。


「私の気になる人が竹原さん? なんだか現実味のない話だわ。だって絶対にあり得ないもの。あんなに意地悪でなんでもかんでも突っかかって来るような人に惹かれたなんて、嘘でも言いたくない。すぐ喧嘩を買うような人と結婚したら絶対苦労するもの。そんな人が気になるなんてよっぽど変わり者ね。……え、本当に気になるのかな。そんなまさか。うん、あり得ない。友達くらいが丁度いいわ」


 竹原の酷い言われように私は苦笑を浮かべることしか出来なかった。一人で結論に至った瑞城は、スッキリしたとでも言うように迷いなく階段を下る。これでは当分現状維持だな。二人であれば付き合おうが何しようが組織内でギクシャクすることもないだろう。が、幸福な話題は幾つあっても足りはしない。私は未来を案じながら、ただ傍観するのみだった。

 視界の端に見える瑞城の存在は、階段を全て下り終える前に暗闇に飲み込まれていった。聞こえるのは呼吸音と靴音。等間隔に置かれた明かりが地下道とお互いの輪郭を切り取り、そうして再び塗り潰してしまった。


「……」


「……」


 お互いに何も話さない。意味のない会話も独り言も、この空間では許されていないと言わんばかりに一言も発さない。視界には先に見える明かり以外何も映りはしなかった。そう言えば以前棗と別棟に向かった際、彼女は『飼い犬が放たれている』と口にしていた。一体誰がどんな者たちを放ったのか。ふと思い出した言葉に興味が湧いた。


「ねぇ、百瀬さん。なんだか騒がしくない? 気のせい?」


 真っ直ぐ延びる通路をだいぶ行ったところで瑞城が口を開いた。また彌祐辺りが暴れているのだろう。そう思いながら耳を澄ませば、聞こえてきたのはいつもの活気づいた声ではなかった。むしろ泣きそうな……悲鳴にも似た声だ。


「聞こえるな……」


 歩みを進めれば進めるだけ聞こえる声は大きくなった。喋っているのは一人や二人ではないらしい。私たちは見えないながらに脚の動きを速めた。そうして爪先に触れた階段を躓きながら駆け上がれば、目の前に現れた光景は反吐が出るような悪夢だった。


「何すんだてめぇ!」


「てめぇだと!? どんな口の利き方してんだお前」


「羽鈴ちゃん、逃げて!」


「勝手に動くなよ、操師」


 思考を止めてしまいたい。今すぐに目を瞑り、開けたときに夢でした~と誰かに教えてもらいたい。こんなの、あんまりだ。


「ちょっと!! 何やってるんですか!?」


 隣でともに目の前の光景を見た瑞城は、私とは違い声を荒げながら駆け出した。別棟内では異師が操師を蹴り、殴り、終いには流血沙汰になっている。


「やめなさい、今すぐに!! こんなことやめて!」


 瑞城は彌祐の胸倉を掴み上げていた異師の手を掴む。しかし男の異師はそれを払い退け、彼女の身体は管理された芝の上に落ちた。それでもめげない同僚はすぐさま立ち上がり再び男の手を引っ掴んだ。彌祐の爪先が芝に触れそうで触れない位置でぶらぶらと揺れている。


「異師なのに操師の味方するって言うんですか!?」


 少し遠くで丞之心を虐げていた異師が声を上げた。そいつの足元には切られた手の甲をそのままに、ふらつきながら立ち上がろうとする少年が居た。


「飼ってる奴らをどう扱おうと自由じゃないですか! 死なないんだから」


 身体を起こした丞之心が異師の服の裾を掴む。そこへすかさず靴裏が落ちていき、踏みつけた足で少年の腹を勢いよく蹴り上げた。小さな呻き声が異師の息遣いの合間に聞こえる。丞之心から少し離れた場所に居た羽鈴は、耳を押さえたまま小さく蹲っていた。


「死なねぇからってこんなこと許されるのかよ!」


 胸倉を掴まれた彌祐が叫んだ。軽蔑と怒りをはらんだ鋭い視線が目の前の人間に向けられている。それが気に入らなかったのか、男の異師は空いている方の手で子どもの顔を殴りつけた。口の端が切れて血が滲む。


「やめろって言ってんでしょ!」


 瑞城の言葉遣いが荒くなった。今にも殴りかかりそうな勢いで男と彌祐を引き離そうとしている。そんな彼女をゴミを捨てるように遠くへ投げたのは、建物内から悄眞を引き摺り出してきた三人目の異師だった。投げられた同僚の身体が芝の上を滑っていく。

 視界に映る光景は秩序を失った最悪の世界。私の身体は無意識に後退りを始めていた。彼らを止めることも、放たれた言葉に反論することも出来ない。一方的な暴力を許容するつもりはないのに指の先さえ前進することを躊躇っていた。


「逃げればよい」


 真横で聞こえた言葉に顔を動かせば興味の無さそうな顔で惨状を眺める棗が居た。制止するでも参加するでもなく、ただそこに居るだけだった。


「虐げる者と同じように、お前もこれに目を瞑っていればよい。悲劇は一瞬じゃ。そうしてまた繰り返す。人間とは疎かなものじゃな」


 そう口にした後、棗はゆっくりとこちらを向いた。向けられた目は何もかもを吸い込むように真っ黒だった。同族を見る軽蔑の眼差しだった。


「……同じ、か」


 なりたくないと思っていた存在に成ってしまっている。気づいてしまった現実は私を失望させた。目の前で操師という型に当てはめた子どもを殴っている者と、憂さ晴らしに蹴り続けている人間と、今の何もせず佇む私は同類だった。


「まぁ、あの子らは死なぬしな。傷もすぐに塞がろう。お前が助けずとも奴らの気が済めばじきに終わるはずじゃ」


 操師は死なないから殴っていい。傷つけていい。そう考えてしまう人間にはなりたくなかった。蹂躙するような者と一緒にされたくはない。私は下がった足を一歩前に踏み出した。


「私は……こういうときに参加する側じゃなく、手を伸ばせる側になりたいんです」


 若い頃、操師の身体を滅多刺しにする異師の姿を見たことがある。包丁を刺し、抜き、そのまま再び刺し、抜き。返り血を顔に浴びながら繰り返すその姿は狂気だった。並の人間なら致命傷になる傷でも操師には関係がない。幼い子どもの発した苦痛に歪めた声が頭の奥で再生された。

 どうせ死なないのだからと、首を絞めて骨の折れる感覚を味わう者もいた。鈍く聞こえづらい音の隙間に悲鳴があった。

 自分の能力がどれほど通用するのか、無抵抗な操師に仕掛け続ける者もいた。ここでも終始地獄が繰り広げられていた。


「何人も殺してきたけど、それでもこれは違うって言いたいんです」


 異師の大半は操師の扱いに疑問を持っている。別棟に隔離することや非協力者を処分することもそうだが、掃除をはじめとしたぞんざいな扱いは酷すぎると。しかし大半に含まれない人間———副連長や目の前の異師のような者たちは違う。操師は殺して、または飼い殺して然るべき。何故なら私たち異師の方が偉いのだから……。


「手を上げた者に与えるのは、苦しみではなく安全でなくちゃいけないから」


 偉いとか格下だとか、そんな前時代的な考えはしたくなかった。たかが能力を持って生まれただけ。死んで生き返っただけ。立場はきっと横並びだ。


「善人じゃのぉ、綾人は」


「そんなんじゃないです」


「よいよい。私はお前の妻じゃからの。夫の意向は私の意思じゃ」


 落ち着いた声音でそう言うと、棗は下駄で芝の上をザクザクと進んだ。


「どうしてほしい」


 私の前方でくるりと回った彼女は私と向かい合って止まった。長い黒髪は身体に遅れて動きを止める。紅を引いた唇が隙間なくピッタリと閉じられた。ここで私が彼女に頼むのは正しいのだろうか。人を動かしただけで、結局私自身は何もしていないことになるのではなかろうか。瑞城とは違い、今の私は彼らの中では暴力を振るう人間の仲間だ。


「何もせず見ていてください」


「分かった」


 閉じられた口の端がほんの少しだけ上がった。心なしか向けられた視線に優しさが混じったような気がする。


「やめろ、お前ら!!」





「—————で、殴り返されていては格好がつかんのぉ」


 腫れた頬をつつきながら、棗は信じられないとでも言いたげな視線を向けた。私による慣れない仲裁は男どもにあっけなく躱され、止めに入るたびに押され殴られ散々だった。終いには地に転がされた隙に棗が妖を使用し、あっという間に異師をのしてしまった。これでも一応特別指定異師なのに……。肩書を返上しようか迷うほどにダサかった。


「体術が苦手とはいえ気合が入ってないとこうなるのね、百瀬さんは」


「俺の方が強いんじゃないか?」


「ももせ、なにもしてないの」


「痛かったのどうでもよくなりました」


「……さすがにあれは」


 皆好き勝手言ってくれるものだ。投げれる小石でもあれば私だって役に立てる。体術だって能力の応用でどうにでもなる。今回はただ……そう、彌祐たちを傷つけないように気を付けていただけだ。断じて止め方が分からなかったわけではない。


「なんでこんなのが指定異師なんだよ」


「彌祐くん、その辺にしてあげて……立ち直れなくなっちゃうから」


 優しさが胸に突き刺さる。立ち直れない。不甲斐なさと役不足を痛感して、今すぐ穴を掘って冬眠してしまいたい。


「まぁまぁそんな顔するなよ。俺が治してやるからさ!」


 頼りがいのある満面の笑みがキラキラと輝いて眩しい。立場の話は撤回だ。彼らの方が私たちよりずっと格上。懐の大きさが桁違いだ。彌祐はカッコいい台詞を言ってから私の殴られた頬に手を当てた。すると口の中に広がる鉄の味が消え、じんじんと鈍い痛みが引いていった。掌に付いた擦り傷も綺麗さっぱり無くなっている。


「完璧だぜ」


 ふふんと鼻を鳴らす少年はいつにも増して得意げだった。彼の命を繋いでいる妖は彼に治癒の力を与えた。軽傷であればどんな傷でも治せるらしい。自分ではない誰かのためにしか使えない力は、他人に苦しめられてきた彼には皮肉めいていた。


「ありがとう、彌祐」


「やすけ、きょうもかんぺきなの!」


「そうだろそうだろ。俺の仕事はいつも完璧なんだ! で、百瀬。治ったことだし一戦やろうぜ!!」


 輝いて見えていた少年が一瞬にして鬼に変化した。もう殴られるのはこりごりだ。私は返事をする前に逃走した。彌祐から遠ざかるように別棟の奥へと向かってひたすらに走った。

 背後から迫る軽快な足音と楽し気な声は小一時間続いた。その様子をニコニコしながら見つめる瑞城。のびた異師どもを尻の下に敷いて座る悄眞。他の三人に至っては楽しく談笑を始める始末。今日は夢すら見れないような気がした。




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